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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第三十四話 雅量のお仕置き

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「骨折もないし、他の傷や痣は日にち薬でどうにかなりましたがね。暴行時の衝撃で心膜内に体液が貯留して、心臓がポンプ機能を果たせなくなった。わかりますかな? こう・・・」
 老医師は握ったり緩めたりしていた片手の拳の上に、もう片方の手を被せて包んだ。
「これが心膜として、拳が心臓。これと心臓の間にね、体液が溜まった圧力で心臓が上手く動かなくなった。だから心嚢穿刺で体液を抜き、心臓のポンプ機能を回復させた。今のところ、合併症も見られない。今まで通りに日常生活に戻れますよ」
「そうですか・・・」
 ホッと胸を撫で下ろしたフォスターは、ふと自分の胸を押さえた。
「・・・先生は、心臓の手術もなさるのですか?」
「私はただの内科医ですよ。第一、心臓手術に成功した医者など、まだどこにもいない」
「え・・・。ですが、先生はヴォルフの・・・」
「あれはあくまで心膜への処置。心臓そのものへのアプローチは世界中の外科医が試みていますが、現在、術後に生き存えた報告例は、最長でわずか三日」
 フォスターは胸に指を食い込ませんばかりに震えた。
 ただの興味本位の質問ではないと察したらしい老医師が、残念そうに首を振った。
「どなたを思ってのことかは存じませんがね、残念ながらとしか、申し上げようがありません」
「・・・そう、です、か・・・」
 打ち砕かれた淡い期待。
 両手で顔を覆うフォスターに、老医師は遠慮がちにコーヒーを差し出した。
「お力になれず、すいませんね」



「それで?」
 ボタンが引き千切れそうなほど、手慰みに自分のシャツを引っ張って俯くオブシディアンを、椅子に掛けて見下ろしていたモートンが言った。
「モートン、もう良い。私が自分でオブについて行ったのだ」
「セドリック様にはお伺いしておりませぬ。少々お静かに願えますか」
 ピシャリと言い放ってヴォルフを閉口させたモートンであったが、内心は少し嬉しかった。
 最近は使用人たちにも労いの言葉を掛けたり礼を言ったりと、その成長が感慨深くあったのに、とうとう人を庇うまでになったとは。
 ただ、この一件を有耶無耶にしては、オブシディアンがもう二度とフォスター家に近付かなくなる。
 そんな気がした。
 どういう経緯かはわからなかったが、オブシディアンはヴォルフへの剥き出しだった敵意を随分と軽減させているように見受けられた。
 加えて、暮らしていた暴漢グループは逮捕されて一人ぼっち。
 だから、ヴォルフと共にこうして病院に留まっているのだろう。
 そのヴォルフにフォスターという庇護が立ち返れば、彼は身の置き所を見失う。
 どうにか彼をフォスター家に住まわせたとして、この出来事が話題に上る度に彼は居た堪れない思いをするのではなかろうかと思った。
 だからこそ。
 ここはしっかりと叱ってやらねばならないと。
「・・・オブ、それで? お屋敷を出られたセドリック様の財布を奪って?」
「~~~金が無くなったところで、目の前に屋敷があれば戻ってまた調達してくると思ったんだ。俺が盗ったところで、痛くも痒くもないだろうって・・・。なのに・・・」
「なのに?」
「こいつ、追いかけてきて」
 本当にボタンが千切れそうなので、モートンはモジモジとシャツを弄るオブシディアンの手を掴み、両腿の脇に沿わせて気をつけの姿勢をとらせた。
「じっとする。それから?」
「なぁ、モートン。だから私が勝手について・・・」
 またヴォルフが口を挟んだが、今度は目もくれず黙殺することにする。
 モートンが取り合う気のない様子を感じ取ったか、ヴォルフは渋々ながら口を噤んだ。
「オブ、それから?」
「~~~追いかけてくるなんて思わなかったんだよ」
「屋敷に帰れとは言ったのかね?」
 想定外の事態の正当性を主張していたオブシディアンが呻いて俯くと、やがて小さく首を横に振った。
「そう。それで?」
「・・・ついて来るなら、根こそぎ頂戴してやろうと思って・・・、兄貴達のところへ・・・」
「誘導した。俯かない。顔、こっち」
 ヒョイと顎を持ち上げてやると、オブシディアンはすっかり涙目になっていた。
「ほら、それから?」
「み、身ぐるみ剥いで、それで終わりのつもりだったんだ! 盗る物がなけりゃ、貧民窟でも襲われりゃしねぇし、放っていっても大丈夫だし! なのにコイツが自分から、俺たちのことが知りたいって言い出してぇ・・・!」
 お前たちのことが知りたいなどと言う言い回しが、オブシディアンの捏造とは思えない。
 よって、嘘はないと判断できる。
 だが、モートンは「それでこういうことに」と納得してやるつもりも毛頭ない。
 身ぐるみ剥がれたヴォルフを放逐しておけないというならいざ知らず。
「放っていっても大丈夫だと思ったのに、それを受け入れたのだね。どうして?」
「う、うぅー、う~・・・」
「泣かない。ちゃんと話す」
 ちゃんと全てを吐露させなければ、こうして厳しく追求している意味がない。
「~~~だってぇ・・・」
「だって?」
「こき使ってやれば面白いだろうって、思った! 姉ちゃんにひどいことしたクソ侯爵が辛い思いを味わえば、いい気味だって!」
「・・・最初からそのつもりだった?」
「違う!」
 涙がボロボロと溢れる瞳でまっすぐ見上げてきた顔にも、嘘はないとモートンは思った。
 ヴォルフの思いがけない行動と言動が、オブシディアンを誘発した。
 歪な糸を編み合わせた結果、オブシディアンも予想しなかった図案が織り成され、ヴォルフはこうして病院のベッドにいるのだろう。
 ヴォルフが赤毛強盗団によって暴行を受けたわけでないのは、逮捕される危険を犯してでも仮設診療所に彼を運び込んだ状況で明らかであるし、何より、先の手紙の弁護士依頼がそう主張している。
 力が入らず弱々しい筆跡ではあったが、文章そのものには力があった。
 決して、脅されて書かされたものではないことがわかる。
 ならば。
 ならば、後は。
 オブシディアンが抱えている後悔を、とことん吐き出させてやるまでだ。
「オブ。今話した経緯の是非は自分で決めなさい。私は、お前の判断がどちらでも、お前が決めた方を受け入れるよ」
「~~~ぜ、ぜひって?」
「良いことと悪いこと。お前が、こんな風になると思っていなかったことは、今の話でわかった」
「そ、そうさ! 別に俺は、コイツにこんな怪我をさせるつもりなんかなかった!」
 オブシディアンの両手が、再びシャツの裾を弄び始める。
「お気楽で贅沢しか知らないお貴族様に、貧乏がどんなもんか、味合わせてやろうって思っただけで・・・!」
 黙って見つめるモートンに、オブシディアンは必死に喚き立てた。
「こんな・・・! こんな大怪我させるつもりなんか・・・!」
 言葉を紡ぐ度に、噛み締める唇が切れてしまいそうで、モートンはつい彼の頬に手を添えて、親指で小さな唇を撫でた。
「~~~怖かった・・・。ヴォルフが、死んじゃうかもしれないって・・・」
「・・・うん」
「俺、俺ぇ・・・」
 そっと頭を撫でてやるとオブシディアンはモートンの膝にしがみつき、しばらくして膝の上とモートンの顔を見比べるように視線を泳ぐ。
「・・・抱っこ?」
 頷きたそうな目が伏せられた。
「いいかい、オブ。お前は良い子。でも、お前の中に悪いお化けが入り込んでしまったようだね」
「悪い、お化け・・・?」
「そう。このお化けは入り込んだ相手に囁きかけて、いけないことをさせるんだ。それに操られてしまったから、ここ、痛いよね?」
 指で胸を押さえてやると、オブシディアンは涙でクシャクシャの顔を上げて頷いた。
「そのままにしておいたら、ここはずっと痛いままだから。悪い化けを追い出さないとね」
「追い出すって・・・?」
「お尻。いっぱい叩かれて、あるおまじないをたくさん言ったら、逃げ出して行くよ」
「~~~や・・・」
 両手でお尻を庇ったオブシディアンは後退ったが、モートンは決して自分から手を伸ばさなかった。
「~~~お尻痛いの、嫌だ・・・」
「うん」
「でも・・・、ここがずっと痛いのは、もっと、ヤダぁ・・・」
 ベソベソとしゃくり上げながら怖々近寄ってきたオブシディアンにも、モートンは手を差し出さない。
「うー。う~。うぅ・・・」
 考えあぐねた末に、椅子に掛けたモートンの膝の上によじ登ったオブシディアンが腹ばいになったのを見て、モートンが微笑む。
「良い子。お尻、自分でめくりなさい」
 抗議の色を含んだ視線が跳ね上がったが、モートンはやはり手を出さなかった。
 おずおずとズボンと下着をずり下げたオブシディアンに、ここで初めて頭を撫でてやる。
「痛いからね。覚悟おし」
「モ、モートン! おまじないって、何を・・・!」
「教えなくても、お前は良い子だから。どんなおまじないかを知っているよ」
「し、知らねぇし! モートン、待って・・・! あ!」
 腰に添えられた手が始まりの合図と悟ったか、オブシディアンは青ざめた顔をねじ向けてきたが、モートンは構わず膝の上で丸出しとなったオブシディアンのお尻に平手を振り下ろした。
「イッ・・・! ~~~痛いぃ・・・」
 膝の上のオブシディアンも大きく跳ねたが、ベッドの上のヴォルフもビクンと肩を跳ね上げたのが見えて、苦笑が漏れた。
「ぅう・・・。うぅ・・・。ごめ、ん、な、さいぃ・・・」
 そう、それがおまじない。
 教えなくても、この子は心でそう思っていると、口に出さずにおいたこと。
 続け様にピシャリ、ピシャリと降らせた平手に、オブシディアンはわんわんと泣きじゃくって「おまじない」を繰り返していた。
「ごめんなさいー! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいー!」
 捲られてはみ出している小さなお尻が、じわじわと色付いていく。
「ごめんなさいぃ! モートン、ごめんさないー!」
 無論、手心は加えている。
 それでも、ピシャピシャと平手に弾かれたお尻は、間もなく熟れた桃に到達しそうだった。
 そろそろ、言って欲しい。
 そのおまじないを、向ける先を。
 言葉で誘導してやりたい気持ちをグッと堪えて、モートンは更に平手の力を弱めて据え続けた。
「うー! うぅー! 痛いよぉ・・・、ヴォルフぅ! ヴォルフぅ! ごめん!」
 見ていられないとばかりに頭からシーツを被ってベッドに横になっていたヴォルフが、弾かれたように体を起こして顔をしかめた。
 体のあちこちの打ち身が痛んだらしい。
「ヴォルフ、ごめんなさい! ヴォルフ、ごめん、ごめんんさいぃ・・・!」
 それでも、彼はベッドから這い出てモートンの傍までやってきた。
「モートン! もういい! もう許してやってくれ!」
 ようやく、手を止めることが出来た。
「聞いてくれ! オブにも、赤毛にも、色んなことを教わった! お湯のようなスープと、ガチガチのパンだけ! それでも、分け合って食べると、楽しくて美味しくて・・・。」
 傷と青痣の顔で必死に言葉を紡ぐヴォルフが、妙にたくましく思えた。
「そう言ったら、オブに怒られた! 呑気な貴族だって! スープがお湯みたいだとか、パンがガチガチだとか、それすら自分たちはわからなかったんだって!」
 モートンにも、遠い記憶。
 だが、鮮明に覚えている。
 王都に出稼ぎにきた日。
 その晩、雇われ先で生まれて初めて食べた、簡単に千切れるパンは、塩気を感じるのに甘かった。
 スープは簡単にスプーンですくえる程にトロトロと濃厚で、具は入ってなかったけれど、液体の中に具材の味がした。
 それだけじゃない。
 肉もあった。魚介類もあった。野菜は形を成していた。
 どれもこれも、見たことも食べたこともないご馳走が並んでいた。
 それがお仕えする貴族様の食事のおこぼれだと知って、愕然とした。
 こんなすごい物を、毎日食べている人々がいた。
 思った。
 ああ、父や母に。弟や妹たちに。食べさせてやりたい・・・。
「モートン、私はオブに・・・。オブが連れて行ってくれた赤毛たちのところで、たくさん色んなことを教えてもらえたんだ。だから・・・」
 オブシディアンを膝から抱き起こしたヴォルフが、せっせと彼のズボンを引き上げてボタンをはめてやる姿を見て、モートンは目を丸くし、次いで、何とも言いようのない苦笑を浮かべた。
 服を着せてもらうことしか知らなかった侯爵様が、人の着衣を整えてやっている。
 ああ、ボタンの一つも自分で止められなかったヴォルフが。セドリック坊ちゃまが・・・。
「・・・オブ」
 モートンの手で膝を降ろされたわけでないオブシディアンが、恐る恐るまた膝に這い上がろうとしたのを、抱き上げる。
「良い子。悪いお化けは、どこかへ行ってしまったよ。胸は? まだ痛いかい?」
「~~~痛くない。けど。お尻ぃ・・・」
「ふふ。そりゃあたくさん叩いたもの」
「・・・許して、くれるの?」
「許すも何も。お前が良い子なのは知っているもの。私も、ファビオも、旦那様も、それから、セドリック様も」
 トントンと叩いてやった背中が、震えていた。
「~~~ごめんなさいぃ・・・」
「うん。うん。オブ。オブシディアン。良い子。良い子だね」
 ホッとした。
 ホッとして、ふと視界に入ったヴォルフの、更にホッとした安堵の表情に、苦笑。
 自分が育てるはずだったセドリック坊ちゃま。
 こんな優しい笑顔を、浮かべる方に育てて差し上げたかった。
 それが叶わぬまま数十年。
 今、彼を取り巻く環境がそれを叶えてくれている。
「・・・ありがとうございます、旦那様・・・」
 小さく、それは小さく、モートンは呟いた。



「旦那様、どうなさいました」
 モートンがヴォルフの病室を出ると、ちょうどフォスターが診療室を後にしたところだった。
 どこか打ちのめされたような俯き加減の主。
「ああ、モートン。そちらは済んだの?」
「・・・はい。悪いお化けは退治致しましたよ」
「ああ、あれは効くものねぇ。私も幾度、悪いお化けを退治されたっけな」
 冗談めかして肩をすくめ、前を歩くフォスターの後ろ姿が涙を堪えていると気付けぬモートンではない。
 そして、それに気付かれていると察することのできないフォスターでもない。
「モートン。屋敷に帰ったら、泣くから。父上を執務室に近付けさせないでおくれ」
「・・・本日の運転手は私めにございますから。お屋敷まで遠回りになるやもしれませぬ」
「おや、お前がそんなに方向音痴だったとは、知らな、か・・・」
「参りましょう」
 すっかり肩を落としたフォスターを抱き寄せるように歩き始めたモートンは、ふと診療室のドアから自分たちを見送っている老医師に気付いて、そっと頭を垂れた。
 老医師は玄関まで送りに出ようとしたのをやめて、ドアを閉じ、窓から彼らが出て行く姿を見送った。
「・・・そりゃあ、お貴族様だって、木の股から生まれたわけじゃねぇからなぁ」
 心臓の手術を口にしたフォスターから、父の話を聞き出した。
 父のことを話す伯爵様は、余命を宣告された父を救いたい一心の、ただの若者だった。
「助けてやりてぇのは、山々だがなぁ・・・」
 走り出した車の中で、きっと、あのフォスター伯爵は泣いているのだろうと、老医師は思った。



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