フォスター家【オルガ番外編】

スケッチ2

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 そりゃあ、言いつけられた仕事を数日もの間そっちのけで、野山でウサギやキツネを追いかけてスケッチに夢中になっていた私が悪いと今でも思う。
 そうは思えど、あのお仕置きは堪えた。
 父に嫌というほど丸出しにされたお尻を引っ叩かれたのだ。
 いや、それ自体は幾度も経験済みのことであったのだが、その日は私が世話を怠った畑の前に引っ立てられて、萎れかけた野菜の苗をスケッチさせられた。
 父は私の分担だった畑の手入れを、おそらくわざと、一切手を出さなかった。
 カラカラに干からびた畝(うね)に、力なく横たわる苗たちを、ジンジンとヒリつくお尻で、幾枚も描かされた。
 悲鳴すら枯れ果てたような苗たちを描く木炭が、幾度も止まった。
「ぅ。ぅう。ううぅ・・・」
 いつしか大粒の涙がこぼれ始めた頃、父が私の手からスケッチブックと木炭を取り上げたのだ。
「・・・上手だ。でも、もう終いにしような?」
 ~~~。
 ああ、ダメだ。
 あの、申し訳なさそうな父の顔を思い出すと、胸が引き絞られたあの日を鮮明に思い出してしまう。
 小さな小さな頃から私が描く絵に目を細めて人一倍、全力で褒めてくれた父。
 生まれ育ったあの農村部では手に入らないスケッチブックなどという高価なものを、野菜を売りに出た先で買い求めて与えてくれた父。
 私がすぐにスケッチブックいっぱいに描いてしまうから、その都度、新しい物をお土産に買って帰って来てくれた父。
 父は私の描く絵が好きでいてくれた。
 それなのに、その父に言いつけられた仕事を放って、分担の畑をダメにして・・・。
 うんとぶたれたお尻が痛かった。
 だが、それ以上に、そっと私からスケッチブックを取り上げた父の。
 そっと浮かべられた悲しげな笑みの方が痛くて。
 絵を描くのが好き。
 でも。
 もう止めよう。
 もう描かない。
 頭ごなしに叱られたなら、そうは思わなかったけれど。
 描かせてやりたいのに、ごめんなという、そんな父の目を見上げてしまったら。
 だから。
 私はそれからスケッチブックを触らなくなった。
 ただただ、言いつけられた仕事を黙々とこなした。
 それなのに。
 モートンという幼馴染が言ったのだ。
「どうして最近、絵を描かないの?」
「どうしてって・・・。家の仕事があるんだ」
 同じ農村部の、ほぼ同格の小作人。
 飼っている家畜の分くらいは、モートンの家の方が上だった。
「そう。でも僕は君の絵が好きだ」
 ・・・正直、苛立った。
 年近の幼馴染。
 そんな彼の夢は、黙っていても叶うのだ。
 彼の夢は両親の農場を継いで、この村で家畜や畑の世話をしながら、自分の父と母のように、子沢山農家になること。
「もっとたくさん、色々描けばいいのに」
 ああ。
 ああ、描きたいさ。
 沸々と、湧き上がるような腹立ち。
「ああ! 描けるもんならね! 描けないくらい忙しいんだよ! わかれよ!」
 つい荒げた声に、モートンという物静かな幼馴染はきっと目を瞬くと思った。
 それなのに。
「・・・わかるけど。絵で身を立てたいって言った君は、言い出したことを成し遂げる人だと思ってた」
 そう、どこか悲しげに言ったモートンが、育った村から出発したと知ったのは翌日のことだった。
 家畜を狼に殺られて借金を背負った家の為に、彼は王都へと出稼ぎに出されたと。
 ギュッと。
 引き絞られるように、胸が痛かった。
 そうだ。あの穏やかで物静かな幼馴染の夢は。
 彼の夢は両親の農場を継いで、この村で家畜や畑の世話をしながら、自分の父と母のように、子沢山農家になること。
「~~~トニー」
 どうか。
 どうか、王都での出稼ぎでモートン家の農場が立て直されますように。
 そうして、いつの日か、あの優しい幼馴染が村に帰って来られて、彼の夢である子沢山農家の主になれますように。
 私は生まれて初めて、人の為に懸命に祈った。
 そして、その晩。
 ずっと触れずにいたスケッチブックを手に取ったのだ。



 そんな幼馴染のトニー・モートンと王都で再会したのは、数十年前だ。
 モートンはその頃、フォスター伯爵家の従僕。
 私はお仕置き画家として、どうにかこうにか社交界に名を知られ始めた頃であった。
 再会場所は、やはりここ。
 この公園だった。
 私は先程まで依頼主の貴族邸で木炭を走らせていたスケッチブックを抱えて、家に帰る前にベンチでぼんやりと公園を眺めていたっけ。
「痛い! 痛いぃ! もう嫌ぁ!」
 耳に残った哀れな泣き声と、人様の仕置姿を絵にして稼ぐ私への、画家仲間からの嘲笑や誹謗が、グルグルと頭の中を巡る。
 それを家まで持ち帰りたくなくて、この公園のベンチで小休止。
 あの頃の私の日課のようなものだった。
「モートン! 見てごらん! お池にあんなに鳥がいるよ!」
 ハツラツとした少年の声に、私は心地良さを覚えて目をつむった。
 さして珍しい姓でもないから、まさか少年が呼んだモートンが、昔、故郷から出された幼馴染だとは思いも寄らず。
「まこと、たくさんおりますねぇ。あれは何という鳥でしょうか?」
 私は呆れてその声を流し見たのだ。
 いい大人の声が、何を言っているのやら。
 あれはどう見たって真鴨だろうが。
「モートンも知らないの? なら、僕が調べて教えてあげるね」
「おお、それはありがとうございます。楽しみに待っておりますね」
 私はベンチに深く沈めていた体を起こした。
 すっかり立派な青年となって、髪もキッチリとセットされているし、お仕着せとは言え上等な身なりのあの男。
 それだけでは気付かなかったかもしれない。
 だが、あの穏やかな声。
 物静かな語調。
 何より、連れている少年を見つめる、優しい目。
 そうだ。
 幼馴染のモートンは、たくさんの弟妹たちをいつもあんな目元で見つめて微笑んでいた。
 そうだ。
 その弟妹たちの素朴な疑問に、自分で考えさせるような答えを返していた。
「~~~トニー!」
 思わずそう呼ぶと、彼は少々目を丸くして私を見たのだった。
 互いに三十路を目前とした私達は、芝生で転げまわるフォスター伯爵家の坊ちゃまを眺めつつ、十数年振りの会話を交わした。
「お仕置き画家の噂は聞いていたよ。絵で身を立てるという思いを成し遂げようとしているのだなと、嬉しかった。私は君の絵が好きだから・・・」
 あの頃の私には、この言葉はキツかった。
「よしてくれ。・・・お仕置き画などで身を立てたかったわけじゃない」
 この時の私は多分、昔、村を出る前日に彼に向けた目と同様の視線を送ったに違いない。
 けれど、彼は笑った。
 クスリと、とても静かに。
「わかっているよ。だから、言っているじゃないか。成し遂げようとしているって」
「・・・本当に描きたい絵は鳴かず飛ばず。先が見えない不安につい、昔のように君に当たってしまったよ、すまない」
「かまやしないさ。先が見えないのなんて、お互い様だし」
 そう言って肩をすくめたモートンは、当たり前かもしれないが、かつて故郷で共に過ごした頃とは雰囲気が変わっていた。
 十代後半でようやく王都にやってきた私と違い、幼い頃からこの地で奉公をしてきたモートンは、仕草一つとっても洗練された都会の男だった。
 そんな彼に、狭量にも意地の悪い気分になったのだ。
「・・・伯爵家の従僕ならば、年俸もさぞかし良かろうね」
「うん、子供の頃は想像もできなかったゆとりを頂いているよ」
「へえ。それなのに、実家を継ぎには帰らないんだ。金の前には、君の夢もひれ伏すか」
 モートンが遊んでいる坊ちゃまを見つめていた目をチラとこちらに向けたので、思わず目を逸らすと、彼は私の発した言葉に対する反省を読み取ったようにクスクスと笑った。
「ひれ伏して良いくらいの俸禄を頂き、借金も返済できたそうで、弟が立派に仕事を継いでくれていると手紙にあった。ありがたい限りだよ。お陰で、私はどうしても成し得たい道を進める」
「・・・成し得たい道?」
 モートンの視線の先には、上等な子供服を泥だらけにして平民の子と戯れているフォスター家のお坊ちゃま。
「・・・あの方を、お育てしていきたい」
 そう目を細めるモートンの、言葉にしない声が聞こえた気がした。
 愛しい。
 可愛い。
 大切。
 大事。
「育ちゆくお手伝いがしたい」
 お手伝い?
 違うだろう、モートン?
 それは、親の目だよ。
 両親の跡を継いで、子沢山農家。
 そんな彼の夢は絶たれてしまったけれど、新しい目標(ゆめ)に、モートンは既に生きていた。
「・・・今度こそ、叶うと良いね」
 そう言った私に、モートンはゆっくりと頷いた。
「漠然とそうなるものだと思っていたことでなくて、ハッキリと自分でそうしたいと思ったことだもの。言い出したことは、完遂してみせるさ」
 その偶然の再会から更に十数年、私達は出会う機会には恵まれなかった。
 だが、私がお仕置き画以外の作品を初めて認められた時、送られてきた花に添えてあったメッセージカード。
―――言い出したことを成し得たね。おめでとう。
名のないメッセージカードに、私は笑ってしまった。
笑っているのに、涙が溢れて、カードの文字がぼやけた。
王都暮らしの先輩モートン、粋なつもりかい?
これ、かなり泥臭いよ。



 そんな彼が久しく連絡をくれたのが、フォスター家先代当主様の肖像画依頼であった。
 十数年振りに会った幼馴染は、また一段と落ち着いた紳士然とした貫禄を持ち合わせながら、やはり、穏やかな空気感そのまま。
 あの時、すっかり大きく(と言うと失礼か? うん、立派な紳士に)おなりのフォスター伯爵の、おや、これはさてはモートンに叱られた後だなと手に取るようにわかる姿が可愛らしくて、ついスケッチしてしまったっけ。
 それを戯れにモートンに渡すと、彼はひどく大切そうにそれを受け取ってくれた。
 あれからまた数年の間、連絡を取り合うこともなかったのだけれど。
 数ヶ月前から、週に一度程、この公園で会うようになったのだ。
 何でも、この国の改革に着手したフォスター伯爵が試験運用として執事にも定期休日を与えてくれるようになり、丸一日のその日を持て余していると言う。
 で、私は好都合の話し相手に抜擢されたようだ。
 嬉しいけれどね。
 まるで、故郷で共に過ごした子供の頃のようで。
 それでだ。
 前述の通り、あれこれ聞かされるわけだよ。
 そして、あの吐露。
「言い出したことは完遂なさいと、そう躾てきたのは私だというのに・・・」
「? 君が言い出したことを違(たが)えるとは思えないのだけれど」
「違えたよ! ご結婚をなされば、もうお尻叩きのお仕置きはしないと約束し、最後のお仕置きとしてお尻を叩いて。それなのに・・・」
 ・・・ははは。
 大人になられたあのお坊ちゃまを拝見したのは肖像画依頼の一度きりだし、私が知り得る限り、あの方は大層ご立派な紳士に仕上がって・・・いやいや、お育ちあそばされていると思ったのだが。
 そのお方が、お、お尻叩きのお仕置きで叱られていたとは。
 かつてお仕置き画家の名で知られ、結構な数のお屋敷のお尻叩きの場面を目の当たりにしてきた私でも、驚きだ。
 と言うか。
 うん。
 笑ってはいけない。
 とは、思うのだけれど。
 あのフォスター卿がご立派な方であっただけに、ダメだ、落差が大き過ぎて・・・。
「笑わないでくれないか!? 旦那様は人様に笑われるようなお方では・・・!」
 珍しく憤慨を露にしたモートンに、私は謝罪の意味を込めて手を振った。
「ち、違う。違うんだ。ふ、ふふ、あはは。ああ、可笑しい」
 ひとしきり笑った私は滲む涙を指でこすって、これまた珍しくむくれているモートンを見遣った。
「私が笑ったのは、君が本当に、言い出したことを完遂する奴なのだなぁと思ったからだよ」
「? 私がこぼした愚痴を、ちゃんと聞いていた?」
「もちろん」
 ああ、いけない。
 まだ喉の奥で笑いが溢れてしまう。
「あはは。私は昔、この公園で君が言った言葉を覚えているよ」
「え? 私は何を言ったっけ」
 決して空とぼけているわけでなく、あれが熱血漢の決意表明でもなかったからこそ、覚えていないのであろう。
 それほど、自然と口をついたことだったのだと思う。
「あのね、モートン。君は、フォスター卿を我が子と思うと、そう言ったのだよ」
 あの時のモートンの言葉そのままではないが、私に届いた言葉に変えて、そう言った。
「え! わ、私はそんな恐れ多いことを・・・?」
「恐れ多い? よく言う。迸(ほとばし)っていたよ。愛おしい。可愛い。大切。大事」
 ふふ。別に勝ち負けではないけれど、いつだって達観したような幼馴染の赤面を見られて、私はつい悦に入った。
「可愛くて仕方ない我が子が自分にだけ見せるおやんちゃに、自分の理想のルールにはめ込んでは育てられないよね?」
「~~~」
「ね、モートン。いや、トニー。君は言い出したことを完遂していると、私は思うよ? 昔は子沢山農家。それって、我が子を愛す親になりたいってことだよね? 少なくとも、私はそう感じたし・・・」
黙って俯いているモートンを眺めて、私はツンと鼻腔を刺激した感情に、思わず空を見上げた。
「その愛する我が子にも、届いていると思うけれどなぁ。怒られるんじゃなくて叱られることの差を、フォスター卿は知っているお顔をなさっていたよ?」
 モートンはそっと手の平に目を落とした。
「・・・だと、良いけれどね・・・」
 きっとそうだよと言い切りたかったけれど、さすがに断言はしなかった。
 けれど。 



「~~~言い出したことは完遂しろと、そう言ったくせにぃ・・・」
 お尻をさする仕草を再開したフォスター卿が浮かべる表情は、まるで幼子。
「・・・フォスター卿は、自分が何も悪くなかったのに叱られたのでございますか?」
 開きかけた口が、一文字に結ばれた。


 つづく


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