ラ・ヴィアン・ローズ

第13話【紅蓮】

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     ―1990年―

 新藤が書斎のデスクに差し出した豪奢なブレスレットを見て、橘 唄子はこらえ切れない様子で哄笑した。
「薔薇の紋章! ラ・ヴィアン・ローズ総領姫の証! 将軍ももはや言い逃れできまい。『紅蓮朱雀』は兄と私の孫娘」
 敬愛する兄の面影を血に追い求める唄子。
 これさえなければ『冷酷非情・計算高い女狐』の誉れに恥じない企業家であるものを、「朱雀院」の血を引く「朱煌」が絡むと、らしくもない熱さを発揮する。
 高城からこのブレスレットを預かってかなり経ってしまったが、なかなか唄子に見せる気になれなかったのもそこにある。
 それに……。
「朱煌さまを、どうなさるおつもりなのです」
 さも思いがけないことを言われたように、唄子は目を瞬いて新藤を見上げた。
「引き取るのさ、橘に。いや、朱雀院の姓を継がせる。ラ・ヴィアン・ローズでのあの子も兄を見るようで捨てがたいが、死なれてしまっては元も子もないからね」
 やはり…とため息をつく新藤。
 それに……高城と過ごす朱煌の幸せそうな姿を思い出すと、このブレスレットを唄子に見せるべきではなかったと、思えてならなかった。




 英字新聞に目を通していた朱煌の傍らに、コーヒーを置いたのは姫護だった。
 高城がいないと何かと世話を焼いてくれる彼のお陰で実に快適。
 痒いところに手が届くとは、まさしくこのことだ。
 ふとひとつの記事に目を止めた朱煌。
 昨今巷を賑わせている、イスラム系小国ルマダの隣国ザイエン侵攻による石油危機。
 これにより米国ほか諸外国の緊張は否応なく高まっていた。
 この記事が何故これほど気にかかるのか。
 脳裏に『朱雀』の姿がよぎる。
「あッ」
 やおら新聞を取り上げられて、朱煌は憤然と姫護を見上げた。
「返せよ」
「今晩、黒荻さんもいらっしゃいますし、予習でもなさってはと思いまして」
「……お前が、私に命じるのか」
「出過ぎたことを申しました。お許しください」
 うやうやしく頭を垂れた姫護にフンと鼻を鳴らし、朱煌は上着を片手に席を立った。
「どちらへ」
「出かける。ついてくるな」
 



 イライラする。
 最近、年末の防犯月間とテロ警戒とで高城はろくに帰ってこないし、たまに帰ってきたと思ったら叱られるし(それは朱煌が高校の編入試験をすっぽかすからだ)。
 こんな気分で勉強などできるものか(そうでなくとも勉強する気なんてないくせに)。
「お」
 あれに見えるは黒荻ではないか。
 妙な格好をしている。和服というのか?
 テレビで見た侍のように見えなくもない。
「ま、気晴らしにからかってやるか」
 朱煌は黒荻の後をついて、彼が入っていった門を見上げた。
 そこには重々しい書体で何か書かれていたが朱煌に読めるはずもなく、しかし、中から威勢の良い掛け声や何かが弾き合う鋭く乾いた音が聞こえる。
 門構えもその音も、どこか懐かしい。
 それもそのはずで、ここはかつて朱煌が世話になった、新藤の叔父の剣術道場であった。
 朱煌が妙な格好と評したのは、胴着のことであった。
 心を入れ替え一からやり直したいと望んだ黒荻に、高城が精神鍛錬の場にとここを紹介して早十年。
 熱心に修練に勤しんだ彼は、師範代の免状を取るまでになっていた。
 稽古場を覗いた朱煌は、門下生たちの前で竹刀を振る黒荻に目を輝かせた。
「ほう。できるな、あいつ」
 血が騒ぐ。
 いや、自分が知っているのは、こんなお上品な竹刀の打ち合いではなかったはずだ。
 あの『朱雀』が手にしていた、血塗れの真剣。
 頭の奥で警鐘が響く。
 思い出せ、思い出せ、思い出せ……!
「朱煌! どうしてここに……」
 黒荻の声が朱煌を引き戻した。
 まだ痛む頭を軽く一振りして、朱煌はあくまで小粋に肩をすくめた。
「失った記憶に呼ばれた…ってとこかな」
 黒荻がわずかに顔色を変えたのに、朱煌の悪戯心がうずく。
「へえ? ここもあたしとあんたの因縁の場所って訳」
 やおら朱煌は土足で稽古場に上がり込むと門下生の一人から竹刀を取り上げ、黒荻に向けて顎をしゃくった。
「来いよ。ひとつ手合わせ願おうか」
「こら、靴くらい脱いで…」
「来ないなら、私が行く!」
 黒荻がアッと息をのんだ瞬間、朱煌はすでに懐に飛び込んでいた。
 寸でのところで放たれた下段からの竹刀をかわす。
「思った通り、やるじゃないか。なら、これはどうだ!」
 型は滅茶苦茶な我流であるが、まるで日舞でも嗜むかのような艶やかな太刀さばき。
 隙だらけなのに、一つ一つの攻撃が速くつけいれない。
 まるで・・・まるで、紅蓮の炎。
 傍若無人な侵入者に野次を飛ばしていた門下生たちも、いつしかその太刀に声を失っていた。
「どうした、刃! そんな防戦一方じゃつまらんぞ。本気を出した上で、仲間の前で恥をかきたくないか!」
 黒荻とてこの十年で強くなった。
 いや、十年前だって無抵抗を貫かなければ、ああまでボロボロにはやられなかったのだ。
 それに……朱煌だってわかっているはずだ。
 彼がもはやどんな形であれ、朱煌に手を上げたりできないことを……。
「やれ、刃くん!」
 門下生の中から面をつけた男が一喝した。
「師範、しかし……」
「その天狗はお前の後悔を弄んでいるだけだ。鼻っ柱をへし折ってやるが為となる」
 いくら事情に精通した師範の言葉とはいえ、そう簡単に割り切れるものではない。
「そら、あちらもああ仰せだぜ。言い分は気に食わねぇが…な!」
 不意に朱煌の投げつけた竹刀が、突然のことで避け切れなかった師範の面を直撃した。
「師範!」
 畳に片膝を落とした師範に駆け寄ると、黒荻はさすがに憤りを露わに朱煌を睨んだ。
「師範に謝りなさい! 朱煌ッ」
 いつも遠慮がちな態度の黒荻が見せた怒気に、朱煌はむくてれそっぽを向いた。
「大丈夫ですか、新藤師範」
「ああ、面越しだしな。ま、朱煌さんには後でたっぷり謝ってもらうがね」 
 面を外した男に、朱煌は全身の血が凍りついた。
「し、しししし……」
「はい。新藤ですよ、朱煌さん?」
 立ち上がり、にっこりと微笑んだ新藤。
「な、な、なななな……」
「なんでここにって? ここの師範の叔父も年なもので、私が時々代役に来てるんです」
 こ、この男は苦手だ。
 病院でお尻を叩かれた経験もあるし、それに、この稽古場とこの男の組み合わせには、猛烈に嫌な思い出があるようなないような……。
 ゆっくりと歩み寄って来る新藤から逃げ出そうにも、目が笑っていない彼の微笑に、動けない!
「さて、ここは人目もありますし、離れにでも参りますか」
 言うが早いか朱煌を荷物のように肩に担いだ新藤は、サッサと稽古場を後にした。
「あ、あ、あ……いやあぁ~~~~!!」
 暴れてみるがビクとせず。
 そこへ、黒荻が慌てて追いかけてきた。
 これはおそらく助け舟。
 期待してるぞ、黒荻刃!
「師範! 新藤さん、あの……ッ」
「おしおき免除嘆願なら、受け付けんぞ」
 先手を打たれて黒荻は二の句が次げない様子。
 あきらめるなッ、もっと押せ!
「は、えーと、その……せめて、その竹刀はお預かりしてもよろしいですか…」
 なんじゃそら――――!!!
「てめぇ、もっと気の利いたこと言えねえのか! お前に期待した私が馬鹿みたいだろうが!!」
 喚くだけ喚いてハッと口を押さえる。
 恐る恐る新藤を見ると、ああ!微笑全開!!
「そうだね、竹刀は預かってもらおうか。これでは数がこなせないからねぇ」
 今、さらりと恐ろしいことを言われたような……。




「痛い――――!! 痛い痛い痛い――――ッッッ!!」
 離れの一室で胡坐をかいた新藤の膝に乗せられ、朱煌はじたばたともがいていた。
 新藤が胡坐のせいでちょうどお尻が浮き上がる格好になり、豊かなはずの肉が突っ張っているから痛さ倍増である。
 高城への遠慮でズボンの上からの平手なのだが、それでも二十を超えた辺りから足をバタつかせると返って痛いほどになってきた。
「も、や、新藤…さん、痛いッ、もうやだあ~~~!!」
「もうやだじゃないでしょ。ほかに言うことは?」
「竹刀ぶつかったくらいで大人気ないぞ!! 痛―――――ッッ!!」
「ぶつかったじゃなくて、ぶつけたんでしょうが。それに、刃くんをオモチャにしてるでしょ。悪趣味ですよ」
「ひぃッ、痛い~~~! も、やあ~~~~!!」
「彼は確かに許されないことをあなたにしました。でも、それにかこつけておもしろがるんじゃありませんよ。高城さんが知ったら、なんと言うやら」
 ギクリと振り返る。
「よ、善積さんに、チクる気かッ、痛い!」
「チクるなんて、どうしてそういう日本語ばかり堪能かなぁ。言いませんよ、言わないから、こうして私がお尻をぶって差し上げてるんです」
 差し上げてもらわなくていい! 
 こんなに痛いなら、高城に言いつけられてお仕置きされた方がマシ…ていうか、昔も同じことを思ったことがあるような…て、なんで二択? 
 しかもなんでどっちの選択肢にも、お仕置きがセットなんだ!!
「はい、五十」
パアァァァアンッッッ!!
 一際きつい一発に朱煌は盛大な悲鳴を上げた。
「五十一」
「痛あぁぁぁぁい!! 数言ったんだから、終わりじゃないのかよ!」
「いやぁ、きっと数えるどころじゃないでしょうから、代わって数えてあげたまでですよ。はい、五十二」
「いやぁ~~~~~~ッッッ!!!」
 新藤の親切なカウントは、手加減のないまましっかり百を数えたのであった。

                   




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