【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十三話 お小言の背信

 ←第二十二話 侯爵と伯爵の距離 →第二十四話 侯爵様の旅立ち


 ひとしきり声を上げて泣いたスフォールドは、その後、ぼんやりと天井を仰いでいた。
 どれくらいそうしていただろうか。
 その間、モートンは一言も声を掛けずにただ静かに傍らに跪いていたので、ファビオもそれに倣った。
 それからスフォールドは不意に立ち上がって、水瓶から洗面器へと水を汲み始める。
 同じく立ち上がったモートンが、棚からタオルを取り出して彼の傍らに立つと、顔を洗ったスフォールドへそれを差し出した。
 受け取ったタオルで顔を拭ったスフォールドは、乱れた髪にポケットから抜いた櫛を通して整えると、そこに立っているのは普段と変わらぬ執事の彼。
「仕事の手を止めさせてすまなかったね」
「いえ」
「では明日」
「はい、お待ちしております」
 互いに儀礼的な一礼を交わし、スフォールドは通用口から出て行ったのだった。
 その姿を思い出しながら、ファビオはヴォルフの部屋に向かって廊下を歩いていた。
 結局、スフォールドは何も語らなかったし、モートンも何も尋ねなかった。
「モートン、その・・・」
「私に理由を聞かないでおくれ。私にもわからぬよ」
 主人のことならお見通しのモートンであるから、てっきり察しているのかと思っていた。
「ただ・・・何も聞いてくれるなと言っているのだけはわかった。だから、何も聞かずにいただけだ」
 どうしたのですか、何があったのですかと、喉まで出かかっていたファビオは吐息。
「やっぱり凄いなぁ、モートンは」
 ポツリと独りごちた時、ふと前からオルガがキョロキョロとしながら歩いてくるのが見えた。
「オルガ、どうした」
「あ、ファビオ。ねぇ、オブを見かけなかった? 夕食の後に字を教えてあげる約束したのに、リビングからいなくなっちゃって」
 ファビオは顔をしかめて頭を掻いた。
「オブから目を離すなよ。あいつはこの前だって、セドリック様の部屋に入り込んで・・・」
 言った端からオブシディアンがヴォルフの部屋から出てきた。
 ファビオに気付いてギクリとした彼の襟首を掴んで顔をしかめて見せる。
「オ~ブ、言っただろう。俺の許可なく、セドリック様のお部屋に入るなと」
「い、いいじゃないか! 礼を言われることをしてやったんだ!」
「礼?」
「何度やっても結べないって言うから、靴紐、結んでやった」
「靴紐?」
 また違和感。
 何度やっても? つまり、自分で靴紐を結ぼうと?
 普段なら、すぐに呼び鈴で人を呼びつけるくせに。
 吐息。
 こんな時、モートンやスフォールドなら、ヴォルフの心の内を読み解いてしまうのだろうか。
 頭をひと振り。
 そうじゃない。
 この際、モートンやスフォールドへの憧れは追いやって、自分は自分。
「その結果論は、俺の許可無くセドリック様の部屋に入るなということに対する言い訳になるのか?」
「~~~」
「また黙って入り込んだら、お尻ぺんぺんのお仕置きだと、言ったよな?」
「あれ、やだ!」
 両手でお尻を庇ってもがくオブシディアンの悲鳴めいた声を聞きつけたか、ドアが開いてヴォルフが姿を見せた。
「ヴォルフ!」
 抱きついてきたオルガを受け止めて、ヴォルフはファビオに苦笑を向けた。
「ファビオ。オブは私が部屋に招いた。叱らずとも良い」
 ああ。まただ。違和感。
 今、ヴォルフは自分でドアを開けた。
 自分がお仕置きから逃げ出す時くらいしか、ドアノブに触れたこともないくせに。
 ファビオは襟首を掴んでいたオブシディアンを見下ろした。
 招いた? よく言う。
 屋敷に居ついて以来、ヴォルフを敵視して止まないオブシディアンである。
 自分からはグイグイとヴォルフに難癖をつけ、部屋にも入り込んでは行くが、呼ばれれば知らん顔をして逆に寄っていこうとしないオブシディアンが、招きを受け入れるわけがない。
「・・・例え招かれたとしても、僕に是非を問わずに立ち入れば同じことです」
 ヴォルフが苦っぽい笑みを浮かべて、抱きしめたオルガの髪を指で梳いた。
「問答無用? お前のそういうところ、スフォールドに似ているね」
 また、吐息。
 自分はどちらかと言うと、モートンのようになりたいのだけれど。
 何故だか総評として、スフォールド寄りと言われることが最近多い。



「あれあれ。すっかり首もすわって。ふふー、笑うの。アーサー・ジュニア、お前のお祖父様ですよぉ」
 生後三ヶ月となり声を出して笑うようになった孫を抱いて、クラウンの目尻がこれでもかと垂れ下がっていることに、フォスターは苦笑する。
「ご覧よ、ビー。ジュニアの下唇、君にそっくり」
「あら、上唇はあなたに似ていますわ」
 また始まった。
 どこがどういう風に誰に似ているか。
 そんな細かいところはどうでも良くないか?と思う事柄まで上げ連ねて、最終的には我が子である自分を褒めちぎり始める親バカ振り。
「・・・髪質や笑った時の目尻は、ヴィクトリアに似ております」
「うん、うん、ほんとだね。ヴィクトリアのような素敵な女性を奥方にできた、アーシャは自慢の息子だよ、ね~、ビー」
「ね~、あなた」
 互いに首を傾げ合ってニコニコと微笑む姿は、昔からちっとも変わらない。
 親が決めた相手と結婚するのが常識の貴族社会の中、恋愛結婚の両親を見て育ち、自分も「この人だ」と思える女性と結ばれたいと思って。
 フォスターは肩をすくめて隣に掛けるヴィクトリアに笑みを向けると、彼女もまたにっこりと微笑んだ。
 両親の仲睦まじさに少々呆れ気味のフォスターに自覚はないようだが、傍から見ればやっていることは同じである。
「ところでアーシャ、ヴォルフとオルガは?」
「オルガは彼女の弟と思われる少年の子守りです」
「ほう。会いたいなぁ」
「オブシディアンと名付けた十二歳の少年なのですが、ちとまだ粗野なところがございますので、この場に連れてきてお小言の餌食となっては気の毒です。どうぞご容赦を」
「はは、なるほど。スコールドは怖いからねぇ。ジュニア、よく覚えておくのだよぉ」
 ジュニアが「あー」と発した声が返事のようなタイミングであったことに笑うクラウンに、スフォールドが咳払いした。
 執事に首をすくめて見せるクラウンから、ベアトリスが孫を奪い取る。
 名残惜しそうに妻に抱かれるジュニアを眺めていたクラウンは、しばらくしてフォスターを流し見た。
「アーシャ。ヴォルフと喧嘩でもしているのかね?」
「喧嘩など・・・。何故そのように仰せです」
「だって、オルガとオブシディアンのことで話が途切れるのだもの。口にしたくないみたい」
 フォスターの眉間についシワが寄る。
 両親来訪の旨を伝えた朝食での会話を思い出してしまったのだ。
「そう。家族の団欒を邪魔しては申し訳ないから、私は部屋にいるよ」
「・・・・・・私はお前を家族だと思っているが?」
 モートンが傍らにピタリと控えたのが差し水となり、どうにか沸点から温度は下がって静かにそう言えたが、腸(はらわた)はまだグラグラと煮えていた。
「・・・ありがとう。光栄に思うよ。では、ご隠居御夫妻によろしく伝えてくれ」
 そう言い残して、彼はまた一人で先に出仕していったのだった。
 宮廷から戻るとヴォルフは一足先に帰っていたようで、朝の言葉通りに部屋に籠っている次第。
 髪を掻き回したフォスターの背後にモートンが立ち、乱れた髪に櫛を通す。
「喧嘩などしておりません。喧嘩にもならない。あの子が殊更ツンケンしておるのなら叱りつけもできますが、応対は終始大人びており、同い年の元学友であれば、至極真っ当な間柄の距離感にございます」
 そう、至極真っ当。
 他の元学友と同じ距離感。
 侯爵と伯爵という爵位の差で見れば、むしろ無礼なほど近しい間柄。
 単にヴォルフが著しい成長を見せただけで、自分の気持ちがそれに追いつけていないだけなのかもしれないが、否めない違和感と、ヒシヒシと感じる遠い距離。
「・・・私がわがままなだけやもしれません。弟のように思っていたあの子に、置き去りにされたような気分が拭いされず・・・」
 肩を落とす息子を黙って見つめていたクラウンが、やがて口を開いた。
「オルガの弟に、お前の弟の急成長かぁ。フォスター伯爵家はいつも賑やかだねぇ。そんなところに申し訳ないのだけれど、お父様たちがここに戻ってきても良い?」
「え?」
 フォスターは目を瞬く。
「ほら、お父様はもうローランド公爵ではないし、わざわざ王都に屋敷を構える必要もなくなっちゃったしさ。フォスター領の城に帰ろうかなとも考えたのだけれど、孫の傍を離れがたくて。ね~、ビー」
「ね~、あなた」
 微笑み合う両親を見て、少し心が躍る。
 婚儀の前の数ヶ月。
 色々あったが、両親と過ごせて本当に楽しかった。
「・・・無論、良いに決まっているではないですか」
「うふん、ありがとう。ローランド邸で雇っていた使用人達なのだけれど、アーシャや、今のフォスター家の懐具合を考えて、何人までなら採用できる?」
「そうですね・・・。スキルの高い従僕やメイドたちは、公爵家から伯爵家への降格では気の毒ですし、父上の伝手で同格の公爵家を紹介してやってくださいますか」
「うん、そうだね」
「下男や下女と見習い達は全員引き受けまする。我が家の優秀な家令が育ててくれましょう。良いかね、モートン」
 モートンを振り返ると、頭の中で出納帳をめくっていた様子の彼が弾き出した給金の合計に頷いて、主親子に一礼した。
「ありがとう、モートン。ただねぇ、アーシャ。一番の高給取りがどうしても付いてくると言って聞かないのだけれど、特例を認めてもらえないかなぁ?」
 冗談めかしたクラウンの気難しい顔に、フォスターが肩をすくめる。
「さて、どうしたものかねぇ、モートンや」
 こちらに話を振るなと言わんばかりのモートンの咳払いに、フォスターとクラウンがクスクスと笑った。
「スコールド。おかえり。お手柔らかに頼むよ」
 いつもの「スフォールドにございます」を期待しての言葉であったのに、彼はただ黙って恭しい最敬礼を見せただけだった。
 フォスターは目を瞬く。
 今の冗談を真に受けて気を悪くするような男ではないのに。
「・・・私めの居場所は、大旦那様のお傍以外に有り得ませぬ」
 頭を垂れたまま、スフォールドが言った。
 フォスターが思わずモートンを振り返ると、彼もどこか険しい表情で師の姿を見つめている。
「スコールドぉ、ごめんってば。そんなムキにならないでよ~」
 相変わらず間延びした語調でヒラヒラと手を振るクラウンの言葉にも、スフォールドは顔を上げようとしない。
「私はいつまでも、大旦那様にお仕え致す所存」
「わかってるってばぁ」
「いつまでも。いつまでも。この先もずっと。離れ離れなど、許しません」
「・・・スフォールド、おやめ」
 いつもの柔和な笑顔のまま、発した声は鋭かった。
「いえ。やめませぬ。道化師の楽日は、落命に非ず。道化で覆い隠した日々を捨て、新しい人生の幕を開けること」
「命令だ、スフォールド。口を閉じなさい」
「承服できませぬ」
 フォスターの胸が、ざわつく。
 強張る父の笑顔。
 ついに顔を上げた父の執事の頬に、一筋の涙。
「・・・・・・父上?」
「ん? やだなぁ、アーシャまで。そんな怖い顔しないの」
「父上」
「・・・うふん」
 にっこりと笑みを浮かべたクラウンは、そっと胸に手を当てた。
「夜中、眠っていると時々ね、胸が。こう、心臓を握られたような圧迫痛を感じ始めて。ほんの時々だったのだけれど、最近、日中にも出るようになって、治まるまでの間隔も長くなってきて・・・」
 その場にいた全員が、シンと静まり返る。
「典医は、処置できないって。それで、陛下にお願いして宮廷医師団や外国の医師に診てもらったのだけれど」
 クラウンは一同から笑顔が消えていることを見渡して、どうにか笑ってもらおうと満面の笑みを浮かべて見せたが、状況は変わらず苦笑に変わる。
「心臓。春までもたないだろうって、言われちゃった」
 凍りついた空気。
 ベアトリスがスクと立ち上がって、抱いていたアーサー・ジュニアを傍にいたスフォールドに押し付けた。
 バチン!と、リビングに鳴り響いた音と共に、クラウンの頬が赤く染まる。
「ビー、痛い」
「ばかぁ!」
「ちょ、ビー、痛いってば。あのね、僕は病人だから、ね? 痛いって、ビー」
 手弱女が握った拳でもあちこち繰り返し振られては堪らないクラウンは、ベアトリスを引き寄せて抱き寄せた。
「ばかぁ! ばか! ばか! ばか! どうして何も言わないのよぉ!」
「・・・ごめんね。笑っている皆の傍に居たくて」
 クラウンは泣きじゃくる妻の頭をあやすように撫でてやりながら、言葉を失っていたフォスターを見た。
「ね、アーシャ。お父様は、お前たちの笑顔を目に焼き付けておきたいのだよ。お願い。笑っておくれ」
「・・・焼き付ける? そのようなことをせずとも、この先、いくらなりとお見せ致しますとも」
 スクと立ち上がったフォスターは、母を抱きしめる父の傍らに立ち、ソファの背もたれに手をついた。
「次の春も、その次も、その次の次の春も、存分にご覧になるが良い」
 苦笑を深めるクラウンに、フォスターは笑顔とは程遠い表情を突きつけた。
「私は諦めませぬ。決して、諦めませぬ故」
 クラウンはスフォールドが抱く孫に目を向けた。
 あの孫と同じ、小さな小さな赤児だった。
 あれから三十年経った。
 赤児だった息子が、今、ひどく頼もしい。
 それだけで十分。
 そう思った。
 けれど、欲が湧く。
 見たい。
 彼の成長を、もっと見たい。
 見たい。
「~~~スフォールド」
「はい、大旦那様」
 差し出されたハンカチ。
 それを受け取って、クラウンは目に押し付けた。
「ありがとう」
 それがハンカチへの礼でないことくらい、この場の誰もが理解できた。
「もう。道化師形無し。腹の中がダダ漏れじゃないかぁ。スコールドのばか」
「・・・恐れ入ります。どうせなら、口に出しておしまいなさい」
 ハンカチを取り上げられて泣き腫らした目を晒されたクラウンは、フォスターを見上げて両手を伸ばした。
「アーシャ。死にたくない。お前たちの傍にいたい」
「はい、父上。私は、諦めませぬ」
 母を抱いたままの、父からの抱擁。
 父の胸の鼓動が聞こえた。
 生きたい。
 その鼓動の声が聞こえた。



  • 【第二十二話 侯爵と伯爵の距離】へ
  • 【第二十四話 侯爵様の旅立ち】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【第二十二話 侯爵と伯爵の距離】へ
  • 【第二十四話 侯爵様の旅立ち】へ