【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十七話 離散の日々

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 貧しい青年グループの薪作りというのは、そこかしこで掻き集めてきた廃材や木箱を解体して、釜戸にくべるのに手頃な大きさにしていく作業のことを差す。
 釜戸と言っても、元々組まれていたレンガは風化して形を成していないので、拾ってきた一斗缶に空気孔を開けた物がその代わり。
 オブシディアンは鉄梃や鋸で木箱を解体しながら、不機嫌満面でヴォルフを睨んだ。
 先程から、赤毛の兄貴に言いつけられた仕事をせっせとこなしているのは自分だけ。
 ヴォルフは椅子替わりの箱馬に腰掛けてテーブルに頬杖をついたまま、じっと虚空を見つめている。
 蹴りつけて、「手伝え!」と怒鳴りたいのは山々なのだが・・・。
「・・・チッ」
 妙に声の掛け辛いオーラが漂っているのだ。
 ヴォルフが身に付けるのは兄貴分の物で、衣服の形をしたボロ布と穴の空いた靴。
 顔も頬を支える手も、ろくに運ぶこともできなかった煙突掃除道具を触ったせいで、黒く汚れている。
 髪も埃と煤に侵食されて、ゴワゴワの毛束ができていた。
 たった一日で、その風体はもはや、オブシディアンたち同様の貧民街の男。
 フォスター家から舞い戻ってきたばかりのオブシディアンの方が、小奇麗なくらいだ。
 それなのに。
 頬杖から口元に伸びる指も。
 箱馬に座って組まれた足も。
 どこまでも優美。
「・・・オブ。私のペンと手帳はどこ?」
 不意に口を開いたヴォルフに、オブシディアンは鼻を鳴らした。
「はあ? 返さねぇぞ。あれは売りもんだ」
「ならば、お前たちのペンと紙でも良い。練りたい草案がある」
「字が書けないのに、あるわけないだろ」
「赤毛たちも書けぬのか? 彼らはオルガやファビオと同じくらいの年頃であろう。義務教育の適用年齢ではないか」
「~~~行けるわけねぇだろ、このお気楽クソ侯爵!」
「義務教育は無料で・・・」
「学校とやらがタダでもなぁ、その時間働いてなきゃ、生活していけねぇだろうが!」
「・・・これも、浸透無き発布か・・・」
 オブシディアンはつい息を飲む。
 能天気でお気楽な浮世離れ侯爵様が、こんな険しい面持ちを浮かべるのを初めて見た。
「オブ。なれば尚の事、思うところをまとめたい。どうか、私のペンと手帳だけ返してはもらえぬだろうか。頼む」
「・・・やなこった。あのペンと手帳を売れば、一週間は皆が食い物に困らねぇ。それと、オメェの落書きを秤になんか掛けられるかよ」
「あのペンと手帳だけで、お前たちが一週間も・・・?」
 眉間に刻まれたシワが更に深くなった。
 何か言いたげに動きかけた唇がキュッと一文字に結ばれて、ヴォルフが頭を掻き回した。
「すまぬ。草案は、頭の中で組み立てるとする」
「頭だけじゃなくて体も動かせよ、手伝え、バカ。ここ、押さえてろ」
「・・・うん」
 やはり何か考え事をしながらではあるが、ようやくオブシディアンが鋸を当てる木箱を支え始めたヴォルフ。
「・・・なぁ、オメェ、字が書けるんだよな? なら、読むのもできるよな?」
「え? ああ、読めるよ」
「・・・これ」
 ポケットからクシャクシャに丸めた紙切れを取り出したオブシディアンは、ヴォルフに差し出した。
 何故だか捨てるに偲びなかった、文字の認められた紙。
 ヴォルフは丸められたそれを受け取って開き、ふと目元を緩ませた。
「モートンの字だ」
「字で、誰が書いたかわかるのか?」
「うん。筆跡というのは、人柄が出るからね」
「・・・モートン、何て?」
「オルガの学校の名前が書いてある。後、下校時間。それから・・・」
 ふと口を噤んだヴォルフを見上げて、オブシディアンは首を傾げた。
「それから、何?」
「・・・フォスター家を出て行ってしまっても、お前を家族だと思っている。いつでも、帰って来なさい、と・・・」
 ああ、また。
 まただ。
 クソぬるい綺麗事。
 綺麗すぎて。
 キラキラと眩しすぎて。
 目を背けたくなる。
 背けた目から、こぼれそうになる、涙。
 だが、涙はすぐに引っ込んでくれた。
 目の前に、更に大粒の涙をこぼしている大人がいるせいだ。
「おい、こら。何でオメェが泣いてんだよ」
「~~~し、くて・・・」
 涙声の上に、鼻をすすり上げながら、しかも口の中で呟くものだからハッキリはわからないが、聞き間違いでなければ、「羨ましくて」と聞こえた気がした。



 ヴォルフが屋敷を出て二週間が経った。
 逆に屋敷に戻るはずの両親の引越しも遅々として進まない。
『いやはや、参ったよ。早くジュニアを抱っこしたいのにねぇ』
 電話越しの父の声に、苦笑が滲んでいた。
「相手はクオリティ・ペーパー(高級新聞)でなく、タブロイド紙(大衆新聞)の記者にございましょう。致し方ございませんね」
 受話器のこちら側のフォスターは、そう言いつつも口いっぱいの苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。
 高級新聞とは上流階級(王族・貴族・平民であるがブルジョア階級と呼ばれる資産家)の間で読まれる新聞のことで、宮廷専属の記者もいる。
 ローランド公爵位の返上とローランド領の王太子領への移譲は、そんな宮廷番の記者たちへの公式発表として記事にされたが、事はそれだけで収まらなかった。
 ローランド公爵が肖像画も顔写真も過去に公開されていない謎めいた人物であるということに、大衆紙(労働階級など、平民向け新聞)が食いついたのだ。
 元より、上流階級者のゴシップ記事を面白おかしく書き立てて、平民の娯楽とする性質の大衆紙である。
 アポイントによる取材や発表待ちというお上品な高級新聞紙記者と違って、昼夜、ローランド公爵邸周辺に張り付いているとのことだった。
『私とスコールドだけならね、お忍び姿でいくらでもそちらへ行けるのだけど、ビーがいるからねぇ』
 父の病を知って以来、あの明るい母がすっかり心弱くなってしまったのだと言う。
 そんな母が大衆紙の記者に囲まれて矢継ぎ早の質問攻めや、幾台ものカメラを向けられるなど、あまりに気の毒だ。
 フォスターは目にした大衆紙には、想像力豊かな文章が踊り狂っていた。
―――正体不明の謎の公爵・ローランド卿、失脚!
―――ローランド公爵位は返上でなく剥奪!
―――ローランド公爵は傀儡政治の黒幕だった!
―――ローランド領の王太子領移譲は、新王朝樹立の企てが明るみに出ての召し上げか!?
 ・・・思い出すだけで、反吐が出る。
「・・・父上」
『何だい、アーシャ』
「私も、父上に早くお会いしとうございます・・・」
 しばしの沈黙の後、受話器越しにクスクスと笑い声。
『大丈夫だよ~、心配しなくても。お父様はまだまだ元気』
「そういう意味ではなくて・・・」
『ありゃ。ちょっとショック』
「ち、違います! 私は父上のことを決して諦めませぬ! ですから、無用の心配はしないのです!」
 また少しの無言。
『そうかぁ。ありがとうね、アーシャ。じゃ、お父様に早く会いたいなんて、甘えてくれているのかな?』
 ようやく発せられた父らしい軽口。
 今までは見られなかった時折の間が、父の体でなく、心が本調子でないことを感じさせた。
「・・・はい、父上。甘えたいのです。ヴォルフのこと、スフォールドからお聞き及びでございましょう?」
『・・・うん』
「大衆紙が広める流言飛語を民草が喜んで受け入れるのも、王政へ不満を抱える心の声のように思います」
『そうだね~、お父様もそう思うよ。この国はまだまだ貧富の差が著しい。日々の不平不満を、貴族を嘲ることで解消するなんて不毛なことをさせているのは、王政を担う貴族自身だよね』
「国民皆が笑って暮らせる国にするにはどうすれば良いかと、ヴォルフとよく話しました。宮廷でも、屋敷でも、互いにああでもないこうでもないと・・・」
 見えないけれど、父が静かに微笑んでいる顔が浮かんだ。
『良い盟友と出会えたね、アーシャ』
「・・・はい。それなのに、何故。どうして。悔しい。悲しい。腹立たしい。辛い」
『うん』
「引き止めれば良かった。もっと、話し合えば良かった」
『うん』
「抱えた気持ちを、こんな電話越しでなく聞いていただきたいのです。慰めてもらいたいし、叱ってもらいたい。あ。お仕置きは抜きで・・・」
 受話器の向こうから、いつも通りの父の快活な笑い声が聞こえた。
『アーシャや。やっぱり、お前は私の生きる糧だなぁ。お前に甘えてもらえると、お父様は元気になれるみたいだ』
 昔通りの父の笑顔が見えた気がした。
『アーシャ、愛しているよ。私も早くお前に会いたい。うんと甘えてもらいたい。大事な弟をどうやってまたフォスター家に呼び戻して、心配させたあの子にどんなお仕置きをするか、一緒に考えなきゃね』
「そうですね・・・」
 父の笑い声と柔らかな口調を耳に、フォスターの表情も和んでいった。
 会いたい。
 一日でも早く。
 その為には、どうにか大衆紙の記者たちの目をくらます方法を考えねばならない。
 本人が言うように、お忍びが得意な父とその執事ならば使用人にでも扮してローランド邸を抜け出せるだろうが、母は息子の自分が言うのも何だが、どこまでもふんわりした育ちの良さが滲み出る女性だ。
 あの内から醸し出すお姫様の空気を、平民服で覆い隠せるとは思えない。
 ・・・平民?
 フォスターはふと顎を撫でた。
「・・・父上。母上にワイラー夫人とご令嬢を招いてお茶会をと、説得していただけませんか」



 ローランド公爵邸から出てきた車に一斉にカメラは向けられたが、執拗な取材はなされぬまま走り去った。
 車窓に映る人影は入った時と同様に運転手以外は後部座席に女性が二人と変わらなかったし、他家の貴婦人相手に取材しても収穫薄と記者たちは判断したのだ。
 それを記者たちに紛れて眺めていたお忍び姿のクラウンが、同じく平民服姿の女性を振り返って微笑んだ。
「協力ありがとう、オリガ。お陰で妻は無事に屋敷を出られたよ」
 訪問を終えたワイラー家の車に、ベアトリスはワイラー夫人のドレスを着て乗り込んだのである。
「・・・ただ、娘ならともかく、ワイラー夫人ってのが気に入らないのだけど・・・」
 ブツブツとぼやくクラウンに、オリガが呆れたようにお付きのスフォールドを見上げると、彼も肩をすくめている。
「仕方ないだろう。奥様がいくら童顔で可愛らしい方でも、ご令嬢と言うには薹(とう)が立ち過ぎている」
 つまり、オリガのドレスを本来のワイラー夫人が身に付け、ワイラー夫人のドレスをベアトリスに着せて、ローランド邸を脱出させたのだ。
 そして、元々平民のオリガなら、クラウンたち同様に平民服を着て屋敷を抜け出したところで、記者たちは気にも止めない。
 発案者フォスターの予想通り、三人がそっと屋敷を出てしまえば、記者のすぐ脇を闊歩しても誰も彼らに注意を向けなかった。
「薹が立ってるとか言わないで! ビーは可愛いもん」
「はいはい、可愛い、可愛い。そんなことよりオリガ様、お礼方々、フォスター家でお茶でもなさいませんか?」
 スフォールドの言葉に、オリガはヒラヒラと手を振った。
「いいわよ、礼なんて。フォスターが私なんかに頼み事してきたってだけで、十分だし。それに・・・」
 言い淀んだ彼女が何を言いかけたのか、事情を知る二人には想像がついた。
 オルガと会いたくない。
 いや、この表情から察するに、気まずいのだろう。
「じゃ、私はここで」
「送るよ」
「いいってば。じゃあね!」
 下町娘さながらに駆け出したオリガの後ろ姿を眺め、クラウンが頭を掻いた。
「うーん。羽を伸ばして行く気満々だなぁ。スコールド、お前が一緒について行ってあげて。僕はビーが心配だし、早くフォスター家に戻りたいから」
「いや、しかし・・・」
 主を一人にさせたくない、いや、主と離れがたい様子のスフォールドに、クラウンは苦笑を浮かべた。
「僕なら大丈夫だよ。こちらの依頼を引き受けてくれたお嬢様が、お父様にお尻ぺんぺんされたら可哀想でしょ。ほら、早く。見失っちゃうよ」
 渋々といった調子で後を追ったスフォールドを見送って、踵を返した時だった。
「あ・・・」
 胸を押さえたクラウンは、どうにか歩道の街路樹の根元まで歩を進めて蹲った。
 増えてきた発作。
 スフォールドが傍を離れたがらないのも、仕方のないこと。
「おい、オッサン? 大丈夫か?」
 その声にふと顔を上げると、カメラを首からぶら下げた青年が覗き込んでいた。
 おそらくは屋敷を囲んでいる記者の一人だ。
「脂汗がひどいぜ? 病院へ運んでやろうか」
「だ、大丈夫だよ~。ちょっと持病でね。すぐに治まるから・・・」
「なら、家までおぶっていってやるよ」
「え。いや、いい・・・」
 弱った。帰りたいのはフォスター家だ。
「安心しろよ。怪しいもんじゃねぇ。俺はガーデンタイムズって新聞社のコリンズってモンだ。そら、家はどっちだ?」
 コリンズという男に背負われてしまったクラウンは、仕方なくフォスター家の方向を指差した。
 変に下町方向を伝えて、フォスター家から遠ざかるのは正直きつい。
 一分でも一秒でも早く、妻や息子、そして孫の待つ家に帰りたい。
 胸の痛みが治まらない間に、背負われて距離が稼げるなら稼ぎたい気持ちもある。
「へえ、アンタ、フォスター伯爵家の庭師か」
 長年お忍びをやってきたが、まさか自分の家の使用人を名乗ることになるとは思わなかった。




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