短編集

風習

 ←紅蓮朱雀11 →短編集【習慣】のこと。
 会社がこの田舎に新たな工場を建設したということで、赴任してきた竹倉は、舗装もない荒れた道で車が揺れる度に、足を踏ん張って体が大きく揺れるのを堪えていた。
 埃っぽい空気が、車窓からでも手に取るようにわかって、ため息。
 ここでの仕事さえ終えれば、日本に帰れる。
 あと少しの辛抱だ。
 この数年、海外赴任が何国も続いた竹倉は、海外と日本のあらゆる習慣の違いに、うんざりとしていた。
 こんな後進国の辺鄙な村であれば、なおさらだ。
「色気も素っ気もありゃしない・・・」
 男たちは、湿った暑さの中、ランニングに短パンという軽装。
 反して女たちは、ヴェールで頭も顔も覆っており、わずかに見えるのは目だけだ。おまけに、体もその重厚な民族衣装に包んでいる。
「ん?」
 男の竹倉は見逃さなかった。
 女の体を足首まで包む重厚さを見せながら、時折、ひらめく腰布めいたスカートには、深いスリットが入っている。
 思わず車窓に張りついた竹倉は、がっかりして後部座席に身を委ねた。
 スリットは深く、太ももまで見えるほどに入っていたが、その下には、アラビアンナイトのようなズボンを身につけていて、いくらスリットが風になびこうと、肌の色を露呈することはなかった。
「つまらん・・・」
 竹倉がそう呟いた時、奇妙な光景が、目に飛び込んできた。
 貧しい民家の玄関で、粗末な長椅子に女が腹這いになっていた。
 目を疑う。
 スリットが捲くられていた。
 足はズボンで見えない。だが、女の白いお尻だけが、はっきりと見える。
 ズボンは足の付け根までしか、布を満たしていなかったのだ。
 その女の脇に、男が立っていて、薄く長い木の棒を手にしている。
 それは女のむき出しのお尻にあてがわれて、振り下ろされる。
「――――!」
 竹倉は、思わず目をつむった。
 車が通り過ぎてしまったので、そろそろと目を開けた竹倉には、女のお尻がどうなったのか、確認はできない。
 竹倉は早鐘を打つ胸に手を当てた。
 お尻を叩く罰というのを聞いたことがあるが、実際に見たのは初めてだった。
 しかも、あんな玄関先で。
 女の張り切ったお尻の具合から、彼女が年頃の娘であることは想像できたが、あんな辱めのような罰を受けるとは、どんな粗相を仕出かしたのだろうと思ったが、竹倉の浅い想像力では、答えは導き出されなかった。



 これだ、これ。
 不便極まる後進国のへき地で、唯一、竹倉が満足できるのは、日本では到底住めないような、豪華な邸宅だった。
 人件費も安いので、メイドもコックも、思いのままだ。
 工場が軌道に乗るまで、この優雅な生活を堪能でもしなければ、やっていられない。
「お帰りなさいませ、旦那様」
 竹倉の要望通り、出迎えたメイドはたどたどしいながらも、この村が位置する国の首都の言葉だった。
 彼女は村で見かけた女たちより、まだ見られる高価な布地の装束をまとっている。
 国の共通語が話せるくらいだから、この村の金持ちの娘なのだろう。
 深々と下げた頭が上げられたが、やはり、あのヴェールで覆われていて、いささかげんなりする。
「家の中でくらい、はずしたまえよ。その顔の布、見ていて暑苦しいんだ」
 宗教上の理由があるならば無理は言わないが・・・という言葉を足そうとした時、女が恭しく頭を垂れて、布をとった。
「御命令とあれば」
 顔を上げた女は、とても若く可愛らしかった。
 竹倉を見つめ返す大きな目。高すぎない鼻に、小さな唇。
 なにより、竹倉が帰国した日本で見かける若い娘たちと違って、清楚さが見てとれる。
 日本だけではない。色んな国を回ったが、皿を割って「これがこの皿の運命だったのです」と、悪びれず言ってのけるような国民性も、いくら呼んでもサボって姿を見せないような国民性も、彼女には感じられない。
「――――君の名前は?」
「ユンジュと申します」
 ユンジュという女は、どこまでも楚々とした仕草で、邸内を案内してくれた。



 一通り邸内を見て回った竹倉は満足だった。
 電気も水道もちゃんと通っている。
 ガスは通っていなかったが、飯炊きや風呂の湯沸かしは、メイドがやってくれるので、問題はない。
 外観だけは立派で、電気も水道もない見かけ倒しの邸宅に、幾度も住まわされた経験から、竹倉がまず確認する事項である。
 日本とは違うのだ。日本の当たり前が通用しないことは、この数年で身にしみていた。
 習慣が違えば、そこに生きる人々の発想そのものが違うから、いつだって、赴任地では理解するまでに時間がかかる。
 時間がかかればまだいいが、最後まで理解に苦しんだまま、その赴任地を離れたこともままあった。
 日本の田舎でも、訳のわからない風習が残っている地域があるのだから、仕方なかろう。
「うん? またこれか」
 先ほどから、よく目につくのが木を編んで作られた円筒状の籠。
 各部屋や廊下、そういえば、玄関にもあった気がする。
 中を覗き込んでみると、日本の竹の物差しを思い出させるような棒や、細い杖のようなものが立てかけられている。
「ユンジュ、これは何かね?」
「え? お道具でございますが・・・」
 答えになっていない。
 おそらくこの村では、あって当たり前の物で、竹倉がわからないことをユンジュは想像もできないのだろうから、仕方ないが。
「何の道具かと聞いているのだよ。まあ、聞いたところで、僕には必要ないものだろうけどね」
「え?」
「君たちに必要なものなら、いくらでも持って帰ってくれてかまわないよ」
「い、いえ!」
 ユンジュは可哀想なくらい顔を赤くして俯いてしまった。
 その大きな目は、泣きそうにも見える。
 どうも竹倉は、意図せずひどいことを言ったらしい。
「ああ、すまない、ユンジュ。君に嫌な思いをさせるつもりはなかったんだ。ただ、これだけは理解して欲しいのだが、外国人である僕には、君たちの習慣や価値観が、わからないんだ。もちろん、僕も理解する努力はするがね」
 ユンジュは「はい」と言ったが、それが決して理解の「はい」でないことは、きょとんとしている彼女の顔でわかって苦笑する。
 学校もないこの村で育ったユンジュに、今の竹倉の言いたいことは難しかろう。
 


 無学ではあるが、ユンジュが働き者だということがよくわかった。
 お陰で、竹倉は実に快適に過ごせている。
「今日はもう帰っていいよ、ユンジュ。長旅で疲れているから、早く床につきたいからね」
 せっせと竹倉のスーツをクローゼットにしまうユンジュに声をかけると、何故か彼女はビクンと身をすくめたように見えた。
 そして、少し重たい足取りでベッドの脇に進むと、あの籠を持って、竹倉の前に戻ってきた。
「お願いいたします」
「? 何を?」
 ユンジュの次の行動に、竹倉は面食らった。
 彼女はテーブルに這いつくばると、竹倉にお尻を向けたのだ。
「ユンジュ? 僕にどうしろというんだね」
「はい、わかりました。自分でいたします・・・」
 何がわかったのか知らないが、そう言ったユンジュは泣きそうな声に聞こえた。
「わあ!」
 竹倉は腰を抜かしそうになった。
 ユンジュが腹這いのまま、お尻の布をまくったのだ。
 やっぱり、この村の装束は、重厚に体を包んでいる割に、腰布をまくると、お尻は丸出しになるようだ。
 いや、そうではなくて!
 こんな行動をとられると、思いつくことは一つ。
 メイドの契約に、そんな項目があるのだろうか。それとも、この村では当たり前? 
 だったら、雇うメイドとは全部? ハーレムではないか。 
 一瞬、顔の筋肉が緩みそうになったのを、慌てて引き締める。
 例えそうだったとしてもだ、まだ15~16の年端のいかない娘を金で買うような真似は、いくらなんでも気が引ける。
 どうせなら、二十歳過ぎのメイドをよこしてくれれば良かったのに・・・などと思う、健康な三十代男であった。
「あの・・・」
 竹倉が長の葛藤の最中、ずっとそのまま放っておかれたユンジュが、困惑した顔を上げる。
「あ! すまない。いいから、しまいなさい、お尻・・・」
「え、ですが・・・、お仕置きをしていただかなくては、家に帰れません・・・」
「いや、君に魅力がないというんでなく・・・何?」
 なんだか、聞きなれない言葉を聞いたような・・・。
「旦那様のお仕置きを頂いた痕もなく家に帰れば、父にもっときついお仕置きをされてしまいます。お願いですから、どうぞ、お仕置きを・・・」
 ユンジュの言いたいことが、よくわからない。
 お仕置き?
 お仕置きというと、悪さに対して罰を与えるとか、そういうことだったような。
 こうやってお尻を出しているということは、あの村の家で見かけたように、お尻を叩くということだろうか?
 ユンジュが持ってきた籠の中の、棒状のもの。
「あ」
 籠の中身と、彼女の行動の関連性が、ようやくわかった。
 これはお仕置きの道具で、そんなものを持って帰ればいいなどと言えば、そりゃあ顔を真っ赤にして、泣きそうにもなるだろう。
 それは悪いことを言ってしまったものだ。
「お願いします、旦那様・・・。父のお仕置きは、とても厳しくて怖いのです。どうか、旦那様がお仕置きなさってください・・・」
 しくしくと泣き始めたユンジュに、竹倉はどうしていいかわからない。
「だってね、ユンジュ。君は何も悪いことをしていない。どうして、その・・・お仕置きなど受ける必要があるというんだね?」
 そう、むしろとても甲斐甲斐しく働いたことを、褒めてやりたいくらいなのに。
 ユンジュはキョトンとして、竹倉を見上げた。
「私は・・・」
「ちょっと待った。頼むから、お尻をしまって、ここに座って話そう」
「でも・・・」
「これは命令だ」
 日本男児として、ちょっと憧れのセリフを言ってしまった。どうも照れ臭い。
 その一言に、ユンジュが素直に従ってくれたので、竹倉はホッと胸を撫で下ろした。
 
 

 竹倉には、到底理解し難い言葉が、ユンジュの口から紡がれる。
 この村の女は、体が女になった年(即ち、生理が始まった年)から、あの装束で体を隠して過ごすらしい。
 下着とおぼしきものを身につけられるのは、生理の間だけ。
 それは、女が結婚するまで続くようだ。
 頭から覆うヴェールは、貞淑の証であるからそのままだが、結婚して変わるのは、腰巻きの下。
 ようやくお尻にちゃんと布があるズボンをはくことを許されるという。
 では何故、年頃の娘たちのお尻には、布がないのかというと・・・。
 彼女たちは未熟な女として、ことあるごとにお尻を叩かれるお仕置きを受ける為だそうだ。
 娘たちは父親が決める結婚相手に嫁ぐまで、家族以外の男性とは口をきいてはいけない。
 顔を見せるなど、もってのほか。
 はしゃいだ声を上げてもいけない。
 家の仕事という仕事は、家畜の世話まで、すべて彼女たちの役割。
 結婚すれば、逆にそれからは解放され、年頃の娘がいない家には、よその家の次女から下の娘がお手伝いとして通う。
 ここで、竹倉は奇妙な矛盾を感じて、ユンジュに訪ねた。
「家族以外の男性と、口をきいてはいけないと言ったね。よその家にお手伝いに入る娘たちは、どうするんだ。女主人としか話さないのかね?」
「いいえ。男の方に挨拶をしないなど、大変な無礼ですから、口をきかせていただきます。それに男の方から話しかけられれば、これに答えなくては無礼なので、お答いたします。男の方の命令は、絶対ですもの」
 それで、竹倉が顔の布を取れと言ったことに、素直に従ったわけだ。
 男の気軽な要求も、ユンジュたち年頃の娘にとっては、絶対の威力を持った命令なのだろう。
 そういう村は多々あったので、そこは理解できるのだが・・・。
「お手伝いという仕事でなら、男性と口をきいても良いのかい?」
「いいえ、もちろんそれは大きな罪ですから、家に帰る前にその家の御主人にお仕置きをいただくか、御主人がなさらなければ、家に帰ってから、父にお仕置きを受けます」
「買い物に行く時は? 家の仕事の内だろう。市場に男はいないのかい?」
「はい、参ります。市場など外と接する大事なお仕事は、男の方しかできません」
「どうやって買い物するんだよ」
「え? ですから、男の方とお話するのは決まっていますから、帰ってから、父にお仕置きを受けます」
「おかしいじゃないか、そんなの!」
 思わず大きな声を上げてしまって、ユンジュを怖がらせてしまった竹倉は、トントンと自分の胸を叩いて、落ち着かせる努力をした。
「さっきから聞いていると、君たちは、何をどうしたって、必ずお尻を叩かれることになるじゃないか」
 しかも、日に何度でもということになる。
「ええ、そうですが・・・」
 ユンジュには、、彼が何を憤っているのか、理解できていない。
 ユンジュたちは、この村で生まれ、学校もないこの村しか知らずに育った。
 だから、その風習が彼女たちの当たり前の日常。
 竹倉が生まれた日本の常識を順守しているように、この村の人間もまた、自分たちの常識に忠実なだけ。
 それはわかっているのだが、納得したくなかった。
 世界にはいまだに、絶対的な階級制度の中、家畜以下の生活を強いられている女たちがいるのも知っている。
 だが、それは知識としてだけのことで、現実に目の前にあるこの風習には、腹立たしいやら、気分が悪いやら。
「結婚前の女は、とても未熟で魔に捕らわれやすいので、年頃の間にしっかりと家長か、お手伝い先の旦那様に躾けていただくのです。そうしないと、20歳までに結婚のできない女になってしまいますから・・・」
「結婚すれば、一人前と認められてお仕置きから解放されるわけだ。・・・もし、結婚できなかったら?」
 ユンジュは恐ろしいことを聞かれたように、肩を抱いて震えた。
「結婚できなかった女は未熟装束の腰布をはぎ取られ、魔追いの荷車に磔けられて、村の広場でたくさんの人から笞できつくお尻を叩かれ続けて泣き叫んでいました。その荷車のまま、村はずれの小屋に連れていかれて幽閉されます。魔につかれた女は、その小屋で3日で死にます」
「もういい」
 胸が悪くなる一方だ。
「あの・・・」
 頭を抱えていた竹倉は、ユンジュの言いたいことを察し、まだ混乱している思考を必死に巡らせた。
「僕には君のお尻を叩くなんてできない」
 しょんぼりしたユンジュが考えているのは、父親からの厳しいお仕置きなのだろう。
「だから・・・、ここにいなさい」
「え!」
「手伝いの家の主人の命令なら、仕方ないだろう」
 お仕置きされないで済むことに、ユンジュの顔がぱっと明るくなった。
 いくらその風習を当たり前ととらえていても、やはり、お尻を痛くされることは、嫌なのだろうなと、竹倉は不憫な目を彼女に向けた。



 工場までの道すがらでも、幾度となく、年頃の娘がお尻を丸出しにされて、笞で叩かれている姿を見る。
 未熟装束の娘のお尻は穢れているからという理由で、神聖な存在である男性が素手で触れてはならず、必ず道具で叩くのだと、後でユンジュに聞いた。
 それと、大抵の場合、それほどきつく叩いてはいないようだった。
 娘たちが小さく呻く程度の力加減で、わんわん泣きじゃくってお尻が腫れ上がるのを見るのは、ごく稀であった。
 一日の内に何度も、しかも毎日叩かれるのだから、男の側も、それはわきまえているのだろうが・・・見ていて気分の良いものではない。
 だったら見なければと言われるかもしれないが、嫌でも目に飛び込んでくるほど、村中で日常の光景なのだ。
 ユンジュも・・・庇い切れなかった。
 住み込みのお手伝いというのは村内でも普通にあるそうだが、隣の家の住人に、どうもユンジュが竹倉にお仕置きを受けていないとばれて、彼女の父親が乗り込んできた。
 父親はひどく怒っており、牛が引く粗末な荷車に父親と乗せられて、ずっとお尻を叩かれ続けての帰路だったらしい。
 家長とお手伝い先の主人の命令では、家長の方が優先らしく、引きとめることはかなわなかった。
 余計な庇い立てが、返って可哀想な目に合わせてしまった。
 しかし、ここでの男性の権力というのは、とにかく絶対的なものらしく、家長が怒っていたのは、ユンジュがお仕置きを強引にでも頼まなかったのがいけないということで、それを拒否して風習に背く生活をユンジュにさせていた竹倉には、むしろ恐縮気味だった。
 家長の自分の躾がなっていないからだと、父親は本気で悲しんでいた。
 そんな風だから、ユンジュの心を入れ替えさせる為と言って、再びメイドとしてユンジュをよこしたのには、驚いた。
 竹倉の感覚なら、もう娘はそこで働かせないと言われると思っていたからだ。
 しかし、それはそれで困る。
 この村の娘を雇うと、どうしたってお仕置きをする立場にさせられる。
 村の女は結婚してしまうと、働くということをしないので、既婚者も雇えない。
 ユンジュは竹倉が叩かないから、帰っては父親に厳しくお仕置きされているようだった。
 お手伝い先の主人が叩かないのは、ユンジュの心根が悪く、すでにお尻に魔が住み着いたからだという。
 自分が外国人で、そういう習慣がないのだと父親に説明しても、無駄だった。
 晩のお仕置きの痛みが残るのか、時折お尻を擦りながら掃除をしているユンジュが可哀想で、自分で叩いてやった方が・・・とも考えたが、無理だった。
 そこでとった苦肉の策が、隣の村から住み込みのお手伝いを雇うことだった。
 おかしな習慣のないメイドだったので、ようやく、竹倉は家でリラックスできるようになった。 
 隣の村から来たメイドも、この村の習慣は初めて知ったらしく、かなり驚いていた。
 同じ国の民族でも、広大さも相俟って、土地土地の風習は色々なのだなと、改めて思い知らされた。
 時折、ユンジュの姿を見かける。
 未熟装束で体は覆っていても、仕草や歩き方でわかるものだ。
 言葉はかけない。
 話しかければ、ユンジュはそれでまたお尻をぶたれるのだから。
 自分一人がそうしていても、ユンジュが今の主人や家長にお尻を叩かれて呻いているのを度々目にして、ため息がもれた。
 唯一の救いは、彼女らが結婚さえすれば、あの生活から解放されるということ。
 結婚できる年齢は18~20歳だそうだから、ユンジュは数年、堪えれば終わる。
 未熟装束の期間より、既婚者でいる年月の方がずっと長いのだから・・・。
 そういう問題ではないのだが、そうでも思わなければ、やっていられなかった。
 そんな3年間の生活も、ようやく終わる。
 帰れば竹倉には、これほど苦労した連続の海外へき地赴任の見返りとして、若くしての部長の椅子が待っているのだ。



 竹倉が日本の本社に戻って、5年が経過していた。
『いやぁ、しかし驚きますね、あの習慣には』
 現地の3人目の工場責任者となった後輩との電話。
 後輩はあの風習の中、そこそこ快適に過ごしているらしい。
『だって部長、考えてもみてくださいよ。あんなに女にかしずかれて暮らすなんて、日本じゃ味わえませんからね』
 これくらいお気楽な男の方が、あの村には合っているのだろうと、竹倉は受話器越しに苦笑した。
「お前、もしかして、してるのか?」
『え? ああ、アレですか?』
 さすがにあの村に3年もいれば、それだけでわかるらしい。
『最初は興味もあったのでしましたが、もうしてませんよ。どうもね、自分の娘がもし・・・って考えてしまうとねぇ』
 所帯持ちの単身赴任者として、まっとうな意見だと思う。
「あまり関わるなよ。私のようによその村のメイドを雇うことをお勧めするよ」
『そうですな。ああ、メイドと言えば・・・ユンジュという娘、竹倉さんが最初に雇っていたメイドですってね』
 これは・・・懐かしい名前を聞いた。
「元気にしているかね? そろそろ結婚も決まったか」
『いえ、逆です。二十歳の誕生日を迎えるまでに、結婚が決まらなかったとかで、今度「魔追いの儀式」というのにかけられるそうですよ』
「・・・え? 決まらなかったって、なんで・・・」
『村人の話では、婚約した男が、よその村の女と子供を作って結婚しちまったそうです。ひどい話ですよねぇ。それなのに、捨てられるようなユンジュという娘が悪いと言われてますよ。あの発想はわからない』
「ユンジュは今、どうしてる・・・?」
『儀式前のお清めとかで、村はずれの小屋と荷車の掃除を毎日させられていますよ。何ですかね、魔追いの儀式って』
「・・・処刑だよ」
『え!?』
 その内容を知らない後輩は気軽な報告のつもりだった後輩は、言葉を失った。
 電話を切ってしまったので、後輩は面食らっているだろうが、それどころじゃない。
 カレンダーを見て、部下に任せる仕事の整理を済ませ、取れる限りの休暇願を出し、飛行機のチケットを手配する。
 自分は何をしているのだろうと思いながら。
 だが、体が勝手に動くのだ。
 あの国に着くまで、飛行機を乗り継いで丸1日。空港から電車とバスを乗り継いで2日。バスの終点からは、自動車でしか行けないので、それに半日。
 計3日と半日かかって、間に合うだろうか。
 あの村で結婚できなかった娘は、殺されるのだ。
 ユンジュから聞いた女たちが3日で死んだのは、水すら与えられなかったからに違いない。
 死ぬ間際まで手酷い折檻を受け、非業の死を遂げる。
 ユンジュにこれからふりかかること。
 いてもたってもいられなかった。
 だが、間にあったから、どうだというのだろう。
 そんな自問自答を繰り返しながら、竹倉は機上の人となり、その道程を、ほとんど眠れずに過ごしていた。
 
 

 体力的には限界だったが、気力で村に辿りついたのは、太陽が真上に上った頃だった。
 よろよろと村の中に入っていくと、人々の興奮気味の叫び声と、パンパンという、ひどく鋭い音が聞こえてくる。
「どいて! どけったら!」
 人混みを掻きわけて、その輪の中央に飛び出した竹倉の目に飛び込んできたのは、未熟装束のヴェールと腰布をはぎ取れら、お尻を剥き出しにされて、くの字の形をした独特の荷車に磔られたユンジュ。
 その周囲を取り囲む男達の手には、一様に笞が握られている。
 その男達が代わる代わる、ユンジュのお尻に笞を振り下ろし、その都度、口枷をされたユンジュの悲痛な呻き声が漏れる。
 儀式が随分前から始まっていたということは、痛々しく腫れ上がったユンジュのお尻が物語っていた。
「ふぅー!! うぅー! くー! くー!」
 くぐもったユンジュの呻き声と、それに呼応するような村人の歓声で、我に返る。
「おい! やめろ!」
 ユンジュのお尻を打ち据える男の手をつかむ。
 すると、次の男がユンジュのお尻を叩き始める。
「やめろってば!」
 男の一人が、竹倉に笞を差し出した。
「違う! いいからやめろーーーー!」
 ありったけの声で叫んで、ユンジュに覆い被さる。
 さすがに、男達の手が止まった。
 ようやく訪れた静けさに、額の汗を拭って立ち上がった竹倉は、村人を見渡した。
「儀式は中止だ! ユンジュは俺が嫁にもらう! それで文句ないだろう!!」
 一瞬の静寂後、先ほどとは違った歓声が巻き起こり、村人たちが踊り始めた。
「おい、誰か、ユンジュの縄をほどいてやってくれよ。おい、おいってば」
 祝いの歓喜に湧き狂う男達は、誰も聞いていないようで、中でも一番陽気に飛び跳ねている男が、ユンジュの父親だと気付いて、どっと力が抜ける。
 結婚は勢いが大事だと、よく聞く言葉だが、自分がここまで勢い任せに結婚することになるとは、思いも寄らなかった。



 習慣の差や風習の違いには、どこまでも悩まされる。
 日本に連れ帰り、見たことのない日本人の暮らしぶりに、驚愕したり、おどおどしたり、目を輝かせたりするユンジュは、とても可愛らしかった。
 一番ユンジュの興味を引いたのが、街を闊歩する若い娘たちのことだった。
「何故、あの子たちは顔を隠さないのですか?」
「何故、あの子たちの足は見えているのですか?」
「何故、あの子たちは男の方とお喋りしているのですか?」
 何故。何故。何故。
 何故の嵐だった。
 一番笑ったのは、ナンパを見かけた時の、「何故あの男の方は、女に頭を下げているのですか?」だった。
 その質問の山に全部は答えきれないし、ユンジュも理解し難いようだった。
 教えることは教えて、後は慣れてもらうしかない。
 日本語学校にも通わせないといけないし、新生活は色々入用だ。
 そんな風にスタートした二人の結婚生活は、かなり最初の内から、暗礁に乗り上げる。
 あの村の女は、結婚すると、一切働かない。
 あれほど甲斐甲斐しく働き者だったユンジュもまた、その習慣に染まっているのだ。
 それがユンジュの当たり前なのだから。
「ユンジュ、ユーンジュ! こっちに来なさい」
 テレビの前でくつろいでいたユンジュが、帰宅早々、窓辺で洗濯物を取り込み始めた竹倉を振り返った。
「もう夜だぞ。洗濯物を取り込んでおかなきゃダメだろう」
 竹倉は別に亭主関白でいたいわけではない。
 家事だって手伝う。この洗濯物だって、朝、竹倉が洗濯して干していったものである。
 しかし、現状は、手伝うのではなく、竹倉が完全な主夫であった。
「あなたがお手伝いを入れてくださらないんですもの」
「だから・・・、そんな余裕まではないと、何度も言っているだろう?」
「よその子を使えばお金はいりません」
「だから!」
 最近、「だから」が口癖の竹倉だった。
「この国には、そんな風習はないの! 結婚しても、女性は色々忙しいんだよ」
「そんなの嫌です。お母さんのようになるのが夢でしたのに」
 ツンとそっぽを向いたユンジュに、竹倉の堪忍袋は残り糸一本を残すところであった。
「ユ~~~ンジュ、お前の村で結婚した女のことも、俺はちゃ~んと知っているのだぞ」
 初めてギクリとしたユンジュが、お尻を手で覆った。
 ユンジュが意図的に竹倉に隠していたこと。
 それが、今日、現地赴任の後輩からの手紙で届いた。
 どうにも扱いきれないユンジュに、村の習慣のことをもっと詳しく知って打開策を講じようと、父親と連絡を取ってもらっていたのだ。
「結婚した女でも、夫に口答えしたら、お仕置きなんだよなぁ」
 ユンジュが見る見る小さくなっていく。
「知ってたくせに、黙ってたね、悪い子だ。日本と村の習慣の、自分に都合のいい部分ばかり主張してると・・・」
 会社帰りに手芸店で買ってきた竹の物差しを見せる。
「きゃあー!」
「これでお尻をぶたれたくなきゃ、さっさと洗濯物をたたむ、ほら!」
 膨れ面のユンジュだったが、渋々洗濯物を畳み始めた仕草は、二十歳の娘らしくて何とも可愛らしい。
 これは効くようだ。
 端から叩く気などないが、これくらいの脅しでもないと、本当に何もしないのだから。
 もし、竹倉に叩く気がないと見抜かれて、元に戻ってしまうなら、その時は・・・。
「さあ、明日は一緒に大掃除しような」
 膨れたユンジュの頬をつついて、竹倉も洗濯物を畳み始めた。
 しかし、手紙を読んだ時は、少々苦笑が漏れた。
 魔追いの儀式の真相を、知らされたからだ。
 娘たちは、殺されたわけではなかったし、死んでもいなかった。
 ただ、3日目に小屋を出されて、よその村の男と結婚させられるだけだったのだ。
 他の娘たちに「死んだ」と伝えるのは、はしたない女になれば結婚できず、こういう恐ろしい目に合うのだという、脅しとされていたということだ。
 本当に、地域の風習というものは、理解の範疇を超える・・・。



                              終わり
 


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