ラ・ヴィアン・ローズ

第32話【対面】

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       ―1991―

 ラ・ヴィアン・ローズの高速巡洋艦の甲板で、朱煌は二度と訪れぬはずだった安らぎを、存分に味わっていた。
 高城の胸。
 その腕。
 鼓動。
 頬に感じる息吹。
 その全てが朱煌を包み込む。
 物々しい巡洋艦などでなく、豪華客船なんかだったら、もっといいのにな・・・などと贅沢な考えまで浮かぶのは、幸福感が生み出す余裕のせいだろう。
 ずっと海を見つめていた朱煌は、ふと高城の顔を見上げて、唖然とした。
「・・・あなた、もしかして、何か怒ってる、の?」
 優しく抱きしめられていたから、出港してから今まで、まるで気付かなかったが、高城に表情がないのだ。
「やっと気付いたか。ああ。ものすごーく、怒ってるさ」
 心当たりはあるのでしょげ返る。
「ごめんなさい。無線で来るなって言われたのに、こんな騒ぎになってしまって・・・」
「それについては不問に処す。米軍基地で俺も無茶をしたからな。あいこだ」
 違う理由だということらしい。
「ええと・・・、あ、このせいで、刑事でいられなくなっちゃう・・・」
「そんなことで怒るなら、最初から行動起こすかよ」
 だとしたら、一体なんだというのか。
 訳がわからず首を捻っていると、ジロリと睨まれてしまった。
「お前ね、根本的なことを忘れてないか」
「え?」
「お前は俺の何だ」
 ドキリと心臓が跳ねて、口ごもる。
 言っていいのか、戸惑いを覚えたのだ。
 けれど、高城はらしからぬ無茶まで犯して、朱煌を助けにきてくれた。
 許されるなら言いたい。
 自分は、高城善積の・・・・・・。
「・・・・・・妻です」
 こっくりと頷いた高城を見て、心から安堵。
 目頭が熱くなったが、感涙にむせぶ間もなく、高城の小脇に抱えられてしまい、ギョッとする。
「な、なに!?」
「お仕置きに決まってるだろう」
「どうしてぇ!?」
「どうしてだ? 妻が夫に黙って何ヶ月も家を空けて、ただで済むと思ったか」
「だって、それは・・・! 色々とこう、思うところがあって・・・痛ーーーいッ」
 強烈な一発を食らって悲鳴を上げると、甲板で作業中のラ・ヴィアン・ローズの面子が、何事かと振り返る。
「真っ先にそれを謝れば勘弁してやろうと思ってたのに、的外れなことばかり言いやがって! 俺は猛烈に頭にきてるんだ!」
 再び高城の手が振り上げられたのに首をすくめたが、平手が襲い来る気配がないので、そろそろと顔を上げてみる。
「あ、アイフェン」
 アイフェンが高城の手を掴み、互いに険しい顔を突き合わせているではないか。
「邪魔するな」
 高城が言うと、アイフェンはフンと鼻を鳴らした。
「処分が保留となった今、この方はラ・ヴィアン・ローズ総領姫、紅蓮朱雀中将閣下だ。あるいは、ラ・ヴィアン・ローズの煌姫。君ごときが手を上げていいお方ではない」 
 二人の間に激しい火花が散るのを見て、朱煌は思わず息をのんだ。
 アイフェンが朱煌を庇うのはいつものことだが、なんだか普段と雰囲気が違う。
 明らかに高城に対する敵愾心をチラつかせ、その口調も高圧的だ。
「俺たちの結婚の約束は、朱煌がラ・ヴィアン・ローズに関わる以前のことだ。お前たちに指示を受けるいわれはない」
「だが、この10年間に姫をここまでお育てしたのは、ラ・ヴィアン・ローズの父君・母君、そしてラ・ヴィアン・ローズそのものだ。その意向は反映されて然るべきではないかね」
 しばし睨み合いを続けていた二人に、なんだか生きた心地がしない朱煌は、やがてアイフェンに引き渡された。
「よかろう。こちらの処分も、本陣とやらで決着がつくまで保留にしてやる」
 助かった。
 ホッと息をついてお尻を擦っていると、まだ高城に睨まれているのに気付いて、冷や汗。
「必ずラ・ヴィアン・ローズに認めさせる。その上でたっぷりとお仕置きしてやるからな、覚悟しておけよ」
 そう言い残して、あてがわれた船室へと戻って行く高城を見送り、固まる。
 銃殺を言い渡された時ほどではなくとも、血の気が引いた。
 高城を本陣に呼び寄せるということは、おそらくマジェスティーたちは彼に朱煌を託すことを、内々に決定しているのであろう。
 そう思ったから、この船旅にも心が弾んでいたのだが・・・。
 結婚の承諾=お仕置きでは、心からその瞬間を待ち望めないではないか。
「ア~イ~フェ~ン~~~」
 今ここで、適当にぶたれて謝って、高城の怒りを解きほぐしておいた方が、ずっとマシだった。
 よくぞ余計な真似をしてくれたと、八つ当たりいっぱいにアイフェンをねめつけたが、彼はいつものように答えてはくれず、まだ高城の立ち去った方向を、ケロイドに埋もれた目で見据えていた。
「・・・フン。なんと了見の狭い男だ」
 吐き捨てるような呟きが聞こえた。
 おかしい。
 朱煌をラ・ヴィアン・ローズから引き離す存在としての敵意なら、黒荻にも向けられたはずだ。
 なのに、アイフェンは黒荻には柔和に・・・むしろ敬愛すら示していた。
 マジェスティーが高城を毛嫌いするのは、なんとなくわかる。
 けれど、常に冷静沈着にして、感情の振れを人前にさらす事のないアイフェンが、こうまでむき出しの敵愾心を向けるなど、今だかつてなかったことだ。
「・・・アイフェン? お前、善積さんが嫌いなの?」
 ふと朱煌に視線を落としたアイフェンは、苦っぽく口元を歪めた。
「・・・ここで私が、そうです、とお答えして、だから考え直してくださいと申し上げたなら・・・どうなさいます」
 朱煌は苦笑した。
 言葉は丁寧だが、まるで子供の言い分ではないか。
 この上なく、らしくない。
 アイフェンであってアイフェンでないような、不可思議な感覚。
「・・・・・・詮無いことを申しました。お許しを」
 拗ねた子供のようにすら見えるアイフェンがそっぽを向くと、朱煌はつい、彼の体を引き寄せるようにして抱きしめた。
 ポンポンと背中を叩く。
 アイフェンの心が泣いているのが、手に取るようにわかった。
 こんなこと、初めてなはずなのに、朱煌は何故か、奇妙なデ・ジャヴを覚える。
「私は・・・あなたに幸せになっていただきたいのです」
「アイフェン、私は彼といられれば、幸せだよ」
「そんな刹那的な幸福感ではなく! もっと遠い未来で笑っていてほしいんだッ。こんなのを見るために、こんなところまできたんじゃない! もうイヤだ! 僕は・・・!」
「アイフェン」
 ハッと我に返ったアイフェンは、朱煌の腕をすり抜けると、非礼を詫びるように恭しくこうべを垂れた。
 それはもう、いつも通りのアイフェンだった。
 長年、戦いを共にしてきたクロスたち・・・。
 そして、アイフェンに育てられたマジェスティーですら、彼を謎多き男と評するが、朱煌はさして気にもとめずにここまできた。
 今、こんな姿を見せられても、その気持ちはあまり変わらないのが、自分でも不思議ではあったが・・・・・・。




 巡洋艦の舳先に、朱煌が姿を見せた。
 途端に、港に出迎えるラ・ヴィアン・ローズの傭兵たちから、割れんばかりの歓声。
 彼らに応え、朱煌が悠然と片手を掲げる。
 熱狂はさらに過熱した。
 そんな朱煌を少し離れたところから眺めていた将校陣は、ヤレヤレと顔を見合わせる。
「我らを散々苦悩させておいて、あの態度」
「またキツイ灸を据えてやりますか、クロス閣下」
 クロスは肩をすくめた。
「今日はドクター・アイフェンがいるからな」
 将校陣、ため息。
 アイフェンは朱煌にとって、鉄壁の砦のようなもの。
 どうせ庇いたてするに決まっているのだ。
「それに・・・」
 クロスが顎で示したのは、甲板で朱煌の姿を見ている高城。
「あの尊大な男に、姫と自分の立場の違いを理解させる、いい機会だ」
 少々意地が悪いと思うが、クロスもマジェスティー同様に、高城の第一印象が悪い。
 その上、傲慢極まる伝言を成子に託したり、果てはデモ中継のパフォーマンス。
 悪印象の払拭は、ますます遠退いてしまった。
「さて。我々も、姫君のお出迎えに参上いたしますか」
 ぞろぞろと巡洋艦のタラップへ歩を進める将校陣の為に、傭兵たちが道を開ける。
 タラップの中ほどまでやってきていた朱煌は、揃い踏みの将校たちに足を止めた。
「・・・・・・・・よう」
 またしても!
 将校一同、顔が引きつる。
 どうしてこのお姫様は、しおらしく反省を表現できないのか。
「―――朱煌」 
 同じくタラップを降りてきていた高城が言うと、朱煌はチラリと彼を流し見て、渋々ながらも将校たちの前にやってきて、ペコリと頭を下げた。
「・・・・・・心配かけて、ごめんなさい」
「え!? あ、いや・・・。その、反省していただけたなら、よろしいのですよ」
 つい今しがたまでの怒気は消し飛び、クロスは思わず言ってしまった。
 朱煌と知り合って10年、こんな神妙な態度は初めてで、将校一同戸惑いを隠せない。
 悠々と港に降り立った高城を、改めて見たクロス。
 彼に身の程を思い知らせるつもりが、たった一言を受け入れさせてしまうこの男が、朱煌の心を占める割合の大きさを、逆に思い知らされてしまった。
 頭を掻いて将校勢と顔を見合わせたクロスは、肩をすくめて高城の前に立った。
 7フィート近い巨体のクロスと高城の身長差は、まるきり大人と子供だが、見上げる高城に臆する様子はない。
「ようこそ、ミスター高城。この度は我らが総領姫の為にご尽力いただき、心から感謝する」
「こちらこそ、うちの女房が世話をかけてすまないね」
 ピクリ・・・と眉を震わせたクロス。
 同じ顔のマジェスティーだって、諸外国と渡り合う尊大さは持ち合わせているが、ここまで傲慢な物言いはしない。
 こんな男に可愛い姫を連れ去られるのかと、無性に腹立たしく感じるのはクロスだけではないようで、諸将校も憮然と高城を眺めている。
「とにかく、将軍閣下がお待ちだ。同行願おうか」
 後をついて来ようとした朱煌を、クロスが遮る。
「あなたは更迭との閣下のお沙汰です。部屋で大人しくしていらっしゃい」
 子犬のように高城を見上げた朱煌。
 その頭をそっと撫でた高城の、別人のような柔らかい笑みに、クロスたちはまた顔を見合わせてしまった。
 ともあれ、朱煌を残して会議室へと赴く。
「・・・お前さん、その顔に感謝するんだな。刃への歓迎は、もっと手厳しかったぜ」
 彼が総領姫の夫となることは知れ渡っていたから、その姿を見るまでは無論、殺気立った歓迎ムード一色であったが、マジェスティーと見まごう面立ちなのが、荒くれ傭兵たちを戸惑わせていた。
 敬愛する将軍と同じ顔には、やはり嘲笑や侮りの脅しをやりにくいらしい。
「そんなに似てるのか?」
「・・・見れば見るほど、な」
「そりゃ、将軍閣下とやらは得してるねぇ」
 あきれる。
 どこまで図々しいのか、この男・・・。
 しかし・・・マジェスティー対高城。
 一体どちらが優勢にことを運ぶのか、少々興味が湧いてきたクロスだった。




 お互い、正式な対面は初めての二人。
 高城との決戦(?)を意識するあまり、普段は本陣で着ることのない軍服を着込んでいたマジェスティーは、クロスが笑いを噛み殺しているのに気付いて、危なく赤面するところだった。
 肝心の高城はと言うと、マジェスティーが狙った威圧感を感じている様子もなく、しげしげと彼を眺めて顎を撫でている。
「・・・・・ミスター高城、まずは姫を救ってくれたこと、礼を言う」
「なに。ラ・ヴィアン・ローズ総領姫の名声がなきゃ、成功はなかったさ」
 愁傷なセリフに、身構えていたマジェスティーは目を瞬いた。
「ただ・・・ラ・ヴィアン・ローズに関わってなきゃ、あんなことにもならなかったがな」
 ニヤリとした高城に、マジェスティーは思わずデスクを叩いた。
「貴様! あの子が何故、傭兵になったかを知りもしないで・・・!」
「母親の為だろう?」
 思いがけない言葉に、マジェスティーも将校陣も目を見張った。
「それしか・・・ないんじゃないかと思ってな。10年前の父親殺しの真犯人は母親。その母親は、朱煌が・・・娘がやったと主張し続ける。朱煌は自分に罪を擦り付ける母親が良心の呵責に苛まれないように、本物の人殺しになる道を選んだ。殺して、殺して、10年前の冤罪が紛れてわからなくなるくらいにな。・・・・・・違うか」
 マジェスティーの沈黙に、高城は頷いた。
 自分の考えが間違ってないことを、確認できたというように。
 マジェスティーが顎をしゃくって見せると、クロスは敬礼で了解の意を示し、高城に朱煌のラ・ヴィアン・ローズへの経緯をすべて話して聞かせた。
 さすがに沈痛な面持ちを浮かべた高城は、しばし黙って片手で顔を覆っていたが、やがてゆるゆるとため息をついた。
「俺の責任だな。俺が瞳子の言葉を鵜呑みにして、朱煌の言い分ひとつ聞いてやらなかったから。ただでさえ、自分を表現するのが苦手な子だったのに。それを知っていたのに・・・」
 マジェスティーとクロスは顔を見合わせた。
 どうも、ただの傲慢なだけの男ではないらしい。
 まあ、だからこそ朱煌が慕い、心惹かれているのだろうが・・・・・・。
「慰めるつもりはないが、君ひとりの責任ではないさ。我らも止められた立場だ。だが、あの子の天賦の才に、飛びついてしまった」
 高城が苦っぽい笑みをマジェスティーに向けた。
 マジェスティーもまた、高城に笑って見せる。
「―――さて、本題に移ろう」




 自室の出窓に腰かけ、朱煌は会議室のある司令部の方角を眺めていた。
 とりあえず・・・死は、免れた。
 死にたくないと、心から思った。
 過ぎた願いだと思う。
 死にたくないと願った人を、何人も殺した身。
 指揮する作戦で、戦死した部下たち。
 返り血に塗れた体。
 それが・・・死にたくない? 
 なんと贅沢だろう・・・と、考える。
 高城を本陣に呼び寄せたからには、マジェスティー達の決定は容易に予想がついた。
 それに甘んじてよいのだろうか・・・と。
 ここにきて、朱煌はまた迷い始めていた。
 このまま、姿を消してしまおうか。
 高城とも、ラ・ヴィアン・ローズとも、決別し、顔でも変えて、独り生きてみようか。
 母のそばがいい・・・と、ふと思った。
 母にわからないように、そばで母を見て暮らしたい。
「・・・贅沢」
 大勢の人間を肉親から永久に引き離しておいて、何を思うか。
 自嘲。
 くしゃくしゃと髪をかき上げ、出窓を降りた時、品のいいノックが聞こえた。
「どうぞ?」
 声をかけると、静かに開いた扉。
 朱煌の顔から血の気が失せた。
「マ、ママン・レーヌ・・・」
 レーヌは何も知らない・・・はず、なの、だが・・・、その静かな微笑みは、明らかに怒りのオーラに満ち満ちていた。
「お久しゅう、姫さま?」
「は、はい、お久しぶりです・・・」
「欧州からただいま戻りましたわ」
 にっこりと、レーヌは手にしていたケインをしならせた。
「ま、待て! レーヌ、何をそんなに怒ってるんだ」
「何を? あれだけ盛大にテレビ中継されておいて、よく仰いますこと」
「あっ」
 言われてみれば・・・あんな大きなテロのニュースが、世界に配信されない訳はない。
「閣下の命令で、しばし欧州に監禁状態。その間、私がどのような気持ちだったか・・・」
 スッとケインが壁を示した。
「たっぷりと、お尻に教えて差し上げますわ」
 すっかり顔色を失った朱煌は、とりあえず、丁重なお断りの言葉を述べてみた。
 それが反映されるとは、言ってみた本人も思ってはいないが・・・・・。






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