【オルガ完結章】遠まわりな愛

【end credits n】執事

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 行き交う自動車のタイヤが路面の小石を弾いていく音に紛れて、街路樹に雛鳥の声が聞こえた。
 昨年の夏には、二度と訪れなくとも構わないとさえ思った春も、既に終わりを迎えようとしている。
 こんな風に、穏やかな気持ちで過ごせたことに、感謝。
 この頃はすっかり歩き慣れた道を進みながら抱えていた紙袋を抱き直すと、中身を覗いて確認し、忘れ物がないかを確認する。
 出てくる前にちゃんと確認はしたのだが、これを渡す人をうっかりで落胆させたくない気持ちが、途上で幾度もその仕草をさせるのだった。
 まあ、忘れ物があったとしても、その人は笑顔で礼を言ってくれるであろうし、がっかりなどしはしないだろうが。
 強いて言うなら、狭量な自分の自尊心の問題である。
 さて。
 見えてきた小さな家々が並ぶ路地。
 目的地は、右端から三番目の赤い屋根の家。
 狭い庭先には、洗いたてのシーツや洗濯物がたなびいていた。
 木戸を押し開けてその庭に玄関まで敷かれた石畳を進むと、ドアの前でネクタイを直す仕草をした彼は、休日でノータイだったことを思い出して苦笑。
 気を取り直してノッカーを鳴らすと、すぐにドアが開いて中年女性が顔を覗かせた。
「あら、トニー。いらっしゃい」
「やあ、ロイス。すまないね、何の前触れもなく」
「仕方ないわよ、うちにはあなたのお屋敷のように電話などないのだもの。来てくれて嬉しいわ」
「ああ、これ。いつものスパイス。賞味期限間近ばかりで申し訳ないのだけど・・・」
 幾度も中身を確認した紙袋を差し出すと、ロイスが苦笑して肩をすくめて受け取った。
「とんでもない。うちの悪戯坊主の悪さを未然に防いでくれて、ありがとう」
「はは、卓上用に粉末に磨った胡椒は消費期限がなくとも処分するので、毎回出るからね。まあ、さすがにあの子ももう胡椒爆弾という年ではないだろうけれど・・・」
「いいえぇ、男なんていくつになっても子供だもの。遠慮なく、お尻を引っ叩いて叱ってやってね。ああ、同じ男でもトニーは別格よ」
 別格という言葉が、妙に心地良い。
「あらあら、玄関先で立ち話なんて、ごめんなさい。上がってちょうだいな。ノータイということは、今日はお休みなのでしょう?」
「あ、いや、その前に。この前、井戸の手押しポンプの調子が良くないと言っていたよね? それを修理しようと思って来たんだ」
 庭先の井戸を指差すと、ロイスが目元に笑みを浮かべた。
「まあまあ、せっかくのお休みだっていうのに・・・」
「ははは。どうもこう、働いていないと落ち着かない質でね」
「ふふ。でも、まずは上がってちょうだい。お茶を淹れるわ。あなたのお茶には敵わないけれどね」
 トニーは慌てて首を横に振った。
「君のお茶は美味しいよ。あの安い茶葉でよくあれだけのコクと香りを出せると、いつも感心して・・・あ、ごめん・・・」
 賛辞に安いは失言ではないかと、トニーが俯く。
「もう。謝らなくていいから。ほら、入って、トニー。ちょうどね、スフォールドも来ているのよ」
「・・・・・・え」
 下町の小さな家である。
 玄関をくぐれば、すぐに台所とダイニングスペース。
 応接間などあるはずもなく、来客はこのダイニングテーブルでお茶や食事を振舞われる。
 つまり、玄関先での会話など、お茶を振舞われるゲストには筒抜けだ。
「やあ、トニー。奇遇だね、トニー。まさか、ここで会えるとは思わなかったよ、トニー。まあ、入りたまえよ、トニー。一緒に娘のお茶を頂こうじゃないか、ト・・・」
「スフォールド」
 げんなりと額を押さえたトニー・モートンは、もはや赤面すらできずに大きな吐息をついた。
 今更、踵を返したところで、帰る屋敷は同じ。
 そこでこれでもかと弄り倒される時間を悶々と待つくらいなら、ここで腹を括ろう。
 憮然とした面持ちでダイニングテーブルのスフォールドと差し向かいに腰を下ろしたモートンは、ニヤニヤと自分を見つめてくる頬杖の彼を睨んだ。
「次にトニーと呼んだら、ファビオにあなたが祖父だと言いつけますよ」
「そう来たか。あの子が私を祖父だと知って、弱るのはお前の方ではないかね?」
「お言葉ですが。私の弟子を軽んじないで頂きたい。ファビオはね、あなたの孫だと知ったところで、高飛車になるような子ではありませんよ。むしろ、あなたの名に恥じぬようにと、更なる邁進に励むことでしょう」
 孫の高評価に、目線を泳がせて頭を掻いたのはスフォールドだった。
「この血縁をあの子にひた隠しにしたがっているのはあなたの方で、それは彼の成長云々でなく、単にあなたが照れ臭いというだけでしょう」
 普段は物腰柔らかで大層物静かなくせに、存外ハッキリと物を言うのだから、このモートンという男は。
 まあ、だからこそ若輩の主が舵取りをするフォスター伯爵家が、進路を見失わずに荒波の中も渡って行けるわけだが。
「ロイス、私にもおかわりをくれるかい?」
 自分を既に実父と知る娘が振り返って微笑む姿に目を細め、スフォールドが安手のカップに残っていたお茶を煽った。
「墓場まで持っていくつもりだったのだがなぁ・・・」
「血は争えぬというものですよ」
「いや、ファビオはね、若い頃の私を知るクラウンやお前には、バレても仕方ないかと思う程に姿形が似てきていたから、墓場は諦めていたのだけれど・・・」
 父親の若かりし頃を知らない娘相手なら、誤魔化し切れると思っていたのに。
「あんなにアッサリ言うか? 娘どころか自分の旦那もいる前で」
 苦笑いするしかない顔を、お茶を出してくれたロイスに向けたモートン。
 彼はその場にいた訳ではないのだが、その夜、結構な酔っ払いスフォールドの襲来を自室に受けて、隣室で寝ているファビオから遠ざけようと彼の部屋まで肩を貸したのは、春先のことだったか。



「ロイスはあんたの娘よ~、だとさ。だって、ちっとも浮気させてくれなかったじゃないってさ。だからロイスは正真正銘、あんたの娘よ、だと!」
 ワイングラスを乱暴に振りながらクダを巻くスフォールドの相手を、夜明かし覚悟で付き合った。
「・・・確かめるつもりなんか、毛頭なかったっての。俺はただ、旦那様のご命令で、下町の調査に出向いただけで・・・」
「はい、そうですね」
 こう振り回されてはワインを注げないので、どうにかスフォールドの手からグラスを取り上げてテーブルに置く。
「そしたら、リタの奴が、たまたま旦那と上京してきていて・・・」
「はい」
「あら、スコールド、久しぶり~って・・・」
「はい」
「上がって、上がってって・・・。ファビオの実家に引きずり込まれて・・・」
「はい」
「そしたら、そんなこと言いやがって・・・」
「・・・はい。良かったですね。嬉しかったですね」
 両手に預けるようにした顔が、大きく縦に振られた。
 その手の中にこぼれ落ちているであろう涙は、見ないふりをした。
「リタめ。あの馬鹿。旦那が隣で困って微笑んでいた。まったく、いくつになっても変わらん女だ。男を振り回しやがって」
 ゆっくりと両手が外された顔に。
 涙。
 そして、ポーカーフェイスを得意とする男の至極の笑み。
「モートン」
「はい」
「モートン」
「はい、スフォールド」
 嗚咽から、絞り出されるような声。
「どうしよう。幸せだ。ファビオに、私の血を、ハッキリと感じていた。けれど、断言されて、心から、嬉しかった」
 泣き濡れた師に見つめられ、モートンは彼の言いたいことを察し、黙って首を横に振って微笑んで見せた。
「我ら執事には得難い幸福。それを手にしたからと、背徳感などお感じなさらぬように」
 モートンはテーブルのワイングラスに自分の分のワインも注ぎ、片方をスフォールドに差し出した。
「改めて、祝杯を。私も、心から嬉しく思いますよ」



 と、いう。
 なかなかどうして、美しい思い出候補なのだが?
 そして、スフォールドのあれが正体を無くすほどに酔いつぶれた「フリ」だったのも、わかっているが?
「ふむ。ロイス・モートンとファビオ・モートンね。いい響きではないか」
「~~~スフォールド。私はね、ただ取り留めのない世間話やファビオの話をしながら、ロイスとお茶を飲んでいるだけで・・・」
「その時間が愛しいから、休みの度にせっせとやってきているのだろう?」
「いと・・・」
 柄にもなく声を張りそうになったモートンの背後に向けて、スフォールドが肩をすくめてお茶をすすった。
 ふと振り返ると、ロイスが子供を叱りつけるように両手を腰に置いて、スフォールドに顔をしかめていた。
「もう、スフォールド。トニーをからかわないで。私もトニーも随分な年なのよ。これは茶飲み友達というんです。ね、トニー?」
「・・・そうだね」
 うっかり言い淀んだ間を勘付かれ、またもやニンマリとしたスフォールドに、モートンは知らん顔でカップを口に運んだ。



 それは半年程前のことである。
「実はね、被雇用者の労働基準の明確化を計るに先立って、我が家で試験運用したくてね」
 そう言って執務机から見上げる主に、モートンは懐から手帳を取り出してペンを構えた。
「使用人たちにね、週に一度は完全な休日を設けたいのだ。それから、終業時間もなるべく安定した形態を取れればと思う」
 ペンを握る手で顎を撫でていたモートンは、手帳にいくつか丸を書いて、その間に何本もの線を交差させた。
「・・・火を絶やせない炉を持つ工場など、交代勤務制をとっております。フォスター家の使用人数でございましたら、それを範に日別に休暇を取らせることは可能かと。終業時間に関しましては、現在、旦那様方の御就寝時間が凡その目安になっておりますが・・・」
「もう少し、早めてはやれぬだろうか」
「・・・終業時刻を定めてしまえば、むしろ仕事効率も上がるやもしれませんね。積極的に優先事項を思案するようにもなりましょうし」
 そもそも主の就寝前までのお世話は自分が張り付いているのだし、夕食の後始末が済んだ辺りで終業とさせても、主人に不便を掛けることも・・・。
「モートン」
「はい、旦那様」
「ヴォルフ家でも試験運用をするのだが・・・」
「ヴォルフ家とおっしゃいましても、現状、属する使用人はスフォールドだけにございますよ?」
 もどかし気にじっと見つめてくるフォスターに、モートンは困惑した。
 主人の思いを常に先んじて汲んできた自分がこんな表情をされたのは、仕え始めたばかりのまだ四歳の頃以来だ。
 取って欲しい絵本のタイトルが覚えきれていないアーサー坊ちゃまが、本棚を探るモートンの足元でぴょこぴょこと跳ねてむずがっていたものだ。
「しろいがーがーのごほんよ!」
 アヒルのお話かと思うではないか。正解は「白い背表紙のライオンのお話の絵本」。
 まあ、こういうことも、数日の観察で察することができるようになったけれど。
 どうしたことだろう。自分としたことが、主人が取って欲しい絵本がわからない。
「・・・該当者にはお前も含まれているのだが」
 目を瞬いたモートンに、フォスターが相好を崩して頬杖をついた。
「本当に、お前は自慢の執事だよ。まことの親同様に、私を慈しんで傍にいてくれる。親に休日や終業はないものね。自分を該当させぬのは、当たり前か」
 クスクスと笑う主の声で、モートンは我に返って手帳を閉じた。
「恐れながら申し上げます。私めは・・・」
 ヒラリとかざされた手で、モートンは口を閉ざした。
「モートン、お前が職務に誇りを持っていることもわかっている。わかった上で、頼むよ。後進の為の道を創る手伝いをしてはくれまいか」
 執務椅子から立ち上がったフォスターは、かつて父が幼い自分を眺めていたバルコニーから、父とファビオを遊び相手に嬉しそうに笑っている息子を眺めた。
「私は執事に限らず、被雇用者が自分の人生をすべて捧げることで成り立つ仕事というものを、見直していきたい」
「・・・幾度も申し上げて参りましたが、私は決して自分が犠牲になったとは・・・」
「わかっている。では聞くが、もしお前に定期的に休日があり、終業時刻も決まった形態で私を育てていたら、こんなに愛してはくれていなかった?」
「・・・・・・」
「いつも見透かされてばかりだから、たまには私が見透かそうか」
 少し悪戯っぽい笑みで振り返ったフォスター。
「ありがとう、モートン。私もお前が大好きだよ」
 自分は随分と長い間、古くからの習わしに添って生きてきた。
 けれど、慈しみ育て、可愛くて愛しくて仕方ない主は、真っ直ぐに未来を見据えて歩き始めている。
 ならば、その背について歩いていくのが執事。
 モートンは深い吐息と苦笑を織り交ぜた何とも複雑な表情を浮かべると、黙って頭を垂れた。
 言葉の返答を問い返す必要もないと知るフォスターも、やはり黙ってバルコニーの柵にもたれて庭園を見下ろすと、父と息子、そして未来の執事候補に手を振って微笑んでいた。



「ほら、おいでなさい! ダメだと言ったでしょうが!」
 貧民窟生活のお陰で、格段に一人でできることが増えたヴォルフであるが、それに付随して発揮される好奇心は、初等科男子のそれを彷彿とさせた。
 モートンはすっかり煤けた裏庭のボイラーを見つめて、吐息を漏らして頭を掻いた。
「とりあえず、業者に連絡させて修理しないとな・・・」
 せっかく主がくれた休日ではあるが、やはりまだまだ終日安息というわけにはいかないようだ。
「火遊びなど言語道断! ご覧なさい。ボヤで済んだから良いようなものの、燃え広がれば大惨事ですぞ」
 現場前まで引っ立てられてきたヴォルフが、それこそ子供のように頬を膨らませた。
「遊びではないもの。火起こしならできるから、手伝ってやろうとしただけだ」
「結果、上がり過ぎた炎を使用人任せにして。最後まで責任を負えないのは、遊びと言うのですよ」
 すっかりムクれたヴォルフが、スルリと小脇に回り込んだスフォールドの腕に顔色を変えた。
 持ち上げられたお尻からアッサリと下着ごとズボンを捲られて、モートンがつい首をすくめてしまう程の鋭い音が鳴り響く。
 反して、ヴォルフは一声も上げなかった。
 それはそうだろう。
 あまりに痛くて、悲鳴も上げられない様子。
「~~~ぃ。痛いーーー!!」
「当たり前。うんときつ~いお仕置きですからね、覚悟なさいませ」
「や! 待て、待って! お前は今日、休日だろうが! 労働基準に反するぞ!」
「は? 普段から、私は仕事の一環でお仕置きしたことなど、ただの一度もございませんよ」
 師のおっしゃる通り。
 仕事でお仕置きしたことなど、一度もない。
 だから。
 仕事のつもりのなかったことは、休日だろうがさせてもらうさ。
 今夜は、ロイスに教わった安い茶葉でも香りもコクも満足いくお茶の淹れ方を、主に披露してみよう。
 きっと、あの愛しい主は苦笑を満面に湛えて、淹れたお茶を口に運んでくれるだろう。
 そして、モートンに向けて差し向かいの席を示し、こう言ってくれるのだ。
「お前は休日なのだから、掛けたまえよ。話し相手になってくれないかい?」
 だから、モートンはこう答えるのだ。
「はい、旦那様。御就寝時間まででしたら」
 うっかり浮かべてしまった破顔を恥じ入るように俯いてから、照れ臭そうな苦笑を向けてくる甘えん坊の愛し子は、モートン自慢の主である。





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~ Comment ~

モートンの名前、決まったんですね♪
素敵です。

1回、読むだけでは、『???』だったんですけど、何回か読むと、この話かなり気に入りました。

質問なんですが、ロイス・モートンって、どういうこと何でしょう?
イマイチ理解できなくて・・・  
ごめんなさい(T_T)
教えてください!

大好きです!

御礼

~さま

番外編で出てきた女性を絡めては、わかりにくいですよね、すいませんm(_ _)m

スフォールドの軽い冗談ですので、あまりお気になさらず(^_^;)

コメントありがとうございましたm(_ _)m
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