FC2ブログ

ラ・ヴィアン・ローズ

第34話【抱擁】

 ←第33話【対決】 →第35話【手記】


      ―1991―


 母が来る。
 何の偽装もなく対面する。
 それは恐怖でしかなかった。
 部屋に引きこもり、愛刀『紅蓮』を抱きしめて、朱煌はベッドの片隅でうずくまっていた。
 ドアの向こうに心配するレーヌがいるのは知っている。
 けれど、彼女を招き入れて、その膝に顔を埋めることも躊躇いがあった。
 気まぐれな愛情と自分本位の激昂を常としていた実母。 
 厳しくもあれ、広く深く、余りある愛情で包み込んでくれた養母。
 どちらも・・・朱煌には大切な「母」なのだ。
 実母の為に緊迫する心を養母の胸で和らげるのは、どちらの母に対しても呵責の念に苛まれ、レーヌを向かえ入れることができなかった。




 その頃、高城は瞳子の出迎えに飛行場のエプロンに佇んでいた。
 着陸した旅客機にボーディングブリッジが掛けられ、不安げな瞳子が姿を現す。
「おいおい、一人で来させたのかよ」
 新藤が見当たらないのと、瞳子の心細げな様子に、高城は呆れて呟いた。
 彼が瞳子を快く思ってないのは知っていたが、何もたった一人きりでこんな大きな旅客機に乗せることもあるまいに。
 成子を同行させるなり、橘の部下を付けるなり、してやればよいものを。
「瞳子!」
 声を掛けると、瞳子はやっと安堵したように、緊張していた顔をほころばせた。
「善ちゃん! よかった。橘のあの男の人にいきなり飛行機に乗せられて、行き先に善ちゃんがいるからとだけで・・・何がなにやら」
「え」
 唖然。
 まさかとは思うが、いや、瞳子のこの口振りから察するに、朱煌がここにいることを・・・というか、朱煌との対面が機上の人となった理由だと、知らされていないのでは。
「あの野郎・・・」
 頭痛を覚えて瞳子をみつめる。
 朱煌と会うのだと言えば、瞳子を旅客機に乗せるのも一苦労だったろう。
 それはわかるが・・・。
「面倒を全部、俺に押し付けやがったな・・・」
 いや、元々、朱煌と瞳子の対面を発案し、瞳子をラ・ヴィアン・ローズ本陣に来させる面倒を押し付けたのは高城の方なのだが。
 早い話が仕返しされたのだろう。
「えーとだな・・・」
 高城は将軍邸に向かう為のジープをチラリと見た。
 今ここで事情を説明したとする。
 瞳子の反応は容易に想像がつく。
 そんな彼女をジープに乗せる・・・。
 不可能。
「とにかく、車に乗って。話は着いてから」
「着いてって・・・どこへ行くの? 第一、ここはどこ? 日本ではないみたいだけど・・・」
「いいから」
 高城は瞳子の手を引いてジープに乗り込んだ。
 二人のやり取りを眺めていた運転手役のアイフェンが、呆れ返ったように肩をすくめていた。




「瞳子さま、紅茶のおかわりはいかが?」
 ニッコリと微笑む美しい金髪の女性レーヌに言われるまま、瞳子はカップを差し出している。
 何がなにやらわからぬまま連れて来られた場所であれ、丁重なもてなしに満足はしているようだ。
 通された応接間の調度品は高級そのものだがイヤミはない。
 高い天井まで届く大きな窓からは、手入れの行き届いた庭園と自然のままの木々が、調和の取れた風景美を覗かせている。
 香る紅茶。名のあるティーカップ。
 どこまでも、この落ち着いた金髪女性の趣味の良さがうかがえる屋敷だった。
 ここは将軍邸と広い中庭を挟んで建てられた客間のようなものである。
 本宅はマジェスティーの趣味に合わせて、いたって素朴な造りだが、こちらはレーヌの趣味で建てられたので、どんな貴賓を迎えても恥ずかしくなくしつらえてある。
 わざわざ瞳子をここに通したのは、怯えたように本宅の部屋に籠もる朱煌を気遣ってのことか、はたまた養母の意地か。
 まあ、両方だろうな・・・と、瞳子の隣に腰掛けた高城が苦笑した。
「あ、そうそう。そろそろマフィンが焼けますわ。お召し上がりになるでしょう?」
 そう言ってレーヌは応接間の扉を開き、あ・・・と小さく声を漏らした。
 その様子に、高城も立ち上がる。
 結局、何の説明もしないままであったが、朱煌の方が、先に腹を据えたらしい。
 そこには、朱煌が立っていた。
 レーヌの頬にそっとキスをして、朱煌が応接間に踏みいる。
 カタン・・・と、ティーカップが音を立ててテーブルに戻された。
 戦慄く唇を、同じく震える両手で押さえ、瞳子がくぐもった声で「朱煌」と言った。
 刹那の悲鳴。
 瞳子だった。
 狂ったように、怯えたように、何かが弾けたように。
 瞳子はソファから立ち上がると、手当たり次第の物を朱煌に投げつけた。
「来ないで! あんたなんか見たくない! 来ないでーーーーー!!」
 一声も発せぬまま、朱煌の顔色は絶望に歪む。そして、ただ黙って踵を返した。
 半狂乱の瞳子。
 去ろうとする朱煌。
 あの時と同じだ・・・と、高城は思った。
 炎上するアパート。
 あの時、高城は瞳子の傍に居続けた。
 そうして・・・それは朱煌を戦場という地獄へ送り出す結果を招いたのだ。
 繰り返してはならない。
 もう、失いたくない。
 かすれた悲鳴を上げる瞳子を尻目に、高城は廊下に出た朱煌を追った。
「朱煌!」
 掴んだ肩は、投げつけられたティーカップからこぼれた紅茶に濡れていた。
 あの時は、父親の返り血に濡れていた小さな肩。
 こうして掴んでやらなければならなかったのだ。
 振り返った朱煌は、とても静かな顔をしていた。
 静か? いや、凍りついた、無の表情。
「気が済んだ? 結果は、ご覧の通りだよ」
「結果? 何もせず、何も言わず、何が結果だ」
「これ以上・・・、これ以上、どうしろって言うんだよ!!」 
 朱煌の声すら聞くのを拒絶するように、瞳子が応接間の扉を閉ざした。
 その音にビクンと体を竦め、朱煌の頬に涙が伝う。
「ずっと・・・ずっと! 精一杯やったもん! 母さんの為に、気に入ってもらう為に! 家事だって、勉強だって、必死でやってきた! あんたに散々邪魔されたけど、金だって稼いだ! 今だって、母さんが困らないだけの金を・・・幸せになってもらえるだけの・・・金を・・・」
 次第に上擦っていく声。
 嗚咽。
 崩れ、跪く。
 跪いて生まれた目線の差は、まさしく10年前と同じ。
「マ、マン・・・、ママン、来て、ママン・・・」
 宙を探るように、朱煌の両手がレーヌを求める。
 レーヌが駆け寄ると、朱煌は涙でくしゃくしゃになった顔をレーヌの膝に摺り寄せた。
「ママン、ママン・レーヌ・・・」
 その様、幼子そのもの。
 本当の幼子であった頃、決して見せなかった、庇護を求める仕草。
 唇を噛みしめて、それを見下ろしていた高城は、やがてハッとして、朱煌と視線を合わせるべく膝を折った。
「そうだ、朱煌。お前はね、やれるだけのことをやった、やってきた。瞳子を助けてきた。確かにその通りだ。だが・・・」
 泣き濡れた顔を半ば強引に引き上げ、高城は続けた。
「一番、やらなきゃならないことをやってないんだよ」
「やらなきゃ、ならない、こと・・・?」
 子供のようにしゃくり上げ、朱煌が繰り返した。
「そうだ。やらなきゃならないこと。言わなきゃいけないこと」
「わかん、ない、よ。わかんない!」
「レーヌにもマジェスティーにも、お前はやってきただろう? 二人のお陰で、できるようになっただろう!?」
「ママン・レーヌと、パパ・・・?」
「そう。お前は彼らをどう思ってるんだ」
「す、き・・・、好きぃ。大、好きぃ・・・」
「彼らにどうして欲しい?」
「・・・・・・あ」
 朱煌は弾かれたように立ち上がった。
 高城も立ち上がり、強く朱煌を抱きしめる。
「な? 一度もだ。一度も、言ってないはずだ。やってないはずだ」
「・・・でも、・・・だって、・・・怖い・・・!」
「俺がいる。ここにいる!」
 高城の腕の中、朱煌が振り返ると、レーヌが微笑んでいた。
 玄関ポーチには、いつの間にかやってきていたマジェスティーの姿。
 朱煌の体に力が入ったのが伝わり、高城はそっと彼女の背を押した。
 閉ざされた応接間の扉。
 その前に立った朱煌。
「・・・母さん」
 扉に両手を添えて、震える声で朱煌が言った。
「来ないで! あんたなんか嫌いよ! これ以上、私を惨めにさせないで!!」
 痛烈な母の叫びに、朱煌はギュッと拳を握った。
「母さん・・・」
「母親なんて思ってないくせに、母さんなんて呼ばないで!」
「思ってるよ!」
「嘘よ! 嘲笑ってるくせに! 生みっぱなしでろくに世話もできない、母親失格の女と思ってるくせに!」
「そんなこと思ってない!」
「哀れんでるんでしょう!? ええ、あんたは立派よ。なんでもできる。あんな大金だって、送ってよこす! 私なんかに似つかわしくないわね! だからって・・・」
 むせ返る瞳子の声。
「だからってさぁ・・・、自分の子にお金を恵んでもらう私の身になってよぉ・・・。わかってるから、ひどい母親だってさ。わかってるから、これ以上、哀れまないで! 惨めにさせないでよぉーーーー!!」
 応接間の扉。
 それはまるで、この母子を遮断する壁。
 とん・・・と、扉を叩いた朱煌の唇が、小さく動いた。




「後は任せた」
 ポンと肩を叩かれて、マジェスティーはギョッとして自分と同じ顔の日本人を見た。
「おい、どこへ行く気だ!?」 
「日本さ。帰る。姫君救出劇の後始末が残ってるんでな」
 唖然、呆然。
 それは必要なことであれ、目の前の母子葛藤劇が、まだ終幕していないというのに。
「どうするんだ! あの子が泣くことになったら・・・。見捨てて行く気か!?」
「大丈夫さ」
 高城は応接室のドアを、小さく叩き始めた朱煌を顧みた。
「もう・・・大丈夫だ」
 自信過剰にも程がある・・・とマジェスティーが言おうとした時、朱煌の声が、段々ハッキリと聞こえ始めた。
「・・・さん、かぁ・・・さん、お母さん・・・、お母さん! お母さん!!」
 日本語。
 マジェスティーに「お母さん」の意味はわからずとも、あれが母を呼ぶ声なのは理解できた。
 呻くような声が、絞り出すような声に変わり、とうとう、必死の叫びに。
 無我夢中で、ドアを叩く朱煌。
「お母さん! お母さん! お母さん・・・!!」
 頬を伝う涙を拭うこともせず、その涙こそを母に見てもらおうとするように、朱煌は呼び続ける。
「ここぉ・・・あ、きら・・・ここぉ!! 見て! 見てよ! 他の人、見ちゃ、やだぁ!! 朱煌を見てぇ・・・、も、どこも行っちゃ、や・・・、お母さん! お母さん! お母さん!!」
 崩れるように跪きながら、幼子がむずがるようにもどかしげにドアをかき、朱煌の嗚咽は続く。
「開けて・・・、開けてぇ・・・、朱煌を見て・・・、お母さん、お母さん、お母さ・・・ん・・・」
 傍らのレーヌは、朱煌の肩を抱こうとする手をなんとか食い止めていた。
「・・・大丈夫だから」
「ホントに行くのか」
「ああ。そうだ、朱煌に伝言を」
 どこまでも一方的な高城に、もはや諦めの境地で伝言を託されたマジェスティーは、彼の後姿を見送って、次いで泣き喚く朱煌を見やり、言いようのない口惜しさを噛みしめていた。
 10年だ。
 10年、育てた。
 育んだ絆。
 それとはまた違った絆を、傲慢婿・高城と朱煌の間に、感じずにはいられなかったのだ。




 背で押さえるようにしていたドアが、何度も叩かれる。
 瞳子は初めての感触に、戸惑いを隠せなかった。
「お母さん・・・! お母さん! ここぉ、朱煌、見て! お母さんのばかぁ! 朱煌、ここ!! 開けて! 開けてえぇ!!」
 物心つく前から、抱っこもしなくなった娘。
 手を繋いだこともろくにない。
 ろくに頭を撫でてやったこともない。
 甘えたことなど言わない娘だった。
 甘えてもこなかった。
 何でもそつなくこなす。
 決して自分の・・・母の負担にならなかった。
 それこそが、瞳子の最大の負担だった。
 生んだ娘の方が、はるかに優れている。
 この子には自分など必要ないと、何度思っただろう。
 劣等感ばかりが膨らむ日々。
 生活の苦しさと惨めさと、出来た娘への嫉妬にも似た感情が、八つ当たりとなって爆発する。
 それでも口答え一つしない、幼かった朱煌。
 瞳子とて、機嫌のいい時はあった。
 二人で公園に行ったことを思い出す。
 瞳子が笑うと、朱煌も笑った。
 ピエロが風船を売っていたっけ。
 よその子供達がまとわりついているピエロを、眺めている小さな朱煌。
「風船、欲しいの?」
 そう聞くと、朱煌は一瞬目を輝かせたように感じた。が、直後、首は横に振られる。
 明らかな遠慮だった。
 思わず、カッとなる。
 この小さな娘は、母親の懐具合を熟知しているのだ。
「馬鹿にして!」
 吐き捨てるように呟いた瞳子を、朱煌はまた申し訳なさそうに見るのだ。
 そんな昔を思い出していると、一際大きくドアが揺れた。
「お母さんのばかあああ!」
「あ・・・」
 両の手で口を覆う。
 鼻腔に痛みが走った。涙。
「お母さん・・・、お母さん・・・!」
「嘘よぉ・・・、だって・・・、あんたは、私を・・・私・・・、私・・・!」
「お母さん! お母さん! お母さん!!」
「あ・・・、朱煌ぁ・・・」
「こっち見て! 朱煌を見て! 開けて! 開けてぇーーー!!」
 手が・・・ノブを掴んでいた。
 娘が、呼んでいるから。
 泣きながら、自分を呼んでいるから。
 ドアが開く。
 そこには床に跪き、涙でくしゃくしゃになった顔で瞳子を見上げる娘がいた。
「うぇ・・・ええぇ・・・、おかあさ・・・、お母さん・・・」
「あき・・・、朱煌・・・」
 朱煌の両手が瞳子に伸びた。
 けれど自らは立ち上がらない。
 瞳子が屈んでくれるのを待っている。
 いや・・・、要求しているのだ。
「朱煌・・・、朱煌ぁ・・・」
 フラフラと、瞳子が朱煌の前に同じく膝を折った。
 恐る恐る手を差し出すと、朱煌の体が倒れこむように瞳子の胸におさまる。
 朱煌の腕が瞳子の首に絡んだ。
「ばかぁ・・・お母さんの・・・ばかぁ・・・」
「ごめ・・・、ごめんね、朱煌、ごめんね、ごめんね・・・」
「ぅええぇ・・・、うえぇ・・・、お母さん・・・お母さん!!」
「朱煌・・・、朱煌ぁ」
「好きぃ・・・お母さん・・・、大好きぃ!!」
「ごめんね、朱煌、ごめんね、ごめんねぇ・・・」
 泣きじゃくる母子の姿に、マジェスティーとレーヌは、なんとも複雑な面持ちで顔を見合わせ、それでも、ゆっくりと微笑みを浮かべた。




「待たせたな」
 ジープの運転席から別館を眺めていたアイフェンに、高城が声をかけた。
「ああ・・・、ここから見えるな」
 高城がアイフェンの視線を追って呟く。
 天井まで届く大きな窓の向こう、かすかにだが、うずくまり抱き合う母子が見える。
「出してくれ」
「ん? ・・・ああ」
 アイフェンはどこか心ここにあらずの様子で、エンジンを吹かす。
「・・・お母さん、か」
「なんだ、お前まで母親が恋しくなったのか」
 アイフェンの言葉を聞きとめて、高城がからかうように言った。
「恋しいさ」
 思いがけない素直な反応に、高城が目を瞬く。
「えーと・・・、その、ご母堂はご健在なのかね?」
「死んだ」
 アッサリと言われてしまうと、さすがの高城も言葉に詰まる。
「・・・そうか、その、若くしてお亡くなりに?」
「ああ。若かったな。生きたまま、焼き殺されたのさ」
 ケロイドに埋もれかかった目が、射抜くように高城を見据えた。
 高城は彼の母の壮絶な死に様に驚くより、むしろ、その眼光にゾッとしたのだった。






  • 【第33話【対決】】へ
  • 【第35話【手記】】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【第33話【対決】】へ
  • 【第35話【手記】】へ