ラ・ヴィアン・ローズ

第7話【報道】

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        ―1980年―


 日に幾度もポケットから瞳子の合鍵を取り出して眺める姿は、まるきり子供が宝物を何度も確認する様子そのものであった。
 そうとも。宝物を手に入れたのだ。
「俺がお前のお父さんだ」と伝えたら朱煌はどんな顔をするだろうと考えただけで、クスクスと笑いがこみ上げる。
 これでやっと、本当に朱煌を守ってやれる。
 そう思うと、心の底からホッとした。
 朱煌を二度と孤独の淵に立たせたりしまい。
 朱煌を大切にしてやりたい。
 朱煌を幸せにしてやりたい。
 そう、いつかあの子が年頃になって、愛する男と巣立つ日まで・・・。
「あれ」
 今一瞬、胸の奥の方で嫌な感じがした。
 先程までの幸福感が一変。
 不可解なモヤモヤが、高城の心の臓を刺激する。
「朱煌が・・・ほかの男と?」
 むか。
 まだ影も形もない朱煌の相手の男に、猛烈な不快感。
 気の早い高城の父性が、暴走でもしているのか。
 ともあれ、こう、なんというか・・・胸クソ悪い!!!
「はい。お仕事中にぼんやりしない」
 ぽんと両肩に置かれた手に、高城は飛び上がらんばかりにギクリとして、慌てて合鍵をポケットにねじ込んだ。
「ハッ、新藤主任、何か?」
 デスクから立ち上がり規律に則った敬礼をした高城に、新藤はニコリと微笑んだ。
「新宿駅前で男が暴れているそうです。拳銃を所持とのことなので防弾チョッキ着用の上、直ちに急行してください・・・って、放送あったでしょ。デカ長さんたち、もう行っちゃいましたよ」
「えッ」
 そういえば相棒のデカ長の姿がない。
 あのけたたましい指令センターからのアナウンスを聞き逃すほど、ぼんやりしていたとは。
「申し訳ありませんッ」
 もう一度敬礼して、高城は慌てて刑事部屋を後にした。




 デスクに拳を打ちつけた新藤の表情は、いつも通り静かなままである。
 それが一層、刑事部屋の猛者たちの肝を冷やさせた。 
 そのデスクの前に立たされている高城など、重い空気に窒息しそうだ。
「考え事をしていました、だと? そんな言い訳が通ると思うのか、高城刑事」
 新藤の怒りの原因は、高城のミス。
 駅前で拳銃を手に暴れていた覚せい剤中毒の男と格闘に縺れ込んだはいいが、ポケットから落ちた瞳子の合鍵を拾っている内に取り逃がし、挙句に発砲を許してしまったのだ。
 弾丸はショーウィンドウを割り、その破片で通行人に軽傷を負わせてしまった。
 犯人は相棒のデカ長が取り押さえ逮捕したが、この報告に新藤主任が激怒した。 
「いえ。言い訳のつもりはありません」
「ならば結構。私もこれ以上、君に失望したくはないからね」
 きつい。
 これなら頭ごなしに怒号を浴びせられた方が、気が楽だ・・・と、ついネクタイを緩める。
 大体、このミスが瞳子絡みと見抜かれているのがわかるから、なおさら息が詰まった。
「申し訳ありませんでした・・・」
「もういい。始末書を提出したら、寮に戻って謹慎したまえ。正式な処分はおって通達する」
 やっとこの場から逃げ出せることに心底ホッとしていると、新藤に睨まれてギクリとしてしまった。
 年下のクセに、この威圧感にはどうも勝てない。
 慌てて敬礼して踵を返すと、そそくさ自分のデスクに戻って脱力。
 そっと合鍵を取り出して、ため息をついた。
 我ながら、とんだドジをやらかしたものだと反省している。
 けれど・・・。
「今晩来るだろうなぁ、新藤のヤツ」
 合鍵をもらって浮かれた上の失態を白状させられ、説教されるのが目に見えている。
 憂鬱いっぱいで始末書にペンを走らせていた時、にわかに知り合いの制服組が刑事部屋に押しかけてきて、高城を取り囲んだ。
「おい、善! お前が周防成子の彼氏って、ホントかよ!」
「結婚するんだって?!」
「女優となんて、どうやってお近付きになったんだよ、こいつめッ」
 口々にまくし立てられポカンとしていた高城は、重大な一言があるのに気付いて我に返り、ひとりの巡査の胸倉を掴んだ。
「結婚だって!? なんでそんな話になってんだ!!」
「ワイドショーで今やってたんだよ。お前の写真も出てて・・・。婦警が買ってきた今日発売の週刊誌でも、大きく扱ってるんだ、ホラ」
 高城の剣幕に目を丸くした巡査が、週刊誌を差し出した。
 それをひったくって確認すると、大きく踊る婚約の文字。成子自身と、その左手の薬指の指輪を引き伸ばした写真が載り、高城が指輪を購入した店の店員のコメントまでが、ご丁寧に掲載されている。
「―――――やられた・・・!」 
 店員が証言する通り、指輪は確かに高城が買ったものだ。
 成子本人はノーコメントを通しているが、この熱愛報道を仕組んだのが彼女自身であるのは明白だった。
 成子ほどの女優の婚約騒動なら、彼女が沈黙を守るだけ過熱すると見越してのことだろう。
『お相手の男性は六歳年上の刑事巡査。五年来の交際の末、遅くとも今年中には挙式と見られ・・・』
 高城の名は伏せられているが、写真がバッチリ載っていては意味がない。
「あいつめ・・・!」
 吐き捨てるように呟いて、週刊誌を巡査に叩き返す。
 彼女は別れ話を飲む気など、さらさらなかったのだ。
 指輪をねだったのはこういうことで、先手を打たれた。
 この騒ぎに刑事部屋がざわつき出したが、新藤の咳払いひとつで静まり返る。 
 高城もギクリとした。
 これで今夜のお説教は決定的・・・。 
 違う!
 そんなことはどうでもいい。
「朱煌・・・!!」
 あの子にこれが知られたらと思うと、もはやいても立ってもいられなくなり、高城は刑事部屋を飛び出していた。
 こうして、すべての悲劇へのカウントダウンが始まったのである・・・。




 その夜、マスコミの群れを避けて寮へと戻った高城を待ち構えていたのは、眉を吊り上げ仁王立ちする新藤であった。
 それで思い出す。
 そういえば始末書も書きかけ。
 それに寮での謹慎を言い渡されていたのだった……。
「どこに行ってたんです」
 地の底から響くような声に、思わず首をすくめる。
「いや、その…」
「朱煌さんのところですか」
「あ、ああ…」
「この件を弁解しに、ですか」
 新藤が手にする週刊誌に、さっそく始まったかとゲンナリする。
「弁解も何も、これは成子にハメられたんだ!」
 朱煌はアパートのドアを開けてはくれなかった。
 すでに知られてしまったのだ。合鍵も使えなかった。
 早々と、鍵を付け替えられていたのである。
「僕の忠告を無視して、指輪を送ったりするからですよ」
 先制パンチにぐうの音も出ない。
「ああ、まったくその通りですよ! 私は新藤先生と違って女心に疎いようですからッ」
「ふてくされて。大人気ないですよ」
「は。あなたに比べリゃ、まだまだ子供なもんで」
「そのようですね。子供には子供にお似合いのお仕置きをして差し上げましょうか? 例えば、あなたが朱煌さんにするように・・・」
 新藤が下駄箱脇の靴べらを手にしたのを見て、高城は慌てて壁を背にした。
 この男は、やりかねない・・・・・・。
「冗談ですよ。ただし、冗談で済ませている内に、誠実なる返答を期待しますよ。さあ、部屋へ」
 何故か靴べらを持ったままの新藤に促され、高城は憂鬱な気分で部屋に戻った。




「さて。まずは仕事中に何をボンヤリしてたのか、伺いましょう?」
 ピタリと掌を靴べらで叩いた新藤が言った。
 屈辱だ。
 上司とはいえ、年下の後輩の前に正座させられるなんて。
「別に、なんでも……」
「ほほう。理由もなく職務怠慢で失態を犯すとは、重罪だなぁ」
「瞳子にもらった合鍵、気にしてた!」
 ああ、我ながら情けないくらいの自白の仕方。
「合鍵、ね。で? 成子女史の誕生日プレゼントは、どうしろと言いましたっけ」
「……渡すなって……」
「なのに?」
 そうだ、渡した。
 新藤の忠告に対して、むきになっていた感は否めないが。
 成子も大人なのだし、あれできれいにシャープに、清算したつもりだったのだ。
「手切れ金代わりに指輪を強請られた時点で、おかしいと気付きませんかね、普通。よく反省なさい、反省を」
「してるさ! 朱煌が会ってくれないんで、こたえてるんだゾ! 傷口に塩擦り込むようなこと・・・」
「朱煌さんが…ねぇ」
 手の平に、ピタピタと靴べらをあてがった新藤の微笑が空恐ろしい。
「……わかってるよ、成子だけを責めるなって言うんだろ」
「わかってるじゃないですか」
「わかってるさ! でもタイミングが最悪だッ。瞳子に、なんて言やいいんだ……」
 鼻で笑われて、一気に頭に血が昇る。
「何がおかしい!」
「だっておかしいじゃないですか」
「なんで朱煌さんに弁解しに行ったんです」
 顔をしかめていた高城は、そう言われてやっと自分の行動の奇妙さに気付いた。
 そういえばあの時、朱煌の顔しか思い浮かばなかった。
 とにかく朱煌に知られたくない、知られたなら誤解を解きたいと、必死だった。
「永遠の女性と、弁解などいらないほど心が通い合ってる…というならともかく、心配でたまらないくせに。なんで真っ先に朱煌さんに会いに行ったんです」
「そ、それは……」
 わからない。このしたり顔の親友に言い返してやりたいのに、答えが見つからない。
「あなたは幼い頃の想いに惑わされてるだけなんじゃありませんか? 心はもう、とっくに別の人に移っているのに……」
「馬鹿言え! 朱煌はまだ五つの子供だぞ!!」
 高城の主張をまるで聞いていない様子の新藤は、靴べらを肩に閉めておいたカーテン越しにそっと窓を覗いた。
 噂の刑事を取材すべく、マスコミがひしめいているのが見える。
「やれやれ…。警察寮にこれじゃ困るな。ちょっと注意を促して、そのまま帰ります。ああ、そうそう。上からの正式処分を言い渡します。十五パーセントの減俸に、一週間の謹慎処分」
 振り向き様、新藤は正座する高城のお尻目がけて、靴べらを振り下ろした。
「――――い・・・!」
「……せっかく時間ができたんですから、今度こそ、よく考えて欲しいものですね」
 





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