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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第三十七章 決めた自分の道

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 両手のトレイのお陰で、どうにかオルガを抱き寄せてしまいそうになるのを踏み止まったヴォルフは、早鐘のような鼓動を抑えるべく、細く長く息をついた。
「ここ、・・・フォスターが?」
「違うわよ、母様。ふぉすたはまだ帰って来ないもの」
「・・・そう。ヴィクトリアは、元気? アーサー・ジュニアは、もう笑ったりするのかな? 彼はもう四ヶ月児にもなるものね。昔、学術書で読んだのだ。四ヶ月児にもなると、首がすっかりすわって、何かを掴んだり、何でも舐めたりするとか・・・」
「・・・うつ伏せだと、顔を上げたりするわよ」
「へえ。首がすわるという言葉の意味が今ひとつわからなかったのだけれど、あのクニャクニャした赤子が、自分で顔を持ち上げられる程に。そういう意味だったのか」
 刹那、視界にズカズカと踏み込んできたオルガを認めて、どういうことになるのかを察したヴォルフは、手にしていたトレイ二つをベッドテーブルに戻そうとしたが間に合わず。
 バチン!という音と共に頬が赤く染まり、食器が派手に床に散らばる音が病室に響いた。
「・・・」
 昔なら、間髪入れずに同じく頬に平手を振るってやり返していたところだ。
「じゃあ、聞くけど! 私は?! 私のことは、学術書に何て書いてあった?!」
「・・・何も、書いてなかった」
「だよね!? だって、答えは私とヴォルフの間にしかないんだもの!」
 オルガの平手を受けてヒリヒリと熱い頬を撫で、ヴォルフが静かに俯いた。
「・・・良いよ。お前が決めろ。お前には、その権利がある」
 何か叫ぼうとした様子のオルガだったが、やがて、殊更大きく開いていた口を閉じ、唇を噛み締めた。
「・・・オルガ、おやめ。唇、切れる」
「・・・勝手ね」
「うん」
「アンタが私を買って、飼育して、言葉を奪ったくせに」
「・・・うん」
「そういうことは、私に言わせるの?」
「・・・だって、私にはお前とのことを云々言える資格も権利も、ない」
 俯いたヴォルフの視界に、オブシディアンが映り込んだ。
 彼は床に散らばった食器を拾い集めてチラとヴォルフを見上げ、そのまま病室を出て行ってしまった。
「・・・オブシディアンに約束したのだ。お前にはもう近付かないと」
「人のせいにしないで。あなたの気持ちが聞きたいの」
「・・・だから、私にはそんな資格も権利もないと・・・」
「私のせいにしないで!」
 再び振り上がったオルガの平手を見て、つい顔を庇うように掲げた両腕に、思いのほか力ない拳が当たった。
 恐る恐る腕を下ろしてみると、ヴォルフはゴクリと息を飲み込んだ。
 泣いている。かと思った。
 それとも、怒りに震えているか。
 だから、まさか満面の笑みが目の前にあると思わず、返って怖かった。
「いいわねぇ。たくさ~ん、逃げ口上があって」
「え、いや、それは、だから・・・」
 閉口するほか手立てを失ったヴォルフをベッドまで追い詰めたオルガは、倒れ込むように彼を組み敷く。
 ヴォルフは自分を見下ろすオルガの目を見つめ返すことができず、両手で顔を覆った。
 その手を強引に掴み解かれ、ベッドに縫い付けられるように押し付けられる。
「ちゃんと見なさいよ、私を」
 ヴォルフはゆるゆると頭(かぶり)を振った。
 見たら、これ以上、見つめてしまったら、きっとこぼれてしまう。
「見なさいってば!」
 強引に添えられた手の平で背けた顔を向き直らされ、ヴォルフは恐る恐るオルガを見上げた。
「~~~好きだ」
 ほら、やっぱり。
 押し殺していた想いが、その黒曜の瞳に見据えられると溢れ出す。
「オルガ、大好きだ。愛してる・・・」
 抱きしめたい。
 両頬に添えられた手が嬉しい。
 二度と、感じてはいけないぬくもりだと思っていたから。
 ようやく浮かんだ柔らかな微笑みが嬉しい。
 二度と、求めてはいけない安らぎだと思っていたから。
 ・・・十分だ。
 愛した娘に反吐が出る程の非道を課した暴君が、こんなぬくもりを最後にもらって決別できるなら、十分、幸せ。
「・・・なぁ、オルガ」
「何?」
 幸せな、足枷。
 言葉が上手く出てこない。
「・・・ファビオ、随分と、頼もしくなったよね」
「・・・私よりチビだったくせにね」
「お前たちを見ていて、思っていたんだ」
「何を?」
 深呼吸。
「・・・あの子はとても優しいし、私は大好きだ。だから・・・」
「だから?」
「ファビオにだけは、妬けなかった」
「・・・は?」
「ああ、ごめん。違う。妬けなかったは嘘だ。妬けた。ただ、腹は立たなかった。ああ、違う。これも嘘。腹は立った。今までないくらい」
「・・・で?」
「腹が立ったのは、触れられたからとかではなくて。お似合いだな、と、思えたことで・・・」
 スラリと背の伸びたファビオと、それを見上げて微笑むオルガ。
「これでも、一応大人だからね、私も。わかるのだよ。ファビオが、お前のことを好いているということくらい・・・」
 腹は立つ。
 妬ける。
 けれど。
 オルガを幸せにしてやれるなら。
「ファビオならお前をきっと幸せに・・・いっ! ~~~・・・ぃたぃ・・・」
 まさか、頭突きを喰らうとは思わなかった。
「最っ低!! バカじゃないの!? アンタ、まだ私の飼い主のつもりなわけ!? 私のことを、何でも決められる気でいるの!?」
「ち、違う! そういう意味では・・・」
「そういう意味にしか聞こえないのよ、このバカ侯爵! 見ろと言ったでしょう! 私を見ろって!」
 長いブルネットを掻き上げて、オルガはほっそりとした首を露わにした。
「もうないの! アンタが私を思うままにしていた首輪は、もうないの! 私は私で私を決める!」
 凛と。
 ガラス玉のようだった瞳は、もうそこにはない。
 そこにあるのは、吸い込まれるような明るい光を宿した黒曜の瞳。
「いい!? 私は私で決めて! 今! ここに! こうしているの!」
 それを、希望的観測で捉えたい気持ちが、ムクムクと頭をもたげる。
 けれど。
 もしそうだったとしても。
 いつか、オルガが両親のことを知って、背を向けられるのが怖い。
 ならば。
 別れる決意が揺らぐ前に。
 ここですべてを打ち明けて。
 人を散々傷だらけにしておいて、自分は傷つきたくないと思う己が弱さに、自嘲が滲む。
「・・・あのね、オルガ・・・」
「母さんと父さんに、アンタを紹介するって言ってきた」
 思いがけない言葉に、目を瞬く。
「・・・え? えと? フォスターと、ヴィクトリア?」
「刑務所にいる両親よ」
 つかえた何かを飲み込むのに、ヴォルフはひどい痛みを覚えて思わず喉をさすった。
「・・・オルガ、知って・・・?」
 初めて、オルガが目を逸らす。
「・・・アンタが、急に、私をもういらないとか、言い出すから。出てっちゃうから。絶対にキッカケがあるはずだって・・・ふぉすたの執務室やモートンの部屋を調べたの」
「~~~」
 この娘の機動力には、正直、舌を巻く。
「さすがにおいそれと探し出せる場所にはなくて、時間が掛かっちゃったけどね。外泊に見せかけて、ふぉすたの父様の教えてもらった隠し扉からお屋敷に戻って夜中に」
 黒曜の瞳から溢れ始めた涙に、ヴォルフはどんな言葉を掛けていいのかわからなかった。
 娘を売って得た大金に目がくらみ、誘拐に少女の手を染めた両親。
 彼らを誘発したのは、他ならぬ自分なのだ。
「・・・オルガ・・・」
「・・・そりゃ、思うよね。お国を担う貴族議員の侯爵様の婚約者の両親が、平民どころか犯罪者」
「オルガ・・・?」
「そりゃ、もういらないって、思うよね。出て行くわよね」
「オルガ」
 ポタポタと顔に落ちてくる大粒の涙に、ヴォルフはようやく自らオルガの頬に手を伸ばした。
「違う。オルガ。違う。泣かないで」
「ヴォルフの父様や母様が、認めてくれるわけないよね? ヴォルフが、父様と母様が大好きなの、知ってるから、どうしよう、どうしようって、いっぱい、苦しくて・・・」
 どうしよう。どうしよう。いっぱい、苦しくて。
 同じ。
 ずっと。
 相手の心を知らぬまま、この娘も分岐の道の前で迷い悩んでいたのに。
 逃げた自分と正反対の道を、その足で歩いてきた。
「ヴォルフに、聞くの、怖、かっ、た・・・」
 ヴォルフも怖かった。
 フイと背中を向けられるのが、怖くて。
「~~~オルガ。これは、私が、決めたことだ」
 ロクでもない暴君の凍えた心に、必死で両手を差し伸べて頬を包んでくれたオルガ。
 そっと手をとって、フォスターのところへ導いてくれたオルガ。
「聞いて、オルガ。私は確かに母上と父上が大好きで、大事」
 ビクンとすくんだ彼女の肩を、そっと横たわる体に抱き寄せる。
「だからこそ。私は私が決めたことで得られる笑顔を、父と母に見せてあげたい」
 両腕に。
 胸に。
 感じるオルガのぬくもり。
「愛しているよ、オルガ。お前が許してくれるなら、ずっと、傍にいたい。それが、私の想いだ」



 肩を貸してくれるオブシディアンと共に廊下を歩いていたヴォルフは、彼のじっとりとした視線に苦笑を滲ませた。
「・・・あー、その、何だ。結果的に、お前に嘘をついたことになって、すまなかった」
「そういうんじゃねーよ、バカ侯爵」
 昨日、彼の姉にもバカ侯爵呼ばわりされたばかりのヴォルフは、苦笑を深める。
 そういえば随分と長いこと、「無礼者!」という言葉を使っていない気がする。
「オブ、私は学業優秀だが、学術書に載っていない問題にはとんと鈍いらしくてね。お前の思うところをハッキリと口にしてもらわないと・・・」
「は! みてぇだなぁ! なら、言ってやる」
 パシンと小さな肩に乗せていた手を払われて、ヴォルフは仕方なく壁にその手をついた。
「情けねぇ男だなぁ、オメェは! 聞いてて呆れた! オルガにすっかり主導権を握られやがって!」
 ヴォルフは赤らめた耳朶を摘んで肩をすくめた。
 こんな安普請の病院の病室だ。
 廊下に声が筒抜けでも、致し方なしか。
「それと! オメェの気持ちが本気だってことくれぇ、うわ言で知ってたからな!」
 睨み上げられても、もはや言い淀む気は起こらない。
「・・・ごめん。私はオルガを愛して・・・」
「知ってるってーの!」
 歯を剥くオブシディアンを見下ろして、ヴォルフは髪を掻き回した。
「・・・すまぬ」
「謝んな、バカ! 蹴るぞ!」
「それは勘弁してくれ・・・」
「だから! 俺が言いたいのはだな!」
「ま、待ってくれ。それを、あまり大声では・・・」
 筒抜けであったなら、あの後、オルガに言った言葉も彼の耳に届いていたということ。
 ヴォルフはすっかり紅潮させた顔を両手で覆い隠して、壁にもたれた。
「いや。いやいやいや。あれで『考えておく』とか言って帰るオルガも意味わかんねぇけど、それを言い出すオメェも、意味わかんねぇから!」
 そりゃあ、我ながら情けないことを言った自覚はある。
 けれど、あの時は。
 いや、今も。
 本気で、そう思っている。
「~~~だって・・・」
「だってじゃねぇよ!」
「・・・じゃあ聞くが。お前はあれ、怖くないのか?」
 言葉に詰まったオブシディアンが、お尻をさすってそっぽを向いた。
「ほら、怖いんじゃないか」
「いや、そりゃ嫌だけどさ! オメェ、大人だろう!?」
 昨日、ヴォルフはオルガに言ったのだ。
 愛していると。
 二度と会えないなど、もう考えたくもないと。
 だから。
 借家住まいとなる自分と、一緒に住もうと。
 フォスター家を一緒に出ようと。
「~~~だって・・・帰ったら、フォスターに、叱られる・・・。大人なのに、子供みたいに、お尻、うんと、ぶたれるぅ・・・」
「知るか!」
「フォスターだけならまだいいけどな! お父様やスコールドにまでぇ・・・!」
「知らねぇっての! そういうのを、あれだ、何だ、えーとぉ・・・?」
「自業自得」
「そう、それ!」
 ヴォルフに向けて指差したオブシディアンが、お尻に両手を回して呻いた。
「・・・うるせぇよ、お前ら。ここは神聖なる病院の廊下だぞ」
 オブシディアンのお尻を叩いて顔をしかめていたのは老医師だった。
「お馬の侯爵様、リハビリはお静かに」
「あ、ああ、すまぬ・・・」
 ジロリと睨めつけられて、ヴォルフは首をすくめて頷いた。
 そんな彼の目に飛び込んできたのは、老医師が手にしていた新聞紙。
 折り畳まれたそこに垣間見えた、長らく会えていない『お父様』の写真と、ローランド公爵の正体という題字。
 アリエナイ。
 長年、貴族間ですらその姿を見た者はおらず、自分たち若手貴族議員には、『後継者なきまま年老いた妖怪』とまでアダ名される程、その正体を隠し通してきたローランド元公爵。
 それが、ローランド公爵の証であるサッシュを肩から下げた姿で、公式発表でもない大衆紙の紙面を飾っているなど。
 アリエナイ。
 老医師の手から新聞を取り上げたヴォルフは文字を目で追い、息を飲んで胸を押さえた。
「~~~お父様? 余命・・・?」
 人の心を読み解くのは苦手。
 けれど、文章を読み解くなら、得意。
 なのに。
 紙面を踊る文章の意味がわからなかった。
 いや。
 わかりたくなかった。





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