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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十二話 侯爵と伯爵の距離

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 宮廷内はローランド公爵が爵位を返上したという話題で持ちきりであった。
 易々と最高位を手放し、尚且つその領土は王太子領と改められるとの内示に、貴族たちは色めき立つ。
 跡継ぎが立派に育っていながら貴族ならば誰もが羨む公爵位を返上した者など、この国の歴史上類を見ない。
「妬み、嫉み、呆気。憶測の飛び交う宮廷内は、今やゴシップ誌そのものだな」
 宮廷の資料室で互いの案件の為の政務資料を漁っていると、ヴォルフが独りごちた。
「子息の為に王家に恩を売っただの、これでフォスター伯爵家は今後何があろうと磐石となっただの、道化師はやはり間抜けだっただの・・・」
「左様にございますね。ヴォルフ卿もご存知の通り、父はどこか掴みどころのない人故、方々の憶測も致し方なきことかと。まあ、本人は気にも止めておりませぬし」
 出仕や他家での社交の場では、ヴォルフは侯爵、フォスターは伯爵としての一線を超えない会話。
「うむ。けれど、その憶測に拮抗するのが、『どこまでも無欲な人柄』という意見。私も、それに賛同だよ、フォスター卿」
「恐れ入りまする」
 礼を尽くして頭を垂れたフォスターの前を、ヴォルフは集めた資料を手に資料室の扉に向かい、通り過ぎていく。
「ヴォルフ卿」
 思わず呼び止めると、ヴォルフは侯爵然と振り返った。
「何かね?」
「お帰りにございますか? 私もそろそろ屋敷に戻るのでございますが・・・」
「そう。ご苦労様。では」
 資料室を出て行ったヴォルフの背中を最敬礼で見送ったフォスターは、手にしていた資料を握り締めた。
「~~~何なのだ、あいつは!」
 モートンがいないことをいいことに、資料を床に叩きつける。
 あの日から。
 オルガの両親が破格の値で娘が貴族に売れたことで、高値で売れそうな娘たちの誘拐に手を染めて獄に繋がれたという事実を伝えたあの日から。
 ヴォルフはあれだけ好んだ屋敷でのフォスターとの時間を、避けるようになった。
 いや、物理的には避けていない。
 最初の数日は朝食も夕食も自室か自分専用の執務室で摂っていたが、手間の分、使用人の負担になるとファビオに諭されて食卓は共にするようになったけれど、自分から会話はしようとしない。
 話しかければ微笑むし、投げかけた話題を無下に断ち切るようなこともせず普段通りに話しはするのだが、どこかこう、遠い。
 朝の支度が済むとさっさと出掛けてしまうので、同乗での出仕は極端に減った。
 宮廷内で会えば、互いの立場に則った言葉遣いは以前からなのであるが、遠い。
 同じタイミングで宮廷を出る時も同乗しようとはしない。
 先に述べたように夕食は共にするし、食後のリビングでの団欒にも加わって、やはり言葉を掛ければ話に混ざるし、あれやこれやと一日の出来事をまくし立てるように話すオルガの話も、楽しげに聞いている。
 この屋敷で住むかと問うても返答を有耶無耶のまま、モートンとファビオの部屋に居座っているオブシディアンに向ける瞳も優しい。
 決して、かつての『暴君ヴォルフ』が蘇ったわけでなく、ただただ、遠い。
 遠いのだ。
 以前なら自分専用の執務室があるにも関わらずフォスターの執務室で仕事をしていたくせに、姿を見せない。
「何なのだ! どうしたいのだ!」
 あからさまな無視であれば問うこともできようが、ヴォルフの対応はあくまで柔軟だった。
 先程の、「お帰りにございますか? 私もそろそろ屋敷に戻るのでございますが・・・」という、遠まわしな言い方には、あの対応である。
 けれど、「ご一緒に帰りませぬか?」と言えば、「ああ、そうだね」と同乗するのだ。
 その車中に話しかければ、やはり笑顔を浮かべて会話に応じる。
 けれど。
 けれど。
「違う!」
 イライラと爪を噛む。
 以前なら、どんなに遠まわしに同じ時間に帰れると伝えても、こちらが照れ臭くなるような笑みを浮かべて頷いたではないか。
 それどころか彼を置いて帰れば自分の都合で遅くなったくせに、手が焼けるくらい拗ねていたではないか。
 フォスターの方が遅くなるなら、「先にお戻りください」と声を掛けておかないと、いつまでも待っていたではないか。
「・・・ああ、もう。やってしまった」
 床を見渡して吐息をついたフォスターは、叩かれたわけでもないのに痛く感じるお尻をさすると、ばら撒いてしまった資料をせっせと掻き集め始めた。
「ヴォルフの、一番の理解者だと、思っていたのになぁ・・・」
 ここ何年も、隣にヴォルフがいるのが当たり前だった。
 今は、隣に物理的に並んでいても、心が、遠い。
 集めた資料を抱いて、フォスターはトボトボと資料室を出て宮廷の駐車場へと向かった。
 フォスター家の車が視界に入った途端、運転席からモートンが降り立ち、後部座席のドアを開けた。
 項垂れ気味だった頭を持ち上げて背筋を伸ばしたフォスターは、後ろ暗い時ほどモートンの目を見ようとする癖に気付いていない。
 モートンはその癖が出ている主と、受け取った資料の縒れ具合を交互に見つめて小さく息をついた。
「お屋敷に戻ったら、お説教にございますよ」
「~~~」
 車に乗り込んだフォスターは空いた隣のシートを撫でて、そのまま体を横たえた。
「これ、旦那様。宮廷を出るまではしゃんとなさいませ」
「・・・だって空いているのだもの」
「言い訳になっておりませぬよ」
 体を起こそうとしないフォスターをルームミラー越しに眺めて、とりあえず宮廷から出ようとアクセルを踏んだモートンが苦笑した。
 失恋した年若い青年を乗せて運転している気分である。



「ふむ」
 ファビオに差し出された皿をしげしげと眺めて、モートンは頷いた。
「要注意、かな。体調でなく、ご気分が優れぬご様子だね」
「やはり、そう思いますか?」
「うん。食事量こそ減っていないが、ソースと口にされた料理の割合が合わない。味わっておられないことが覗い知れるね」
「ですよね。料理との調和であるソースをおざなりに召し上がって・・・」
 手にする皿を溜息混じりに見つめるファビオの肩を叩いて、モートンが微笑んだ。
「よく気付いたね、ファビオ」
「だって、美食家ぶりに何かと手を焼きましたもの。食べ物に芸術性だのセンスだの求めることに、腹も立ちましたけどね。でも、これじゃまるで・・・」
「うむ、ただの燃料補給だね」
 無論、ヴォルフの様子は気掛かりであるが、モートンは嬉しくもある。
 基本中の基本のウォッチなど、出来て当然と言えば当然のことであるのに、弟子がそれをして見せてくれると、こうまで嬉しいものなのだろうかと染み染み思うのだ。
「ファビオ、他に何か気付いた点はないかね?」
「はい。いえ。これは・・・前に旦那様に叱られたからなのかもしれませんけれど・・・」
 口に拳を添えて少しの間考え込んでいたファビオは、やがて頭をひと振りしてモートンを見上げた。
 見上げたと言っても、もう軽く顎を上げるだけで目線が合う程に大きくなっていたが。
「やはり違和感を覚えるのでご報告します。オルガを、部屋に入れようとなさらないのです」
「・・・ほう」
「当然、オルガはムクれるのですが、それへの対応が、まるで大人みたいで」
 モートンは黙って頷いたが、内心は何とも言えない失笑に襲われていた。
 みたい、ではなく、歴とした大人。
 が、それを違和感と表するファビオの言い分は大変よく理解できる。
「・・・わかった。引き続き、セドリック様のご様子に注意を払っておくれ」
 ポンと肩に手を置くと、ファビオはその手を嬉しそうに見つめ、それから力強く頷いた。
 その時、使用人ホールの通用口の鐘が鳴り、訪問者の存在を告げる。
 ドアの覗き窓から外を確認したファビオの背筋が緊張したのを見て、モートンがもしやとドアを開ける。
「ああ、いらっしゃいませ、スフォールド。いつローランド領よりお戻りで?」
「うん、昼過ぎにね。お邪魔してもよろしいかな」
「大旦那様がローランドの公爵位を返上された今、あなたは既に他家の家令でなくフォスター家の執事ではございませんか。どうぞ、遠慮なく」
 のそりと通用口をくぐったスフォールドは、鯱張った一礼で出迎えるファビオに目を向けて、彼の頭を撫でた。
「やあ、坊や。飴玉は美味しかったかね?」
「・・・あれは、僕には必要のないものでしたので、オブシディアンという少年に譲りました」
 一礼から顔を上げてまっすぐな視線でそう言ったファビオに破顔し、スフォールドが頭に乗せていた手を肩に移す。
「そうか。ならば、頭を撫でるなど失礼だったね。謝罪する」
「いえ。ご鞭撻、ありがとうございました」
「ふふ。そういう謙虚な姿勢は、モートンが師たればこそだねぇ」
 指定席の長椅子に腰を下ろしたスフォールドは、両足を床に投げ出すようにして窓にもたれた。
「おや、お疲れのご様子ですね。コーヒーを淹れましょうか」
「うん。ミルクも砂糖もたっぷりの、とびきり甘いのを頼むよ。・・・ファビオ、隣においで」
「え?」
 隣に座れという意味なのはわかったが、仮にも上司と席を並べるなどおこがましい真似ができようか。
 どうしたものかと弱り果ててコーヒーを淹れるモートンに視線を送ると、彼は柔らかな笑みで頷いたので、少々おっかなびっくりスフォールドの隣に腰を預ける。
「余程、お疲れなのですね」
 差し出されたコーヒーのカップを受け取り、スフォールドが苦笑を浮かべた。
「これでもかとこき使われたからな。突然の公爵位返上と王太子領への移行業務。何も考える暇がないほどに、ローランド領での数日は多忙を極めたよ」
 そう言ってコーヒーを口に運んだスフォールドは、もたれていた窓から体を起こしてカップを両手で包んだ。
「参ったな。お前の淹れてくれた甘いコーヒーを飲めば、疲れも吹き飛ぶと思ったのに」
「それは力至らず、相すいませんことで」
「いや。お前が悪いのではないしね。力至らぬのは、この私で・・・」
「スフォールド?」
 ふと眉をひそめたモートンもまた、スフォールドの傍らに膝をついた。
「今日の私は、飴玉替わりの甘いコーヒーが必要な、子供のお使い。急で悪いのだけれど、明日、大旦那様御夫妻がこちらにお邪魔したいとの旨、伝えにきた」
 孫会いたさに、アーサー・ジュニア誕生以来、足繁く息子の屋敷に通っていたクラウン夫妻である。
 その先触れはいつも額面通り小姓が知らせに来ていた。
 いくらローランド公爵位返上の事柄があれど、先触れ程度にわざわざ家令のスフォールドが動くなど、普通はしないだろう。
「・・・スフォールド?」
 握り締めたカップは、まだ手の平が耐え切れぬほど熱いはず。
 それを手放そうとしないスフォールドの手からカップを奪い取り、モートンはテーブルに置いた。
「ファビオ、氷」
 すっかり赤くなったスフォールドの手の平に目を落として、モートンが言った。
 弾かれるように立ち上がろうとしたファビオの腕を、スフォールドが掴む。
「いらぬ。ここにいてくれ」
 掴まれた腕から小刻みに震えている感触が伝わり、ファビオはどうしたものかと困惑の目をモートンに向けると、吐息をついた師が立ち上がった。
「ファビオ、良いよ。私が・・・」
「お前もだ、モートン!」
 金切り声。
 伏せた顔。
 ポタポタと、溢れる、涙。
「モ、ト、ン・・・。すま。な。傍。に。泣か、せ、て。すま。ない。泣かせ。て。くれ・・・」
 モートンが黙って再びスフォールドの傍らに膝をついたのを見て、ファビオも口を噤んだまま、掴まれた腕を見つめていた。
 


「あ」
 ふと解けかけている靴紐に気付いてヴォルフは呼び鈴に手を伸ばしたが、思い直したように椅子に座り直し、体を屈めて靴紐に手を伸ばした。
「こう・・・。あれ? えっと・・・、あれ?」
 ファビオが結んでくれているのをじっと観察していたからできると思ったのに、どうもこう、上手くいかない。
 些かイライラしてきた頃、ヴォルフは靴に落としていた視界の中に、小さな足が映りこんでいることに気付いてゴクンと息を飲んだ。
「痛っ・・・」
 この小さな足が二人きりの時に近寄ってくると、毎回、どこかしら殴られるか蹴られるかなのだ。
 今は屈んで低くなっていた肩にゴツンと拳を振られた。
 年は十二と聞いたが、栄養不足のせいか小さく細いオブシディアンの殴打など、少しさすれば痛みは引く。
 けれどやはり当たった瞬間は痛いので、つい緊張するヴォルフであった。
 一発殴るなり蹴るなりするとさっさと居なくなるオブシディアンなので、ヴォルフは再び靴紐を手に取る。
「・・・おい」
 踵を返して戻ってきたオブシディアンの声に、つい、肩がビクンと跳ねた。
「さっきから、何やってんだ」
「靴紐が、解けて。結んでる」
「は? 俺が入って来た時から、ずっとそうしてるじゃないか」
「やったことがないから、上手くいかなくて。できたと思ったら、蝶の向きが縦だったり、反対だったり・・・」
「はぁあ!?」
 その声にヴォルフは身を竦め、大声の当人は両手で口を塞いでドアを振り返った。
 先日、こうしてヴォルフの部屋に入り込み、彼を蹴り飛ばしたところをファビオに見つかって、その場で嫌というほどひん剥かれたお尻を引っ叩かれたオブシディアンである。
 どうやらあの怖い青年がやって来そうにないと胸を撫で下ろしたオブシディアンは、すっかりヨレヨレになった靴紐を見下ろしてヴォルフの足元に屈んだ。
「クソ貴族。靴紐を結んだこともねぇのか」
「フォスターはできる」
 何故だか自分の自慢のように胸を張る。
「オメェの靴紐とフォスター伯爵は関係ねぇだろうが」
 呆れ果てたように流し目をくれるオブシディアンに、ヴォルフはしょぼくれて俯いた。
「・・・そうだな。関係ないよな」
「で? 何でやったこともない靴紐結びに悪戦苦闘してんだ」
「・・・一人で、できること、増やさないとって、思って」
「ふーん。じゃ、人に結ばれたら困るんだな」
 ヴォルフがコクンと頷くと、オブシディアンの小さな手があっという間に靴紐を結んだ。
 ちゃんと左右対称の輪っかと、爪先に向いた紐の先端。
「あ。ありがとう・・・」
 チッと舌打ちしたオブシディアンが立ち上がり、ヴォルフの頭に拳を落とした。
「嫌がらせだ、馬鹿」
 そっぽを向いた彼に、ヴォルフが微笑んだ。
 拳を食った頭は、さすらねばならないほど痛くなかったのだ。




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