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ラ・ヴィアン・ローズ

第8話【求婚】

 ←第7話【報道】 →第9話【炎上】

                     ―1980年―

 定期以外の緊急報告に訪れた青年を豪奢な書斎のデスク越しに見上げ、老婦人はいささか落胆の色を隠せない様子でため息をついた。
「あの高城善積が脱落しようとはね。あの子の傲慢で不敵な気質は、橘家の……いえ、朱雀院家の当主の片腕として見込みありと思っていたのだけれどね」
「いえ。まだ脱落と一概には申せません」
「失地回復…かい。まあ、孫はまだ幼い。そう性急になることもないのだがね。それに……」
 デスクの前に佇む青年に、にやりと口端を吊り上げて見せる。
「高城善積が駄目なら、元々の許婚たるお前が、孫の伴侶として朱雀院の名を継いでくれれば、なんら問題はないのさ」
 青年は黙って老婦人の背後に飾られている肖像画を眺めた。
 肖像画の中には、旧大日本帝国海軍の白い正装をまとい、将官の階級章と勲章が輝く、非の打ち所なしと言えよう美丈夫が描かれている。
 老婦人の妄執の源。
それを眺める青年にとっては、嫌悪の対象。
 この若き将校の亡霊を蘇らせる為だけに、青年は親族の中から選び出され、生まれたばかりの赤ん坊の許婚を命じられたのだ。
 それを聞かされた日から、もうすぐ六年が経とうとしている。
 当時、青年は十九歳。通う大学には、恋人もいた。
 青年の生家たる新藤家は、戦前栄華を誇った華族・朱雀院公爵家の守刀の家筋。
 戦後斜陽の一途を辿った華族とはいえ、その主従関係が廃れたわけではなかった。
 朱雀院家には、旭‐あきら‐という若き当主と、唄子という妹がおり、唄子はもうひとつの守刀、橘家の当主の元に嫁いだ。
 朱雀院 旭は、戦時下において寵児といえる稀有な才能の持ち主であり、戦死と言えない死を迎えるまで、軍神よ英雄よと称えられた男である。
 その妹だけあって、唄子は橘家の財産を基盤に戦後の経済界に進出し、高度成長期の時流に乗って、今の橘財団を立ち上げたのだ。
 それだけであれば、青年にとって老婦人唄子は尊敬に値する人物であった。
 だが彼女は朱雀院家の血に固執する。
 自分の子供に敬愛する兄の面影・才幹が見出せないと、さらにその子供……つまりが自分の孫にそれを求めた。
 そして生まれた……朱煌。
 朱雀院 旭そのままの面差し。
 それだけでも唄子を魅了するだろうに、加えて、あの幼子とは思えぬ性質。
「まったくねぇ、兄さまをたぶらかしたあの遊女の娘が、もっとも理想的な血を生み出してくれるなど、皮肉なものだよ。近過ぎる血が懸念の元であったが、今のところ、良い結果しか出ていないのは、喜ばしいことだ」
 良い結果…ね。
 朱煌の許婚、新藤は反吐を吐き捨てたい思いを無表情に押し殺した。
 旧家といえ次男の気楽さで、将来の夢もそれなりにあった。
 それを中断させられて、シカゴに。
 朱雀院の名を継承する乳児の許婚とはすなわち、その守刀の役割を担うからだ。
 こんな茶番に振り回されて、過酷な境遇に孤独を深める朱煌を守ってやりたいなどと、これっぽっちも思わなかったが……。
 母子が新宿に移った時、唄子はもうひとりの許婚候補に目をつけた。
 かつて朱煌の母を息子と争った、高城善積。
 息子と同級生である彼を、唄子は昔からいたくお気に召していたのだ。
 高城は必ず朱煌と接触する。
 そう読んだ唄子は、新藤にICPO研修帰りという経歴をでっち上げ、その財力で高城の傍においた。
 偽りの親交。
 そして高城は、唄子の読み通りに朱煌と接触したのだ。
 それでも……高城に出会ってから見える朱煌の著しい変化に、新藤のささくれ立った感情は、軟化しつつあった。
 第一、 高城が朱煌と結ばれてくれれば、このお粗末な三文芝居から解放されるのだ。



  
 長い一週間だった。
 芸能ニュースの移り気の早さで、寮の前にマスコミの姿はもう見当たらない。
 成子のプライドの高さから見て、自分から連絡を入れてくることはないと踏んで放っておいたのが功を奏し、彼女はついに記者会見を開くことなく、報道は下火になったのだ。
 もしもこちらから連絡して喧嘩にでもなったら、ムキになった成子は婚約発表でもやらかしかねなかったことだろう。
 まったく、散々だった。
 実家の兄が報道の真偽を確かめるべくやってきて、謹慎中なのがバレてたっぷりと絞られたりもしたし。
 そして……瞳子。
 電話しても、高城だとわかるとにべもなく切られてしまう。
 ――――朱煌は、どうしているだろう。荒れた瞳子相手に、辛い思いをしていなければよいが……。
 今日出勤すれば正式に処分も終わるので、会いに行くつもりだ。
 なにしろ、今日は朱煌の誕生日なのだから。
 朱煌に会いたい。
 朱煌の声が聞きたい。
 あんな小さな子供の一挙一動が、何故こうまで高城の心を揺さぶるのか。
「用意できましたか。まだ潜んでいるゴシップ誌の記者がいるでしょうから、署までご一緒しますよ」
 ノックと共に姿を見せた新藤に、ああ…と頷いて見せる。
 それにしても……昔から高城は友人に恵まれていると思っていたが、彼ほど苦言をくれる者はいない。
「なあ、新藤」
「何か?」
「お前ってさぁ、いい友達だよな」
 ふと口元に苦笑をなぞらえた新藤の複雑な胸中を察することは、高城にできようはずもない。
「何言ってるんです。今頃気付いたんですか」
 サラリと言ってのけ飄々としている新藤に、高城はすっかりムクれてしまった。
「お前がそんなだから、感謝する気が起きねえんだよな!」




 買い物をしていたら、すっかり遅くなってしまった。
 朱煌はアパートだろうか。瞳子もいるかもしれない時間なので、少々足取りが重い。
 先刻買ったばかりの朱煌の誕生日プレゼントを、ポケットの中で確認するように握り締めた高城は、あの公園の前で、ふと耳を澄ました。
 ああ…ブランコの音。初めて朱煌と出会った夜を思い出す。
 そっと覗くと、ブランコをこぐのは果たして朱煌であった。 
 もう誰もいない公園。頼りなげな外灯の下、ぼんやりとする朱煌の背中に近付くと、キュッとブランコの鎖を握る。
 ハッとした朱煌は後ろを確かめもせず逃げ出した。
 それが高城だと感づいての行動かと思うと、切なくなって唇を噛む。
「待ってくれ。……頼む」
 哀願色の声が意図せずに出て、自分でも驚いた。
 しかし、そのお陰で朱煌はその場に立ち止まってくれる。
 振り返ってまではくれないが……。
「……何か用?」
「お前に会いたいからきた。それじゃ、駄目か」
「母さんを懐柔するのに、あたしの力が必要? 生憎だけど、あたしじゃ無理だよ」
「そんなんじゃない! 俺を見てくれ!」
 半ば強引に肩を掴んで向き直らせた朱煌の射るような目に、思わず息をのむ。
「触るな。あんたなんて嫌いだ」
「朱煌……」
「あんたなら…ずっと傍にいてくれるかもって……そう、思ったのに……! 家族になれないなら…、いつか離れていくんなら、もうあたしにかまわないで!!」
 朱煌の心の慟哭が聞こえた。
 『家族』への憧れ。
 こんな幼い少女が、愛に飢え、絆を渇望している。
「……期待して、裏切られて、傷つくのは嫌なんだ……。だからもう、あたしに関わらないで……」 
 たまらず朱煌の小さな肢体を掻き抱く。
 失いたくない。
 この少女を…朱煌を失うなど、もう会えないなど、考えられない。
「約束、しようか」
 高城はポケットから小箱を取り出した。
 蓋を開けると、中身は小さなサファイアのついたピンキーリング。
 朱煌に何を送ろうか考えていた時、誕生石を身につけていると魔除けになるという婦警の話を聞いたのだ。
 だから、サファイアの石のついたピンキーリングを買った。
 店員にサイズを聞かれて思案し、大人用のピンキーリングならぴったりのはずと考えたのだが……。
「ああ、やっぱり。ちょうどピッタリだ」
 高城はそっと朱煌の指にリングをはめて、ホッと安堵した。
「何?」
 キョトンとして左手の薬指を彩るピンキーリングを眺める朱煌に、つい苦笑い。
 大人びて博学な少女だが、やはり六つになったばかりの子供なのだ。
「わからないか? 結婚をね、申し込んでるんだ」
 困惑する朱煌の顔が次第に紅潮してきて、なんとも可愛い。
「かッ……からかうな! 子供だと思ってバカにして……ッ」
「本気だ」
 そっと背中から抱き寄せる。
「今日で六つだな。後十年、返事は待つさ。十年後の今日、この公園で待ってる。それでお前が来たなら、その時こそ俺たちは『家族』になろう」
 朱煌は黙って薬指のリングを見つめていたが、やがて自嘲めいて口端を吊り上げた。
「これ、サファイアだよね。ね、朱紫って言葉、知ってる?」
「……いや?」
「朱は正色だから善。紫は混色だから悪って意味だって。あたしの名は朱。でも誕生石は青。朱と青の混色は、紫なんだよね……」
 素直に喜びはしまいとは思っていたが、どうせなら、もっと子供らしいごたくを並べて欲しいものだ。
「嬉しいくせに、屁理屈言うな」
「別にッ……嬉しく、なんか……」
「ほら、照れてる」
「バカ!」
「……朱が善、か。いいな。俺の名前とおそろいだ。どうせなら、そっちを喜べよ」
 ついにクスクスと笑い出した朱煌に、心からホッとする。
 にわかに拍手の音。
 弾かれるように振り返ると、公園の門に瞳子と……朱煌の父、橘が立っているではないか!
「橘……!」
「久しいな、善。君の守備範囲は昔から広範囲だったが、まさか六つになったばかりの子供までとは、いやはや、感服だよ」
 皮肉っぽく口を歪ませていた橘は、拍手の手を止めて、朱煌に差し伸べた。
 腕の中の朱煌が体を強張らせたのがわかる。
 その視線を追うと、瞳子の冷たい目にぶち当たる。
 するりと高城の腕を擦り抜けた朱煌はとぼとぼと父の元に歩を進め、礼儀正しく頭を垂れた。
「…お久しぶりです、お父様」
「うむ。善、残念だが今の求婚は私が許さない。この子は橘の人間だからな」
 言い返したいのは山々だが、刺すようなと瞳子の視線が息苦しくて、言葉が出てこない。
「朱煌、今日はお前に大事な話がある。お母様と、先にアパートに戻っていなさい」
 朱煌は物言いたげに高城を見たが、きゅッと口を一文字に結ぶと、瞳子の背中について姿を消した。
「最近、君が瞳子に接近していると耳にしてね」
 朱煌の背中を見送って唇を噛んでいた高城は、橘の声に我に返った。
「君にしては野暮なやり方だな。朱煌にちょっかいを出して、瞳子の気持ちを揺さぶろうなどと……」
 沈黙を守る高城に、橘が目を丸くした。
「本気で朱煌を?! ……とんだ心変わりもあったものだ。だが、生憎だな」
 ニヤリと橘は肩をすくめた。
「先日の親族会議で決定してね。朱煌は正式に橘の本家で引き取ることになった。もう許婚も決まっているそうだよ」
 高城はしばし愕然とした。
 そうなれば、もう会うことすらままならないではないか。
「なんで、今更……」
「さあね。橘当主の母の意向だ」
「お前の意思じゃないのか?!」
「妻も娘もいるからね。できれば、いらぬ火種は持ち込みたくないのだが……」
 何ということ。
 地位も財産もあり、何より実の父親の元へいけるのなら、朱煌の為かもしれないと、そう思いかけていたのに。 この男は朱煌を厄介事としかとらえていないのだ。
 そんなところへ朱煌をやったら、ますます孤独を深めるだけではないか!
「そんな目で見るなよ。恨むなら母と、彼女の懐刀を恨んでくれ。そもそもあの男が……ああ、善」
 橘はまるで哀れむような視線を高城に投げかけた。
「お前はどうも、親友というヤツに運がないらしい。一度お祓いでもしたらどうだ」
「なんだと?!」
「おっと、私も忙しい身でね。この件を片付けたら、すぐ本社に戻らねばならんのだよ。では、失礼」
 ヒラヒラと手を振って、朱煌と瞳子の待つアパートへ姿を消した橘。
 ―――――――そして、ついにあの瞬間が訪れる……。



                           



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