ラ・ヴィアン・ローズ

第17話【暗躍】

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       ―1991年-

 いつもは使用人があちらこちらにいる橘邸だが、当主・唄子の意向で皆里帰りに出払っている。
 大きな屋敷だけに余計にガランとして、物寂しいくらいだった。
 それでも唄子にはこの静寂がちょうどいい。
 肖像画の兄と語らう時間を、誰にも邪魔されないのだから……。
 唄子は薔薇のブレスレットを手に、兄と過ごした日々の追憶に浸っていた。
 十五年上の兄は、美丈夫で学もあり多彩な才能にも恵まれ、血筋確かな侯爵家の嫡男。
 嫌味なまでの完璧さを備えながら、本人そのものに嫌味がない、穏やかで理知的な紳士だった。
 幼かった唄子の自慢の兄。
 その血をもっとも色濃く受け継いだ少女、朱煌……。
「その才能は立証済み。面差しはますます生き写し。惜しむらくは、お兄様とは似ても似つかないあの性格だねぇ……」
 朱雀院侯爵家のじゃじゃ馬姫でならした唄子は、さも残念そうにため息をついた。
 新藤の報告書によれば、子供の頃より子供っぽくなっているとあった。
「つまり、『総領姫・紅蓮朱雀』と『煌姫』は、双子の姉妹などでなく同一人物だった…ということか。各国のトップを十年も騙しおおせるとは、なかなかどうして……」
「ご期待に添えず残念ですが、姫様は別人を演出した訳ではありませんよ」
 やおら唄子の呟きに返ってきた返答に、彼女はさほど慌てることなく振り返った。
 いつのまにか窓辺に立っていた男。
 報告書の写真にあった、姫護という男であった。
「煌姫と紅蓮朱雀のあまりの落差に、あなた方が勝手に誤認なさった。それだけのことです」
 唄子はニヤリと口端を吊り上げると、手にしていた薔薇のブレスレットを示した。
「目的の物はここにあるよ。だが、私が返すとお思いかね」
 改めて窓辺を見た唄子は、姫護の姿がないのに目を見張った。そして、後頭部にあてがわれた銃口に息をのむ。
「無論、力づくにて」
 いつ背中を取られたのか。しかし、そんなことで臆するほど、橘財団創始者はヤワではない。
 唄子はブレスレットを自分の手首にはめ、くるりと振り返った。
 銃口が、唄子の額に移動したことになる。
「ラ・ヴィアン・ローズの主軸核と見たが、これを渡したら朱煌を連れて行くつもりかい」
「……姫は高城氏のもとに残します。その為に、ラ・ヴィアン・ローズとの繋がりを少しでも断ち切っておきたいのです。どうか、それをお返し頂きたい」
 唄子の口元に笑みが浮かんだ。
 ラ・ヴィアン・ローズから朱煌を取り戻すのには、少々手を焼くだろう。
 だからこそ、『紅蓮朱雀』が朱煌である証拠のブレスレットが必要だったのだ。
 その朱煌が日本に残るとなれば……。
「いいだろう。持っておいき」
 手首から外したブレスレットを姫護に手渡すと、彼は銃を懐に戻し、丁寧にこうべを垂れた。




「さて、朱煌くん。年も改まったことですし、ここで年頭の抱負を述べてもらおうか」
 高城が作ってくれた雑煮を頬張りながら、朱煌はきょとんと顔を上げた。
「これ、豆腐? お餅っていうんじゃなかった?」
「それは餅。誰が豆腐の話をしてる。抱負だ、抱負。今年一年、心にとめておく目標を聞いてるんだ」
「目標…ねぇ」
 生まれて初めて食べる餅と格闘するので精一杯で、それどころではないのだが。
「えーと…、来年は雑煮作れるよう精進する」
「餅から離れろ。それに来年の話すると鬼が笑う。もういい、俺が決めてやる」
「いいよ、別に。目標邁進なんて、私らしくないし」
 片手で顔を撫で大仰にため息をついた高城は、朱煌らしさのこの三ヶ月間をしみじみ振り返った。
「喧嘩を売るな、そして買うな。夜ひとりでフラフラ出掛けるな。悪い仲間と付き合うな。今年こそ高校の編入試験合格、というか、まず受けろ。すっぽかすな。言葉遣いの約束を忘れるな」
 指折り数えて、言う高城も聞く朱煌も、いささかうんざり。
「とにかく! 俺にお尻を叩かせるな! 五歳の頃ならともかく、俺だって十六にもなる女の子のお尻を叩きたくはないんだよ」
「はぁい、お兄ちゃん」
「よろしい……、朱煌? 今なんて…」
 ニッと悪戯っぽく笑った朱煌は、雑煮の汁を最後まですすって立ち上がった。
「ごちそうさまでした。『お兄ちゃん』て言ったの。また少し思い出したんだ。あなたとどうやって知り合ったかとか、母さんにベタ惚れだったこととか?」
 ウッと言葉に詰まると、朱煌はクスクス笑って顔を赤らめる高城を覗き込んだ。
「成子さんが恋人で、会ったばっかりの頃はほかにもいーっぱいカノジョいたよね~。なのに道徳的なこと言っちゃってさ」
「こいつめッ、揚げ足を取るようなことを!」
 捕まえようとした高城の手をスルリとかわした朱煌はニヤリと笑った。
「今も昔も、お兄ちゃんは怒ってばーっかり」
「お前が悪さばかりするからだろっ」
「お兄ちゃんだって女泣かせの悪い人だって、昔、新藤のヤツが言ってたもん」
「今はお前だけだ!」
 思わずついて出た本音。
 朱煌もふと表情を改めて、高城の前に立った。
 顔が火照って、目をそらす。
 しかし、朱煌の両手が頬に添えられ、仕方なく彼女を見る。
「もう一度、言って?」
 こんな時の朱煌は、本当に女の顔になる。
 ただでさえ大人びた顔立ちなのに、しっとりした艶を帯びるようだ。
「……お前だけだ、朱煌。もう、手放さない」
「…嬉しい。でも、あたし達がどうして結婚の約束したのか、それが思い出せないんだ」
 強く強く朱煌を掻き抱き、高城はゆっくり首を横に振った。
「それ以上、思い出すな」
「…ん。そうだね、そんな気がする。思い出してしまったら、きっとあたしは…」
「言うな!」
 口を塞ぐ。その唇で。朱煌も黙ってそれを受け入れた。



 薄汚れた軍服姿の、褐色の肌の男たち。
 彼らはろくに電気も供給されない薄暗い部屋で、武器を磨き、神を崇め、自国の窮状を嘆き、それを救わんと誓う。
「橘の今は亡き嫡男の隠し子…?」
「そんなまどろっこしい真似をせずとも、橘当主を討てばよい!」
「まあ待て、同志。橘唄子を討つは易いが、それでは事態は好転せん。その隠し子を盾に、橘唄子自ら解雇撤回宣言をもぎ取ってはどうか」
「そんな小娘ごときで、あの橘唄子は眉ひとつ動かすまい」
「いや、情報によるとあの橘唄子が、その娘こそ財団に栄光をもたらす後継者と、財界や欧州の社交界で触れ回っているそうだ」
「ほう、隠し子どころか秘蔵っ子というわけか。やってみる価値はありそうだな」
「同志よ。要求が通らぬ場合は……?」
 リーダーらしき男は、たくわえた顎鬚をゆっくり撫でて、手榴弾をテーブルに置いた。
 一同は顔を見合わせ、深く頷く。
「我らは祖国の為に、喜んで礎とならん。無論、その娘も諸共に……!」




 スルリと服を脱いだ朱煌のそのしなやかな肢体。
 その若々しく張り切った肌に手を伸ばす……寸前で、高城は息をついた。
 脱ぎ捨てられたシャツを拾い上げ朱煌の肩にかけてやると、彼女は拗ねた瞳を向けた。
「なんで?」
「十六じゃな。いくらなんでも、子供過ぎるよ」
「子供じゃないよ。誰かさんのお陰で、とっくに処女じゃないんだぜ」
「朱煌ッ!」
 荒げた声にビクリとしたが、朱煌はますますふてくされた様子でフンと鼻を鳴らした。
「なんであなたも成子さんも、刃の味方するのさ。悪いのは刃じゃねぇか」
「そんなことを言ってるんじゃない。自分を貶めるようなことを口に出すなと言ってるんだ」
「ふーんだ。そのセリフまで成子さんと一緒。さっすが元恋人同士は気が合うことで」
 記憶が戻ってきたせいか、子供の頃のような絡み方をする朱煌に、ため息がもれる。
「あーきーら」
「なんだよ」
「年頭の抱負」
 ギクリとした朱煌は、じりじりと後退った。
「ま、待った。えーと、なんだっけ? なんか引っかかった?」
「もう覚えてないとはな、また空返事だったか。よかろう。お尻に思い出してもらうんだな」
 ヒョイと小脇に抱えられて、朱煌は悲鳴を上げた。
「やだやだ、やだよー! 昨日ぶたれたばっかで、まだ痛いのに~~~!!」
 時間にすれば、まだ半日も経っていないのだから、高城もさすがにズボンを剥くまではしなかったが、新年早々、朱煌の泣き声が周防邸に響き渡ったのだった。




 横須賀米軍基地の格納庫。
 そこには機体に真紅の炎の鳥が大きく描かれた戦闘機が、静かに主人の帰りを待っていた。
 その機体を見上げ、姫護……いや、アイフェンは顔を隠していた特殊メイクの人工皮膚を剥ぎ取った。
 現れたのは、頬骨辺りから上がケロイドで覆われた顔。
 眉もなく目の輪郭はは火ぶくれの名残で潰れ、元の人相を判別することはできない。
「ティット、お前の主人はもう来ないよ。私と本陣に帰ろう…」
 猛禽類さながらの働きをするこの機体が、小鳥-ティット-という可愛らしい識別名。『ラ・ヴィアン・ローズ』も然り。
 どちらも命名者のひねくれ具合がうかがえる。
「姫の皮肉屋はどうも直らんな…」
 苦笑して呟くと、一人の海軍中佐がやってきて、アイフェンに向けて規律正しい敬礼をした。
「長い間、迷惑をかけた。明朝入港する我らの空母がティットを収容するが、その準備を頼む。ニューイヤーパーティーの最中に、働かせてすまないな」
「とんでもありません。それに慣例としてパーティーは盛大に催しましたが、やはり戦闘準備とテロ警戒で、いつものようにはいきませんな」
 確かに、パーティーで騒ぐ米兵たちは、どこか心ここにあらずの空騒ぎ的な印象を受けた。
「ドクターは、横須賀から直接湾岸へ?」
「うむ、本陣に戻る時間もなさそうなのでな」
「では朱雀閣下も日本から……出過ぎたことを申しましたッ」
 鋭い眼光で射竦められ、中佐はハッと姿勢を正した。
 アイフェンは黙って格納庫を後にすると、着々と配備の整う基地内を眺めやった。
 新年の祝いに浮かれながら、反面、みなぎる緊張感。
 誰もが数日後に吹き荒れるであろう『砂漠の嵐』を予感している。
「……姫の不在が士気に影響しなければよいが」
 飛び立つ輸送機の機体を仰ぎ見ながら、アイフェンはそっと呟いた。




「あけましておめでとうございます。……そうあからさまに嫌そうな顔することないでしょう。傷つくなぁ」
 出迎えの朱煌のしかめ面に、新藤は苦笑して肩をすくめた。
 そして勝手知ったる周防邸に当然のように上がりこみ、リビングのソファに寝転がっていた高城を覗き込んだ。
「いいご身分ですね。寝正月ですか」
「正月なんてどこも混んでるからな、家にいるのが一番だ」
 高城は起き上がって欠伸をすると、差し向かいに座った新藤の顔にふと見入った。
「顔色が悪いぞ。そんなに忙しいのか」
「いえ、捜査課は落ち着いてます。実は……」
 お茶を淹れにキッチンに行った朱煌に、新藤はそっと顎をしゃくった。
 つまり、朱煌に聞かせたくない話。
 高城はそっと頷いて、朱煌に席を外すよう言いつけた。
「あれだけで言うこと聞きますかね」
 不信満面の新藤に、高城は肩をすくめた。
「さすがに二日連続のおしおき後だからな、今日は朝から大人しいよ」
「…大晦日と元日にンなことやってるの、あなたのとこくらいですよ、きっと」
 呆れられたのか、感心されたのか、新藤の表情では判断しかねる。
「うちのことはいい。…何があった」
「羽生瞳子が今朝、誤認逮捕の民事訴訟を起こしました。まあ、彼女が真実無実であれば、当然なのですが……」
 高城は苦っぽく顔をしかめて、天井を仰いだ。
「今まで本庁に缶詰で、緊急会議でして。とりあえず、僕が引責辞職という形で結論が出たところです」
「お前が?!」
「誰かが責任を負わねばならないことですし、当時の捜査本部長はもう勇退なされた後で、主任だった僕が一番適当なんです」
 ……どうりで、顔色が冴えないはずだ。
「…すまない」
「あなたが謝ることじゃない。それに、僕はもともと好きで警官になった訳ではないですし」
「そうか? お前は結構、充実した顔してたと思ったがな」
 苦笑。自嘲。微笑。
 そのどれでもあり、またどれともつかない複雑な笑みをたたえ、新藤はしばしうつむいた。
「……正直言ってしまえば、警官にさせられたことで、あなたと出会って、救われた」
「……」
「妙に自信家で、強引で、そのクセどっか抜けてて、ガキみたいに人懐こくて…」
 どれも褒め言葉ではないな…と、高城は頭を掻いた。
「―――僕です」
「何が」
「僕が橘唄子が定めた、朱煌の許婚です」
 唐突過ぎて、高城は表情の選択ができないまま、無表情だった。
 だが、次第に鼓動が早まり、十年来の親友に目を見張る。
「朱煌が赤ん坊の頃から、ずっと見てきました。橘会長に報告書を提出する為です。一方的に許婚を命じられ、今までの生活を取り上げられた。だから、僕にとって朱煌は嫌悪の対象でしかなく、彼女がどんな境遇にあろうが、哀れとも思わなかった」
 淡々と語る新藤を、高城は声も無くみつめる。
「僕にとって調査対象に過ぎなかった朱煌は、あなたと出会い大きく変わった。それが、僕の中にも彼女への感情の変化を呼んだ。そして、十六歳になった彼女に、僕は確信した。僕は朱煌を愛せるだろうと……」
「新藤…!」
 やっと声が出る。
 それは憤りの色であったが。
「宣戦布告に来たんです。橘会長はかねてよりあなたも朱煌の婿候補に上げておられたが、あなたとある彼女は、橘会長の理想から少々遠いらしい。故に、僕に何としても朱煌を奪えと命が下った。あなたへの情を断ち切る為にも、今回の辞職は好都合かもしれない」
 唖然とする高城を尻目に、新藤はソファから腰を上げた。
「そうそう。瞳子の訴訟はそろそろマスコミから報じられるでしょう。朱煌には当分テレビを見せないことですね。では、失礼します」
 リビングを出て行く新藤の気配が消えてもしばらく、高城は両手を握り締めたまま動けずにいた。
 だが朱煌をひとり二階にやったままだったのを思い出し、ため息をついてリビングのドアを開ける。
すると、朱煌が玄関から出て行こうとしているではないか。
「朱煌」
 飛び上がらんばかりにギクリとした朱煌。
 高城は眉根を寄せて、朱煌に手招きした。
 悪戯をみつかった子供のように、朱煌はおずおずと近付いてきて、上目遣いに高城を見上げた。
「何企んでた」
「企んでなんてないよ。ただ…」
「ただ?」
「外に、不審な車がいるから…確かめて…こようか…と…」
 高城が睨むから、次第に声が小さくなっていく。
「そういうことなら、俺に言え。どうして自分から危ないことに首を突っ込もうとするんだ、お前は」
「ごめんなさい…」
 素直に謝ったことではあるし、三日連続でおしおきも可哀想なので、とりあえず顔をしかめるに止めた高城は、とにかく朱煌を残して外に出た。
 確かに、古びたトラックが周防邸傍らに横付けされている。
 この高級住宅街には相応しくない光景だ。
 近付くと、急にエンジンを吹かしてトラックは走り去った。
「確かに、怪しいな…」
 だが周防邸には国際スター夫妻の屋敷らしく、一流のセキュリティー会社のシステムが設備されているから滅多なことはないだろう。
「あれ~高城さん、どうかなさったんですか~」
 間延びした声に、一気に緊張感が緩む。振り返ると、姫護がぼやや~んとした空気をにじませて立っていた。




「田舎に帰る?」
「はい~、やっぱり僕、都会って性に合わないみたいですし~、芸能界なんかでやっていけないな~とか思いまして~」
 そうか? 天然キャラとしては上位に食い込むぞ…と思いつつ、高城は痒くなってきた首を擦った。
 このぼややんとしたしゃべり方には、どうにも慣れない。
 まあ、この休暇中は姫護がほとんど戻ってこなかったので、かなり救われたが。
「まあ…その、なんだ。短い付き合いだったが、元気でな」
「はあ~、成子社長が戻られるまでは~いるんですが~」
 いかん。早く縁が切りたい本音が出てしまった。
「ああ、そうか、そうだな。成子達は明後日に帰国だったか」
 早く帰ってこい、成子…。
「おい、姫護。メシは食ってきたのか」
 キッチンから朱煌の声がした。
「こら、あき…」
「はい~。僕、荷物の整理しますから~、部屋に行ってます~」
 姫護がリビングを後にすると、ドッと疲れが出てソファに深くもたれる。
 今の朱煌の言葉遣いが気になれど、ぼややんムードに引きずられて、たしなめるタイミングを逸してしまった。




 何度目かの寝返り。
 昼間の新藤の言葉が脳裏を巡り、ベッドに潜ってみても寝つかれないのだ。
 新藤が橘側の人間。しかも、朱煌の許婚。
 朱煌の祖母である橘唄子は、朱煌をあきらめてはいなかった。
 何故こだわる。
 もしかしたら息子を殺したかもしれない孫に、何故執着する。
 そう。そもそも、あの殺人事件の犯人はどちらなのだ。
 朱煌。それとも…瞳子。
 あの火災の中、朱煌はどうして消えた。
 十年の空白。
 国外にいたのは間違いない。でも、どうやって?
 朱煌の記憶が戻れば、すべては容易く明らかになるだろう。
 だが、真相を知るのか怖い。
 朱煌を失うのが……怖い。
「あなた。眠れないの?」
 隣で横になっていた朱煌に覗き込まれ、苦笑。
「すまんな。お前まで眠れないな、こう寝返りばかり打ってちゃ」
「水割りでも作ってこようか」
「ああ、頼むよ」
 部屋を出て行く朱煌の背中を見送って起き上がり、ベッドの上に胡坐をかく。
 やけに遅い。
 高城は妙な不安にかられて、階下のキッチンに向かった。
 明かりのついたキッチンに、幾人かの人の気配。
 高城はあの時の不審なトラックを思い出した。
 呼吸を整え、そっと細くドアを開ける。
 やはり、朱煌が四人の外国人たちに囲まれ、銃口を向けられていた。
 闇雲に飛び出しては朱煌が返って危険だと判断し、そのまま中の様子をうかがう。
 銃口にさらされながら、朱煌は怯えた空気を微塵も見せない。
 むしろ、せせら笑うように、男たちを見ている。
 刹那、朱煌が深く身を屈めた。
「あき…!」
 今度こそ飛び出そうとドアノブに手をかけた高城は、口を塞がれて引き戻された。
 賊の仲間かと思いきや、背後の気配は姫護ではないか。
「お静かに。今出ては、返って邪魔になります」
 いつもと明らかに違う口調。
 射るような、鋭い眼光。そして、高城を押さえる力。
 身動きできぬままキッチンに目をやると、朱煌がまず一人目の賊の腹に拳を食い込ませたところだった。
 続いて二人目のこめかみに肘打ちを食らわせ、銃を構えなおした三人目に、二人目の賊から奪った銃を放つ。
 サイレンサー独特の銃声の後、三人目は手首を押さえてうずくまった。
 あまりの早業に臆した四人目が後退るのを、朱煌は銃を構えたまま見据えた。
「この私に銃口を向けるなど、己が死刑執行書にサインするも同然ぞ、愚か者共」
 それは四人目に言うでなく、むしろ呟きに近かった。
 朱煌の体が、紅蓮の炎に包まれたようだ。
 反して、凍るように冷たい瞳。
 このままでは、朱煌が銃口の先の男を殺す気がした。
 たまりかねて姫護を振り払い、キッチンに乗り込んだ高城を見て、朱煌が顔色を変える。
 その隙に、手首を撃たれた三人目と慄いた四人目は窓を破って逃走した。
 気を失ったまま残された二人の賊が床に転がるのを、高城が苦々しく見下ろす。
 持っていた銃を持て余し気味におろおろとしていた朱煌を、高城はため息をついて抱き寄せた。



 
 通報によってやってきた捜査員たちに朱煌を任せ、高城は連行された男たちについて、池袋署までやってきていた。
「ダルム派民族同盟?」
 高城がオウム返しに尋ねると、管轄の池袋署捜査員が頷いた。
「ほら、昨年末に橘財団が一悶着起こした国の武装勢力一派だ。祖国の窮状を救わんが為、悪しき金の亡者・橘に生贄を捧ぐ…と唱えてらっしゃるよ。あの娘さんが橘唄子の孫だから、狙ったらしい」
 高城は握った拳を壁に打ちつけた。
 橘…、橘…、橘…! 
 忌まわしさすら感じる名。
 何故そんな血の為に、朱煌の平凡な時間がことごとく邪魔されるのか。
 十年前のあの時も、橘さえ関わらなければ、あんな事件は起こらなかったものを…!
「しかし、感心しねぇな。いくら刑事だからって、セキュリティー切って誘き寄せるような無茶しなさんなよ、高城さん」
 調書をパラパラとめくりながら池袋署の刑事か言うと、高城はいわれない非難に顔をしかめた。
「なんだって?」
「現場検証の捜査員からの報告だよ。せっかくのセキュリティーが切ってあったって。最初は賊の仕業かと思ったが、会社に訪ねたら正規の手続き踏んでシステムダウンされたから、出動しなかったと言ってた…あ、おい」
 やおら刑事部屋を飛び出していった高城を、刑事は唖然として見送っていた。




「こンの…大馬鹿者が――――!!!」
「ごめんなさいッ、ごめんなさいッ、ごめんなさ~~~~~いッッッ!!!」
 膝の上でパジャマのズボンごと下着をひん剥かれた朱煌は、剥き出しのお尻に平手が炸裂する度に悲鳴を上げて仰け反った。
「危ないことに首を突っ込むなと言ったのに、セキュリティーを切って賊を誘い込むとはどういうつもりだ!!」
 情け容赦手加減一切無効の平手の嵐に、朱煌のお尻はお山の紅葉よろしく赤々と染まっていく。
「痛い痛い痛い痛あぁぁぁい~~~~~~!!!」
「痛くしてるんだ! 今日という今日は勘弁ならんッ、徹底的に懲らしめてやるから覚悟しろ!!」
「いやあ~~~~ッッッ!!」
 必死に膝から逃れようと這う朱煌を引きずり戻し、大人しくしていない罰とばかりに、更にきつい平手を据える。
「い゛だ い゛~~~~~ッッッ!!」
「もしものことがあったら、痛いじゃ済まなかったんだ! この痛みをよぉく肝に銘じとけ!!」
「ひいぃッ、も、痛ッ…もう、やあ…ごめんなさいッ、もうしませんッ、許してえぇッ、ごめんなさあ~~~~~い!!」
 泣いて喚いて声が嗄れ始めた朱煌が可哀想ではあるが、心を鬼にしてさらにきつめの平手を三十近く振り下ろす。
 両のお尻の頬っぺたは、真っ赤に腫れ上がっている。
 ようやく平手をおさめた高城は、喚く元気もなくなっていた朱煌を膝に座らせた。
「ひ…うえぇ……うぅぅ、ふぅうぅ…」
 やっと許された安堵ですすり泣き始めた朱煌を抱き寄せて、高城は唇を噛み締めた。
「痛かったな……」
「ん…痛いぃ…」
「頼む…、頼むから、約束してくれ。俺は何の力も無いただの男だが、お前を守ってやりたいんだよ。もう自分ひとりで解決しようとするな、な、約束だ」
 涙でくしゃくしゃになった朱煌の頬に両手を添えて、高城はむしろ哀願するように言った。
「――――もう、お前を二度と失いたくないんだよ……」





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