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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十一話 お小言の洗礼

 ←道化師の楽日のこと。 →第二十二話 侯爵と伯爵の距離


「急遽決定のローランド領行き随行が、主人の絶対命令だからと言えば良いのに」
 駅へと向かう車の中から、トボトボとフォスター邸へと戻っていく項垂れ気味のファビオの姿を見止め、クラウンが苦笑した。
「何もあんな言い方で追い返さなくても良いのじゃないかね、可哀想に」
 助手席のスフォールドもまた、チラと車が追い抜いていくファビオの悄気た顔を見遣ったが、すぐに正面を向き直る。
「良いのですよ。あの子もまもなく十七になる大人。フォスター家使用人にございます」
「手厳しいことで」
「スコールドにございますから」
「ふふ」
 後部座席に深くもたれたクラウンは、そっと胸を押さえて目をつむった。



 モートンは頭を掻いて、首にしがみついて離れないオブシディアンを抱え直した。
 目を覚ましてから、ずっとこの調子だ。
 小さく細い彼が貼り付いて離れなかろうが身動きできぬことはないので、黙々と業務は果たせるけれど、このまま主人たちの居住フロアに出ることができない。
 来客予定があるでなし、彼を抱えて主人たちの元へ赴いたとしても、フォスターは目を細めてこの小さな珍客に微笑んでくれるであろうが、いかんせん、先程からヒシヒシと感じるオブが放つ視線。
 目が合うと弱々しい上目遣いで甘えたように胸に顔を摺り寄せてくるが、なんの、モートンが気づかぬふりを続けていれば、彼は隙なく室内の隅々を覗っている。
 おそらくは、取り上げたナイフの在り処を探っているのであろう。
 後は逃走ルートの確認と、行きがけの駄賃の物色といったところか。
 さて、どうしたものだろう。
 フォスターは彼に会いたいと言っていたが、その主人は今、ヴォルフに付きっ切りである。
 オブシディアンの主目的がヴォルフとの接触にあると推察される中、おいそれとそこへ連れて行って良いものか。
 凶器のナイフは取り上げているので大事にはなるまいが、フォスターからオルガの両親の居所を知らされて、ただでさえ心が不安定になっているヴォルフの元へ追い打ちをかけるような事態になりはしまいか。
「戻りました・・・」
 その声に振り返り、モートンは苦笑する。
 ここにも、追い打ちをかけられた少年が一人。
「おかえり、ファビオ。その様子では、スフォールドに断られてしまったかね?」
「はい・・・」
 ファビオは握り締めていた飴玉を、モートンにしがみついているオブシディアンに差し出した。
「ほら、あげる」
「・・・それ、何?」
「飴。甘くて美味しいぞ。ほら、あーん」
 飴玉の包を解いてオブシディアンが開いた口に入れてやると、舌で恐る恐る味を確認していた彼の顔がほころんだ。
「甘い」
「だろ?」
「お前はいらないの?」
「・・・うん。くれた人の顔を思い出すと、苦いから」
 そう言ったファビオの頭に、つい手が伸びたモートン。
「その飴は、スフォールドがくれたのかね?」
「・・・はい。子供の使いのお駄賃だって・・・」
 ファビオには甘いと思っていたが、やはりいざという時は『スコールド』健在か。
 モートンは吐息をついて、彼の頭に置いた手に髪を絡ませた。
「スフォールドは、なんて?」
「・・・お役目を外されて食い下がりもせずに、のこのことお使いにやってくるような子供には、飴玉のお駄賃で十分だって・・・」
 きつい。
 確かに、本当ならばファビオに食い下がってきて欲しくて、そんな自分の思いを汲んで何かしら彼を諭してくれるとは思っていたが、そういう言い方に出るとは思わなかった。
「あ」
 モートンに苦笑が滲む。
 これは、ファビオを介しての師よりの叱咤。
 ―――お前の弟子だろう、私を利用するな。
「・・・手厳しいことで」
「いえ、僕が甘えていただけです」
 ふと漏れた呟きに、ファビオが首を横に振った。
「お願いです、モートン。どうか、セドリック様にこのままお仕えさせてください」
「・・・セドリック様は、以前のような体は大人の子供とは違ってきているよ? あの方なりに、何かしら懸命に考えていらっしゃる」
「僕が頼りないのはわかっています。ですから、お力を貸してください」
 モートンはつい笑みを誘われた。
 出来る自分に憧れる年頃が、頼りない自分を自覚する。
 これはなかなか堆(うずたか)い階段なのだが、ファビオはそこへ一歩足を掛けたようだ。
 つい頭を撫でてやりたくなって持ち上げた手だったが、思い直してファビオの肩をポンと叩く。
 ほんの少しであれ、大人の階段に爪先を乗せた程度であれ、そんな彼の頭を撫でるなど、失礼だと思ったのである。



 小さなお客の接待にモートンをとられてしまっていたフォスターは、執務室でようやく執事手ずからのお茶を口に含むことができて、ホッと人心地ついた。
「年齢は十二と申しました。今度は嘘偽りのない年かと思われます」
「断言するね。根拠は?」
「はい、オルガ様にお尋ねになられて、黒曜の瞳を真ん丸にして答えておりましたから」
 従僕たちが淹れてくれるお茶も悪くはないが、やはりモートンのお茶が一番だと頭の片隅で考えていたフォスターは、「ああ、なるほど」と聞き流しそうになって、目を丸くする。
「オルガと会わせたのかね?」
「会わせたと申しますか・・・」
 モートンの苦笑で、フォスターは溜息混じりに顔を撫でた。
「懲りん娘だな、まったく」
 男性の部屋に上がり込むなと、昨夜お尻に言い聞かせてやったばかりだというのに。
「後でまたとっちめてやらんとな」
「まあまあ。オルガ様が私の部屋に戻って参られましたのは、オブシディアンが気になってのこと。大目に見て差し上げてくださいませ」
 まあ、そういうことなら・・・と思いかけて、フォスターの眉間にしわが寄り、モートンを見上げる。
「戻った?」
「まあまあ。奥方様にもお仕置きして頂きましたので」
「・・・手強いほど懲りん娘だ、先が思いやられる」
 深い吐息でお茶の湯気が揺らめく。
 フォスターはケーキスタンドからスミレの砂糖漬けを摘んで眺めた。
「このスミレのように愛らしくあって欲しいと思うのは、育てる側の傲慢なのかねぇ」
「育てる側は往々にして、そういうものでございますよ。育つ子にこうあって欲しい、こうなって欲しいと、思いが膨らむばかりで」
 摘んでいたそれを口に放り込んだフォスターは、こういう話の流れは必ず耳の痛い思い出話へと転じていくであろうことを察して、軌道修正の咳払い。
「それで? オルガは今、オブと一緒に?」
「はい、オルガ様の前では盗人の目も致しませんので」
「盗人の目、ね。可哀想に。ずっとそうやって必死で生きてきたのであろうなぁ」
「・・・如何なさいます。本人が応じれば、このお屋敷にオルガ様と共に引き取られますか?」
「それでも良いのだが・・・」
 モートンは主がティーテーブルの上に並ぶお茶菓子や軽食を、渋い顔で見つめている視線に気付いて微笑んだ。
「一人二人を救って、それで良しと言うのではね。オブと共にいたという青年強盗団然り、我が子を売ったオルガの両親然り、根本にある貧困と、貧富の差をこそ我ら貴族議員は見直さねばならぬのだよね」
 義務教育の導入、学校の設立、下町の再開発に上下水道の普及など。
 ヴォルフと共にこれまでいくつか議会を通してきた議案は進んでいるけれど、まだまだやるべきことはあるはずだ。
 フォスターは美しい白磁のカップを両手に包んで、部屋の中を見渡した。
「なぁ、モートン」
「はい、旦那様」
「貴族という人種は、必要なものかねぇ?」
「え」
 手から滑り落ちた白磁のポットを慌ててすくい上げる執事の無様な姿を、フォスターは初めて見た。
「な、何をおっしゃいますか、急に! 貴族様は国王陛下をお支えしお守りする大切なお立場であるからこそ、建国以来長きに渡って代々受け継がれた・・・!」
 フォスターはヒラヒラと手を振って、動揺しきりのモートンの言葉を遮った。
「すまん。そういう意味ではないのだ。もう少し熟考してから言うべきであった」
 自分が生まれるずっと以前から貴族に仕え、使用人一筋で生きてきた彼に対して言い方がまずかったと反省し、フォスターは執務室の窓から望む庭園へと目を向けた。
 そこには、オブシディアンの手を引いて散策しているオルガの姿。
「・・・美しい特権の庭に、特権の犠牲者が戯れて・・・か。・・・あ」
 何か、靄(もや)の向こうにビジョンが見えた気がしたフォスターだったが、それはすぐに濃い霧に覆われるように隠れてしまった。
 頭を一振りする。
 焦るな。じっくり。とっくり。慎重に。
 急ごしらえの手当でなく、幾度も幾度も踏み鳴らした土台こそが、国の為に、国民の為に必要なのだ。



「なあ、本当にお前が、ヴォルフ侯爵に買われた女か?」
 ふわふわと風にたなびく緑の黒髪。
 西日の光を受けて、きらきらと輝く漆黒の瞳。
 透けるような白い肌に淡い桜色の頬と艶やかな桃色の唇。
 何よりも、刻一刻と移り変わる豊かな表情が織り成す美しさ。
「何度も聞くのね。そうよ、ヴォルフのところに連れて行かれた。自分が十だったのは覚えているけど、後は、忘れちゃったわ」
「・・・辛くて?」
「ええ、そうね。忘れちゃう方が、楽だったからかな。お母さんのこととか、お父さんのこととか、思い出して泣いてる時間が、悲しいのが嫌だったから」
「・・・弟のこととか、覚えてる?」
 オルガは繋いだ手の先のオブシディアンを見下ろして、やおら彼を抱え上げた。
「や、やめろよ! 俺はもう十二だぞ!」
「だって軽いんだもん。暴れないでよ、落っことしちゃう・・・あん!」
 軽いとは言えまだ年若いオルガには、少年の精一杯の抵抗は支えきれず、二人は庭園の芝生に転がった。
「いったぁ・・・。お尻、まだ腫れてるのにぃ」
 尻もちをついたお尻をさすって顔をしかめたオルガは、投げ出されたオブシディアンを見遣った。
「大丈夫?」
「痛いよ、ばか!」
「ごめんってば」
 ぶつけたらしいおでこをさすっているオブシディアンの頬にキスをして、オルガは真っ赤に頬を染める彼を見つめた。
「弟がいたかなぁってことは、ぼんやり覚えてるよ。弟はね、ちょこ~っとお手伝いができるようになったくらいで知らないおじさんに連れて行かれちゃった。それきり、帰ってこなかった」
 オブシディアンは唇を噛み締めて俯いた。
 ちょこ~っと。すこ~し。家の手伝いができるようになった頃。
 父も母も褒めてくれるのが嬉しくて、せっせとお手伝いに精を出した。
 ある日、頭を撫でてくれながら、父と母が言った。
「そろそろ、いいよな?」
「ええ、頼んでみましょうよ。男の子が一端に食べるようになると、やっていけないわ」
 その数日後、見知らぬ男に連れ出された。
 それきり。
 二度と家には帰れなかった。
 二度と、父と母。そして姉にも会えなかった。
「おじさん、だぁれ? 坊やをどこに連れていくの? 坊やはいつ帰ってくるの?」
 あの時、不安で泣いている自分をどうにか取り返そうと抗ってくれたのは、姉だけだった。
「おじさん、待って! 坊やを連れて行かないで!」
 必死で伸ばされた手。
 自分と同じように泣いている、自分と同じ黒い瞳。
 その姉が、自分を連れ去った知らないおじさん、つまり売られた男娼小屋の親方から、ヴォルフ侯爵という貴族に遥かに高い値で売れて、両親が潤ったと聞かされた。
 自分が売られて、二年の月日が流れた頃であったか。
 それから、売られた姉の噂を、あちらこちらで耳にした。
 哀れな下町の娘が、ヴォルフ侯爵という貴族のペットとして囲われて泣き暮らしていると。
 救いたい。
 唯一、自分を救おうとしてくれた姉を救いたい。
 ずっとそう思ってきた。
 惨めで哀れな下町の娘。
 自分と同じ黒い瞳の娘。
 今、目の前で芝生に寝転がるオルガという女は、見れば見るほど、どこか懐かしい。
 けれど、考えていた哀れな娘とは違う。
 きらきら。
 滲み出るような輝きに包まれて。
「あ。ヴォルフ~!」
 芝生から体を起こしたオルガが、屋敷の窓に向かって大きく手を振った。
 オブシディアンがその先を見上げると、人影がサッとカーテンを引いて窓を覆う。
「あん。何よ。ご機嫌斜めね」
 つまらなさそうに口を尖らせるオルガを見て、オブシディアンもまた舌打ちした。
「お前、ヴォルフ侯爵が好きなのか?」
「ええ、大好きよ」
「・・・お前、違うよ」
「何が?」
「お前は、俺の姉さんじゃない」
「うん、自分で決めなさいな。私も、自分で決めたしね」
「自分で・・・?」
 閉ざされたカーテンの窓に手をかざすオルガの口元に、笑みが揺蕩う。
「誰かに決められる人生は、もういらない。私はね、オルガ。ヴォルフが大好きな、オルガなの」



「セドリック様? 西日が眩しかったですか?」
 自分の気の利かなさに恥じ入るように言ったファビオを振り返り、ヴォルフが首を横に振った。
「眩しかったのは、西日ではない。お前の非ではないから」
 思っていたほどの不安定さは垣間見えないヴォルフ。
 むしろ、その語調は穏やか。
「・・・なぁ、ファビオ」
「はい、何ですか、セドリック様」
「・・・いや、何でも。いや、夕食は、ここで摂りたい。手配を頼めるか」
「お望みとあれば、手配致しますが・・・、旦那様方とご一緒なさらないのですか?」
「・・・うん。えっとね。明け方のフォスターの、お仕置きが、その、まだ、お尻、じんじん、痛くて、落ち着いてディナーとか、できないから・・・」
 確かに、先程から執務椅子すらじっと座っていられない様子のヴォルフは、書物仕事以外は執務室をウロウロして書類に目を通している。
「・・・はい、かしこまりました」
 そうは答えた。
 けれど、ファビオは違和感を覚えている。
 普段ならフォスターの執務室で共に仕事をすることを好むヴォルフが、ずっと自分専用の執務室に詰めているなど、不自然というほかなかった。




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