【オルガ完結章】遠まわりな愛

【end credits T】印璽

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 執務室で紹介状を流し読んだヴォルフが、ポイと床に投げ捨てた。
「断る。あんな口うるさい執事などいらぬわ」
 言うと思った・・・。
 モートンが拾い上げた紹介状を、肩をすくめて受け取ったフォスターは自分の執務机を陣取っている侯爵様の前に、それを再び置いた。
「フォスター伯爵家の印璽も押された、正式な紹介状だぞ。断るのならば高位とは言えども、同じく正式な断り状に印璽をついてフォスター家に届けるのが筋ではないかね?」
 こういう回りくどい儀礼が当然の貴族社会である。
 ならば、とペンを取ったヴォルフが文章の途中でピタリと手を止めた。
「だよね。肝心の印璽がないのだもの。断り状を書いても、正式な物にはならないな」
 その家の主の意と、公に認める印である印璽。
 その印璽の保管場所は主しか知らない。
 全幅の信頼を寄せられる家令にすら、その在処は秘匿された。
 屋敷の転居となれば印璽もまた主の手によって運び出されることになる。
 代々の家柄の貴族が転居など通常はないが、衰弱した浮浪者が病院に担ぎ込まれた際、後生大事に首からぶら下げていた唯一の所持品を調べてみれば、それが印璽で彼が没落貴族の変わり果てた姿だったことが判明したという事例があるくらいだ。
 つまり、ヴォルフがフォスター家を去る際に、印璽も彼と共に屋敷を出た。
 そのヴォルフが赤毛強盗団によって所持品を売り払われた。
 モートンとスフォールドの有能執事たちが手を尽くしてはいるが、それは未だに発見されずにいた。
 王家より爵位を賜った初代から脈々と受け継がれてきたそれを、欠損を理由に再下賜という事態は長い歴史の中で無くもないが、議会内での発言権は無いに等しくなる。
 それが紛失となれば、ヴォルフの草案が通るどころか、議題に乗せることすら困難を極めるのは必定であった。
「お前の為に必死で印璽を探してくれているスフォールドに対して、その言い草はどうかと思うよ?」
「~~~」
 ペンを持った手が大きく振りかぶられた時、いつの間にかヴォルフの傍らまでやってきていたモートンが彼の体を椅子からすくい上げるように抱き上げた。
「わ! 何をする! 離せ!」
 歴たる紳士がお姫様のように抱かれた恥ずかしさでジタバタともがいていると、モートンがニッコリと微笑んだ。
「おお、すっかりお元気になられたようで何よりでございます。手足の力のまあ力強いこと」
「う」
 ピタリと抵抗をやめたヴォルフだったが、モートンの歩みがフォスターに向いていることを察し、また盛大にもがき始めていた。
 モートンが言わんとしていることをわからぬフォスターではない。
 苦笑気味に吐息を漏らすと、執務室の中央のソファに腰を下ろした。
 そのフォスターの行動の意味を、わからぬヴォルフではない。
「ま、待て! まだ治ってない! 治ってないと言うのに! モートンの悪魔! 人非人! 人でなしぃ!」
 既に半べそで喚くヴォルフに、フォスターが咳払いした。
「こら、そこまで。私の大切な執事と、お前の大切な元執事に、そのような罵倒をしてはいけないよ」
 まあ、そう言う当のフォスターも、『それ』の当事者にされていた時は、同じことを脳内で喚いた経験が無くもないが。
 ただ、当事者でないとよくわかる。
「あのね、モートンはこれ以上、お前が叱られる事由を増やさせぬように取り計らったのだよ」
「はあ!? 私は別に叱られねばならぬ、ような、こと、は・・・」
 次第に口篭っていく姿は、成長の証に見えた。
「・・・良い子。自分が癇癪を起こしたことに気付いたね」
 大人しくなったヴォルフをモートンがそっと床に立たせると、彼はソファに掛けるフォスターの前でシュンと上目遣い。
 そんな彼を見上げて、フォスターは吐息混じりに髪を掻き回した。
「ま、私もね、先だって苛立ちで資料をバラ撒いて、モートンからお説教を食らった」
「・・・お前が?」
「うん。お前が急に冷たくなった折り。何を考えているかわからなくて腹が立って、イライラして」
「・・・私のことで?」
「だって悔しかったのだもの。もう見放すまい、手を離すまいと思っていたのに、逆に、見放されて手を振り払われた気がして」
 唖然と目を丸くして、ヴォルフが首を横に振った。
「私がお前を見放すなど、あるわけないじゃないか」
 あまりにまっすぐな親愛の表現に、フォスターは苦笑を滲ませて片手で顔を覆った。
「私だってそう思っていて、その鼻っ柱をへし折られた気分だったよ」
「・・・手を振り払ったから?」
「振り払った自覚はあるのだね」
「振り払わなきゃと思って振り払ったのだもの。お前がしっかりと繋いでくれる手は、勢い任せ程度じゃ解けないから」
 自嘲がこぼれた。
 彼のこの絶大な自分への信頼を、どうして信じずに不安に踊らされたのか。
「ね、ヴォルフ。お前の中で私は大層な人格者らしいが、存外、小物でね。お前が経験にないことをすると、狼狽えてしまうのだよ」
「・・・狼狽えたのか? 私のことで?」
「狼狽えるさ。大切だもの、お前が」
 しばし口を噤んでいたヴォルフは、やがてそっと回した両手でお尻をさすった。
「・・・どれくらい痛い?」
「・・・心配した分だけ」
「じゃあ、ものすごく痛いじゃないかぁ・・・」
 苦笑。
「わかっているじゃないか。良い子」
「・・・良い子なのに?」
「良い子が悪い子だったから」
「・・・・・・ヤダなぁ」
 恐る恐る膝に腹ばいになったヴォルフに、フォスターは躊躇いがちに自分の手の平を見つめた。
 そうしている間に、膝の上のヴォルフが蠢いて背中側のサスペンダーの留め具を外し、怖々、下着ごとズボンをズリ下げる姿。
 同い年の高位の学友を、こうまで愛おしいと思う日が来るとは。
 出会ったばかりの頃も。
 決別を心に誓った大学時代も。
 幾度も送られてくる招待状を無下にし続けた日々にも。
 思いも寄らなかった。
「・・・今から痛いよ? いっぱい、言わせるからね」
「~~~何て?」
「何てだろうね?」
「・・・心配させて、ごめんなさい、もうしません・・・」
「うん」
 ふわりと浮き上がったフォスターの手の気配に、ヴォルフがビクリと体をすくめたのが膝に伝わった。



「ファビオ、こっち」
 ヒラヒラと手を振るスフォールドの元に駆け寄ったファビオは、黙って首を横に振った。
 それを見て、ネクタイを緩めたスフォールドが宙を仰いで吐息をつく。
「そうか・・・。その価値を知らぬ者からすれば、古びた印章に過ぎないからなぁ」
 オブシディアンに聞いても記憶にないようなので、ファビオが赤毛強盗団の収監される拘置所に面談聞き込みに行っていたのだ。
「売れる見込みなしとして処分した物はないかと訪ねてみたのですが、二束三文であれ売れるものは全部売ったと」
「・・・最悪の事態は、今のところなさそうだが・・・」
 それは、蚤の市でその価値を知る者に安価で買い取られていた場合だ。
 ヴォルフ領の収益や契約事が、買い手の意のままになってしまう。
 ヴォルフの失踪から数ヶ月経過した現在も印璽書簡の出回った形跡はないので、恐らくその点は大丈夫だと思われるが。
「さすがにくたびれたな」
 捜索範囲を広げて歩き回ったお陰で、喉がカラカラだ。
「ファビオ、お腹もすいただろう? どこか店で食事して行こうか」
「あ、なら、僕の実家がこの裏手なんです。母の料理で良ければ」
「え」
 スフォールドは目を瞬いた。
 ファビオを見て思うのだ。
 彼には間違いなく、自分の血が流れていると。
 と、言うことは。
 その母親は、自分の実の娘ということで。
「いや、しかし、その。急にお邪魔してはだな・・・」
「平気ですよ。あの人、手際良いから。~~~イッ・・・てぇ」
 出し抜けにピシャリと張られたお尻をさすって、ファビオが顔をしかめた。
「いきなり何するんですかぁ」
「~~~自分の母親を、あの人呼ばわりするんじゃない」
 口を尖らせたファビオがお尻をさすりながら歩き始める。
「こっちですよ」
 どうしよう。
 今なら、やはり急な来訪など不躾だと断れるのに。
 言葉が出ない。
 娘の家。
 娘の手料理。
 そこへ案内してくれる孫。
 どうしよう。
 フラフラとファビオについて行ってしまう自分に、自嘲。
 どうしよう、幸せだ。



 白かったお尻は既に、満遍なく赤い。
 とは言え、腫れ上がるという表現を使う程でもなかった。
 一つ叩く度に、「心配かけてごめんなさい、もうしません」と呻くヴォルフの涙声を聞いていると、掛けさせられた心配より、目の前の赤いお尻の方が心配で可哀想で。
 何しろ、お仕置きとなるとピィピィぎゃあぎゃあ子供のように泣き喚くのが当たり前だったヴォルフが、鼻はすすり上げるものの、ひたすら「ごめんなさい」と「もうしません」に淀みのないようにしているのが伝わって来るのだ。
「~~~心配かけて、ごめんなさい。もうしません」」
 以前ならピシャリとやる度に、大袈裟なまでにもがいて暴れていた手足が、今はビクンとすくみはするけれど、どうにかじっと耐えていようとする仕草。
「・・・ヴォルフ、泣いたり暴れたりしても、キツくはしないよ?」
 ソファの座面に押し付けるように俯いていた顔が、横に振られた。
「~~~もし、お前が私のように居なくなったら。そう思ったら、こうしているしかなくなった・・・」
 フォスターは振り下ろすのをやめた手を目頭に添えて、その火照りに苦笑した。
「手がヒリヒリしている」
「・・・お尻がこんなに痛いのだから、手だって痛いよな」
 相手の心を、自分の気持ちに置き換えることを。
「~~~ヴォルフ、大きくなったなぁ・・・」
「・・・お前が、ここまで連れてきてくれたから」
「それはお前自身が体得してきたのだろう? オブとその仲間たちと一緒に」
「そうだけど。彼らを知りたいと思う気持ちは、お前が教えてくれたことだもの」
 そっと顔をねじ向けてきたヴォルフに、目頭に添えていた手を再び上げて見せる。
 彼はゴクリと喉を鳴らしたが、そろそろと座面に顔を伏せて続くお仕置きを受け入れる仕草を見せた。
 失笑。
「ごめん、嘘だよ。もういい。起きて、顔を見せておくれ」
 そっと抱き起こして膝から起こしたヴォルフを見つめて、フォスターは赤くなった手の平でヴォルフの頬を幾度も撫でた。
「ありがとう。ありがとうな、ヴォルフ。今まで、幾度もこうしてお仕置きしてきたけれど、ずっと考えていたんだ。私はただ、力でお前を押さえつけているだけなのではないだろうかと」
「・・・暴君フォスター?」
「・・・うん」
「・・・私が言うのも何なのだけれど、加虐は人を貶める。お仕置きは、相手の成長を求めてのことだろう?」
 赤いお尻を晒したままの元暴君様が笑った。
「私は、成長できているかな?」
「・・・ん。だから、ありがとうと、言いたくなった」
 いつの間にか執務室を出ていたモートンが、氷のうを手に戻ってきた。
 さすが、自慢の我が執事。
 主の手が振り下ろせなくなるタイミングと、その後に欲する物を、よく心得ている。



 フォスターは痛むこめかみを揉みほぐしつつ、それを手の中で転がした。
「・・・成長したと、思ったのだがなぁ・・・」
 それをフォスターに手渡したモートンも、それをモートンに手渡したスフォールドも、それを発見してスフォールドに手渡したファビオも、それを発見されてファビオに取り上げられたオブシディアンが小さくなっている様子に同情の吐息を漏らす。
「誰もお前を叱らないから、安心おし。お前だって困っただろう?」
 コクンと頷いたオブシディアンがファビオに取り上げられたそれは、ヴォルフ家の印璽。
 昨日、ヴォルフにそれを託されて「誰にも内緒で、買取屋でも蚤の市でもいいから、売ってきてくれ」と頼まれたはいいが、古ぼけた印章一つきりなど見向きもされず、途方に暮れていたオブシディアンである。
 別に金銭目的ではなさそうなので、いっそ捨ててやろうかと思っていたところを、ファビオに挙動不審さを見抜かれて託されたそれを見つかった。
「正直、私もね、スフォールドの紹介状にわざわざ印璽まで用いずとも、言い聞かせれば済むのにと思っていたのだよ。まこと、父上には感服する」
 印璽捜索を指示するフォスターも、その命を受けて搜索に奔走していた執事二人もその補佐ファビオも、心のどこかで思ってはいたのだ。
 もしや、と。
 そこへ、ヴォルフがどうしても印璽の必要な書簡を作ったクラウン。
 あれだけ探し回っても所在の掴めなかった印璽は、かくも容易くフォスターの手の中に。
 早い話が、ヴォルフはフォスター家を出立する際、印璽のことをすっかり失念して出て行ったのだ。
 印璽は、フォスター家で生活していたヴォルフの定めた隠し場所に、ずっとあった。
 それを、印璽捜索に走り回る執事たちを見ても告白せず、でも、印璽が必要となり、弱ったヴォルフが印璽の重要性を知らないオブシディアンに売り払うよう手渡したのだ。
「心配や愛しいというお心は、お育ちあそばされたかとお見受けします。が」
「~~~モートンや、目眩がするよ」
「ようよう初等科ご入学のお子様に、そのような弱音は早ぅございますよ」
「ははは。四歳児が大きくなって」
 乾いた笑いで両手を広げたフォスターは、しばし天井を仰いで、やがてゆっくり頷いた。
「スフォールド」
「かしこまりました」
 一礼で出て行った彼の背中を見送り、フォスターはモートンを見遣った。
「妬くなよ?」
 モートンが珍しく肩をすくめる仕草をして見せた。
「妬きませぬよ。適材適所と申しますでしょう?」



「ぎゃあぁああ! やめろ! よせ! 来るなぁ! まだお尻が治ってないぃ!」
「ほう、どれ? ・・・おやおや、やはりモートン仕込みのアーサー様は、甘くていらっしゃる」
 容易くひん剥かれたお尻を小脇に抱えられ、ヴォルフは顔色を失った。
「セドリック様。いえ、旦那様。断り状に印璽など押させませんので、どうぞ、そのお覚悟を」
「~~~ぅ・・・、ぅわーーーん!」
 



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