ラ・ヴィアン・ローズ

第21話【夜宴】

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      ―1991年から1980年へ―


「陛下。女王陛下」
 私室でチェス盤を睨んでいた英国女王は、その囁きかけるような声に手を止めて、細く開けたドアから覗いている朱煌に微笑みかけた。
「まあ、とんだ侵入者だこと」
 朱煌は背後を確認してからドアをくぐると、女王のソファの傍らにやってきて、彼女の首にまとわりついた。
「なぁなぁ、今日の祝賀会、欠席させてよぉ」
「あらあら、それは了承できないわねぇ。ラ・ヴィアン・ローズの姫君が欠席では、戦勝祝賀会が意味を成さないもの」
「いいじゃん、レーヌ・ド・ローズが出席すれば十分だろ。後で朱雀でチラッと顔出すからさ」
「言葉がおかしいわよ。『朱雀で』じゃなく『朱雀が』でしょう」
 苦笑する女王に、朱煌はめいっぱいふくれ面をした。
「だからぁ、何度言わせるんだよ。煌と朱雀は同一人物! あたしだって言ってるだろ」
「はいはい、顔だけはそっくりね、お姉様と」
 まるで相手にされていない。
 朱煌はなんだか空しくなって、反論を心中に収めて舌打ちした。
 いつでもどこでも傍若無人で破天荒、物怖じしないじゃじゃ馬の煌姫。
 常に冷静沈着で寡黙、時として冷酷ですらある鉄面皮の朱雀。
 朱煌のこの二面性を、周囲はすっかり双子の姉妹と誤認している。
 ラ・ヴィアン・ローズが画策したでなく、当の朱煌もこうして同一人物だと公言してはばからないのにも関わらず、まるで信じてもらえない。
 煌で言っているからかと、朱雀の時に言ってみたら、「紅蓮朱雀でも、つまらん冗談を言うのか」と苦笑される始末である。
「もういいよ、双子でもクローンでも…。とにかく、祝賀会出たくないの。なぁなぁ、陛下ぁ。欠席欠席欠席~」
 耳元でごねる朱煌に知らん顔で、女王はチェスの次の手を長考に入った。
「……そこ。そのポーンをさ…」
「言わないの。ズルで彼女に勝ちたくないわ」
「誰とやってるのさ。結構強いね。対戦者はどこ行っちまったの」
 空席となっている差し向かいのソファに首を傾げた朱煌に、女王はクスクスと笑った。
「いえね、お連れの姫君が抜け出したと報告があって、それはもう怒り心頭でお部屋に戻っているのよ」
 ギクリ。
 この宮殿でそんなことをしでかす人物を、朱煌は今までに一人しか知らない。
 それはもちろん自分自身で、ということは怒り心頭のチェスの対戦相手とは……。
 次の瞬間、衛兵によって開け放たれたドアの向こうに、顔を引きつらせたレーヌの姿を見た朱煌は、女王の首にしがみついたまま硬直してしまった。
「ひ~め~さ~ま~~~~」
 美しき母、その声は透き通るハープのしらべと誉れ高い。
 それが今、地獄の使者の呻きに聞こえるのは、朱煌だけだろうか……。




「チーム編成は今言った通りだが、緊急時には臨機応変に対処。指示したポイントに重点的に配備してくれ。王宮内部は英国側の指揮を仰げ」
 朱雀として小隊の前に立った朱煌だが、可愛らしいドレス姿であるのと、しきりにお尻を擦る仕草のせいで、いまいち様にならない。
 とにかくお尻が痛くて、体裁に構っていられる気分でないのだ。
 レーヌは非力な女性だが、素肌のお尻を数ひっぱたかれれば結構きつい。
 例えるなら低温火傷のように、お尻の皮の内側からいつまでもじわじわ痛みが……。
 部下たちの中にクスクスと笑いがもれているのに我に返った朱煌は、やはりお尻を擦りながら鉄面皮を貫いた。
「以上! 直ちに配置につけ!」
 敬礼を残して本部テントを飛び出して行った部下を見送り、朱煌は待機組のクロスににっこりと笑いかけた。
「じゃ、行こうか。クロス?」
 スルリと腕を組まれて目を瞬いた彼は、「行くってどこへ」と首を傾げた。
「決まってるだろ、祝賀会さ。あれぇ、言ってなかったっけ。クロスがあたしのパートナーなの。上官命令だからね」
 唖然としたクロスは、してやられたと顔をしかめた。
根っからの戦士にプリンセスのエスコートをさせようなど、この前のシゴキの仕返しにほかならない。
「姫さま、憶えてなさいよ」
 とはいえ現場で命令された以上逆らえず、クロスは朱煌が用意していた正装に着替えると、待機組の部下たちから「美女と野獣」と冷やかされながら、会場へと向かったのだった。




 支度の整った黒荻を見て、成子は目を見張って吐息をもらした。
 前々から美丈夫だとは思っていたが、それが正装で際立ったこと! 
 もともと端正な顔立ちなので、品の良い貴公子に仕上がってしまった。
 これは男装時の朱煌と張る。
 本物の美しい青年というのを、初めて見た。
 モテる割には野暮ったく、平凡の域を脱しない高城とは、雲泥の差だ。
「黒荻くん、イケてるわ。私がプロデュースするから、デビューしない?」
「またそんな冗談を…」
「冗談…じゃないのだけど。ところであなた、ダンスの経験なんてないわよねぇ」
 こう目立つ美青年ではダンスの申し込みが殺到するのが目に見えている。
 こんなことなら日本を立つ前に、ダンスのレッスンをさせておけばよかった……。
「一応。大学の時に頼まれて、社交ダンスサークルに在籍してましたから…」
 誘った人間は明らかに彼の看板性を見込んだのだろう…。
「ここは本場英国よ」
「英国大会にも出場してますが…」
 と、いうことはかなりのハイレベル。
 どうりで正装が板についている訳だ。
 ともあれ、それなら安心して連れて行ける。
 それにしても……。
「善、これは本当に強敵だわよ…」
 思わず同情の呟きをもらした成子であった。




 女王陛下に挨拶を済ませ、黒荻は緊張した面持ちで会場内を見渡した。
 皆が一様に正装していると個々の判別がつきにくい…と思っていると、やけに目立つ黒人の大男が、所在なさげにソワソワしているのが目に付いた。
 その男を見上げて笑っているパートナーらしき少女は……朱煌!
 あんまり可愛らしいドレスを着ているから、一瞬目を疑ってしまった。
「あら、可愛らしいこと。レーヌ様のご趣味ね」
 成子も気付いたらしく、そんな独り言を呟いた。
「レーヌって?」
「ほら、朱煌ちゃんの傍らにいる美女。彼女がレーヌ・ド・ローズ。朱煌ちゃんのお母様よ」
 確かに美しく、それに若い。
年の頃は黒荻と同じくらいではないだろうか。
「朱煌ちゃんのパートナーがラ・ヴィアン・ローズの古参、クロス少将閣下。こんな席にいるなんて、珍しいわね」
 成子が小首を傾げていると貴婦人たちが寄り集まってきて、案の定、黒荻にダンスの申し込みが殺到し始めた。
 やんわりと断ろうとしていた彼を、成子が遮る。
「踊っていなさい」
「でも…」
「いいから。うんと優雅に華麗に、朱煌ちゃんに見せつけておやりなさいな」
 朱煌が黒荻にも心魅かれていたのは事実。
 ただ迎えに来て調子付かせては具合が悪い。
 ここはひとつ、朱煌の乙女心を揺さぶってやろうと考えたのだ。
 凶と出るか吉と出るか。
 成子の女の直感は、吉を暗示しているのだが。
 朱煌たちのもとに歩を進めた成子は、顔色を変えた朱煌を敢えて無視して、まずはレーヌに声をかけた。
「あら、マダム・アクトレス。お久しぶりね」
 挨拶とは裏腹に、少し顔をしかめた。
 実は成子はレーヌに受けが悪い。
 成子がセクシー系の衣装ばかり身につけているせいと、女優という仕事が軽はずみで下品だとレーヌが決め付けているから。
 そして最大の原因は、成子が朱煌の古い知人である為だ。
 レーヌは成子に朱煌を奪われてしまうのではと、とても警戒していた。
「この度は大勝利おめでとうございます」
「どうも」
 成子は素っ気無いレーヌに苦笑しつつ、チラリと落ち着きをなくして辺りを見回している朱煌を流し見た。
「善ならいなくてよ」
 成子が日本語で話しかけたので、レーヌはますます険しい表情になった。
 外交の要として語学が堪能なレーヌだが、日本語はできない…というより避けている傾向にある。
 朱煌が日本から来た娘だからだ。
 朱煌を手放したくない一念がレーヌを日本嫌いにさせて、朱煌が日本語を使うのを禁じた。
 朱煌が日本語の読み書きが苦手なのは、そこに原因があるのだ。
 そうと知ってはいたが、成子は構わず続けた。
「善から伝言。『迎えには行かない。自分で帰ってこないと、会ってやらない』…だそうよ」
 しゅんとうつむいてしまった朱煌が可哀想だった。
 朱煌が高城への想いを完全に断ち切ったとは思えなかったし…。
「善の代わり…と言ってはなんだけど、お客様よ」
 成子の声と、会場のどよめきが重なった。
 優雅なステップ。
 繊細にして華麗なリード。
 加えて絶世の美形。
 黒荻である。
 彼のワルツが会場の人々を魅了したのだ。
 さしものレーヌも感嘆の吐息をもらしている。
 これは好感触。
 成子が嫌われている以上、黒荻にはレーヌに気に入られてもらわないと、先々都合が悪いと思っていたところだ。
 ふと朱煌を見ると、手にした扇を折れんばかりに握り締めて震えている。
 我も我もと黒荻に群がる貴婦人たちを見る朱煌の目ときたら……。
 成子の女の感は、ものの見事に的中した訳だ。
「あらあら、あれではあなたのことなど、目に入らないわねぇ」
 とどめを刺すと、朱煌の扇がとうとう折れた。
 驚くレーヌを振り切って、貴婦人たちを押しのけ黒荻の前に進み出た朱煌は、不機嫌満面で、彼に手を差し出した。
 苦笑してその手を取る黒荻。
 二人がホール中央で踊り始めると、再び会場内が見惚れて静まり返る。
「まんまとハメられましたな、うちの姫君」
 クロスがニヤリとした。
 成子も口端で笑って見せる。
 後は……黒荻次第。




 蝶タイを外し、すっかりリラックスして警備本部テントに戻ってきたクロスを、待機組の部下達が冷やかしの口笛で迎えた。
「おや、クロス王子。姫君のエスコートはもうよろしいので?」
「本物の王子様のご登場でな。お役御免だ」
 正装を脱ぎ捨てて戦闘服に着替えると、やっと人心地ついた。
 やはり、これが一番しっくりくる。
 手近な椅子に身を委ねテーブルに足をかけたクロスは、黒荻 刃という王子を見る朱煌の表情を思い出していた。
 あれは紅蓮朱雀でも、煌姫でもない。
「そうなんだよなぁ。何も『朱雀』と『煌』の融合でなくてもいいんだ……」
 二人の姫が融合して都合がいいのはラ・ヴィアン・ローズであり、朱煌自身の為ではないのに気付いてしまった。
 まったく新しい朱煌が現れるというのも、ひとつの道ではないか。
 圧倒的な存在感である総領姫を失うのは確かに手痛いが、それで屋台骨が揺らぐようなラ・ヴィアン・ローズではない。
 ラ・ヴィアン・ローズを立ち上げた時、そう決めたのだ。
 いつの日か朱煌が平凡な幸福に巡り会えたなら、喜んで送り出そうと……。
「すまんが、少し仮眠を取らせてもらうぞ」
 慣れないパーティーのお供などさせられて、クロスは心底疲れていた。
 パーティー嫌いの朱煌の気持ちがよくわかる。 
 本陣でレーヌの課すダンスやマナーの『お勉強』を朱煌が抜け出しても、クロスたちは匿ってやることにしている。
 朱雀としての責務を全うしている上に、煌姫として外交まで負わせるのは可哀想という思いからだ。
 まだ十六歳の少女が、本当に良くやっていると思う。
「Sweet Sixteen…か。あんなチビスケが、大きくなったもんだ」
 ベッドに寝転がり、目をつむる。
 あれから十年。
 日本で拾った血塗れの幼子は、美しき戦場の華に成長した。
 朱色の柄の日本刀を操る、魔性の戦士・紅蓮朱雀。
 あれはまだ、ラ・ヴィアン・ローズなど影も形もなかった十年前。
 クロスもマジェスティーも傭兵ギルドに属す、一傭兵に過ぎなかった頃であった……。




「天下の橘 唄子の嫡子ってわりに、お粗末な男だな」
 ギルドから送信された標的の資料を読んでいたマジェスティーが、肩をすくめた。
 クロスはマジェスティーがたらしこんだ家政婦が標的に上手く盗聴器を取り付けたのを音声で確認し、ホッとしてから運転席の彼から資料を受け取った。
「母親が偉大過ぎるのも考えものだ。この息子も橘唄子のもとに生まれていなけりゃ、そこそこ成功できたろうよ」
 マジェスティーが半ば同情めいて言うのに、耳を引っ張る。
「いてッ。何すンだよ」
「標的に感情移入するな。俺たちはギルドの指令通りに任務を遂行すればいいんだ」
 今回の任務はいささか傭兵の枠をはみ出しているから、マジェスティーは機嫌が良くないのだ。
 クロスもそれは同感なのだが、今、ギルド総帥と悶着を起こしては、密かに進行している計画に支障を来たす恐れがある。
 その仕事内容とは、暗殺。
 東の小さな島国で台頭した経済王・橘 唄子の影響力は今や他の追随を許さぬものになりつつあった。
出る杭は打たれる。
 けれど唄子そのものを潰しては経済界にただならぬ打撃をこうむるので、跡取りとはいえさほど将来性の感じない息子を始末するよう依頼されたのだ。
 息子を始末することで、唄子への警告と牽制が目的であろう。
 クロスとて、牽制ごときで命を絶たれる息子に対して同情は禁じえないが……。
『今日は朱煌の六歳の誕生日だねぇ』
 受信機から聞こえてきた声に、クロスとマジェスティーは顔を見合わせた。
これは橘財団総裁たる唄子の声。
『行くんだろう。その時、朱煌を連れて帰っておいで。あの子はここで引き取るよ』
 朱煌とは資料にある橘の息子の隠し子。
 つまり、唄子の孫娘だ。
『朱煌を?! 』
『親族会議で決定したんだ。お前は言うとおりになさい』
『親族会議…。また私抜きで行ったのですか』
 聞いていてつい同情する。ワンマン総帥の圧倒的な支配。
 まるで自分たち傭兵ギルドを彷彿とさせる構図だ。
『しかし、何故今頃…』
『あの子の事は、ずっと新藤家の次男に調査させていた。まさしく私の理想どおりに成長しているからね』
『……また、「朱雀院 旭」ですか』
 クロスはついドキリとした。
 朱雀院 旭の名を、こんな形で聞くとは思いも寄らなかったのだ。
『余計なおしゃべりはおやめ。そんなだから、お前はいつまでたっても…。とにかく、朱煌を連れてくればよい』
『…瞳子は、いかがします』
『私は朱煌を…と言ったろう』
『……承知しました』
 橘の息子が歩き出した気配。
 使用人との会話から、このままその朱煌という隠し子のところへ向かうのがわかった。
「マジェスティー、ライフルの用意を。車に乗り込む瞬間に狙撃する」
 畑違いの仕事などサッサと済まして、早く日本を離れたい。
「……なぁ、せめて娘の誕生祝いくらい、させてやってくれないか」
 遠慮がちなマジェスティーは、クロスの叱責覚悟という風にうつむいていた。
 苦笑。
「……この世の最後の思い出に、それ位の時間をやったところで、総帥も文句は言うまいよ」
 クロスの同意が思いがけなかったらしく、マジェスティーは目を瞬いた。
 今思えば、この判断がすべての間違いだったのだ。
 冷酷に徹するべきだった。
 そうすれば、魔性の戦士・紅蓮朱雀の誕生はありえなかったのだから……。




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