ラ・ヴィアン・ローズ

第11話【空白】

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         ―1990年― 

「考えなしよね」
「まったくです。昔からそうなんだから」
「そうそう。偉そうにしてる割に抜けてるのよ」
 テレビの配線をしていた高城は、いい加減イライラしながら成子と新藤を睨んだ。
「うるせえなッ。口動かしてないで手を動かせ、手を!」
 成子と新藤は顔を見合わせて、大げさに肩をすくめる。
「聞きました、成子女史。引越しの手伝いさせといて、あの言い草」
「その上、婚約者連れて転がり込むのが、元恋人の私の家よ。図々しいにも程があるわね」
「大体、結婚結婚て言うけど、未成年の朱煌さんでは保護者の許可がいること、失念してらしたそうですよ」
「ま。法律に疎い警察官」
 ……言い返せない。
 というか、言い返したら最後、倍返しに合うのは目に見えているので、悔しいが黙々と作業に専念する。
 朱煌が病院を抜け出した一件で、一刻も早く手元に置かずにはいられない気持ちにかられた高城は、その日の内に退院させてしまったのだ、が、よくよく考えれば独身寮住まいに連れて行ける訳はなく、急遽寮を引き払い住むところが決まるまで、周防成子邸に世話になることになったのだ。
 家電類は粗方処分したし衣類が少々あるだけで、間借りしたゲストルームは広すぎるくらいだった。
「さすがご夫婦揃って世界に名を馳せる大スターだなぁ。素晴らしいお住まいで。いっそここに住み着いちゃったらいかがです、高城さん」
「あら、いいわね。私は大歓迎よ」
「はいはいはい。成子、これ」
 高城は成子に財布を投げた。
「朱煌連れて、あいつの服とか揃えてやってくれ」
「お任せあれ」
 成子は階下で夕食の支度をしていた朱煌を連れて出かけていった。
 やれやれ、やっとうるさいのがひとり減った。
「おや」
 新藤の呟きに振り返ると、彼は衣類のダンボールを興味深げに覗きこんでいた。
 まずい。
 あの衣類の中に埋めて隠してあった物が、みつかったらしい……。
「これ、なんですか?」
 にっこり微笑んで彼が摘み上げた物は、やはり隠しておいたブレスレットとペンダント。
「あからさまに隠してありましたねぇ」
「あ…いや…その…」
「朱煌さんの所持品ですね」
 ご名答。
 記憶を失っていると判明した時、朱煌の目に触れないように持ち帰った。
 ペンダントの方は、高城があの十年前の日に贈ったピンキーリングを、チェーンに通した物。
 あんな安物を大事に持っていてくれたなど、正直嬉しかったが、これはあの日の記憶を呼び覚ます可能性が高く、朱煌に見せたくなかったのだ。
 ブレスレットの方は、金台に大きなルビーとおぼしき赤い石が薔薇の形にカットされ、その周りの葉はエメラルドだろうか。
 しかし、宝石があまりに大きく金台も手首を覆うほどに豪奢なので、本物かどうかは疑わしい。
「駄目でしょう。そんな大事なもの隠してちゃ。これを調べれば、朱煌さんの現在の身元がわかるかもしれないのに」
 だから隠しておいたのだ……とは、さすがに言えない。
「けど、そんなイミテーションで身元が割れるかよ」
「ざっと見積もって一億」
 思わずキョトンとする。
「本物ですよ。しかも、こんな良質で大粒のルビーやエメラルドを大胆にカットして……細工も見事です。おそらく一点物。一億じゃきかないかもしれませんね」
「そんな高価な物を、たった十六歳の朱煌が?」
「有り得ると思いますよ。彼女に時々浮世離れした所があるのを…?」
 気づいている。
 ドアの前に突っ立ったままだったり、食事中に落とした箸をいつまでも拾おうとしなかったり。
「そう、それ。彼女は普段から人にドアを開けてもらい、落とした物を拾ってもらう生活だった。まるで良家のお嬢様のようにね」
「朱煌が、お嬢様ねぇ?」
 ピンとこない。
 お嬢様育ちにあんなチンピラのような振る舞いができるのか?
 第一、子供の時よりもさらに強くなった気がするが……。
 帰国子女であるのは明白だ。
 しゃべりはするが、読み書きがあやしい。
 だが失踪当時の朱煌はパスポートなど持っていない。
 国外へ渡ったなら、それは密入国であり幼子ひとりでできようはずもなく、つまり誰かが朱煌を連れて日本を出た。
 そんなことを容易にやってのける人物が堅気であろうはずもない。
 その人物が朱煌を育てたのか、それとも、密入国後にお嬢様とやらにおさまったのか…。
「あ・・・」
 そうか。
 瞳子に送金されるあの大金は、朱煌本人か、朱煌を育てた人物がしていることだ。
 でなければ、見ず知らずの女性に送る額ではない。
 しかし何故金など渡すのか。
 やはり真犯人は朱煌で、その罪滅ぼしのつもりなのか。
「これ、お預かりしますね。調べてみますから」
 返答に詰まると、新藤はニヤリとした。
「ははあ、さては今の身元が知りたくなくて隠してた?」
 やっぱりバレた。嫌な男だ。
「駄目ですよ。今の保護者が心配してるといけないでしょう」
「……わかってるよ」
「ま、良かったじゃないですか。朱煌さん、大事にされてたみたいで」
「ああ、まあな……」
「あ、あなたは朱煌さんを憎んでるんでしたね」
 捨て台詞を残して部屋を出て行く新藤を、つい睨む。
 本当に、嫌な男だ!




 空白の十年にどんな生活をしていたのか心配だったが、どうもかなりきちんとした躾けをされていたのが手に取るようにわかる朱煌の行動に、安堵。
 もっと驚いたのは、子供の頃にああまで大人びていた朱煌が、むしろ今こそ、幼いまでの感情表現を見せるようになっていたこと。
 泣いたり笑ったり拗ねたり、甘えることすらある。
 いつもどこか他人と一線を引くところがあったのに、今は…そう、素直なのだ。
 これは記憶をなくしているからなのか。
 願わくば、この十年でそういう風に成長したのであればよいが……。
 ――――ただ、ひとつ文句を言わせてもらうなら、あの破天荒で危なっかしい行動力も、躾け直してくれればよかったのに。
「あのな……絡まれたからって、いちいち相手にしてたら、敵が増える一方だと思わんか」
 高城の前に正座させられた朱煌は、小首を傾げてにこりと笑った。
 ため息。
 記憶がなくてもこういう反応が自然に出てくるということは、こうすることで相手が許してくれていたのがうかがえる。
 甘い、甘いぞ、現保護者。
「笑って誤魔化すな」
 やはり思いがけない対応だったらしく、朱煌はしゅんとうつむいてしまった。
「喧嘩の罰だ。ほら、お尻」
 びくりとお尻を庇うように手を添えた朱煌の目が、早くも潤んでいる。
 あ、まずい。人のことが言えなくなりそうだ。
「だって…あたしが悪いんじゃないもん」
 ……今、思わず許してしまいそうになった自分が悲しい。
「そりゃ絡む方も悪い。だが、それを病院送りにするのはもっと悪いの。ほら、さっさと来い」
 ポンと膝を叩くと朱煌はおずおずと立ち上がり、直後、脱兎のごとく廊下に向けて走り出した。
 唖然とした高城だが、状況が飲み込めると怒りを新たに逃げる朱煌を追いかける。
 すばしっこい朱煌だが、高城だって刑事だ。
 数分の鬼ごっこの末になんとか捕獲。
 小脇に抱えてズボンと下着をひん剥くと、朱煌が「ごめんなさい」を連呼した。
「いまさら遅い! 喧嘩で五十! 逃亡五十! 合わせて百叩きの刑に処す!」
「いやあ~~~~~!!」
 バシンバシンと平手を据える音が響く傍らを、家主の成子が肩をすくめて通り過ぎていった。




「僕、朝からご飯だと胃にもたれるんだよなぁ。それにだし巻き卵より、甘い玉子焼き食べたい」
「うるせえ。人の作るモンに毎度毎度ケチつけやがって。そもそも日々の糧を得られることを感謝しやがれ」
「ちゃんと働いてるもん。食べたいご飯食べられるくらい」
「それが贅沢だってんだ! 世界にゃ馬車馬のように働いても一日の食事にありつけない人間だって、ごまんといるんだぞ。黙って食わねえと承知しねぇぞ」
 朝の馴染みの風景に、高城はため息をついて新聞から顔を上げた。
 先程から不平を鳴らす成子の夫・虎丸対家事担当の朱煌。
 ふたりはどうも波長が合うらしく、初対面の時から一事が万事この調子であった。
 今のやりとりそのものは朱煌の言い分が正しいし、意見としても立派だ。
が、惜しむらくは、昔も散々注意してきたチンピラ言葉。
 好んで着る服装も常にボーイッシュな(ボーイッシュと言えば聞こえはいいが、実際に男物の股上の浅いジーンズやシャツばかりだ)スタイルばかりなので、パッと見は長髪の少年である。
 一緒に生活を始めてそれがわかってくると、ふと疑問に思ったのが再会した時の朱煌の格好。
 落ち着きのあるベージュのスリーピースで膝丈スカートは女性らしいマーメイドライン。
 昔はもちろん、今の朱煌も好んで着るとは思えない。
 そこから導き出された、不愉快な結論。
 それは朱煌が高城に会う為に公園に来たのではない……ということ。
 おそらくは遠くから眺めて立ち去るつもりだったのだ。
 その為に、高城が朱煌に対して抱いているイメージとかけ離れた服装と念入りなメークで固めた。
 いわば、変装だった。
 昨日それをボヤいていたら、成子は高城の推論に苦笑しつつ、「きっとあなたに会う為にめかしこんで来たのよ」と、明らかな慰めの言葉でお茶を濁した。
「虎丸! 早くなさい。マネージャーが車で待っていてよ」
 出掛ける支度を済ませた成子がダイニングへやってくると、虎丸が飛びつかんばかりに(実際飛びついたのだが)彼女にキス。
「なぁりちゃん、大好き。愛してるよ」
「はいはい」
「成ちゃん、成ちゃん、成ちゃん」
「はいはい、わかったから。もう行かないと収録に遅れるわ」
 朝のいちゃつきモードもいい加減見慣れた。
 まあ成子の方は甘ったれの弟でもあしらっている風だが。
「じゃ、朱煌ちゃん、そゆことで。いってきまぁす」
 ひらひらと手を振った虎丸は結局、朝食を手つかずのまま成子に急かされてダイニングを出て行ってしまった。
「こンのバッカ野郎! もうてめえの分は作ってやんねえからな!!」
 玄関まで届きそうな声を張り上げた朱煌に、高城は咳払いした。
 びくりと首をすくめた朱煌だったが、ふと小首を傾げて考え込んだ。
「………なんで怒ってるの?」
 これだ。
 自覚のないこと甚だしい。
「また虎と喧嘩してたろ」
「あれはあっちが悪いんだよ? ずっと聞いてたんだから、あなただってわかるでしょ」
「内容はな。俺が注意したいのは、お前のあの荒っぽいしゃべり方」
 朱煌は少しむくれたようにそっぽを向いた。
「女の子だからって? そんなの男女差別じゃないか」
 頭が痛い。
 五歳の時とまるきり同じ反論を。
 大きくなったのは外見だけで、思考展開は成長していないのではないか? 
 おまけに反省の色なしときている。
 本当ならこの場でお尻をぶってやりたいところだが、記憶がない以上初めての注意であるし、先程の不愉快なモヤモヤを引きずっているので、八つ当たりも含んでしまいそうでなんとかこらえる。
「……とにかく。そのチンピラ口調は改めなさい。今度は問答無用でお尻三十だからな」
 ウッと声を詰まらせてお尻に手を回した朱煌は、渋々ながらこくりと頷いたのだった。




 担当事件も一段落して新宿署を出ようとしていた高城は、受付の巡査に呼び止められて、客が待っていると告げられた。
 見ると長椅子に二十歳くらいの青年が突っ立っている。
「えーと、君は?」
 声をかけると青年は驚いて振り返り、傍らの観葉植物をひっくり返してしまった。
 さらに慌てる彼に苦笑して、巡査を呼んで後始末を頼む。
「す、すいません…」
「いや。ところで君は?」
「あの~実は、僕、今度お陰様をもちまして周防プロからデビューさせていただくんですが……、上京したばかりで住むところも決まってない状態で…それで成子社長にお電話しましたら、社長のお宅でしばらくご厄介になれるということで、でも右も左もわからず、そしたら成子社長が……」
「もういい、わかった」
 高城は少々イライラしつつ、青年の言葉を遮った。
 なんとも要領を得ない話し方をする奴だ。
「つまり、俺が周防邸まで案内してくれると、成子が言ったんだな」
「そうなんです」
 なんだか疲れを覚えながらも青年を促し歩き出す。
 それにしても成子も一言言っておいてくれればいいのに。
 今日は早く帰れそうだから、不動産屋に寄って物件を色々見て回ったりしたかったのだが……。
 まあ、朱煌との新居なのだから、今度の非番にでも朱煌と一緒に探すのが一番か。
「俺は高城善積。女房と一緒に周防邸に居候してる身だ」
 婚約者というとまどろっこしいので、朱煌を「女房」というのはいつものこと。
 新藤あたりに「図々しいですね」と呆れられているが、毎日のように朱煌のご飯をありつきにきている男に、言われたくない。
「えーと、僕は…姫護コウです~」
 自己紹介まで間延びした姫護を伴い、高城は成子邸へと向かった。




「待ちやがれ! この三文俳優があぁぁぁッッ!!」
 高級住宅街の一角とは思えない怒号が、国際的スター夫婦の屋敷から聞こえる。
 思わず玄関を開けたくなくなった高城がノブを握ったまま額を押さえていると、姫護がキョトンとしている。
 ああ、開けたくないが、彼をこのまま待ちぼうけさせておく訳にもいかず、思い切って扉を開け放つ……と、逃げ回る虎丸を朱煌が追い掛け階段を駆け上がっていく。
「てめぇ、ちょこまか逃げんな!」
「だって止まったら、ぶっ飛ばされるも~ん」
「当ったり前だッ、てめぇのせいで善積さんに怒られたんだぞ! きっちり落としまえつけてやらぁ!」
 目眩がする。
 傍らで姫護に「賑やかでいいですねぇ」などとコメントされてしまうと、ますますもって情けない。
 ともあれ姫護をリビングに通して、重い足取りで二階へ上がると朱煌が吹き抜けの廊下の隅に虎丸を追い詰めたところであった。
「いや~ん、朱煌ちゃんてば怖~い。こんなとこ善に見られたら、また叱られるよぉ」
「善積さんは今日遅くなるって言ってたんだよ。まあ、安心しろよ。仕事に支障のない程度に痛めつけてやるからな」
「あん、ご親切。と……善」
「そんな手に……引っかかるか!」
 ブンと振り上げられた朱煌の拳を高城が掴むと、彼女は背後からでも青ざめているのがわかる程、ぎくりと硬直してしまった。
「虎。下行ってろ。客が来てる」
「はいは~い。んじゃ朱煌ちゃん、ご愁傷様~」
 虎丸が軽やかに階下に下りて行くと、固まっていた朱煌が意を決したように振り向いた。
「あ、あのね…」
「…問答無用」
 あっという間に朱煌を小脇に抱えると、まずはズボンの上から強烈に一発。
「痛――――いッ!!」
 次いで下着ごとズボンを引っぺがし、ばっちり赤い手形のついたお尻に、立て続けに平手を据える。
「やッ、あッ、いたッ…ふえッ! あ~~~~~ん! 痛いよ、痛い~~~~!! ごめんなさあぁ~~~~~い!! ひッ、痛ッ、ちょ、ちょっと、ちょっと待ってよぉ! もう三十超えてる~~~~!!」
「ほう、数えられたか。まだまだ余裕だなぁ」
 そういう間も振り下ろされる平手は止まることなく、朱煌のお尻は燃えるような熱さと痛みで赤々と染まっていった。
「約束を破ったばかりか、俺の目を盗んで仕返し行為に及ぼうってんだ。追加は当然だろう」
「一体いくつ叩くつもりなのさ~~~~!!」
「そんなこと……」
 ――――バシイィィィィン!! 
 一際きつい一発を見舞って盛大に悲鳴を上げた朱煌に、高城はゆるゆるとかぶりを振った。
「可哀想でとても言えねぇなあ」
「―――――い・・・いやあぁぁぁぁ~~~~~!!!」




 トコトコとリビングにやってきた虎丸は、帰っていた成子に熱い抱擁とキスをして、ソファに座る姫護に笑いかけた。
「ドクター、だよね。それ、特殊メイクってヤツ?」
 姫護も微笑む。
「姫護とお呼びください。ハリウッドの技術は我々の世界でも大変有意義に活用されていますよ」
 彼らにコーヒーを淹れた成子がドアの外を気にするような素振りを見せたので、虎丸がクスリと笑った。
「平気。あの調子だと、しばらくは降りてこないよ」
「ンもう。虎丸もあんまり朱煌ちゃんをからかわないの」
「だあって、『朱雀ちゃん』の出てこない『煌ちゃん』て、おもしろいんだも~ん」
 クスクス笑ってコーヒーを飲む虎丸に苦笑してから、姫護が静かに口を開いた。
「マダム・アクトレス、こちらにおいていただく許可をいただき、感謝します」
「あなたは『姫護』ですもの。私はあの子を守ってくれる人間なら、誰でも受け入れるわ。あの子が平凡な幸せの中にいられるのなら、どんなことでもしてみせる。……後悔の偽善と言われても、構いはしない……」
 天井を仰ぎ、そっと目をつむった成子は、改めて険しい表情で姫護を見た。
「だから、記憶を戻す手伝いはしませんわよ」
「…マダム・アクトレスから伺ったお話から考えますに、あれは記憶喪失というより、記憶を封じた…ということではないかと。つまり、周囲がどう動こうが、すべてはあの方のお心ひとつかと思われます」
「では、記憶が戻れば連れ戻すおつもり?」
 しばし重い沈黙の後、姫護はゆったりと首を横に振った。
「すべては……あの方のお心のままに」







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