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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第三十一話 お小言の弱音

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 自室のベッドで睡魔に抱かれていたモートンは、ドアの前を通り過ぎていった気配に体を起こし、サイドテーブルの上のランタンに火を灯した。
 隣の部屋で眠っているファビオを起こさぬようにそっとドアを開けると、主人たちの居住フロアへの通路に気配が手にしているであろうランタンの明かりが消えていく。
 吐息をついたモートンは一旦部屋に戻って手帳を手に取り廊下に出ると、消えていったランタンの灯りとは反対方向の、休憩室へと歩を進めた。
 ダルマストーブの焚口に火かき棒で中の石炭をつついて種火に空気を送り込むと、黒かった周囲の石炭も次第に赤く光り出す。
 そこへ古新聞と薪を少々くべて、ポットをストーブに乗せた。
 ちょうど湯が沸いた頃、深夜で無人のはずの休憩室の物音に気付いたらしい先程の気配が、顔を覗かせた。
「モートン、こんな夜中にどうした」
「それはこちらのセリフですよ、スフォールド。眠れないご様子ですので、コーヒーでも淹れましょうね。ミルクたっぷりで」
 苦笑を浮かべたスフォールドは、休憩室の指定席である窓際の長椅子に腰を下ろして、俯き加減で頭を掻いた。
「ふふ。情けないよなぁ。苦しかったら、ちゃんと呼び鈴を鳴らすと大旦那様は約束なさったのに、どうして信じられないのかなぁ、私は。つい、様子を見に行ってしまう」
「信じていないのではなくて、つい考えてしまうのでしょう? もし大旦那様が、呼び鈴を鳴らせないくらいの発作に襲われていたらどうしよう。呼び鈴に急な不具合が起こっていたらどうしよう、とね」
 差し出されたコーヒーのミルクと砂糖がたっぷりの甘い香りが、鼻腔をくすぐる。
「お気持ちはわかりますが、毎晩一時間起きに起き出していては体がもちませんよ」
「ああ、すまない。お前まで起こしてしまっていたか。気をつけていたのだが」
「普段ない気配に敏感たれと、師匠の教えですので」
「優秀な弟子を持って、その師匠はさぞや鼻が高いだろうね」
 コーヒーを口に運んで肩をすくめたスフォールドは、ニッと笑みを浮かべようとして失敗したようだった。
 眉間をつまむようにして、深い吐息が漏れた。
「私は、気配に気付けなかった。道化師に完敗だ。ふわふわヘラヘラひらひらと。そんな大旦那様を理解していたつもりだったのに、発作など、思いも寄らずに・・・」
「そう、それなのですが、スフォールド」
 差し向かいに椅子を引っ張ってきて腰掛けたモートンは、持ってきていた手帳を開いてペンを構えた。
「旦那様がスフォールドに訪ねて欲しいと。大旦那様が、あなたと一緒にいる時は発作が起こらなかったとおっしゃったそうですが、何かお心当たりはございませんか?」
「いや、これといっては・・・」
「大旦那様が胸の違和感をご自覚なさったのが、三年程前と伺いましたが」
「ああ。ご本人もたまのことであるし、年か疲れだと思っていたそうだ」
「最初はどちらで?」
「・・・ここ。旦那様の婚儀の為に、領地からフォスター家に移られてしばらくしてからのことらしい」
 手帳に書き留めていたモートンの手が止まり、小さな嘆息。
 スフォールドもそれを認めて苦笑した。
「旦那様に報告しにくかろう」
「・・・はい。けれど、旦那様は決して諦めないとの決意の元、より詳細な事実を求めていらっしゃいます。どうか、続けてください」
 静かな微笑みを揺蕩わせて、スフォールドが頷いた。
「それまで、大旦那様はほとんどの期間を、ローランド領地で過ごしておられた」
 フォスター領は既に自慢の息子が立派な領主として、領民の生活を守ってくれている。
 クラウンは安心して、ローランド領の自治に注力できた。
 元より城に鎮座している質ではないクラウンであるから、それは精力的に各資源の採掘場や関連施設を飛んで周り、フォスター領主だった頃同様に領民に親しまれていたそうだ。
「自分まで真っ黒になって炭鉱の中に入っていく領主など、初めてだったからな」
 領民たちと共に笑うクラウンが実に楽しそうで、傍で見つめていて嬉しくて、誇らしくて、幸せな気分だったとスフォールドは語る。
「自分が疲れても、人に笑っていて欲しい方だ。頑張り過ぎていたのかねぇ・・・」
「・・・スフォールド、コーヒーが冷めますよ」
 落ち着いて。
 その為に淹れた甘いコーヒーだ。
 苦笑を浮かべてコーヒーをすすったスフォールドは、ダルマストーブの空気孔から見える石炭の赤い光に目をやった。
「すっかり紳士に御成りだったがね、ローランド領民たちと触れ合う笑顔は十七歳の時と同じだった。嬉しそうな笑顔は、本当に可愛らしくて・・・」
「笑いジワが刻まれた、本当に優しいお顔立ちでいらっしゃいますよ」
「出会ったばかりの頃は、まだよく泣いたり悩んで弱音を吐いたりして、表情を歪ませていたのに」
 どうもまた感情が下降線に突入しそうなスフォールドを見遣って、モートンは時の流れを感じずにいられなかった。
「これは、私の勝手な想像ですが・・・」
 面映ゆい気分に、ペンで額を掻く。
「笑うことも、泣くことも弱音を吐くことも、いつでもできる場所がある。同じいつでもできるなら笑っていた方が楽しいと、大旦那様はお思いになったのでは? その場所がどこかは、私が言うまでもありませんでしょう?」
 虚をつかれたようなスフォールドに向けて、モートンは微笑んだ。
 時の流れは、本当に早い。
 まさか、この自分がスフォールドに説教じみたことを言う日が来ようとは。
 人間、人のことはよく見えても、存外、自分のことは見えぬものだ。
「大旦那様は確かに当代きっての道化師にあらせられます。なのに、ご自身の病のことをあなたには打ち明けられた。それは、いつでも弱音を吐ける場所だと、思っておられるからに他ならないのでは?」
「~~~」
「ね、スフォールド。ですから、あなたもあなたのその場所を頼ってください。私はあなたの弟子で、その私の薫陶を受けて育った従僕たちも大勢ここにおります。呼び鈴の不具合など起こさせぬよう点検を怠りませんし、一時間に一度は交代で大旦那様の寝室を確認させましょう」
「~~~モートン、すまぬ。ありがとう・・・」
「いえ。ですから、ちゃんと眠ること。いいですね?」
 コクンと頷いたスフォールドの手からカラになったカップを受け取って、モートンは手帳を閉じた。
「あ。待て。もう一度、手帳を。早速で悪いのだが、頼らせてくれ」
「はい、なんなりと」
「明日、私はローランド公爵領から王太子領への移譲残務の一環で、王都郊外のローランド領同種の工場を王太子の侍従団と視察検分に赴かねばならん」
 離れて過ごしたくない主と、主の望みの為に離れて過ごさねばならない苦悩は、痛いほどよくわかる。
「ご安心を。大旦那様には、旦那様も、私も、従僕たちも、そしてファビオもおります故」
「~~~ファビオを強調するな」
「おや、この三年でファビオの中のあなたの血を、私は確信しておりますよ?」
 実を言うと、スフォールドも感じていた。
 すっかり青年となり、仕事中は髪をきちんと整髪するようになったファビオの顔が、自分の若かりし頃を彷彿とさせるのだ。
 何も知らないクラウンが時折じっと給仕しているファビオを見ていると、ヒヤヒヤする。
 彼に知れたら、これでもかとからかわれるのは目に見えていて、今ですら執事の立場と友人の立場が無意識に混同して弱っているのに、歯止めが利かなくなりそうだ。
「モートン」
「はい」
「その、何だ。近頃の私はどうもこう、分別と言うか、弁えと言うか・・・」
「はい。度々、人目憚らず主従の立場を脱線しておられますね」
「・・・怒って良いぞ。私は自分がこうも心弱い人間だと思っていなかった」
「そうですか、では」
 場を改めるように咳払いしたモートンが席を立ち、チラとスフォールドを見下ろす。
「部下たちの前では、きちんと線をお引きなさい。示しがつきませぬ」
「・・・気をつける」
「目はこちら」
 俯き加減だったスフォールドが拗ねたように顔を上げると、厳しい顔つきであったモートンが笑いをこらえるように拳を口に当てた。
「その角度の表情。私に叱られている時のファビオによく似ていますよ」
「~~~ああ、まったく! 私がお前の師匠で良かったよ。立場が逆なら、お尻が毎日真っ赤にされるところだった」
「毎日は言い過ぎですよ。ファビオのお尻が赤く腫れたのは、せいぜい週に一度です」
「なら、やっぱり毎日だな。孫の方が優秀に思うもの」
「ご馳走様です」
「ふん。羨ましかろう」
「いいえぇ。私には血のつながった子供も孫もおりませんが、恐れながら我が子のように愛おしく思う旦那様のお陰で、家族が、どんどん増えていきますので」
 オルガ。初めてフォスターが連れ帰ってきた時は、唖然とした。
 車のシートカバーに包まれた裸の少女。
 言葉もろくに喋れず、四つん這いで歩き、ベッドに潜り込んできて、上げたことのない悲鳴を上げさせられた。
 ヴォルフ。初めての自分の主。
 そして、もう二度と関われないかも知れないと覚悟し、耳に届く噂に、どれだけ心痛めたしたことか。
 自分が育ててきたフォスターが、尽く招待を断ろうとするのも無理からぬことと思えた。
 ファビオ。フォスター家に出入りしていた市場の配達人だった頃の彼とは、ほとんど口を聞いたこともなかった。
 無論、自分の師匠の血を引いているなど、考えたこともない。
 そして、オブシディアン。ヴォルフが見つけ、ファビオが招き入れた、オルガの弟。
 初めて添い寝で寝かしつけた時の恐怖に猛り狂う姿が悲しくて、それが、安堵の寝息に移り変わっていった様が、嬉しくて、愛おしくて。
 フォスターが投じた一石が波紋のように広がって、繋がっていく縁(えにし)。
「スフォールド。あなたには、感謝しかございません。あなたが私を拾ってくれたお陰で、私は今、子沢山の幸せ者になれました」
「・・・手の掛かる子供ばかりだが、お前のお陰で、私は安心して全てを任せていられるよ。お前に出会えた私こそが、最高の幸せ者さ」
 長椅子から立ち上がったスフォールドがポンと肩を叩いて去りゆくのを、モートンはふと呼び止めた。
「そう言えばスフォールド、オーデコロンを変えられたのですか?」
「? 変えるも何も、コロンなど使うはずないではないか。余計な香りなど、給仕を担う私たちには御法度だろう」
「それはそうなのですが・・・」
 昔から、スフォールドと擦れ違ったり、彼がふわりと身を翻す瞬間、本当に僅かながらだが、甘い香りを感じていたのだ。
 そこはかとなく香る程度で嫌な臭いでもないので気にしていなかったが、今のスフォールドからはそれが一切感じられない。
 そう言えば、ヴォルフのお目付け役として彼をフォスター家に招来した時も、数日後にはその甘い香りは消えていたような・・・。
 以前は気にも止めなかったが、フォスターから聞いたキーワードめいたクラウンの言葉と、符合する気がした。
『お前の傍にいると発作は起きなかった。けれど、今のお前は期限切れ』
 クラウンが発作を自覚したのが三年前のフォスター家での生活からとすれば、スフォールドの漂わせていた甘い香りの有無に合致する。
「モートン、コーヒーをご馳走様。おやすみ」
「え、ああ。おやすみなさい、スフォールド」
 スフォールドの背中を見送ったモートンは、彼が座っていた長椅子に腰を下ろした。
「・・・うん。やはり、何も香らない」



 オブシディアンはザラザラと人が流れ出てくる門の前で握り締めていた紙切れに目を落とした。
 まだベッドから離れられないが、背中に枕を支えに置けばどうにか半身を起こしていられるようになったヴォルフが、いの一番に希望したのが、手紙を書く事だった。
 看護婦が用意した便箋に何やらしたためたヴォルフが、オブシディアンにそれを託した。
「強盗が私相手だけならば口添えだけで釈放となろうが、手配が掛かっていたということは余罪の追求は免れぬであろうから、赤毛たちに弁護士をつけて欲しいと、フォスターに依頼の手紙を書いた」
 べんごしとか、よざいとか、こ難しいことはよくわからなかったが、まだ浮腫んだ顔のヴォルフの懸命さは感じた。
「自分たちが警察に捕まる覚悟で、たった数週間を共にしただけの私の命を救ってくれた赤毛たちへの、私ができる精一杯だ。モートンに届けてくれれば、フォスターは必ず動いてくれる」
 その手紙を受け取ったはいいが、どうしてもフォスター家に足が向かなかった。
 別にモートンに直接手渡さなくとも、守衛に託すなり裏木戸の隙間から投げ込むなりいくらなりと届ける方法はあるのだが、あの屋敷に近付くとつい、中に入りたい誘惑に駆られる。
 温かな寝床と、温かな食事と、温かな・・・人達。
 その誘惑に勝てる自信がない。
 赤毛たちが警察に捕らわれた今、ますます、一人だけ温々(ぬくぬく)とそこに身を任せるのは、どうしても嫌だった。
 赤毛たちは確かに自分たちが犯した罪で縛を打たれた。
 けれど、男娼小屋から必死に逃げてきた自分を匿って、大した役にも立たないのに仲間として一緒に過ごしてくれたのだ。
 生活そのものは貧しく辛かったけれど、だからこそ身を寄せ合うようにして過ごしてきた時間は、フォスター家で味わった温もりに勝るとも劣らなかった。
 だから、自分だけ幸せになるのは嫌だった。
 フォスター家に近付くことなく、ヴォルフからの手紙を届ける方法。
 知識の乏しいオブシディアンには、医師や看護婦に頼んで郵送という発想がなく、思いついたのがオルガの学校であった。
 モートンが手紙に記してくれていた、おそらくは姉であろうあの少女の通う学校の前に、オブシディアンは立ち尽くしているのである。
 幾度か前を通りがかったことはあるので、夕刻前にはベルが鳴り響き、そこから大勢の年若い少年少女がこの門をくぐって出てくるのは知っていた。
 その中からオルガを探して・・・とは思うのだが、こんな大勢の中から果たしてあのブルネットの黒い瞳を見つけ出せるだろうか。
「おい、待てってば、おい。また旦那様に叱られるぞ。子供みたいに! お尻だけ丸出しにされて! お尻ぺんぺんだなぁ、また!」
「わざと大声で言うとか! 喧嘩売ってんの!?」
「お前こそ、旦那様に喧嘩売るみたいな真似、いい加減やめろよな」
 一際賑やかな声で、意外と簡単に見つけられた。けれども。
 ファビオまでいるとは思わなかった。
「あら」
「あ!」
「~~~ぅ」
 見つけたかったオルガに見つけてもらえたが、見つかりたくなかったファビオにまで見つかって、オブシディアンは思わず脱兎のごとく駆け出したが、ファビオのリーチが若干勝り、襟首を掴まれてしまった。
「オブ! お前はぁ・・・黙っていなくなるんじゃない、このバカ!」
「離せ! お前に用なんかない~~~!」
「お前になくても俺にはある。心配かけた子はお仕置きに・・・って、オルガ、待てって!」
 ふと見ると、すっかり手の届かない位置まで歩みを進めて振り返り、ファビオに向けて舌を出して見せるオルガの姿。
「~~~あいつはぁ・・・」
 嘆息というか、鼻息というか、どちらともつかない息を吐き出した彼の脱力感を感じ取り、その隙に掴まれた襟首を解こうと試みたが、脱力はあくまで心情的なものであるらしく、その力には敵わなかった。
「・・・お前まで逃がすか。手の焼ける姉弟め」
「お、お尻はヤダ。お尻はヤダ! お尻はヤダぁーーー!」
「嫌じゃないことをしたって、お仕置きにならないだろう」
 必死の抵抗も虚しくファビオの小脇に逆さに抱えられると、もがいていた足にひん剥かれたズボンと下着が絡まった途端に、パン!と濡れた布切れをはたいたような音が響き渡る。
「ぅあーーーん!」
 見えないけれど、ヒリつく感覚でわかる。
 きっと、お尻にはくっきりとファビオの手形が赤く浮かび上がったに違いない。




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御礼

~さま

初めましてv

嬉しい言葉をたくさん頂戴し、本当にありがたく思っております。
番外編のエピソードが本編に入ってくるという、
途中から読み始めてくださった方には大変わかりにくい構成になっており申し訳ありません(^_^;)
それでも読んでくださったことに、感謝感謝ですv

はい、そろそろ終盤ではありますが、まだもうちょっとタラタラと続きますので
よろしければお付き合いくださいませm(_ _)m

コメントありがとうございましたvv
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