ラ・ヴィアン・ローズ

第4話【暗転】

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                      ―1980年―

 いやというほど引っ叩かれたお尻が痛い。が、焼肉も美味い。
 あれから新藤の誘いで、高城と三人で焼肉屋へと連れてきてもらったのだ。
 貧しい暮らしで好き嫌いのない朱煌だが、やはり育ち盛りなので、喜んで肉を頬張っていた。
「ああ、高城さん。実はこれを、朱煌さんにどうかと思いまして」
「うん? ・・・剣術道場の入門申込書?」
 差し出された用紙を見て、高城が首を傾げた。
「僕の叔父がやってる道場で、今ちょうど、子供対象の夏季合宿生を募集してるんですよ。ああいうものは礼儀を重んじるし、体を使えば余計な知恵が回る事もなかろうか・・・と」
 箸を止めた朱煌が、「余計はそっちだ・・・!」と言わんばかりに新藤を睨む。
「こりゃいい。俺も四六時中、こいつに張り付いてる訳にはいかないからな」
 すっかり乗り気の高城に、朱煌は慌てて手を振った。
「うちにそんな金ないよ」
「いいさ、俺が出す。瞳子にも俺が話すさ」
「で、でも・・・」
「これは命令だ、行ってこい。お前を野放しにしておくと、ろくなことにならんからな」
「・・・チェッ、信用ないの」
「信用なくすようなことばかりしでかすのは、どこのどいつだ?」
 睨まれて閉口した朱煌は観念し、渋々剣術道場入門を承知した。
 しかし、澄ましてビールを呑んでいる新藤に、恨みがましい視線を送ることは忘れない。
 ほとんどヤケっぱちに焼肉を頬張っていた朱煌は、ふと入り口に目をやって顔を強張らせた。 
 それに気付いた高城がその視線を追うと、瞳子の男が、若い女を伴ってやってきたではないか。
 明らかに男と女の様子の二人に、高城が激情を露わに腰を浮かせたが、事を一瞬で把握した新藤が、そっと首を振ってそれを制した。
 向こうもこちらに気付いたようで、男は皮肉っぽく口元を歪めた。
「よう、クソガキ。珍しいところで会うじゃないか」
 男はチラリと高城を見て、鼻で笑った。
「この頃このチビがヤケに血色いいと思ったら、お前が恵んでやってたわけか」
 高城は沈黙を貫いて箸を進めたが、男の挑発は尚も続く。
「将を射んとすれば・・・てヤツか? それとも案外、このチビが本命だったりしてな」
 高城が無視を続けるので、男はカチンときたようだ。
 グイと身を乗り出して、傍らの灰皿の吸殻を、焼き網にあけた。
「なあ、もう試したか。こいつの具合はなかなかのモンだぜ・・・」
 刹那、ビクンッと全身を硬直させた朱煌。
 こんな形で明らかにされた虐待の全貌に、高城は我を失い立ち上がった。
 その時、手錠が打ち込まれる独特の音が鳴り、高城はハッとして新藤を見た。
「その話、署で詳しく聞かせてもらおうか」
 男は手錠に繋がれた自分の手を呆然と見下ろしていた。
 女の方は、いつのまにか姿を消している。
「だ・・・駄目。駄目だよ、新藤さん・・・」
 搾り出すようにうめいた朱煌に、高城は瞳子の笑顔を思い出し、男と新藤の間に割って入った。
「よせ! そんなことをしたら、瞳子が・・・」
 新藤は深いため息をつき、震える朱煌を流し見た。
「あなたという人は、最愛にして永遠の女性とやらが絡むと、判断力が地に落ちるようですね」
「なに?!」
「こんな男がまだ一人立ちできない年齢のこの子の父親になれば、要らぬ苦労を負わせることになるのですよ」
「そんなこと、わかって・・・・・・」
 改めて受けた指摘に、高城は愕然とした。 
 そうだ、わかっていた。
 なのにいつしか、朱煌の犠牲の上に成り立つ瞳子の幸福を、肯定していた自分に気付いたのだ。
 自分が朱煌をフォローすることで何とかなると、思い込んでいた・・・・・・。
「この男を更生させるか、別れさせるか。朱煌さんの為には、二つに一つしかないんです」
 そう言い残すと、朱煌を罵り暴れる男を引きずるようにして店を後にした新藤。 
 残された高城は、真っ青になって震える朱煌を抱き寄せて、そっと目をつむった。
「・・・・・すまない・・・・・」
 自分がどういう意味でそう呟いたのか、高城にもわからなかった。

 

「なんてことしてくれたのよ!!」
 激情のまま叫び続ける瞳子。
 あの男は結局すぐに釈放された。
 被害者たる朱煌が黙して語らず、送検できなかったのだ。
 釈放された男は、そのまま瞳子の所へは戻らなかった。
「瞳子、落ちつけ!! あんなチンピラと一緒になったって、幸せになんてなれなかったんだ!」
「余計なお世話よ!! あんたに何がわかるっていうのッ」
「わかるさ! アイツは朱煌を虐待していたんだぞ」
「・・・・・・虐待?」
 鼻で笑った瞳子は、続けて吐き捨てるように言った。
「大袈裟ね。ちょっと乱暴されただけじゃない」
 まさかの思いが、高城の胸に過ぎる。
「・・・瞳子、お前、知っていたのか・・・・・・?」
「あの子の体の傷でしょう。気付くわよ、母親だもの。でも、あれは躾よ、あの子がいけないの。彼に生意気ばかり言うから」
 なんてことだ・・・と、高城は声を失った。
 ひとえに母の為に傷をひた隠し、苦痛に堪え忍んだ朱煌の行為は、今、その母によって一笑にふされてしまった。
 朱煌が不憫だった。そしてまた、瞳子も・・・・・・。
 こんなことが言える女性ではなかったものを、橘との出会いが彼女の人生を狂わせ、人柄さえも変貌させてしまった。
 この六年、どれほど寂しい思いを抱えて生きてきたのだろうと考えると、胸が締め付けられた。
 しかし、これではあんまり朱煌が可哀想だ。
 高城はついに、言わずにおこうと決めていたことを口にした。
「朱煌は・・・ヤツに性的虐待を受けたんだぞ・・・」
 さすがにしばし愕然とした瞳子は、胸を押さえて苦しげに息をついた。
「なんで・・・あの子、私に何も言わなかったの・・・」
「言えなかったんだよ。お前たちが結ばれて、お前が幸せになれるならと、アイツは我慢して・・・・・・」
「だったらずっと我慢してりゃいいじゃない!」
 思いがけない言葉に、高城は呆然とした。
「どうせ子供も守れない母親だと、私を見下して・・・!! 一人悲劇のヒロイン振りたいなら、ずっと我慢してりゃいいわッ。母親の男を寝取った挙句、警察に売るですって? あの売女!!」
「瞳子!!!」
「いつもそうよ! あの子のせいでみんな私から去っていく。あんな子、生まなきゃよかった・・・・!!」
 バシッ・・・と鋭い音がして、瞳子の頬が赤く染まった。
 怒りに震えた瞳子の目が、我に返った高城を刺す。
「出てって」
 瞳子は手元にあった湯呑を、高城目掛けて投げつけた。
「二度と私の前に現れないで!!」
 泣き崩れる瞳子に、もはやかける言葉も見つからず、高城はフラフラと玄関を出た。
 そして、ハッとする。
 そこには朱煌が立っていたのだ。
 安アパートのドア一枚、中の会話は筒抜けだったに違いない。
 苦い顔の高城を見上げ、朱煌はいつも通りの調子で二ヤリとした。
「フラれたね」
 それが精一杯の軽口だとわかるから、高城は尚更辛くなった。
 よくよく見ると、朱煌の顔が少しムクみ、首には指の跡のような鬱血が・・・・
――――まさか!!
「・・・瞳子、が?」
 うめくように呟くと、朱煌は苦笑めいて首を擦った。
「真夏にマフラー巻けないし、お兄ちゃんに隠し事しても、どうせすぐバレちゃうからさ。だから、ホントのこと言うよ。お察しの通り。母さんだよ」
 どこまでも冗談めかした様が、一層高城の胸を締め付けた。
「でもホラ、こうして生きてるだろ。勢いだったのさ、母さんに殺意があったわけじゃないのさ」
 淡々とした口調なのに、何故だろう、必死の言い訳に聞こえる。
「でさ、あたしもつい勢いで、道場入門のこと言っちゃってさぁ。だから・・・」
 きっとこの子もここに居るのは居たたまれなかったのだろう。
 瞳子のあの様子では、朱煌にも「生まなきゃよかった」という言葉をぶつけたに違いない。
「・・・ああ、わかった。送るよ」
「ごめん。金のこと、迷惑かける」
「何言ってる」
 クシャクシャと頭を撫でてやると、朱煌は天を仰いだ。
 多分、涙を堪えている。 
 高城がその小さな体を抱き上げて、足早にアパートの前を立ち去ると、ついに朱煌が嗚咽を始めた。
「う・・・ッ、うう・・・うぅっ・・・!!」
 そんな朱煌が、たまらなく愛しく、また、哀れだった。
 ―――――俺は、最低だ・・・。
 この期に及んで、まだ瞳子を憎めない。
 正しいのは自分だとわかっているのに、心がついていかない。
 新藤の指摘通り、殊瞳子のこととなると、高城の判断力は無いに等しくなるらしい・・・・・・。




 朱煌を道場に送り届けて以来、一度も会っていない。
 無論会いたい気持ちはあるのだが、あの子を本当の意味で守ってやれなかった罪悪感が重い足枷となり、どうしても道場に足が向かなかったのだ。
 新藤の話では、門下生の誰とも馴染むことなく、ただただ黙々と剣に打ち込んでいるそうだ。
「朱煌さんの人生の主役は、あくまでも朱煌さん自身ですよ。端役のあなたが主役と関われるかどうかの決定権は、朱煌さんにしかない。それを朱煌さんのいないところで思い煩うなど、おこがましいにも程がある」
 端的できつい新藤の痛言に、あぶったスルメを裂きながら苦笑した。
 独身寮の高城の部屋で、彼の買い置きの缶ビールを我が物顔で煽っている客人・新藤は、差し出されたスルメをくわえて、更に続けた。
「大体うっとおしいんですよ、うだうだうだうだ。サッサと朱煌さんに会いに行って、玉砕するならすればいいでしょ」
 触らぬ神に祟り無し。
 高城はだんまりを貫いて、ビールに口をつけた。
「何とか言ったらどうです」
 次第にイライラし始めた新藤の刺すような視線が痛い。
 そこへ、面会人の知らせが入り、高城は心底助かったと思いながら、そそくさと部屋を後にした。
 玄関まで降りていって、そこに立っていた男に目を見張る。
「お前・・・・・・!」
 それはただでさえのチンピラ風体を更に乱した、瞳子の情夫・黒荻 刃。
「てめぇ、一体どの面下げて・・・!」
 思わず声を荒げて、周囲の寮生たちの目に気付き、黒荻を引きずるようにして表に出た。
「・・・何しにきた」
「・・・・・・朱煌」
「何?」
「朱煌は、ここにいるのか・・・と、思って・・・」
 あんまり思いがけない言葉に、高城は毒気を抜かれる気持ちで黒荻を眺めた。
「いない。・・・どういうつもりだ。これ以上、あいつに危害を加える気なら、俺も刑事を辞める覚悟でいくが?」
 押し黙っている様子は、明らかに印象が違う。
「おい・・・、まさか、反省してますなんて言う気じゃなかろうな。世の中をナメてんじゃねえぞ」
 やはり口を一文字に結んだままの黒荻に、高城はゆるゆるとため息をついた。
「・・・生むんじゃなかった・・・と、瞳子に言われてな。傍にいられなくて、今、とある剣術道場に預けてある」
 黒荻の拳が震えているのを見たが、本心は読めない。
 小さく小さく頭を下げた黒荻が踵を返すのを眺め、先刻の新藤の言葉を思い出していた。
 ―――朱煌の人生で、朱煌と関わる端役の決定権は、朱煌にしかない・・・。




「ああ、この青年なら来たよ」
 高城が見せた写真に、剣術道場の師範たる新藤の叔父が頷いた。
 嫌な予感が的中した気配に、ため息をつかずにいられない。
「会わせたのですか」
「いや、あまり素行がいいとは思えない身なりだし、朱煌君自身が拒否したからね。しかし・・・」
 師範はしかめ面で腕を組んだ。
「その後、朱煌君が宿舎を抜け出した。我々が探し回っているとヒョッコリ戻ってきて、問い詰めても何も答えなかったが、その時に会っていたかもしれんね」
 何だか頭痛がする。
 昨夜、傷害事件の被害者とおぼしき男性が、病院に担ぎ込まれた。
 明らかに一方的な私刑による半死半生のその男は、あの黒荻刃だったのだ。
 幸い命に別状はなく、程なく意識も取り戻したが、何を聞いてもだんまりで、犯人は不明。
 まさか・・・まさかとは思ったが、念の為にこの剣術道場を訪れたのである。
 事件は昨夜。
 やはり黒荻はここに来た。
 そして抜け出した朱煌。
 ……結論はひとつだった。
「朱煌に会わせてもらえますか」
「もちろん、君が後見人だからね。来たまえ」
 師範は裏の古い土蔵へと高城を案内した。
「無断外出の罰に、ここに閉じ込めてある。これが鍵だ。私は指南があるので、失礼するよ」
 立ち去る師範に一礼して、一つ深呼吸した高城は、鍵を開けて重い扉を開いた。
 暗い土蔵の中に、一気に光が満ちる。
 そこには眩しそうに手をかざす朱煌の姿があった。
 目がなれてきたらしい朱煌は、高城を認めた途端、ギクリとした。
 ああ・・・これはもう白状したも同じこと。
「久しぶりだな、朱煌」
「う、うん・・・」
「ここに送った日、お前はこんなことを言ってたな。俺に隠し事しても、すぐバレる・・・って」
 高城が一歩二歩と歩を進めるごとに、じりじりと後退った朱煌は、とうとう逃げ場を失い子犬のように高城を見上げた。
「昨夜、黒荻刃を病院送りにしたのは、お前だな」
 フン…と鼻を鳴らした朱煌。追い詰められて、開き直ったらしい。
「正当防衛さ。やらなきゃ犯られてた」
「何が正当防衛だッ。自分からノコノコと会いにいったんだろうが。瞳子とのことがなくなった以上、おとなしくしてやる必要もなくなった・・・ってところか」
 朱煌の視線が泳いだのを、見逃す高城ではない。
「このバカ。いくらなんでもやり過ぎだ」
 頬を膨らませた朱煌は、ふてくされてそっぽを向いた。
「あ、そう。あたしがおとなしくやられりゃ良かったッての」
「馬鹿モン! 逆に私刑に・・・いや、下手したら、殺されてたかもしれんのだぞ」
「それはそれは、ご心配頂きまして、どうも」
「・・・・・ほう。いい度胸だな」
 高城の表情に静かな怒りが満ちていくのを見て、朱煌は顔色を変えて壁に張り付いた。
「ちょっ・・・ちょっと待て。冷静に考えてみろ。あたしは悪くないぞ。あの男は当然の報いを受けただけだ」
「ああ、同感だな」
 手頃な衣装箱に腰を下ろした高城は、ポンポンと膝を叩いた。
 それが何を意味するか経験上理解している朱煌が、恐る恐るお尻を擦る。
「それなら何で怒るのさぁ・・・」
「ゾッとしたよ。病院でぐったりした黒荻を見たとき、これがお前だったらと思ったら・・・な」
 もう一度、膝を叩く。
 唇を噛んで上目遣いの朱煌は、やがておずおずと高城に歩み寄り、ごくりと喉を鳴らしてから、初めて自分から彼の膝に腹這いになった。
 ピシャリッ・・・と、ズボンの上から平手を振り下ろす。
「心配させて・・・」
 ―――パンッ・・・!
「痛っ・・・」
「悪い子だ」
「うぁッ・・・」
「悪い子だ、悪い子だ、悪い子だ」
「ごめ・・・ごめんなさい・・・ごめんなさいッ・・・!」
 いつものように暴れることのない朱煌の目から、ポロポロと涙がこぼれる。
「心配・・・したんだ」
「だって・・・! だって、お兄ちゃんがちっとも来てくれないんだもん! 心配させれば、きっと来てくれるって、思っ・・・」
 しゃくりあげる朱煌の小さな体を抱き上げた高城は、何度も何度も頭を撫でた。
「ばか」
「ごめん、なさい・・・!」
 とうとう声を上げて泣き出した朱煌を抱きしめた。
 もうこの子の手を離してはならない。
 おそらく自分は、この少女の人生の中で、そういう役割を与えられたのだ・・・・・・。
                               




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