【オルガ完結章】遠まわりな愛

第四十話 お小言の甘い香り

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「アーシャ、これ、スコールドの紹介状。当主のお前が印璽を押してヴォルフに渡しておくれ」
 差し出された真っ白な封筒を受け取り、フォスターは執務机の前に立っているクラウンを見上げた。
「・・・父上、本当によろしいのですか? 長年を共にしたスフォールドを、ヴォルフの執事になどと・・・」
 ニコリと笑って頷いたクラウンが、トコトコと後退って執務机にいるフォスターを眺めた。
「うん、すっかりそこが板に付いたね。もう立派にフォスター伯爵家の当主様だ」
 父はとにかく昔から褒めちぎってくれる人だが、染み染みと言われたのは初めてで気恥ずかしくなり、フォスターは耳朶の紅潮を覚えて咳払いした。
「おからかいにならないでください」
「からかってなどいないよ。お父様は本当にそう思って、嬉しくて仕方ないのだもの」
 そう言いながら、クラウンは執務室の中央に置かれたソファにうつ伏せに寝転がった。
「普通、執務室って子供は立ち入り禁止でしょ?」
「はい、どこの貴族屋敷でもそうですね」
「でもね、父上・・・ああ、お前のお祖父様は、どれだけ叱られてもここにやってくる私を、とうとう叱らなくなってね。だから、私はいつもここでこうして、執務机でお仕事をなさっているお前のお祖父様を、眺めていたんだ」
 その頃を思い出すように座面に頬杖をついて、足をパタパタとさせているクラウンの姿を、フォスターはどうにも愛おしく見つめていた。
「そう、そうやってね。私を見ては微笑んでくださって。生まれてすぐに母親を亡くした我が子を、不憫に思っていたのだろうねぇ。お優しい方だったから」
「・・・お祖父様のこと、大好きであられたのですね」
「うん、大好き。だから、お前がお祖父様のように大層立派な伯爵家当主となってくれたことが、ひどく嬉しくて、自慢」
 フォスターは苦笑した。
 結局は息子を褒めてくれるのだから・・・。
「品行方正。清廉潔白。公明正大。ちょこーっと短気だけれどね。そういうところもお祖父様にそっくり。この僕の愛しい息子が、大好きなお祖父様に似てくれるなんて、なんて幸せなのだろうと思った」
 そろそろ、耳朶どころか首も顔も火照って熱い。
「父上? 私はスコールドではございませんので、質問のご返答が遠回りでは、お心を測りかねるのですが」
「ふふ、ごめん、ごめん」
 ソファから体を起こして座り直したクラウンは、しばらく黙って天井を仰いでいたが、やがて執務机のフォスターを見つめた。
「お父様にはもう、執事は、必要ないから」



「ローランド領のご領主であれば、もしやと思ったのでございます」
 問診の名のもとに、老医師がそう切り出した。
「閣下の心臓そのものは、聴診の限りでは大きな異常を感じられません。おそらく、問題を抱えているのは血管の方に思われます」
 そう言った老医師は、くたびれた手帳をポケットから抜き取って白紙ページを探し当てると、サラサラと何かをしたためてクラウンとスフォールドに見せた。
「この管が冠動脈という血管と思ってください。例えるなら、ひどく柔らかな麦わら。麦わらで、飲み物をすすった経験はおありで?」
 顔を見合わせたクラウンとスフォールドは、黙って頷いて見せた。
「ならば、その麦わらの中に膨らみがあって、狭い部分が出来ていた場合のご想像はできますね?」
 老医師が更に手帳の図に書き足し、平行線の中に山のようなものを描いた。
「それが、現在の閣下の血管の中で起こっていると思われます。冠動脈の中に瘤のようなものが膨れて流れが悪くなり、結果、全身に血や酸素を巡らせるポンプの役割を担う心臓が上手く動かない。すなわち、狭心症という症状を引き起こす」
 幾度も聞かされた病名に、クラウンは震える吐息をついた。
 その病名から心筋梗塞を引き起こして亡くなった貴族を、幾人も知っている。
「そこで、思ったのです。閣下が症状をご自覚なさったのが、三年程前。この王都に戻って来られてからとおっしゃいましたね?」
「・・・うん、息子の婚儀前だったから、ハッキリと覚えているよ」
「ですが、その前からローランド領を離れた際には、兆候らしき痛みはあったとか」
「そうだね。何せ年だし、疲れかなと思っていた。ローランド領に戻れば、それはなくなったから」
「重ねて伺います。あなた様はガーデンタイムズで拝見したようなお方ですか? それとも、あなたを助けてやってくれと私をここに向かわせようとした平民たちが思うままのお人柄ですか?」
「・・・難しいことを聞くね。それは、私が決めることではないよ」
 苦笑を浮かべたクラウンの傍らで胸ポケットの手帳を抜いたスフォールドが、挟んであった古ぼけた写真を老医師に差し出した。
「~~~スコールド、お前がそんな感傷的な男だとは思わなかった」
 さも体裁悪そうに両手で顔を覆ったクラウンに構わず、スフォールドが口を開いた。
「ローランド領民はこういうご領主だからついて来た。これは随分と若い頃に私の家族と撮ったものだが、大旦那様はローランド領では常にこうだった、自慢の領主であり、主だ」
「・・・なるほど」
 その写真は、ローランド領主の座についたばかりのクラウンが、スフォールドの家族と共に、炭鉱夫同様の真っ黒に汚れた笑顔で写っているものだった。
「つまり、閣下は頻繁に現場視察に行かれていたと」
「ええ。炭鉱夫さながらに」
「炭鉱といえば発破。ローランド領はいち早くダイナマイト工場を建設していたと伝え聞いております」
「左様。大旦那様の采配で、炭鉱の発掘作業は大きく向上した」
「では、閣下はその工場にもご視察を?」
「工場と現場の視察は日課であられたよ」
 老医師が頷いた。
 幾度も、幾度も頷いた。
 そして、黙って控えていた典医を振り返る。
「聞いておられたね? これが、閣下に薬の効果が認められる証言だ」
 両手に顔を埋めていたクラウンが、恐る恐る手を下ろした。
「・・・・・・薬?」
「はい、閣下。ブルーマンディ(月曜病)という言葉をご存知ですか?」
 聞いたことはある。
 安息日の日曜が明けて、再び労働が始まる月曜になると体調不良を訴える労働者が多い、とある工場から広まった言葉。
 その語源となった工場は確か・・・。
「ダイナマイト工場」
「左様です、閣下。数十年前に外国のとある科学者が合成に成功したダイナマイトの原料を舐め、ひどい頭痛に襲われたという記録がございます。そして、ブルーマンディを訴える労働者の多くは狭心症の持病を持っていたことで、その関連性が認められた」
 クラウンはゆるゆると頭(かぶり)を振って、老医師に手の平を向けた。
「・・・すまぬ。その関連性とやらが見えぬ」
「狭心症の工員たちは、勤務中は発作が起きず、休日で工場に出向かなかった翌朝に体調を崩している共通点から、その原料に血管拡張作用があるという発見です」
 なるほど。先の科学者は正常な血管であった為、血管が拡張して頭痛に繋がったということか。
「・・・けれど、爆薬だよね?」
「左様です。それを薬にという研究は長らく賛否両論。狭心症に有効な薬と認められたのは、ほんの数年程前です」
 老医師は往診バックを漁ると、茶色い瓶を取り出してクラウンに差し出した。
 それを素早く受け取ったスフォールドに、老医師が苦笑する。
「大丈夫ですよ。爆発なんぞしませんし、歴とした認可済みの薬です」
「・・・スフォールド、見せて」
 訝しげな面持ちのスフォールドだったが、クラウンが伸ばした手を引っ込めないので、仕方なく瓶を手渡す。
「開けてもよろしいか?」
「どうぞ」
 瓶の蓋を外したクラウンは、中の白い錠剤を覗き込んで、ふと鼻をヒクつかせた。
「これ・・・、スフォールドの香りだ」
「私?」
「うん。お前の香り。ほんのり甘いの。今はしなくなっちゃったけど」
 首を傾げたスフォールドが、クラウンの手にする瓶に顔を近付けた。
「ああ、何だ。ニトログリセリンの匂い」
「そっかぁ。お前は僕より工場に出向く頻度が高かったものね。ニトロの移り香かぁ。あれ、ホッとするから好きだったのだけど。心臓がギュってなりかけた時も、お前の傍でその香りを感じたら楽になったのだよね」
 瓶を興味深げに覗き込んでいるクラウンを見つめていた老医師は、後ろに控えていた典医を手招いた。
「御典医、後はあなたがお話ください。閣下の主治医はあなたです」
 老医師が席を譲ると、典医は白衣の襟を正してその席についた。
「大旦那様、私も医者の端くれにございますれば、ニトログリセリンの存在は存じておりました。無論、宮廷医師団の者たちも。ですが、王侯貴族の皆様に、爆薬から派生した薬を処方する是非が問われ続けております」
 瓶を手の中で弄んでいたクラウンは、黙って典医を見つめた。
「けれど。大旦那様を必ずお救いできるのであれば、処方に踏み切りたく思っております。今の彼の問診で、大旦那様にニトロの成分が有効に作用するという可能性を感じました」
 ふと肩に置かれたスフォールドの手が小さく震えていることに、クラウンが苦笑する。
「ニトロは狭心症を治す薬ではなく、完治にも根治にも至りません。けれど、発作を治め、心臓に掛かっていた負担を軽減させることは可能です。心臓への負荷が軽減すれば・・・」
 不意にソファから立ち上がったクラウンが、窓辺に立って庭園の草花を眺めた。
「春になると、庭師があの辺りにチューリップをたくさん植えてくれるんだ。妻が好きな花。それから、あの辺りに藤棚をこしらえてくれる。息子がね、藤棚の下を散歩するのがお気に入りなんだ」
 医師ふたりを振り返ったクラウン。
「見られるかい? 僕は、色とりどりのチューリップを前にはしゃぐ妻と、藤棚の下で友人や執事と語らいながら歩く息子の姿を、見られる?」
 深く頷いた典医の姿を認めて、クラウンの頬に一筋の涙が溢れた。
 それをハンカチで拭ってくれるスフォールドを見上げて、クラウンが苦笑を浮かべた。
「自分で使いなよ。お前の方がすごいのだけど」
 


「お父様はもう本当のご隠居さんだからね。国民の為に尽力するヴォルフにこそ、有能な執事が必要だと思う」
 そこへお茶の支度にやってきたモートンを見遣り、クラウンが肩をすくめた。
「お前には、既に有能な執事がついているしね。スコールドがあぶれちゃうでしょ」
 ティーテーブルにカップを置いていたモートンが、目をパチクリとさせる。
「お褒めいただき恐縮でございますが、スフォールドが如何致しましたか?」
 フォスターは蝋を垂らして印璽をついた書簡をヒラヒラとさせて、お茶の支度が整ったソファセットに席を移した。
「うむ。我が家の元家令殿をね、ヴォルフ侯爵家の家令にという紹介状」
「・・・なるほど。よろしいのではないですか。スフォールドは手の掛かる方のお世話が性に合っていると、よく申しておりますし」
 ティーカップを口に運びかけていたクラウンが顔をしかめる。
「あいつ~、そんなこと言っているの?」
「おっと、失言。平にご容赦を」
 ケーキスタンドを置いて、さっさと壁際に控えたモートンを流し見たフォスターは肩をすくめてお茶をすすった。
 自分の執事が失言などするはずもなし、わざとだな・・・と感じたのだ。
 元々ヴォルフの執事であった男である。
 加えて、このフォスター伯爵家でスフォールドを師と仰いできた彼には、胸中複雑なのであろう。
 この老練な執事が珍しく垣間見せた拗ねた態度くらい、受け流せない父でもないし。
「モートンや、この紹介状をヴォルフの部屋に届けてくれるかね」
「お預かり致しますが、セドリック様は只今お部屋にはおいでになりませぬ」
「ああ、リハビリの散歩中?」
「いえ・・・」
 モートンが苦笑を浮かべた時、執務室の窓からスフォールドの声が聞こえた。
「これ! セドリック様、どちらにおわします! リハビリのお時間ですよ、出ていらっしゃい!」
 フォスターとクラウンは顔を見合わせてバルコニーに出ると、庭園を歩き回っているスフォールドを見下ろした。
 更に見渡すと、その先の木陰や垣根で身を隠しながら、コソコソヨタヨタと逃げ回っているヴォルフの姿が見える。
「~~~そうか、あいつ・・・」
「体が本調子に戻ったらお仕置きって、アーシャに言われているから?」
「で、しょうねぇ。だよね、モートン」
 苦笑混じりで頷いたモートンを見遣り、フォスターは嘆息をこぼして髪を掻き回した。
「まったく、手の掛かる侯爵様だな」
 大体、結局はベッドを出てああして体を動かしていれば、リハビリしているも同じではないか。
 先程から眺めていると、声は掛けながらもスフォールドもゆったりと歩いているだけであるし、急激に駆け回ってヴォルフの体に負担が掛かることもなさそうだ。
「あ。なるほど、そういうこと」
 モートンを振り返ると彼が両手を広げて見せた。
 同じくバルコニーから眺めているクラウンも、スフォールドの思惑に気付いているようだった。
 一旦逃がして程よく追って、無理はさせない程度のリハビリ鬼ごっこ。
「ふむ。やはり、ヴォルフの子守り・・・もとい、執事はスフォールドが適任だなぁ」
「うん、同感」
 柵に頬杖をついてスフォールドを目で追っているクラウンを、フォスターはつい屈んで覗き込んだ。
「父上は? 本当によろしいので?」
「・・・スフォールドは、ずっと僕の執事だったけど・・・」
 そっと目をつむったクラウンが瞼の奥に何を見ているのかは、フォスターにはわからない。
 けれど、その破顔は大層穏やかで幸せそうに見えた。
「僕は彼に『クラウン』と呼ばれていたいんだ。だから、これは僕の我が儘。スフォールドには執事でなく、僕の友人と、兄貴分でいて欲しい」
「・・・それが、父上のお望みであれば。まあ、ヴォルフがこの屋敷を出て行く日など、まだまだ遠い先でしょうしね」
「ふふ~、フォスター家は、いつも賑やか」
 屈んだ姿勢を起こそうとしたフォスターは、クラウンが伸ばしてきた手に遮られて、そのまま父の胸に抱き寄せられていた。
「~~~アーシャ、ありがとう」
「・・・急に何を仰せです」
「お前がオルガを引き取っていなければ、あの新聞記者と鉢合わせて取材を受けることもなかった。お前がヴォルフをこの屋敷に住まわせなければ、ヴォルフがあの医師を連れて帰っても来なかった」
 庭園の芝生から、母と妻の鈴を転がすような笑い声が聞こえた。
「ビーが、もう一度、あんな風に笑ってくれることも、なかった」
「~~~父上。私は・・・」
「うん、わかってる。良いよ、わかっている。お前はただ、思うままに紡いだ糸を織っていっただけ。その図案はまだ途中でお父様の為ではないことも、わかっているけれど・・・」
 その都度、手に取った糸で織り上げていた織物に、救われた父の姿が偶然浮かび上がっただけ。
「でも。いや、だからこそ、礼が言いたい。これからも、迷いながら精一杯に生きなさい。ずっとずっと、愛しているよ、アーシャ」
 結局、自分では何もできなかったという思いがあった。
 だが、関連性もない事柄でも、精一杯。迷って、悩んで、歩いてきた今が、ここにある。



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