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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十六話 書面の上の金銭

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 ヴォルフ領へ帰領の際はいつもファビオが車で駅まで送り、切符の手配をして、積み込み荷物をポーターに依頼したりと忙しい。
 旅客ご当人様はその間、ステッキ片手に退屈そうにホームをプラプラしたり、一等車両客専用の待合室で読書や書き物をしたりと、優雅に過ごしているのが常。
 そもそも、自分で財布を持ったこともないヴォルフである。
 欲しい物があれば出入りの商人があれやこれやと選択範囲のだだっ広い品揃えで駆けつけてくるし、散歩がてら歩いていた大通りの店などに気まぐれに立ち寄って、欲しい物をじっと見つめればお付きが、預けられているヴォルフの財布から代金を支払って買い求めるという具合。
 で、あるからして。
 この度の初めての一人きりの出立前に、ファビオは不服ながらも『切符を自分で買う方法』を教えた。
 と、言うか。
 自分でお金を払うということを教えたのだが。
「はい、これがセンズ硬貨。一、五、十、二十五の四種類。こっちがジエル札。一、五、十、五十、百、五百の六種類」
「・・・馬鹿にしているのか?」
「では、六センズのリンゴを一つ買うのに出すべきお金は?」
 幼子相手の算術お稽古のようなやりように鼻白んでいたヴォルフが、ファビオがテーブルに並べたお金の中の札を一枚指差した。
 フンと鼻を鳴らして当然だと言いたげなヴォルフに、ファビオは額を押さえる。
 まあ、こういうところは彼の保護者のフォスターとて、あまり変わらないか。
「・・・不正解」
「何故? 一番大きな額を出しておけば、絶対間違いないだろう」
 ヴォルフが指し示したのは五百ジエル。
 昔、市場でフォスターが差し出したのは十ジエル。
 フォスターの方が若干マシ・・・という程度。
 ファビオは首を傾げているヴォルフに、グイと詰め寄った。
「よろしいですか、セドリック様。出入り商人相手ならばいざ知らず、街での金銭のやり取りは、ただの算術ではないのですよ。その場の物価というものをお考えください」
「だから、リンゴが六センズという値に対して・・・」
「そ~う~で~は~なくて~・・・」
 引きつるこめかみを揉みほぐしながら、ファビオはテーブルに並べた金を財布の中にしまっていった。
「六センズの品を取り扱う平民の店に、大きな額のジエル札に対応できる釣り銭など用意できません!」
「怠慢だな」
 たまに、遥かに年長者の侯爵様のお尻を引っ叩いてやりたくなる。
「いいですか、セドリック様。一等車両の個室の切符は、五百ジエル数枚を要します。けれど! まかり間違っても! 駅のポーターにジエルでチップなどお渡しになりませんように」
「チップとは?」
 ファビオはとうとう頭を抱えた。
 あー、そうかぁ。
 そうだったぁ。
 常に従者に財布を預けている侯爵様は、自らチップを手渡すという行為すら知らないのだった・・・。
「~~~一から説明し直しますね・・・」
 その後も、出立ギリギリまでお金の払い方と自分で持って歩くことの危険を、散々言い含めた。
 どこまでも浮世離れした侯爵様。
「駅員から何も連絡が入らなかったのだから、切符もちゃんと買えたんだよなぁ。今頃は、ヴォルフ領まで後二駅か三駅・・・」
 通学路を歩きながら指折り駅名を数えていたファビオは、いきなり通学カバンで叩かれ顔をしかめて頭をさすった。
「いっ。~~~テェなぁ、何すんだよ、お前は」
 隣でブルネットの巻き毛をふわふわと揺らして歩く姿だけを見ていれば、とても人の頭にカバンを振り下ろすようには見えまい。
「考え事ばっかりしてるからよ」
「仕方ないだろ、心配なんだから・・・」
「今更心配したって、課題レポートの出来は良くならないわよ」
「違うわ、馬鹿。セドリック様のことに決まってるだろ」
「ふーん」
 ファビオは目を瞬いた。
「ふーんって、オルガ・・・。セドリック様が心配じゃないのか、お前」
「別に。領地に帰っただけじゃない」
「いや、そうだけど。お前、あんなに泣いてたじゃないか」
「そりゃ泣くわよ。頭に来たもの」
 そう言う横顔を覗いてみると、オルガは確かにお冠の様子で口を尖らせている。
 どうもこう、思っていたのと違う・・・。
「何よ。すげなくした男をいつまでも思って、涙で袖を濡らせとでも?」
 横目でジロリと睨まれて、ファビオは慌てて首を横に振った。
「ふん、冗談じゃないわ。罪悪感から逃げ出すような意気地なし、こっちから願い下げよ」
 ファビオはふと立ち止まって顎に拳を当てた。
 罪悪感からの逃避。
 それかもしれない。
 お金の払い方講義開催中も、ファビオの声を味わうように聞き入って嬉しそうにしていたけれど、時折ふっと思い直すように表情を改めていたヴォルフ。
 あれが、罪悪感がさせた顔と言われれば、何やら腑に落ちる。
 そして。
 もう一つ、思い知らされたこと。
 調教や、刷り込みなどではない。
 オルガは自分の感情として、ヴォルフが好きなのだ。
 でなければ、こんな風に腹を立てていない気がする。
「・・・なぁ、オルガ」
「何?」
 振り返ったオルガを見つめて、ファビオは頭を一振りした。
「なんでもねーよ。遅刻すんぞ」
 先を歩いていたオルガをスタスタと数歩で追い抜くと、彼女は頬を膨らませて小走りになった。
「何よ、柄ばっかり大きくなっちゃって、生意気!」
「おー。安心しろ。器は小せーままだ」
 願い下げで空いた隙間に入り込む余地はあるかと、口をつきそうになったファビオだった。



 使用人通用門の木戸の貫木を押し上げて、辺りを見回しながら屋敷の外に出たオブシディアンは、塀を見上げてお尻をさすった。
「あー、クソ。まだヒリヒリしやがる」
 木戸目掛けて唾を吐きかけ、踵を返して向かうは兄貴分たちの寝座。
「どこへ行くのか、ちゃんと言ってから出かけなさい」
 言えるか。
 姉と思しきオルガもいることであるし、目がくらむ宝の山の猟場であるし、もうしばらくの間はこの屋敷に出入りして、めぼしい物を盗み出しては兄貴分たちに届けてやろうと思っていたのに。
 ここへ来る度に、あんなお仕置きを食らってはかなわない。
「チッ。なぁにが家族だ。クソぬるい綺麗事ばっかり垂れ流しやがって」
 独り言で嘯(うそぶ)いて、また舌打ち。
 売られた先の男娼小屋で下働きの頃から、ヘマをすれば嫌というほどひん剥かれたお尻をぶたれた。
 男娼の一人に加えられて働かされ始めた頃もだ。
 嫌がって泣いて暴れるばかりの自分は、客の苦情を聞かされた親方にこれでもかと折檻を食らった。
 痛いのは一緒なのに、何故だかモートンのは怖くなかった。
 親方に仕置きされた後は怖くて顔色ばかり伺っていたのに、モートンには膝から下ろされてすぐに文句を言えた。
 彼は微笑んでいたし、大きな手で頭を撫でてくれた。
 あの手の平は、温かくて好きだ。
 この屋敷に初めて来た日、ベッドで寝かしつけられた時。
 一つのベッドの中でモートンの腕の中に横たえさせられた時、吐き気をもよおす恐怖に駆られた。
 あの、体が張り裂かれるような激痛が鮮明に脳裏を支配した。
 我を忘れて泣き叫んでいた。
 ―――嫌だ、痛いのは嫌だ。やめて。お願い。やめて。痛くしないで・・・!
 トン、トン。
 ―――やだ! 痛いの、ヤダ! 気持ち悪い。気持ち悪い。触らないで!
 ポン、ポン。
 ―――お願い! 何でもするから! 何でもする! だから、やめて!
 トン、トン。ポン、ポン。
「オブ。オブシディアン。いい子。いい子。寝んね。寝んね。いい子、寝んねしようね」
 トン、トン。ポン、ポン。トン、トン。
 背中に当たる、大きな手の平。
 まるで、早鐘を打つオブシディアンの鼓動を静けさに導くように。
 心地良かった。
 数年ぶりに、深い眠りの中へ吸い込まれていった。
 一つのベッドで感じる体温が、恐怖でなくなった。
 あの日から、この男にしがみついていても、怖くない。
 嫌と言う程お尻をぶたれた後でも、恐怖心は再発しない。
 ここにいれば、幸せになれる。
 そんな気がする。
 けれど。
「俺一人だけシアワセとか、ヤダ・・・」
 男娼小屋から逃げ出して仲間に入れてくれた兄貴分たち。
 働いてもロクな収入がない中で、肩を寄せ合うようにして皆で暮らしてきたのだ。
「・・・帰ろ」
 歩き出したオブシディアンは、両手をポケットに突っ込んでふと首を傾げた。
 指先に触れた違和感をつまみ出してみると、折りたたまれた紙切れ。
 開いてみると、何か文字が書いてあるようだが・・・。
「読めねぇっての」
 クシャリと握り潰したそれを道路に捨てようとしたが、もう一度ポケットに戻す。
 何となくだが、捨てるのがもったいない気がしたのだった。



「有り得ない。そなたは雇用主であろう。であれば、雇用法を学んでいて当然ではないか?」
 兄貴分たちは午前中、煙突掃除の仕事でブルジョア階級居住区に出ている。
 そろそろ煙突掃除も終わる時間であろうから、そこで合流して、次の工場仕事は手伝おうとやって来たオブシディアンは、いつだって威張り散らしている掃除業者の親方が尻込みしつつ、魚のように口をパクパクさせている姿を見て唖然とした。
「王政が定めた最低賃金を申してみよ」
「~~~」
「何故答えられぬ! 一時間拘束に対して、五百センズであろうが。朝の七時に集合させて、今この正午までの五時間拘束。休憩時間もなし。なれば、五百センズ掛けることの五時間。答えよ!」
「あ・・・」
「二千五百センズ! 即ち、ニジエルと五百センズだ」
「だ、だから、渡しただろうが!」
「一グループに対してであろうが。最低賃金は労働者一人に対して定められたものであるぞ」
 やはり唖然とそれを見ているリーダーの赤毛を見つけたオブシディアンは、慌てて駆け寄り彼の煤まみれのシャツを引っ張った。
「お、おお、チビ。戻ったのか」
「あれ、何?」
「いや、よくわかんねぇけど・・・」
 曰く。
 煙突掃除ブラシ一つまともに持ち上げられないわ、梯子は登れないわ、役立たずこの上ないお貴族様が、掃除夫たちに配られ始めた賃金を見て急に親方に詰め寄ったのだと言う。
「そなたが彼らに対する最低賃金を支払えぬ額でしか、報酬を受け取っておらぬのか? なれば、私が依頼者に料金の見直しを要求致そう。契約書を見せてみよ」
 刹那、役立たずのお貴族様、つまり、ヴォルフは親方が振るった拳を頬に受けてもんどり打って地面に転がった。
「ふざけんな! おい、赤毛! もうテメェのところには仕事は振らねぇからな! 覚えてろ! テメェらの仕事先全部に触れ回ってやらぁ!」
 成り行きを見守っていた他のグループが、いきり立つ親方の言葉にビクリと体を震わせて、立ち去る彼の後ろをついていった。
 その一団の背中を呆然と見送っていた赤毛とそのグループが、ゴクンと喉を鳴らして地面に転がるヴォルフを見下ろす。
「~~~なんてことしてくれんだ、この役立たず・・・!」
 大きく振りかぶられた赤毛の拳に、咄嗟に頭を抱えて体を丸めたヴォルフを見て、彼こそ頭を抱えてしゃがみこんだ。
「~~~なぁ、お貴族様よぉ。俺ら、本当はもっと賃金がもらえてたはずだったのか?」
 おそるおそる体を起こしたヴォルフが、殴られた頬をさすって頷いた。
「そうだ。雇用法に於ける最低賃金の施行は、二十年も前になされた。物価の変動で最低賃金額は上昇している。雇い主がそれを知らぬはずはない」
「・・・そっかぁ・・・」
 赤毛が煤けた両手で顔をこすると、手同様に真っ黒だった頬だけが肌の色を浮かび上がらせた。
 滲んだ涙が、煤を洗ったのだ。
「ごめんなぁ、みんな。リーダーの俺に学がないから、いいようにコキ使われて・・・」
「仕方ねぇよ、兄貴。俺たちだけじゃねぇもん。大人の掃除夫連中だって知らなかった風だった」
 気落ちする赤毛を囲むように口々に慰める青年たちだったが、その内の一人が口惜しげに口を開いた。
「・・・知ってたところで、もう仕事を回さねぇって言われたら、稼ぎすらなくなるじゃねぇか・・・」
「・・・だよな」
 俯いていた赤毛が鼻をすすって顔を上げると、兄弟分たちを見渡した。
「俺、親方のことに頭を下げに行ってくる。お前らはいつも通りに工場へ。それと、チビ。オメェはそのお貴族様と寝座に帰ってろ。これ以上、余計な揉め事を起こされちゃかなわねぇ」
「あ、あの、兄貴、ごめん・・・」
 自分がヴォルフを一緒に働かせようとなどと提案しなければ、こんな事態にはならなかったのだと唇を噛む。
「バーカ、いいんだよ。それに、そのお貴族様のお陰で、気分良く働けた。なぁ、みんな」
 消沈気味だった兄貴分たちから笑い声がこぼれた。
「違ぇねぇ! テメェが役立たずなだけだってのによぉ。大袈裟な野郎だぜ」
 掃除道具ひとつまともに運べないどころか持ち上げることすらできず、邪魔でしかないヴォルフが、彼らにとって当たり前のことをしているだけで目を見張って幾度も繰り返し言ったらしい。
「凄い! そんな重い物を軽々持てるのか! 凄い! そんな高いところに平気で登れるのか! 凄い! そんな風に煙突を掃除しているのか! お前たちのお陰で、釜戸も暖炉もちゃんと燃えているのだな。お前たちは何て凄いのだ!」
 親もなく、褒められたり感心されたりした記憶などない青年たちには、たいそうくすぐったい称賛の嵐だったそうだ。
 そう言う彼らを、ヴォルフはキョトンとした顔で見つめる。
「私は思ったことを言っただけだぞ?」
「へぃへぃ。また仕事先で思ったことを口にされて揉められたくねぇんでな。チビ、お貴族様に寝座の水汲みと薪のこしらえ方、教えてやんな」
 そう言うと赤毛はヒサシの取れかかった帽子を被り直し、ニッとオブシディアンに笑いかけた。
 オブシディアンが知る限りで、赤毛の兄貴の最上級のご機嫌な笑顔だ。
 こういう顔を見られたのは嬉しいのだけれど、憮然。
 何やら、考えていた展開と違う。
「~~~」
 とりあえず、オブシディアンは振り向き様に、ヴォルフの脛を思い切り蹴り飛ばしてやった。
 路地にヴォルフの悲鳴が響き渡ると、工場に向かおうとする兄貴分たちの手が代わる代わるオブシディアンのお尻を叩いていった。
「こら、オメェは! 弱い者いじめすんな!」
「~~~」
 だから。
 こういう予定ではないというのに。
 頬を膨らませたオブシディアンはお尻をさすりながら肩をいからせるという、相反した姿で寝座へと歩き始めた。
「おら! 行くぞ、クソ侯爵!」




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