ラ・ヴィアン・ローズ&朱雀の章 番外編

キャンディkiss

 ←同棲の条件のこと。 →キャンディkissのこと。
                  -1974-


 少年の両親はいつも彼を連れて、自分たちの信仰する新興宗教団体『王虎の導き』に入り浸っていた。
 少年の名は虎丸。十歳である。
 この名も、その王虎の導きの教祖によって名付けられたというのが、両親の自慢だった。
 虎丸の両親は小さな町工場を営んでいたが、この団体に入信してから経営は上り調子となり、今では何十人とパート社員を抱える大きな部品工場にまで成り上がったのだ。
 だから、明けても暮れても「王虎様、王虎様」。
 会社経営があるから渋々在家信者に甘んじていた両親は、虎丸が十歳のある日、目を輝かせて言った。
「王虎様がね、お前を幹部候補として『導きの地』に住まうことを勧めてくださったんだ」
「よかったわねぇ、虎丸。在家の私たちに代わって、しっかり修行に励むのよ」
 『導きの地』とは団体の総本山。
 遠く離れた他県の山奥にある村である。
 唖然とした。
 この二人は一体何を言っているのか。
 我が子をそんな所へ、たった一人でやろうというのか。
 しかも、こんな嬉々として。
「だって・・・学校は?」
「王虎様の幹部になれるなら、階下民の教育など時間の無駄だろう」
 信者以外を階下民と呼ぶのは、自分たちが一般人とは違う特別な存在であると誇示する、虎丸から見れば、王虎の導きのマインドコントロールだ。
 両親がその術中にはまっているのは気付いている。が、子供の自分が何を言っても無駄と、冷めた目でずっと傍観していた。
 だが、類が自分に及んだ今、静観している場合ではない。
「・・・嫌だよ」
「何を馬鹿なことを言ってる。さあ、善は急げ。すぐに出発だ」
「嫌だってば! 僕の人生だよ。王虎なんかと関わりたくない…」
 刹那、父の平手を頬に受け、壁に叩きつけられる。
「なんという恩知らずだ、お前は!」
 目が血走る父。
 母もさも汚いものを見るように、顔をしかめている。
 怖い。
 逆らったら、殺されてしまうかもしれない。
 虎丸の中に培われてきた感覚が、冷静な判断を弾き出した。
「ごめんなさい。あんまり光栄で、舞い上がってしまいました」
 途端に両親の顔がほころんだ。ああ…、吐き気がする。
「じゃあ僕、出発の準備をしてきます」
 そうして自室へ向かうフリをして、そのまま家を逃げ出した。
 逃げて、然るべき施設に保護してもらうのだ。


                     
 当てもなく街中をさまよう。
 とりあえず警察に保護を求めたのに、家出を疑われて家に連絡されてしまうところを、また逃げたのだ。
「お腹すいたなぁ・・・」
 金もないので何も食べていない。
 惨めだ。
 どうしてこんな思いをしなくてはいけない。
 トボトボと歩いて、ふと人だかりに気付く。
 その向こうは、やけに明るい。
 その光に吸い寄せられるように、人ごみを掻き分けて進む。
「レフもっと手前! 成ちゃん、立ち位置によろしく」
 何かのロケだ。
 あの女優は・・・人気急上昇中の周防成子。
 カメラの前に立つ成子の、なんと眩しいこと。
 確か十七歳だったと思うが、女子高生とは思えない艶がある。
 まだ真冬なのに春の装い。
 スタッフが大きな扇風機で送る風に長い黒髪をたなびかせる彼女は、まるで暖かな春のそよ風の中にいるような表情。
「あ・・・演技なんだ。すごい・・・、すごいや」
 どきどきする。なんだろう、とても楽しい。
「OK! 成ちゃん、休憩してて」
 スタッフの声に、成子は途端に剥き出しの両腕を擦って差し出された毛布に包まった。
「あー、寒ッ。冬の夜風プラス扇風機攻撃はこたえるわ」
 ブツブツ言いながら、スタッフとモニターを確認している。
「いいね」
「あら、そうかしら。もう少し、サイドから風を送った方がいい画になると思いますけど」
 ダメ出しした当の成子に、スタッフは苦笑して取り直しを決めた。
 その時、スタッフから悲鳴に近い声が上がった。
「子役がこられない?! 風邪って・・・仕事ナメてんのか! ダメだ、今から他の子役呼ぶんじゃ間に合わないぞ。成ちゃん、明日から海外ロケだしな~」
 頭を抱えていたスタッフと、ふと視線が合う。
「ボク! ちょっと来て」
 おずおずと進み出ると、しげしげ前から後ろから眺め回したスタッフが、大きく頷いた。
「衣装! この子に子役の服とメイク!」
 なんだか訳がわからない内に、あっと言う間にロケバスに連れ込まれて着替えさせられてしまった。
「おお、いいじゃないか。あのね、ボク。あの彼女にキャンディ渡すだけでセリフもないし、おじさんの言うとおりに動いてくれよ」
 ああ、そういうことか・・・と、納得。
 スタッフから事情を聞いた成子は、いささか険しい顔で虎丸を見た。
「まあまあ、子役のシーンは3秒だし、ね、頼むよ、成ちゃん」
「3秒であれ、芝居は芝居でしょう。素人の子供で急場しのぎなんて」
 下手に出ていたスタッフの顔が引きつる。
 いくら人気絶頂の女優でも若干十七歳。
 生意気だと苛立っているのだろう。
「・・・成子さん、ボク、頑張ります。それに時間内に仕事を納めるのも、プロじゃないんですか」
 虎丸の言葉に成子が目を瞬いた。
 そして、ニヤリと笑う。
 ニコリではない、ニヤリ。
 綺麗で女らしい雰囲気と相反する仕草に、虎丸こそ目を丸くしてしまった。
「坊やの言うとおりだわ。プロデューサー、わがまま言ってごめんなさい。始めましょう」
 まずは簡単なリハーサル。
 さすがに緊張したが、成子がVサインを振って笑ってくれたので、少しホッとする。
 リハーサルでも成子は本番さながら。
 指示通り駆け寄ってキャンディを手渡すと、そっと抱き寄せられて・・・演技だとわかっているのに、心臓が弾けてしまいそう。
「よーし、じゃ、本番!」
 リハ通り、成子に駆け寄りキャンディを差し出す。
 成子の手が、虎丸を包む。
 ―――――思わず、成子の頬に・・・・・・キス。
 少し驚いた成子だが、何とも言えない微笑で、メッと顔をしかめた。
「カーーット! カット、カット、カットだ!」
 プロデューサーが声を荒げた。
 もちろん、虎丸が余計なことをしたからだろう。
「おい、坊主! お前なぁ・・・」
「怒るのは、モニター確認してから、ね?」
 成子の仲裁に舌打ちしたプロデューサーは、モニターをしかめ面で眺めていたが、やがてスタッフたちを呼び集めた。
 モニターに顔を寄せる彼らから、吐息がもれる。
 ふと成子を見ると、彼女はニヤリと笑って粋に片目をつむった。


                         
 撮影終了でまた着替えた虎丸がロケバスを出ると、成子がマネージャーのワゴン車に乗り込むところだった。
 とっさに、小石を拾ってワゴン車目掛けて投げつける。
 見事命中した音に驚いてふたりが外に出た隙に、開いたドアから座席の後ろに身を隠す。
「うわぁッ、傷になってる! 新車なのに・・・。誰だッ、こんな悪ふざけしやがって!」
 憤慨するマネージャーをなだめて、成子が再び車に乗った。
 気付かれぬまま、どれくらい揺られていただろう。
車が止まると、成子が虎丸の潜っている隙間を覗き込んだ。
「着いたわよ。いらっしゃい」
 ・・・バレていたらしい。
 マネージャーは驚いている。
 しかし成子は「いいから、いいから」と虎丸を連れてマンションに入ってしまった。
 部屋に案内された虎丸は、おずおずと勧められたソファに座る。
「シチュー残ってるから、温め直してげるわね。ご飯も食べるでしょ」
「う、うん・・・」
「こたつのスイッチ入れておいてね。寒くって」
 キッチンに立つ成子と、彼女の部屋に鎮座するこたつに、とても違和感。
 なんだかイメージじゃないんだもん・・・。
「さてと、シチューが温まるまで・・・」
 成子は虎丸の隣に正座すると、ヒョイと彼の手を引っ張って、膝の上にうつ伏せにしてしまった。
「えッ、何・・・痛い!」
 いきなりお尻をひっぱたかれて、虎丸は面食らった。
「何するのさ!」
「お仕置き。ダメでしょう、車に石ぶつけたりしちゃ」
「だ、だって・・・」
 どうしても、成子の傍に行きたくて・・・。
「後九つね」
「やッ・・・やだよ!」
「我慢なさい」
「やだ、離してよ!」
 ズボンの上からだからそれほど痛くはないが、お尻を叩かれるなんで初めてで、とにかく恥ずかしい。
合計で十回が済んで成子の手が止まると、後からじんわりヒリヒリしてきて、顔をしかめてお尻を擦る。
「はい、言うことは?」
「いきなり叩くなんてヒドイよ! ボクはただあんたに会いたかっただけなのに」
「・・・『ごめんなさい』でしょう。困った坊やね」
 膝から下りる前にまだ腰を押さえられ、挙句にズボンごとパンツまでめくられてしまい、虎丸は顔色を変えた。
「ちょっ・・・、待って!」
「駄ぁ目。追加で十回ね」
「いッ、あっ、やだっ、ごめ…、ごめんなさい! ごめんなさい!」
――――――パアァァァンッッッ!!
「やだあ!」
 ズボンとパンツの防御がなくなったところで、か弱い女性の平手は、やはり痛くはなかったが、お尻だけを丸出しにされた格好への屈辱感が、泣きたくなる気分にさせる。
「もうあんなことしないのよ」
 優しく抱き起こされて、成子がズボンを戻そうとしたので慌てて自分でやる。
 ここまで子供扱いなんて、いやだよ・・・。
「シチュー、もういいかしら。坊や・・・」
「坊やじゃない! 虎丸だッ」
 むきになって喚いた虎丸に、成子はキッチンに向かう足を止めて、それはそれは優雅に振り返った。
「それは失礼。じゃ、私も改めて自己紹介。未来の大女優、周防成子よ」



 成子のシチューは美味しかった。
 寒空の下、空腹で彷徨っていたから、余計に腹に沁みる。
「さて、頭も冷えたかしら?」
「え?」
「家出でしょ。お父さんとお母さん、心配してるわよ」
 思わずカッとなる。
 助けを求めた警察と同じ。
 一方的に、子供の自分が悪いと決めつけて・・・!
「お世話になりました。ありがとうございます。じゃ、さようなら」
 スックと立ち上がった虎丸の袖を、成子が苦笑して掴んだ。
「ごめんなさい。君にも言い分はあるわよね。良かったら、聞かせてくれない?」
 その優しい微笑みが演技だったとしても、虎丸は救われた気分だった。
 こたつに戻り、ポツリポツリと、ここに至った事情を話す。
「・・・・・・あんまりだわ」
「信じてくれるの?」
「君が嘘をついてないことくらい、わかるわ」
 体を伸ばして電話を取り上げた成子が、警察に電話していると気付いて、虎丸は失望し、立ち上がろうとした。
「こら、待ちなさい。勘違いしないの。私の彼が警官なのよ。彼に話をつけて、保護してくれるところを紹介してもらうの。――――あ、善? 私よ・・・」
 電話に相手の彼が出たらしく、成子が話し始めた。
 安堵で力が抜ける・・・と、同時に、ガッカリした。
 17歳の人気女優に、カレシがいるとは思わなかったのだ。



 やってきた高城という青年が、あまりに平凡な顔立ちであることに、唖然。
 絶世の美女たる成子のカレシなら、俳優顔負けの美男子を想像していたのに。
「わかった。一旦本署で保護するよ」
「信じてあげるでしょ、この子の話」
「ああ、王虎教会の話は、最近よく耳にするしな。心配するな」
 成子と当たり前のようにキスを交わす高城にムッときた虎丸の手が、都合よく滑ってお茶を引っかける結果となった。
「熱!!」
「あらあら。ヤケドしてない?」
 タオルを渡され、濡れた首筋を拭った高城に、虎丸は「ごめんなさい」と言った。
 内心は、ざまぁみろという気持ちでいっぱいだが。
「少しヒリヒリするな。一応軟膏塗っておく」
「あったかしら、待っててね」
 成子が部屋から姿を消すと、高城がヌッと覗き込んだ。
「お前、今のわざとだろ」
「違うよ」
「嘘つけ。妬いたんだろ」
「違っ・・・!」
「憧れの女の前じゃ屈辱だろうからな、署についてからお仕置きだ」
「なんで・・・!」
「ヤキモチくらい男の成長過程だがな、やり方ってもんがあるだろ」
 ヤケドで真っ赤になった首筋を指し示されては、閉口せざるを得ない。
「簡単に人に怪我させるようなことが悪いことだと、うんとお尻に言い聞かせてやるからな、覚悟しておけ」
 さっき生まれて初めてされたお仕置きというものを、よもやその日の内に二度も経験することになるとは。
 しかも、白魚の様な手の平の持ち主である成子と違って、高城という男の平手は、虎丸をわんわん泣きじゃくらせることを、いとも容易くやってのけた。



 施設の窓から見える景色は、すっかり春めいてきていた。
 桜の蕾が日に日に膨らんでいく様子を眺めていると、幸せな気分でいっぱいになる。
 両親に王虎教会へ連れて行かれないから、あの読経も聞こえない。
 奇妙な修行もさせられない。
 保護の連絡が両親にいってはいるが、憤慨して息子を取り戻しにくる彼らの常軌を逸した態度に、職員が防波堤となってくれて、虎丸の面会拒否を貫いてくれている。
 こんな平穏な毎日は、生まれてこのかた初めてだった。
 贅沢を言えば・・・成子に会えない。
 それだけだが、それは虎丸の中で、とても大きなことになっていた。
「虎丸くん! ちょっと来て!」
 慌てふためく職員に連れられて、職員室へ。
「待っててね、たぶん、また流れると・・・ホラ! これ、虎丸くんじゃない!?」
 興奮気味の職員が示したのは、あの晩の、ホワイトデー向けに撮影されたキャンディのCMだった。
「ね、ね、この男の子って、虎丸くんだよね!?」
「・・・はい。偶然、撮影現場を通りがかって、子役の代役を頼まれたんです」
「やっぱりーーー!」
 職員たちが盛り上がる中、虎丸だけが、不可思議な気分だった。
 テレビの中の少年。
 こんな顔。
 こんな表情。
 こんな仕草。
 いつもの自分なら、しない。
 まるで、違う誰かがこの体を使っているような、そんな奇妙な気分。
 けれど、それに不快感はない。
 むしろ、こんな表情をする自分が、案外気に入っていた。



 このキャンディのCMは、巷で話題となった。
 名前もわからない少年・・・というのが、世間の興味をますますかき立てる結果を生んだのだ。
 そんなある日、施設にまた両親が訪ねてきた。
 虎丸は部屋に籠り、いつものように、職員が彼らを追い返してくれるのを待っていたが、その日はいつもと違っていた。
 職員が、面会だけでもと勧めにやってきたのだ。
「お父さんもお母さんも、とても深く反省なさっているの。とにかく、顔だけでも見たいって。私たちも一緒にいるし、以前と変わらないようなら、途中でも帰ってもらうから・・・ね?」
 両親が反省? 
 虎丸は疑心暗鬼であったが、それが本当なら、虎丸だって会いたい。
 当たり前だ。
 彼らが恋しくないわけはないのだから。
 恐る恐る面会室のドアをくぐる。
「虎丸・・・!」
 両親からの抱擁に、虎丸は面食らった。
 けれど・・・嬉しい。
「すまなかった、お前の気持ちも考えず、ひどいことばかり言ってしまって・・・」
「虎丸ちゃん、ちゃんとご飯食べてる? お母さんに、よく顔を見せて」
 初めてだ。
 初めて彼らが、本当に虎丸を見てくれた。
 胸が熱い。
 涙がこぼれる。
「お父さん・・・、お母さん・・・!」
 嫌いなはずない。
 愛していないはずはない。
 虎丸は、自ら施設を出て、両親の元に帰ることを決意したのである。



――――束の間の、夢だった。
 両親は、「王虎さま」の命令で、息子が帰ってくるよう仕向けただけだった。
 その理由はあの話題のCM。
 虎丸の家をを探し当てた芸能プロダクションのスカウトマンが、連日、両親を訪問していたらしい。
 王虎教会が、それに目をつけた。
 彼をデビューさせ、ゆくゆくは、教会の広告塔に仕立てる目論見のもと・・・。
 両親が言った。
「命令だ、やりなさい」
「これで王虎さまのお役に立てれば、私たちの顔に泥を塗ったことも、水に流してあげるわ」
 惨めだった。
 自分たちが教祖に気に入られる為に、彼らは虎丸を愛している演技をやってのけた。
 虎丸は、決意する。
 それなら、やってやろう。
 自分も、演じ切ってやる。
両親の期待に応える息子を。王虎教会の為に活躍する息子を。
俗世間との繋がりを絶たれるより、ずっとマシだ・・・。
それに。
それに、この世界にいれば、いつか、会えるかもしれない。
あの人。
周防成子と・・・。


――――1975年。虎丸、子役デビュー。





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