ラ・ヴィアン・ローズ

第26話【枯渇】

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    ―1991年―

 寂れた公園。
 邂逅、そして、再会の場所。
 二度までも高城の腕を擦り抜けていった少女。
 高城がこの公園に訪れるのは、朱煌が消えて数ヶ月、すでに日課のようなものだった。
 遊ぶ子供たちに混じることなく、朱煌が小さな体を疲れきったように横たえていたベンチ。
 そこに腰を下ろし、かつてあったはずの木造アパートの幻影を見る。
 別に、過去を懐かしんでいるのではない。
 高城は考えていたのだ。
 朱煌が傭兵になった理由……。
 頭のいい子なのだ。
 だからこそ、傭兵などになれば刑事である高城といられなくなることくらい、わかっていたはずだ。
 朱煌は瞳子に多額の送金を続けている。
 それは傭兵としての稼ぎに違いない。
 そもそもの発端はあの橘殺人事件。
 犯人は朱煌なのか、瞳子なのか。
 瞳子は朱煌だと主張し、朱煌は瞳子に金を送る。
 さらに、一流どころの弁護士を雇って瞳子の無罪を勝ち取った。
 一見すれば、朱煌が真犯人であるかのような償いにも思える行動の数々。
 けれど、朱煌が真犯人であるなら、こんな回りくどい方法をとるだろうか。
 否。
 自分がやったと名乗り出る。
「ダメだな、俺は。瞳子が絡むと、途端に冷静な判断がつかなくなる」
 こんな簡単な答えを、十年もの間、悩み続けていたなんて。
 朱煌は犯人ではない。
 当時六つの朱煌がいくら「あたしがやった」と叫んだところで、瞳子の逮捕は覆らなかったろう。
 朱煌はそうと悟って姿を消し、金という形で瞳子を援助した。
 どういう経緯で傭兵稼業についたかはわからないが、敢えて人を殺す仕事を選んだのかは・・・わかる。
 瞳子が、朱煌を犯人だと言うからだ。
 朱煌の行動の先には、いつも母への思慕がある。
 朱煌は、娘に罪をかぶせようとすることで母が苦しまないように、本当の人殺しになろうとしたのだ。
 ひとつの冤罪など紛れてわからなくなるくらい、己の業を深くした。
 ―――――これが、朱煌だ。
 瞳子が言えば、悪魔にも悪鬼にもなる。
 それで母が救われるなら…、愛してくれるなら…。
「あの馬鹿が…。いや、馬鹿は、俺か」
 炎上のあの日、朱煌を止められたのは自分だけだった。
 それを若き片恋に惑わされ、瞳子の言葉を鵜呑みにし、朱煌を見捨てるも同然の態度をとったのだ。

『なんてことをしたんだ。人を殺すなんて……、父親を殺すなんて……、こんな、取り返しのつかないことを!!』

 幼かった朱煌に、投げつけてしまった言葉。
 その瞬間に表情をなくした朱煌の顔。
 出会ったばかりと同じ、心を閉ざした、仮面。
 あの時、朱煌は父親殺しの汚名をきる覚悟で、炎の中から生きて現れたのだ。
 だが、心のどこかで、高城だけは真相を…真実を…朱煌の心の内を見抜いてくれると信じていたに違いない。

『お兄ちゃんに隠し事しても、すぐにバレちゃう』

 叱られた時の、拗ねたような口癖だった。
 朱煌はあの瞬間にこそ、それを求めていたのに。
 もっとも肝心なところで、高城は朱煌を救えなかった。
 いや、むしろ裏切ってしまったのだ。
 
 その絶望が、無実の罪をきるべく生かしておいた体を、炎の中に走らせた。
 高城の裏切りが、朱煌を死へと導くところだったのだ。
 ゾッとする。
 朱煌にとって、自分はなんと大きな存在であったのだろう。
 幼い頃からあれほどまでに確立された自我を持ち、しなやかな生き様を貫いてきた反動は、心を開いた瞬間から、かくも如実に、脆さを浮き彫りにするとは。

 このままでいいはずがない。
 すべてが極端過ぎるのだ。
 心を開いて、それで良しとするには、朱煌は脆すぎる。
 心を開いた相手にすべてを預けて寄りかかって、何かの拍子にその相手がいなくなったら、朱煌はどうなってしまうのか。

 源。
 端。
 始まり……。

 根本を解決しなければ、おそらく朱煌は一生救われることはないだろう。
 高城は短くなったタバコを灰皿にねじつけ、ゆっくりと立ち上がった。




「あら。珍しいお客様ね。……何の用?」
 すっかり一流ホテルの住人となった瞳子が、皮肉っぽく口端を吊り上げて、高城を出迎えた。
「まあ、いいわ。入りなさいよ。私は今、気分がいいの」
 瞳子に誘われて高級なリビング調の部屋に足を踏み入れると、テーブルの上に何通ものエアメールが散らばっていた。
「ああ、あれ? あれはね、『あしながおじさん』からの手紙。二ヶ月くらい前から、届くようになったのよ」
 瞳子の語調から、それが気分のいい原因らしいとわかる。
 高城は胸が締めつけられる思いだった。
 二ヶ月前。
 朱煌が記憶を取り戻して、高城の前から消えた頃だ。
 瞳子の様子では、それが朱煌であると気付いていまい。
 第一、瞳子は朱煌が生きていることすら知らないのだから。
 朱煌……どんな気持ちで、この手紙を書き綴っているのだろう。
「彼…いえ、彼女かしら? 正体を明かしては下さらないけれど、とても私を気にかけてくださってるわ」
 封筒をいくつか手にとってみる。
 消印は、中東であったり欧米であったり欧州であったり、行く先々で書いては投函しているらしい。
「ふふ、世界中を飛び回ってるでしょう? どんな大富豪なのかしらね」
「……人殺しだよ」
 高城の一言に、瞳子の顔が強張った。
「世界中飛び回って、人を殺してるんだ」
「……何よ、それ。なんであなたがそんなこと…」
「考えてみろ、瞳子。こんな東の小さな島国で起こった殺人事件。その被疑者。そんな見ず知らずの女性に、毎月何百万もの大金を送金する酔狂がどこにいる。その人物が、お前をよく知っているとは、思わないか?」
「え…」
 高城はひとつ大きく息を吐き出すと、困惑する瞳子をまっすぐに見据えた。
「――――朱煌は、生きている」
「……え……」
「生きてるんだよ、朱煌は」
「――――――……!!」
 むしろ彼女の方が、死人のような顔色。
 ガタガタと震え、やっと持ち上げた両手で口を覆う。
「い…いやああぁぁぁぁぁぁぁあ!!!」
 絶叫。
 短くカットした髪を振り乱し、瞳子は狂ったように叫び続けた。
「瞳子。瞳子!」
「いや、怖い! 怖い! 怖い!!」
「落ち着け。何を言ってる」
「あいつは悪魔なのよ! しかも私を憎んでるわ! 生きていたら、私が殺される!!」
「馬鹿を言え。あいつはお前を憎んでなどいない」
「憎んでるに決まってるわ! 憎んでないはずがないじゃない!! いやッ、いや! いやーーーーーー!!」
「瞳子!」
 鋭い音。
 瞳子の頬が軽く赤みを帯びた。
「あ…」
「落ち着け。落ち着いて、よく思い出せ。橘を殺したのは…誰だ?」
「―――朱煌よ。今さら何を言っているの」
 虚を突かれたような瞳子。
 彼女のその姿は、哀れすら誘うものだった。
 瞳子は本当に信じているのだ。
 あの時、橘を殺したのが朱煌であると…。
 自戒の念を断ち切るために、娘に罪を被せた罪悪感を打ち消すために、自分の心を救うために。
 いつしか瞳子は朱煌が真犯人であると、信じてしまった……。
「瞳子。なら、どうして朱煌がお前を憎むと言うんだ」
「それは……」
 瞳子の混乱が見て取れる。
 自分の真実と噛み合わない、娘への恐怖感。
「それは……、あの子が、父親殺しの悪魔だから。母親の私も、きっと殺される」
「朱煌は父親を憎んでいたか?」
 瞳子は弾かれるように顔を上げた。
「いいえ! あの子は橘を慕っていたわ! 年に数回会えるだけでも……その日を指折り数えて、それは待ち遠しそうに……」
 そこまで言って、己の思考の矛盾に再び混乱する。
「なのに……朱煌は何故、橘を殺したの……?」
 狂気が見え隠れする目。
 その不憫さに心を奪われまいと、高城は頭を一振りした。
「俺が……、あるいは刃が……、朱煌を愛すことなど、いくらでもできるんだ。だが、それでは朱煌の心は満たされない。渇きは癒えない」
「……」
「お前だけなんだよ、瞳子。朱煌を救えるのは、お前ただひとりなんだ。朱煌という砂漠を、緑の大地に変えられるのは……母親のお前だけなんだ!!」
 虚ろな瞳子に、果たして高城の言葉は届いているのだろうか。
 苦々しげに吐息をついた高城は、床に座り込む瞳子を立たせ、ソファに座らせてやった。
「いいか、もう、逃げるな。お前は朱煌の母親なんだ。朱煌はお前を求めている。お前を……愛しているんだ……」
 ぼんやりと高城を見上げた瞳子の頬に、大粒の涙がつたい始めた。
 しかし、本人は泣いている意識はないようで、人形のように、微動だにしない。
 高城は唇を噛み締め、踵を返す。
 彼が出て行ったドアを、瞳子はいつまでもいつまでも、ソファから眺めていた……。




 帰国以来、黒荻は剣術道場に泊り込みで稽古に励んでいた。
 鬼気迫る彼の太刀捌きに、引責辞任して以来、すっかりここの師範となっていた新藤が眉をひそめる。
「刃くん、何を決意してかは知らんが、そんな剛の剣は君のものじゃない。君は柔の剣士だ、それを忘れるな」
 息を整え、黒荻はその手に目を落とす。 
 いけない。
 決して負けられないと気負うあまり、すっかり自分を見失っていた。
「ご助言、痛み入ります。……実は」
 朱煌を取り戻す為の勝負が控えていることを告げる。
 しばし黙りこくっていた新藤は、「待っていなさい」と言い残して姿を消した。
 待つこと十分余り。
 戻ってきた新藤の手には、太刀袋が握られていた。
「これを」
 手渡された黒荻は、そのずっしりとした重みに目を瞬く。
 太刀袋の中身は真剣ではないか。
「朱煌は『紅蓮』を受け継いでいる。『紅蓮』に太刀打ちできるのは、これくらいだろう」
「あの…」
「持っていけ。君に譲ろう」
「でも…」
 明らかに由緒ある品で、簡単にもらってしまう訳には……。
「かつて朱煌を指南した叔父は、彼女を『剣鬼』と称した。彼女の剣はまさしく君と対照的な剛の剣」
 太刀袋を握り締める黒荻に、新藤はさらに続けた。
「だからこそ、己の柔の剣を忘れるな。君の太刀筋は『剣聖』。剣鬼と対照であり、対を成す剣なんだ」
 新藤の言うことを、じっくりと噛み締めた黒荻。
 こういうところも朱煌と対照的だった。
 あくまで我を貫く師なき『剣鬼』と、常に師を重んじ教えを血とし肉とする『剣聖』。
 ラ・ヴィアン・ローズ本陣出発は、明日に迫っていた。




 その夜、黒荻は新藤と共に成子邸に呼び出された。
 リビングに足を踏み入れると、成子夫妻のほかに高城もいて、いささか緊張する。
 高城とは宣戦布告して以来なのだ。
 とりあえず丁寧に頭を下げると、彼はいつもと変わらぬ調子で挨拶してくれたのでホッとする。
「お座りなさい、黒荻くん」
 険しい声で成子が言った。
「クロス閣下から連絡があったの。あなたの気は変わらないかって」
 どうりで成子の表情が厳しいはずだ。
 朱煌に勝負を挑んだことが、バレてしまった訳だ。
「どうして黙っていたの」
 まるで取り調べだな…と思いつつ、頭をかく。
「それは、こうなるからですよ。あなたに叱られると思って」
「当たり前でしょう!? 相手はあの『紅蓮朱雀』なのよ!」
 戦場を駆ける若干十六歳の少女に贈られた、畏怖と敬意を込めた異称。
「…その態度を見るに、考えは変わっていないようだな」
 高城が言った。
 自分の朱煌に対する想いを言われたようで、ついドキリとする。
「勝てるはずないでしょう」
「勝算を見込んだからこそ、挑んだのです」
「思慮深いあなたの言い分とは思えないわ」
 成子の黒荻に対する評価はずいぶん株を上げたものだと、黒荻自身を含め、一同苦笑した。
「許さなくてよ。あなたの本陣行きは却下」
「行きますよ」
「だったら、この家から出さないわ。その為に彼らにいてもらったのだから!」
 成子に指し示された虎丸、新藤、高城は、キョトンとして顔を見合わせた。
「そうだったんですか?」
「僕は僕の家だからいたんだけど」
「俺もここに住んでる身だし」
 思わぬ裏切り発言の数々に、成子は目をむいた。
「あなたたち! 黒荻くんを見殺しにする気なの!?」
「成子、落ち着けよ。いくらなんでも命までは取られまい」
 やんわりと言った高城を、成子はキッと睨みつけた。
「甘いわよ、善! 総領姫たる矜持を傷つけられたあの子は、必ず黒荻くんに制裁を加えるわ」
「あいつならそうだろうな」
 からきし信用なしの朱煌。
「俺が言ってるのは、勝負の舞台が本陣だということだ。そこには朱煌の養父母も、そのクロスって男も、あの姫護もいるんだろう」
「ええ、まあ…」
「そいつらが朱煌を止めるさ」
「それはそうかもしれないわ。でも……」
 成子がふと高城をみつめた。
 それにムッと眉根を寄せた高城。
「お前…、俺が刃に朱煌を取られまいと、煽ってると思ったろ。負けて刃が身を引くのを期待してるってな」
 ギクリとして後退った成子を、虎丸が抱きとめた。
「妻の非礼は代わって詫びるよ。でも、そう思われても仕方ないさ」
 状況は明らかに黒荻有利。
 それを静観し、今だ座して動かずを貫く高城。
 黒荻が自滅するのを待っているように、見えなくもない。
「なぁに。俺は対等の勝負ができるよう、刃が同じラインに立つのを待ってるだけさ」
 一同唖然。
 黒荻もさすがにカチンときた様子だった。
「…まるでウサギと亀ですね。彼らの結果は、もちろん、ご存知でしょう」
 初めて見せた攻撃的な黒荻の態度に、高城は悠然と微笑み返した。
 熾烈な火花を散らす二人の間に、ヒラヒラと手を振って新藤が割って入る。
「まあまあ。とにかく、本人がいなきゃ話になりませんよ。刃くんには、せいぜい頑張ってもらわないとね」
「新藤さんまで何を言うの!?」
 成子が悲鳴に近い声を上げた。
 この面子を集めた成子の思惑は、ものの見事に外れたのである。



 
 大人たちが日本で重い空気に包まれていた頃、渦中の人たる朱煌は、アイフェンの診療所で、のんきにブランデーをなめていた。
 そこへ戻ってきた主のアイフェンが、苦笑して肩をすくめる。
「……明日は黒荻さんがいらっしゃる日でしょう。いいんですか、そんなにのんびりしていて」
「け。勝ち戦にむきになるほど、落ちぶれちゃいない」
「…勝つ気ですか」
「当たり前だッ。ド素人と勝負してやるだけ、ありがたく思ってほしいね」
「しかし、相手の研究くらいはしておくがよろしいかと」
「差し出がましいぞ!!」
「……失礼しました」
 うやうやしくこうべを垂れたアイフェンが顔を上げると、朱煌は並々と注いでおいたブランデーを、彼の顔めがけてぶちまけた。
「気付け代わりだ、目が冴えたか」
「………………………忠告は、しましたよ」
「まだ言うか! 不愉快だ、帰る」
 残りのブランデーを一息に煽った朱煌は、肩で風切るようにして、診療所から姿を消した。
 やれやれ。
 アイフェンは脱いだ白衣でついでに顔も拭うと、すっかり酒臭くなった髪をつまんでため息をついた。




「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい~~~~~~~~!!」
 マジェスティーやらクロスやらに叩かれるよりは、さほど痛くない。
 けれどレーヌの膝の上に乗せられるなど数年ぶりで、恐ろしく、恥ずかしい。
 それでも、またケインか、それとも膝かと迫られて、膝を選んだのは朱煌自身であるが。
「もう口先の謝罪は聞き飽きました! ピアノのレッスンをサボったばかりか、こんなにお酒の匂いをプンプンさせて! レーヌは情けのうございますッ」
「もうしないッ、もうしないからあぁぁぁ! 許して、ママン~~~~~!!」
 痛くはなくとも条件反射。
 久しぶりのレーヌの膝で、すっかり子供に戻っていた朱煌であった。





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