フォスター家【オルガ番外編】

お仕置き部屋と最後の施錠

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「うぅ~・・・」
 せっせとお尻をさすっているフォスターを、屋根裏のお仕置き部屋のドアを開いて退出を待つモートンは、今にも吹き出しそうにうつむき加減で肩を震わせている。
「・・・笑うな」
「申し訳ございません。お小さい頃と変わらぬ仕草に、つい」
「そうかね。なら、ようよう目に焼き付けておくがいいさ。もう二度と見られないからな」
「そう願います」
 幼い頃からの養育係の優雅な最敬礼に、フォスターは疑わしげな視線を送った。
「願いますとは聞き捨てならんね。本当に『最後』だと言ったよな?」
「おかしな確認事項にございますね。これが『最後』とおっしゃったのは旦那様で、それ即ち、旦那様が二度とお仕置きなどされぬお振る舞いをなさる、ということにございましょう?」
 道理である。
 フンと鼻を鳴らしたフォスターはモートンの前を擦り抜けてお仕置き部屋を出ると、ドアを閉じた彼を振り返った。
「モートン」
「はい、旦那様」
「今後も、お説教くらいなら聞いてやるぞ」
「・・・今ならまだ最後の内にございますから、お戻りいただければケインなりパドルなりと取り揃えてございますが」
「遠慮する」
 階段を下りながらヒラヒラと振った手で、再びお尻をさすり始めた主に、モートンは宙を仰いで肩をすくめた。
 遠ざかるその背中を見るにつけ、染み染み思う。
「・・・大きくなったなぁ・・・」
 振り返った屋根裏部屋のドア。
 モートンはもう一度それをくぐり、蔦模様のオットマンに腰を下ろすと、隅々までゆっくりと見渡した。
「もう、私がここに踏み入ることはないのだな」

 

 
 毎朝の「おはようございます」から、毎晩の「おやすみなさいませ」まで、一日のほとんどの時間を共に過ごしてきた。
 街中で出逢ったお人形のような小さな女の子。だと思っていたら、フリルたっぷりのドレスの中身は、フォスター伯爵家の世継ぎのお坊ちゃまで。
 それが縁で、フォスター伯爵家の家令であったスフォールドに従僕として採用されて、アーサー坊ちゃまの側仕えとなった。
 お仕えし始めたばかりの頃は、体がどこに埋もれているかわからぬ程に大きかったベッドが、今では両手を広げてスヤスヤ寝ていれば狭いくらいに感じる。
 その寝顔と、起床の声掛けに枕を抱きしめて、朝日を拒絶するように背中を向ける仕草は変わらないけれど。
 二言目の「朝にございますよ」と言葉で、眠た目をこすりながらムクリとベッドから体を起こす行動は、すっかり定着した。
「おはようございます、旦那様」
「ん。おはよう、モートン」
 アクビをしながらの第一声を聞く度に、頭を撫でたくなる。
「まだ眠いぃ」
 昔はそう言って、ぴぃぴぃと寝起きで泣いていた。
 寝ぐずはあまりない子だったが、寝起きは今一つ良くない方だった。
 グズる坊ちゃまを、よく抱き上げてあやしたものだ。
 こうしてすんなり体を起こすようになったばかりの頃、「お利口さんですね」と頭を撫でてやったのは、すでに遠い昔。
「ほらほら、じっとなさってくださいませ」
 目覚めたらもうやりたいことだらけの小さな坊ちゃまを、着替えさせるのも一苦労であったのに。
「モートン、今日の予定は」
 今ではゆったりと会話を挟みつつ、粛々と進む身支度。
 小さな頃に伝える予定は、家庭教師との勉強の時間やお稽古事のスケジュール。
「ねぇねぇ、お遊びは? ちゃんとある?」
「さあ? それは坊ちゃまがちゃんと先生のおっしゃることを聞いていられたら、考えましょう」
 この坊ちゃまは後に楽しいことが待っているとわかると、そちらに気を取られて集中力に欠けるところがあった。
 ワクワクとウズウズで、出来るはずのことにケアレスミスを引き起こす。
 お説教やお尻にピシャンと言い聞かせたこともあるが、そんなことで自由時間を削るのも可哀想なので、誘惑するような言葉は避けることにしたのだが・・・。
 この点は少々躾に失敗したかと思う。
 高等学部生、大学生、そして院生になっても、数は減ったものの見受けられた誤字脱字。
 誘惑から遠ざけるのでなく、誘惑と向き合っても目の前のことに集中することこそを、きちんと学ばせるべきだった。
「ちょっとしたうっかりではないか。そんなガミガミ言わなくても・・・」
 大きくなれば自然と・・・などと考えていた自分が甘かった。
 そう思い知らされてからは、師のスフォールドが乗り移ったかと自分でも思うほどに、「見直しをなさい」と口やかましく躾直し、お陰で綴った書面を見直すことを怠らなくなった。
 幼い頃にお茶を濁すようなことをしなければ、まだ十代とは言え体はすっかり大人の青年主人のお尻に、ケインを据えるようなこともせずに済んだだろう。
 返って可哀想なことをしてしまった。
 主の成長は、自分を映し出す鏡に思える。
 ああすれば良かった。こうすれば良かった。そんな思いが巡ることもしばしば。 
「モートン、モートン」
「ねぇねぇ、モートン」
「ね、モートンや」
「なぁ、モートン」
 自分を呼びかける言葉が、次第に大人びていった。
 車の乗り降りに必ず握って支えた手も、いつしかドアを開けるだけで済むようになった。
 ぴょこぴょことステップを踏むように前を歩いていた幼子の背中はいつしか、スラリと伸びた背丈に見合った、ゆったりと優美な足取りとなっていく。
「坊ちゃま」
「なぁに、モートン?」
 呼びかけるとクルンと振り返ったあどけない顔。
「旦那様」
「何だね、モートン」
 呼びかけても今は振り返らない。
 会話の中で、時折視線を交わす程度。
 当人は気付いていないが、呼んですぐに振り返って目を合わせようとする時は、大抵、やましいことがある時であるくらい、お見通し。
 ずっと見つめてきたのだ。
 ずっと仕えてきた。
 ずっと育ててきた。
 先王崩御で、坊ちゃまは思いのほか早く当主となり、側仕えだった自分は必然的に家令に昇格。
 少々不安はあったけれど、フォスター領の新領主様は手探りながら、しっかりと勤めを果たしてくれていた。
 その船出は順風満帆とは行かなかったが・・・。 
 


 家督を譲り受けたのは、その名を馳せるフォスター領産のリンゴの収穫時期であった。
「こんにちは。今年のリンゴの出来は如何ですか?」
 領民へも丁寧な言葉遣いの挨拶は、モートンが小さな主人に一番大切なこととして躾てきたことで、それは立派な青年となった彼にすっかり浸透していた。
 たわわに実るリンゴの収穫に勤しんでいた農夫たちは、その声に手を休めて帽子を脱ぐと、新領主に頭を垂れた。
「これは領主様。今年は昼夜の寒暖差が緩やかだったので、生憎と今ひとつでございます」
「おや、それは残念だね」
 フォスターはモートンの手に支えられてリンゴ園の土手を登る。
 フォスター領の領民達は他の領地を知らない。
 故に、こんな風に果樹園や畑の中まで領主が入ってくるなど希なことだと思っていない様子で、領主を迎え入れるのだ。
「一つ、味見しても良いかな?」
「もちろん。ただいま切り分けますので・・・」
「そのままで良いよ。良いだろう、モートン?」
 モートンが微笑んで頷いたので、フォスターは農夫が恭しく差し出すリンゴを手にとってかじった。
「なるほど。例年の物に比べて、歯触りも今一つで酸味がきついね」
 かじったリンゴをしばらく見つめていたフォスターが頷く。
「はい、フォスター領産リンゴのイメージを下げたくないんで、こういう不作の年はジャムなんかの加工業者に卸して凌いでいるのですが、そうなると安く買い叩かれてしまいますんで・・・」
「それに、ジャムなんて大抵各家庭で作っていますから、売上も伸びませんや」
 口々に言って項垂れる農夫たちを見渡してしばし考え込んでいたフォスターは、もう一口リンゴをかじって、その酸っぱさに顎の付け根を撫でた。
「ならいっそ、そういう売り文句も有りかな。ジャム用リンゴとか、アップルパイの為のリンゴとか」
 シャリシャリとリンゴを食べ進めながら呟くフォスターの言葉を、モートンが手帳に書き留めていく。
「それで加工業者相手でなく、通常通り一般市場に流す。甘くないリンゴではなく、加工用リンゴと謳ってしまえば、イメージ低下は避けられるよ」
「はあ・・・」
 今ひとつピンと来ていない農夫たちに、フォスターが食べ終えたリンゴの芯をモートンに手渡して笑った。
「通常のやり方で収益が上がらないのなら、試してみないかね? 数年に一度の焼きリンゴ向きリンゴをお届けします、とかね」
 どうにも訝しげな農夫たちであったが、相手は領主である。
 それに彼が言うように、どうせ今年の収益低下は目に見えているので、やってみるかという空気に場が包まれていた。
「では皆さん、失礼するよ。仕事の手を止めさせてすまなかったね、リンゴ、ごちそうさま」
 再びモートンの手に支えられて土手を降りた領主を、農夫たちが最敬礼で見送っている。
「モートン、卸値は例年と同じに。酸っぱいリンゴの価値を、ひっくり返してみようじゃないか」
 結論から言うと、マイナスイメージを逆手に取った商業戦略は、勝ちはしないが負けもしなかった・・・という今一つの手応えであった。
「それでも負けはしなかったなら、長期戦で望んでみるさ。農夫たちが丹精込めたリンゴに、不出来など存在しない」
 酸味が返って爽やかな風味を醸し出すアップルパイに舌鼓を打つフォスターに、おや・・・とモートンはおかわりのお茶を注ぎながら、つい笑みを誘われた。
「おや。その丹精込めたリンゴをボール代わりにクリケットに興じた方が、ご立派になられましたことで」
 耳まで真っ赤にしたフォスターが、顔をしかめて思い出したようにお尻をさすった。
 この赤面よりずっと真っ赤になったお尻で「ごめんなさい」と泣いていた子供は、すっかり領民思いの立派な領主へと成長してくれた。
 先代すら手こずった数年に一度の凶作を、後々、数年に一度しか味わえないというブランドイメージにすり替えてしまうのだから。



「ここにいたのか」
 巡る思い出に浸っていたモートンは、その声に我に返って目を開けた。
 屋根裏部屋の戸口にもたれたスフォールドが、苦笑交じりに肩をすくめる。
「旦那様が呼び鈴を鳴らしておられる。参じるのが私ではご不満のご様子なので、探したよ」
「ああ、申し訳ありません」
 オットマンから腰を上げたモートンは、ふと思った。
 戸口から先へ、決して踏み込もうとしないスフォールド。
「・・・スフォールド、あなたはいつ、ここでこうして?」
「うん? そうだねぇ。アーサー坊ちゃまとの思い出なら、紙飛行機の日かな」
 思い出すと、耳朶が熱い。
「本当なら、私の旦那様で最後のつもりだったのだけれど、坊ちゃまに生涯添う執事が見つけられなくてね。ひたすら甘やかして差し上げたいあの方の躾まで買って出ることになって、なかなか辛かった」
 師の本音に、苦笑が漏れる。
「それでもまあ待った甲斐あって、坊ちゃまに最高の執事を見つけられた」
「お褒め頂き恐縮ですが、私の思い描いた予定との開きが著しく・・・」
 両手を背中に組んで、天井を見上げたモートンの吐息にスフォールドが笑った。
「そうだったねぇ。お前がここでこうしているのは、二度目だものな」
 主がとうとう、この伯爵家の本当の主となった夜。
 もう二度とここに立ち入ることもなかろうと、夜回りの際の施錠の為に、ここに訪れた。
 あの時も、先ほどのようにオットマンに掛けて、たくさんの思い出に浸った。と。いうのに。
「まさか、三十路を目前に控えた旦那様のお尻を叩く羽目になるとは、思いも寄りませなんだ・・・」
「予定通りにも思い通りにも行かないのが、子育てってものさ」
 そう言って肩をすくめるスフォールドを見遣って、モートンはクスクスと漏れる笑い声を覆うように拳を口に当てた。
「私に丸投げなさった方が、おっしゃいますね」
「聞き捨てならんな。アーサーさまを四歳までお育て申し上げたのは、この私だぞ」
「では、今からもう一度、あなたが旦那様の所に参じてみればいかがです?」
「やれやれ。弟子の躾に失敗したかなぁ。生意気になりおって」
 大きく両手を広げて肩をすくめたスフォールドは、さっさと行けとばかりに顎をしゃくった。
「モートンは?とね、出向いて言われると、結構傷つくのだよ。だから、早く行け」
「はい、只今」
 満足そうに屋根裏部屋から出てきたモートンが、腰のベルトに引っ掛けていたキーリングを手にとった。
「なあ、モートン」
「はい」
「アーサー様は、とても良い子にお育ちだ。ありがとう」
 セドリック坊ちゃま以外に、育て、仕える気が起こらなかった。
 落ちぶれていく中で、スフォールドに強引なまでに手を引かれた。
「良いか。今のままでは、お前はセドリック様に近付けん。だが、フォスター家従僕となり、いずれ当主となられるアーサー様の執事に昇格すれば、ヴォルフ侯爵を継ぐセドリック様とまみえる機会も訪れよう」
 スフォールドのこの言葉に芽生えた、邪な思い。
 いつか。
 いつか。
 いつの日か、セドリック坊ちゃまの傍に。
 今からお仕えするアーサー坊ちゃまは、その為の足掛かり。
 などと。
 よくぞ思えた若かりし頃の自分をこそ、この屋根裏のお仕置き部屋で引っ叩いてやりたい。
「・・・何をおっしゃいますか。私こそ、いくら礼を言っても足りぬ程ですのに」
 屋根裏部屋のドアに、錠が落ちた。
 もう、自分がこの部屋のドアを開くことは、潜ることは、二度とないだろう。





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