【オルガ完結章】遠まわりな愛

第三十六話 終齢のイモムシ

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 どれくらい車を走らせていただろうか。
 すぐにでも泣き出したそうな主の気持ちを優先して、連絡も入れずに随分と長い時間屋敷を開けてしまったが、こういう時、スフォールドがいてくれるのは心強い。
「私のことをどれくらい好いてくださっていますかってね。まさか、ヴィクトリアがそんなことを言い出すなど思いも寄らなかったから、驚いた」
「おやおや・・・」
 ひとしきり泣いて腫れぼったい目に笑みが戻ってきた主をルームミラー越しに眺めて、モートンは目元を緩ませていた。
「まあ、神の妻であられた奥様も、今や歴とした女性にございますからね。そういう、人間臭い質問を投げかけられるほど、奥様は旦那様に甘えてくださっているのでしょう」
「・・・そうならば嬉しいのだけれど」
 後部座席に持たれて足を組み上げたフォスターは、車窓から望む景色を見つめた。
「私のような小童の、傍に居て欲しい想いだけでは心許無いのかと、心配してしまった」
「・・・もしや、それを奥様におっしゃったのですか?」
「うん」
 コクンと頷いた主がミラーに写ってモートンが苦笑を浮かべると、フォスターはやにわに後部座席から体を起こし、運転席を覗き込んだ。
「い、いけなかったか? ヴィクトリアは黙って微笑んでいるだけであったし・・・」
「さあ? 私めは女性の心を知る由もございませんので」
 それでも微笑んでくれたなら、良評定くらいはもらえたのだろうとモートンは思った。
 いや、せいぜい及第点か?
 何しろこの主は生真面目な分、女心にとんと疎いのだから。
 あのヴィクトリアがそんなことを言い出すなど、どうせフォスターが二人きりの時にも「モートンが、ヴォルフが、ファビオが、父上が、スフォールドが」と頻繁に話題に乗せるからだろう。
「ふむ。育て方を間違えたかな?」
「ん? 何?」
「いえ。アーサー様は良い子ですねと申し上げただけです」
「お前ね、一児の父親を捕まえて・・・」
 運転席に寄り掛かって顔をしかめたフォスターは、吐息をついて再びシートに体を埋めた。
「ヴィクトリアは私が見つけることの出来た愛しい人だ。そんな彼女と築いていく家庭を、父上に見ていただきたい」
「大層お喜びになりましょうね」
「・・・諦めるもんか・・・」
 モートンはもう一度フォスターの顔をミラー越しに見た。
 息吹を吹き返した強い瞳。
 徐々に目の腫れも引いている。
 もう少しだけ、時間を潰して屋敷へ戻るとしよう。



「大旦那様! どうぞ考え直しください」
「スコールド、あれはどこにしまってあるの? ほら、肖像画の時に着ていたフロックコート。後、サッシュも。フォスター伯時代のじゃなくて、ローランドのヤツ」
 衣装部屋でゴソゴソとやっているクラウンの返答を聞く限り、考え直す気はないらしい。
「取材などおやめください。大衆紙の記者に取材などさせたところで、内容は彼らがいいように掻い摘んだ記事にしかなりませぬぞ」
「いいよ~、自分で探すから。お前はコリンズという記者にお茶でも振舞っておいで」
「あのような者に飲ませるお茶など当家にはございません! よろしいですか? 彼が欲しいのは、記事を飾る写真だけなのです。ですから、簡素なそのお召し物を着替えてくれと頼まれたのでございましょう!」
「あ、あった」
 衣装箱を抱えて衣装部屋を出てきたクラウンは、姿見の前でサッサと着替えを始める。
「うん、写真が欲しいだけだろうね~。わかっているよ、そんなの」
「ならば・・・!」
「そんな彼を一人で応接間にいさせて良いの? 今頃、セッセと応接間の写真を撮っているんじゃない?」
「~~~」
「・・・ね、スコールド。僕は僕のことを何と書かれようが、構いやしないと思っていたのだけれどね」
 脱ぎ捨てられたシャツを拾い上げ、スフォールドが姿見に映るクラウンの険しい顔つきに目を瞬いた。
「一つだけ。どうしても嫌なことがあった。だから、そういう論調だけは避けるというのが、今回の取材受諾の絶対条件」
 スフォールドが吐息をついて、クラウンが自分で着た服のシワや形を整え直してやる。
「アーシャと僕が不仲だなんて、例え憶測でも、書かれるのは嫌だ」
「・・・旦那様は大衆紙の戯言など、気にもなさいませんよ」
「アーシャが親子不仲説を気にしないのも嫌!」
 スフォールドは肩をすくめて洋服ブラシを手に取ると、丁寧にクラウンのフロックコートを払ってやった。
 まったく。
 息子のことを悪く書かれたくないというだけなら、是が非でも止めたのに。
 ただただ自分の気持ちに忠実なだけの、道化師の仮面を外した子煩悩な父親の我が儘なのであれば、容認せざるを得ないではないか。



 病室のベッドテーブルで、夕食に出された野菜スープを口に運んでいるヴォルフの姿を見たら、フォスターは元より、モートンもファビオも、無論スフォールドも、目をまん丸にしたに違いない。
 美食家で知られ、伝統の料理であれ一流シェフの苦心の新作であれ何かしら物言いをつけては、フォスターに叱られていたヴォルフが今、野菜の皮や切れ端が具として我が物顔をしている塩味のスープをスプーンですくっているのだ。
「オブ、足りるか? 蒸し芋をあげようか?」
「ん」
 傍らで同じメニューを貪っていたオブシディアンがニュっと手を出してきたので、ヴォルフが蒸し芋の乗った皿を差し出す。
 調味料は何もない。
 ただ蒸しただけのジャガ芋が半分。
「ここのパン、柔らかいな」
「うん、そうだね。パンも半分いるか?」
「全部」
「半分は食べさせておくれ。私だってスープだけじゃお腹がすく」
「しゃぁねぇなあ」
 それでも、ちぎって不揃いなパンの、大きい方をオブシディアンに手渡す。
 全部、オブシディアンといた赤毛たちのところで教わったことだった。
 分け合う。
 でも、我慢ばかりして食いっぱぐれては駄目。
 でないと、体力がもたない。
 自分より小さくて弱い者によりたくさん。
 ヴォルフはふと苦笑をこぼした。
 赤毛たちは最年長でもファビオと同じ十六歳で、即ち、ヴォルフより小さい者はいなかったのに、何故だかヴォルフは彼らからより多くの食べ物を分け与えられた。
 小さくはないけれど、弱い者として認定されていたようだ。
 自分の身ぐるみを剥いだ赤毛たちはとても怖かったけれど、共に暮らした彼らは大層優しい為人(ひととなり)であった。
 がさつで乱暴な言葉遣いであったけれど、根っこに栄養が詰まった青々とした新芽のようだった。
 ふと思い出したのだ。
 まだフォスターが婚儀を上げる前。
 お父様。クラウンが庭園の中にいたイモムシを見つめて言ったこと。
「サナギがアーシャなら、この子がお前だねぇ、ヴォルフ」
 当時は高位の公爵であったが、侯爵の自分をイモムシになど例えられて、気分は良くなかった。
 けれど。
「ゆっくり、でも、一生懸命。お父様たちの茂らせた葉っぱをいっぱい食べて。サナギになれる場所をお探し、ヴォルフ」
 思う。
 フォスター家の人々が、生き生きとした葉をたくさん食べさせてくれたから、何も知らなかったイモムシは、この新芽たちに香る栄養に気付けたのだと。
 自分がサナギになれる場所を、敏感に感じ取れることができた気がする。
 これが、サナギになれる場所。
 クラウンが言っていた場所。
 フォスターが、懸命に連れて行ってくれようとしていた場所。
 そんな彼らが強盗などしなくては生きていけない国。
 昔、自分でも感じていたではないか。
 石ころのくせに、キラキラして、疎ましいと。
 感じた例えは違ったけれど、きっと同じなのだ。
 青々した新芽に辿り着きたいイモムシ。
 キラキラ眩しい石ころが、羨ましい宝石。
 自分がしたかったのは、煌くそれを踏み潰すことではない。
 もっと。
 もっと。
 もっと。
 生き生きと。輝いて。
 自分はそれを問題提議できる立場だったのに、何も知らないまま威張り散らしていた。
 そうして、せっせと書き記した草案。
 フォスターは、必ず議会に投げかけてくれるだろう。
 いや、とは言え、たかが伯爵位だ。
 侯爵位を持つ自分が少しでも早く議会に戻って、フォスターと共に・・・。
 戻って。
 共に。
「スープも具がいっぱいだなぁ。オメェん家のスープにゃ勝てないだろうけどな」
「私の家?」
「フォスター伯爵のとこ」
 心臓が跳ねた。
 オブシディアンは大した意味を含ませたつもりはないようだが、彼がそう思っていたことが、何だか妙に嬉しかった。
「・・・そう。私の家のスープは、美味しかったか?」
「あんなの、初めて食った。スープがさ、ペンキみたいにトロトロしててよ」
「ペンキみたいじゃ、美味しそうに聞こえないよ」
 クスクスと笑うヴォルフに、オブシディアンが頬を膨らませる。
「だって、そう見えたんだ。スープに色がついてたじゃん。オレンジとか、緑とか」
 きっと南瓜のポタージュと、グリンピースのポタージュのことだと思う。
「赤いのもあった!」
 それはおそらくアメリケーヌのスープ。
「なんか茶色いお湯みたいなスープもさぁ、すんげー濃い味がして、美味かった」
 それはシェフ渾身のコンソメスープ。
「・・・そうだな。全部。全部、とても美味しかったな」
 カエリタイ。
 ・・・別に。
 食卓を飾ったフォスター家の食事が恋しいわけではない。
 ただ、オブシディアンや赤毛たちと自分たちの差を埋めたい。
―――こら、ヴォルフ! 贅沢ばかり言うのではない! 悪い子だ!
 そう言って、たくさんたくさん叱ってくれたフォスターなら、今のこの思いを理解してくれる。
 いい加減に寝なさいと執事たちに叱られるまで、執務室で、リビングで、互いの私室で、自分たちができることを語らい、意見を言い合った日々が、脳裏を巡る。
 カエリタイ。
 かえりたい。
 帰りたい。
 フォスター、聞いてくれ。
 学業で圧倒的に優っていたのは私。
 なのに、お前は同じ貴族の子息に生まれながら、自分の領地の民と対等に、あるいは尊敬の念を持ってすら接することを、平民出の執事たちに教わって育ってきた。
 私はきっと生涯、お前には敵わないけれど。
 フォスター、聞いて。
 聞いてくれ。
 私は、平民を、平民呼ばわりできるほどのことを、何もしていなかった。
 ただ、生まれた。
 貴族という特権階級に生まれた、同じ人間だった。
 聞いて。
 聞いて欲しい。
 褒めて。
 褒めて欲しい。
 私はもう、彼らが自分の食べるパンを固いとすら知らなかったことを知ったよ。
 私はもう、自分が当たり前に口に運んでいたパンが、どれほど柔らかく美味しいものだったのかを知ったよ。
 フォスター。
 聞いて。
 褒めて。
「あー、美味かった」
 満足そうに腹をさするオブシディアンの横顔を見て、ヴォルフはビクンと顔を強ばらせた。
 声や姿形が、決して酷似しているわけではない。
 その黒曜石の瞳が血を思わせるだけの、姉と弟。
 けれど、ふとした表情が、思い出させるのだ。
 ―――オルガ。
「ほら、お前の食器も一緒に返して来てやる」
 ベッドテーブルのトレイを手に取ったオブシディアンを見て、ヴォルフは苦笑した。
 あれこれと自分なりに考え事をしていたのに、無意識に目の前の食事を完食していた。
 フォスターの屋敷で思い煩っていた時は、食が進まず残していたのに。
 それこそを贅沢と言うのだと、今、痛感する。
 やはり、駄目だ。
 自分がオルガにしたことを思うと、心の贅沢を味わえるフォスターの元へなど、帰れない。
「・・・いや、私が行くよ。先生が、明日からリハビリに入って良いと言ったし、練習がてらね」
 ゆっくりとベッドから起き上がったヴォルフは、自分とオブシディアンのトレイを持った。
「・・・両手が塞がった。オブ、ドアを開けて」
「ンだよ。結局、手が掛かる・・・」
 ブツブツとぼやきながらヴォルフが前に立ったドアを開けてやったオブシディアンは、ポカンとして開いたドアの向こうを見上げていた。
「・・・オルガ」
 両手がトレイで塞がっていなければ、つい、抱きしめてしまうところだった。



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