道化師とお小言【オルガ番外編】

道化師の楽日【後編】

 ←道化師の楽日【前編】 →道化師の楽日のこと。



「クラウン、これも運んでおくれ。あ、こら、摘み食いするんじゃないの」
 キッチンとダイニングを別に構えられるほど広くないスフォールドの生家である。
 父や弟たちと生まれて初めての晩酌を交わしていたスフォールドは、自分の母にまとわりついて、手伝っているんだが邪魔しているんだかわからないクラウンを眺めて、そっと吐息を漏らした。
 先程まで、どう懲らしめてやろうかと考えを巡らせていたのだが、ああ楽しそうな顔を見ていると、お咎めなしでも良いような気がしてきた。
「ロイ、お前もようやく落ち着いたようだな」
「え? 落ち着いたって、何が?」
「何がじゃねぇだろ。王都に出て数年で、コロコロと奉公先を変えやがって・・・」
 ほろ酔いの父の舌が滑らかになってきた様子に、弟たちが苦笑している。
「最初の伯爵家が三年。次の伯爵家は二年。次の侯爵家が一年。そのまた次の公爵家がたったの半年!」
「・・・ああ」
 手紙に嘘を書いても仕方ないので、自分の居所はその都度正確に記載していたのだが、その事情までは言い訳がましいので書き記さなかったのだ。
「根の続かねぇお前に、父ちゃんや母ちゃんがどれだけ心配したかわかってんのか? 司祭様が、貴族様のお屋敷勤めをすれば、勉強する機会も得られるからと紹介状を書いてくださったってぇのに、フラフラしやがって、お前はッ」
 スフォールドが黙って久しぶりのお小言に頭を掻いていると、間に割って入るようにクラウンがテーブルに料理を置いた。
「お父さん、それ違うよ~。あ、僕にもビール頂戴」
 スフォールドの隣に陣取ったクラウンが、グラスを差し出して微笑む。
「むしろ驚くべきスピード出世。下男見習いが僅か三年で従僕にまで昇進なんて異例だよ」
 スフォールドが顔をしかめて見せたが、クラウンはお構いなしに続けた。
「下男見習いから一足飛びに従僕なんて、普通は有り得ないもの。この二つの間には、まだまだいくつも職があるからさ。やっかまれるのは必須だから、最初の奉公先の執事は他家に出したのだと思うよ~」
 目を瞬く両親や弟妹たちに、スフォールドは耳朶の熱さを感じながら舌打ちした。
「クラウン、もういい」
「だめー。これが『旦那様』のご命令だもの。どうせスコールドは誇れる経歴を家族に何も話さないだろうから、お前が代わりに伝えてって。スコールドが如何に自慢の執事か、たくさん話してきてって。僕はその目的の為に来たんです~」
「~~~」
 こいつは。まったく。
 ガリガリと頭を掻いて、天井に向けて嘆息。
 言ってしまいたくなるではないか。
 自分が如何に、自慢の主に仕えているのか。
 今ここにいるのは、自分が全身全霊を掛けても尽くしたい、主なのだと。



「お前、前のローランド帰領の道中でもその話をしていたよ」
 寝台車の一等個室のシートにもたれたクラウンは、ローランド領関係の書類に目を落としたままクスクスと笑った。
「同じ話を何度もするなんて、年だねぇ」
 確かに年なのかもしれない。
 互いに六十を超えた今、何やら鮮明に昔のことが脳裏に浮かぶのだ。
「笑い事ではございませんよ。あの時、私はどれだけ立ち居振る舞いに苦心したことか・・・」
「はいはい、それも聞きました」
 よもや、スフォールド家の末っ子のように扱っていたクラウンが、自分たちの領主などとは露ほども思っていなかった両親や弟妹。
「父さんてば、お前より力が強いのだもの。やっと卒業したと思ったお尻ぺんぺんが、お前のよりずっと痛くて、参ったね、あれは」
 スフォールドとて引き締まった体躯であるが、長年炭鉱夫として生きてきた父の隆々たる筋骨が繰り出す平手は、クラウンを本気で泣かせるに十分だった。
「一人で坑道に入り込んだりするからです」
「だって目的は果たしたし、あれ以上、親子水入らずを邪魔するのも悪いかなと思ったのだよね」
 スフォールドの口につい苦笑が滲む。
 夕食の間、ひたすらその目的を遂行し続けたクラウン。
 身振り手振りをふんだんに混じえて、まるで仮面劇のようにフォスター家執事スフォールドの物語を語るのだ。
 両親も弟妹たちもひどく喜んでくれていたが、主人公扱いの当人は穴があったら入りたい気分だった。
 そう、穴があったら入りたいと思ったのはスフォールドであったのに、酒宴をいつの間にか抜け出したクラウンの方が、坑道という穴に潜ってしまったのである。
「さすがの私も、命懸けの迷子は肝が冷えたなぁ」
「私の肝は氷点下でございましたよ」
「反省しています。心配かけてごめんなさい。・・・て、前も言ったのだけど」
「お互いヨボヨボの翁になっても、言い続けていただきますよ」
「・・・はいはい、わかりました」
 炭鉱用カンテラが一つなくなっていたことから、スフォールドは彼が坑道に入ったと推測し、村人総出の捜索が始まった。
 縦坑から更に横へとクモの巣状に伸びる坑道は、ほとんど迷路だ。
 おまけに各所にガスが充満する場所もあり、カンテラの扱いを一つ間違えば爆死は免れない。
 入り組んだ坑道から自力で出られなくなっていた迷子が、今現在、老紳士となり汽車に揺られているのだから、無論、事態は事なきを得た。
 どこをどう歩いてたどり着いたのか、クラウンは廃坑の地底湖付近で蹲っているのを発見されたのだ。
「クラウン!」
 捜索隊を買って出てくれた炭鉱夫たちに支えられて坑道から出てきたクラウンは、スフォールドの声で弾かれるように彼の胸に飛び込んできた。
「スコールド! 思った通りだ。ここは凄いぞ。きっとこの村だけじゃない。急ぎ、王都の国立大から地質学者や調査員を招集せねば」
 小刻みに震えているクラウンは、どこか興奮気味であった。
「ふふ、石炭で保っている痩せた領地? 前領主の目は節穴か。この土地は、この国の未来を支えるぞ。お前の家族は・・・いや、領民たちは皆、豊かになれる・・・!」
「・・・おい、クラウン? まず言わなくちゃいけないことがあるだろう?」
「お小言なら後で聞く。スコールド、すぐにローランド城下へ向かうぞ。城下町なら電話もあろう?」
 スフォールドは深い溜息で髪を掻き回した。
 以前なら、小脇に抱えてひん剥いた尻っぺたをうんと引っ叩いてやるところだが、いかんせん、いらぬ約束をしてしまったことが大いに悔やまれる。
「クラウン!!」
 叱りつけてやろうと開いた口が声を発する前に、先を越された。
「お前というヤツは、人様に心配かけて謝りもできねぇのか!」
 久しく聞いた父の怒号にスフォールドすらビクリと肩が跳ねたのだから、その矛先であるクラウンなど、気の毒なほど竦み上がっていた。
 先程までの興奮状態の真意を、スフォールドもわからぬではない。
 カンテラの僅かな明かりだけが頼りの暗い坑道で出口を見失い、怖くて仕方なかったのだろう。
 何度も何度も、死への恐怖に飲み込まれそうになって、それでも、逆にそれを必死で飲み込んで、命を繋ぐ可能性を持つ地底湖で救助を待っていた。
 そうして助け出されて、スフォールドの顔を見て、緊張の糸が切れ、襲い来る安心に我が身を飲み込ませた故の、半ば錯乱めいた興奮。
「父さん、すまない。こいつは謝る気がないわけでは・・・」
「お前は黙ってろ! 恐怖からの開放感で高ぶる気分くらい、ここにいる連中はみんな知っている! だからって、謝らねぇでいいって道理はねぇんだよ!」
 確かにその通りで、スフォールドは閉口するしかなくなる。
 父に逆さに抱えられたクラウンが、お尻に注がれ始めた分厚い平手のしなりに悲鳴を上げた。
「ぅあーーーん!」
 ボロボロと大粒の涙をこぼし始めたクラウンは、わんわんと泣きじゃくりながらも、まるで抵抗しなかった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 父は何も言わずに、ただただクラウンのお尻を叩き続ける。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 時折、ビクリと垂れ下がった手足や頭が跳ねるけれど、クラウンは抜け出そうとする素振りを見せないで、ただただ泣いて謝っていた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
 スフォールドはつい、苦い思いで顔を撫でる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいぃ・・・!」
 参った。
 三十路を迎えてすっかり大人になったつもりでいたが、やはり父にはかなわない。
 暗闇の迷路の中の、クラウンの恐怖と心細さは理解できた。
 けれど、その恐怖との戦いで、我慢に我慢を重ねた心の緊張を発散させてやるまでに至らなかった。
「ごめんなさいぃ・・・! ごめんなさいぃ・・・!」
 クラウンは泣きたかったはずだ。
 ただただ、子供のように泣き喚いて、救われた実感を涙でふやけた心で味わいたかったはずだ。
 それを、主従の『約束』に縛られて、させてやれなかった。
「ごめ、なさいぃ・・・。ごめ、・・・。ごめ、なさ、いぃ・・・」
 とうとう嗚咽で息を詰まらせ始めたクラウンに、スフォールドがそっと歩み寄る。
「・・・父さん、ごめん。ありがとう・・・」
「・・・部下どころか、お前の大事な弟分なんだろう? しっかりしろ、馬鹿モンが」
「ん。ごめん」
 父から抱き受けたクラウンの背中を、スフォールドは幼子をあやすようにさすった。
「クラウン。ほら。皆に、もう一度」
「・・・・・・心配かけて、ごめんなさい・・・」
「うん。それから?」
「助けてくれて、ありがとう・・・」
 すっかり泣き濡れた顔を炭鉱夫たちに向けて、クラウンは深く頭を垂れた。
「良い子。さあ、どうして坑道に入ったりしたのか、皆にちゃんと言いなさい。ただの、興味本位?」
 首を横に振ったクラウンを見つめて、スフォールドが彼の耳に口を寄せた。
「・・・仮面劇は、楽日にてよろしゅうございますか?」
 今度はコクンと頷いたクラウン。
 仮面劇の終盤は、見物人たちも踊りに加わるよう演者に誘われる。
 そして、その終幕に、演者は仮面を外して正体を明かすのがセオリーだ。
 スフォールドは黙ってクラウンの背後に一歩下がり、執事の名に恥じぬ優美な所作で頭を垂れた。
「皆様、我が主、フォスター伯爵こと新ローランド公爵より、此度の無謀についての釈明がございます」
 当然と言えば当然のざわめきが、その場を渦巻いた。



「よろしゅうございますか、旦那様。結果オーライで済ませられる事柄でなかったこと、一生涯お忘れになりませぬように」
「はいはい、わかっているよ~。だから私はあれからずっと良い子だっただろう?」
 資料に目を通しながら肩をすくめるクラウンは、確かに、あれ以来、無謀とは無縁となった。
「痛感したもの。残される者の気持ちはわかっていたつもりだったけれどね、残していく者への自分の思いまでには、至っていなかったなって」
 ただの気まぐれでの炭鉱散策ではなかった。
 クラウンは炭鉱夫を悩ませるガスの噴出や付近の土壌の状態を念頭において、ローランド領の可能性を模索し、坑道内部を調べに出たのだ。
 すると、いつか枯渇するであろう石炭採掘しか取り柄がないと考えられていたローランドの土地の大いなる未来の可能性が、後の地質学者を中心とした研究チームの調査で明らかとなった。
 一見、草木にも恵まれず農地にも不向き。
 けれど、どの貴族の領地より、国王の所有する肥沃な王土より、国の財源となろう貴重な資源の宝庫であったのだ。
 それを足掛かりに、クラウンはローランド領主として私財を投げ打ってでも開発へ奔走した。
 領民を鞭打つような税制を見直し、供給の対価を実感できる生活を保証し、労働階級者の意欲を駆り立てる条例をいくつも制定し、国作りの協力を扇いできた。
 クラウンがローランド領主の座について既に三十年余り。
 今や、ローランド領はこの国一番の発展を遂げた、王都と並び立つ都市である。
「ね、スコールド。孫も生まれたことであるし、先日の出仕の時にね、ローランド領について、アーシャと話し合ったのだよ」
 現在、彼の愛息はペリドット家の元々の爵位であるフォスター伯爵領の領主。
 本来は親子が並び立って出仕など王国の歴史にはなかった特殊な例となっている。
 それが国王や他の貴族たちに受け入れられているのは、十九でフォスター伯爵となり今まで、微塵も私欲のない王家や国民への忠誠心と、決して敵を作らぬように振る舞い続けた道化の賜物。
「アーシャもね、ローランド領の財務資料を見て賛成してくれた」
「ローランド公爵位を、アーサー様にお譲りに?」
「いや」
 クラウンが資料から顔を上げて、じっとスフォールドを見つめた。
「ローランド公爵位は、国王陛下に返上した。次回の議会で、正式に受理される運びだ。そして、ローランドの地は王太子領となる」
「王太子殿下の?」
 さすがにスフォールドは目を見張る。
 王太子領となれば、ローランド領はこの国の副首都ではないか。
「石炭、石油、天然ガス。その他の鉱物資源も豊富な宝の山のような領地を、一貴族が治めるものではないと思った。それに・・・」
 主の目元に浮かぶのは、昔と変わらぬ悪戯っぽい笑み。
「そろそろ気楽なご隠居さんに戻りたいなぁ、なんてね。・・・良い?」
「・・・もちろん、良いに決まっておりましょう」
 生まれて初めて王都に降り立ち、国王に自分の声は届かぬのだと諦めるほかなかった幼かった自分。
 目をつむったスフォールドは、あの頃の自分の肩にそっと手をおいてやりたくなった。
 安心おし。大丈夫。いつかお前が出会う主は、お前の故郷を笑顔でいっぱいにしてくれるから。
「・・・それでね、スコールド」
 クラウンは車窓に流れる景色に目をやった。
「豊かな王太子領誕生に、陛下が褒美をくださるとおっしゃるので、今一番欲しいものをおねだりした」
「これは珍しいことを。何をお願いなさったのです?」
「うん。この国最高の医師団」
 ニッコリと振り返ったクラウンの言葉に、スフォールドの心の臓が跳ねた。
「それと、海外からもね、著名な医師をできる限り掻き集めていただいたのだけれど」
 走る汽車が上げる唸りと、鼓動の早さが重なっていく。
「どうにか道はないものかと、足掻いてはみたのだけれどね」
 脈打つ全身が熱い。それなのに、凍えそうに寒い。
「医師団の意見は典医と同じだったよ。来年の春の花は、愛でられそうにない」
「・・・お供します」
 真っ白になった頭を経由することなく出た言葉に、クラウンが苦笑を深める。
「め。そんなこと言うものではないよ」
「嫌です。行きます。私はずっとあなた様の傍にいます!」
「我が儘を言わないの。ほら、スコールド、こういうのは君の役目でしょう?」
 強引に引かれた手に抱き寄せられて、スフォールドは止めどなく溢れる涙でむせ返った。
 震えるその背を、クラウンが撫でさする。
「うん。傍にいておくれ。道化師の楽日まで」
「一緒、に、連れて・・・」
「ダァメ。小言やさんの楽日は、まだまだ先だよ。アーシャやヴォルフをお願い。あの子達がこの国の未来をちゃんと支えていけるように、守ってあげてね」
 嗚咽の中、スフォールドは思った。
 この道化師は、最期までこうして笑っているのだろう。
 人々に笑っていて欲しくて、道化けているのだろう。
 そうだった。
 彼が唯一、道化の仮面を外して泣くことができるのは、自分の前だけではないか。
「・・・クラウン」
「なんだい、スコールド」
「姿勢、逆だな」
「うん、だね」
 車両の床から立ち上がったスフォールドは、クラウンを抱き寄せた。
「スコールド」
「うん」
「天で待ってらっしゃる父上も、こうして抱きしめて、褒めてくださるかなぁ?」
「もちろんだ」
「スコールド」
「うん」
「~~~死にたくないよぉ・・・」
 スフォールドの前でだけ。
 道化師の楽日のその日まで。
 溢れる本音と涙は、スフォールドの前でだけ。
 仮面が外されるのは、最期の瞬間まで、スフォールドの前でだけ。
 いや。駄目だ。それではいけない。
 仮面劇の終盤は、見物人たちも踊りに加わるよう演者に誘われる。
 そして、その終幕に、演者は仮面を外して正体を明かすのがセオリーだ。
 後どれくらいの時間が残されているかわからないけれど、自分以外の前でも、この道化師を泣かせてやりたいと、スフォールドは思った。




  • 【道化師の楽日【前編】】へ
  • 【道化師の楽日のこと。】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【道化師の楽日【前編】】へ
  • 【道化師の楽日のこと。】へ