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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第二十話 黒曜の瞳と黒曜の瞳

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 深い眠りの水底から、浅瀬に打ち寄せられるかのように寝返りを打ったヴォルフは、ぼんやりと開いた目に映りこんできた天蓋のレリーフに、ホッと息をついた。
 これを見る度に思うのだ。
 自分は、本当にフォスター家にいるのだと。
 夢ではないのだと。
 寂しいとか、悲しいとか。
 ここに暮らすようになって、初めて知った。
 いや。
 そういう感情が自分の中にもあるのだと知った。
 王家を代々守ってきた由緒ある臣下の家柄に生まれ、何でも思いのままにできる自分は、満たされた存在なのだと思っていた。
 選ばれた特権階級。
 労働階級の平民とは別の世界に生きる者。
 きゃつらが石ころなら、自分は宝石。
 ずっと、そう思って生きてきた。
 なのに。
 宮廷の帰り道に車窓から見える、道行く平民たち。
 ボロを着て、薄汚れて、目にするのも汚らわしい歪な石ころが、時折眩しいくらいに輝いて見えた。
 笑って、歌って、泣いて、怒って。
 何故だか、無性に腹が立った。
 オリガの提案で、下町の小娘でも飼い慣らしてみてはどうかと言われて。
 石ころの小娘を傍らに置くなどくだらないと思う一方で、粉々に砕いてやりたい気持ちが沸いた。
 石ころのくせに。何故、自分より楽しそうに笑う。
 何故。何故だ。何故、満たされた私より、幸せそうに笑う。
「・・・い」
 じわり。じわりと。
 ベッドに乗った部分が疼いている感触を自覚し始めて、ヴォルフは堪らず跳ね起きて、四つん這いになってお尻をさすった。
「ぃ。痛い・・・」
 しかめた顔でお尻を撫でさする自分を客観視すると、何とも間抜けだ。
「ぅう、ジンジンする・・・」
 これもまた、自分が確かにフォスター家にいるのだと実感する証の一つであるが、これはいらない。
 最近はあまり叱られなくなったので、久々のこの後味がますます堪える。
 そろそろと四つん這いを潰して再びベッドにうつ伏せたヴォルフは、吐息をついて枕に埋めた顔をふと上げた。
「ヴォルフ、入るよ」
 モートンを伴ってフォスターが寝室に姿を見せた。
「起きていたの。お腹がすいただろう? 隣に軽食を運ばせたから、着替えが済んだら一緒に食事にしよう」
 お尻が痛いのは御免だ。
 けれど、叱るのは見放さないということだと言ったこの友人は、今も変わらずこうして微笑んで傍に居てくれる。
 選ばれし特別な宝石と考えていた自分こそが、砕かれていく。
 自分を覆っていた『ガーネット』という美しい宝石が砕かれた。
いや、違う。
 ファセットカットで数面体であったものがカボションカットに削り直されて、屈折率の視界を失い、自分が何をしてきたのかが見えた。
 衣服を奪い、言葉を奪い、人であることを奪い、首輪で繋ぎ、力で繋ぎ、恐怖で繋いだ、オルガ。
 何をどうすれば良いのか、まるでわからないけれど。
 ただ、笑っていて欲しい。
 ただ、喜んで欲しい。
 オルガは、石ころなどではない。
「・・・あのね、ヴォルフ。話があるんだ」
 


 家令たるモートンはスイートの個室を与えられる身分だった。
 書斎でもある自室と寝室の続き部屋。
 彼と同室になるにあたり、出入り口のある書斎側に自分のベッドを移してくれて、寝室をファビオの個室に模様替えしてくれたのである。
「旦那様の急用が入ることもあるし、何より、寂しがり屋のポーカーフェイスが就寝前に度々やってくるから、私がお出迎えせねば」
 物音が響かない奥側の部屋を譲られて恐縮するファビオに、モートンが粋に片目を瞑って見せたのは、もう一年も前のこと。
「探してもいないと思ったら、勉強なんて珍しいわね」
 窓から聞こえた声に、ファビオはモートンのデスクでせっせとめくっていた辞書から顔を上げた。
「落第して卒業が遠のくとかゴメンなんでね。それに、モートンに言いつけられた仕事中」
 手にしていたペンで指し示したのは、モートンのベッドで昏昏と眠っているオブシディアン。
「その子、誰?」
「誰と言われると・・・、オブシディアンとしか言いようがないのだけど。お前こそ、何? 今日はクラスの女子たちと遊びに行くとか言ってなかったか?」
「ふぉすたに叱られて、週末は当分外出禁止になっちゃった」
「・・・何をしたんだよ、お前は」
「年頃の娘が云々って言っていたかしら。お堅いのよね、ふぉすたって」
 ヒョイと窓枠を潜って部屋に入ったオルガを見て、ファビオは額に手を当てる。
「旦那様が怒るのは、そういうところだと思うぞ?」
「ちゃんとドアから入ってきなさいって?」
「いや、そういうことじゃなくてさ・・・」
 ベッドの上のオブシディアンを興味深げに覗き込んでいるオルガに、ファビオがガリガリと頭を掻いた。
「あのな、俺だって歴とした男で、ここは個室で、そういう場所にうかうかと入り込んでくる、そういうところ」
「ふーん?」
 一片の興味も無さそうなオルガの生返事に、ついそっぽを向いた。
 腹の立つ。
 野菜の配達先で出会った、黒い大きな瞳の少女。
 その少女がお貴族様に無体を強いられているらしいことが許せなくて、自分が助けてやらねばと思った十二歳の頃。
 まあ、結局それはファビオの早とちりだったわけだが、自分を突き動かした思いだけは勘違いではない。
 有り体に言えば、一目惚れ。付け加えるなら、初恋。
 そうでなければ、フォスターの誘いに乗ったりはしなかった。
 フォスターは自分を純粋に優しい少年だと思ってくれているようだが、実のところはオルガの傍にいたかったという下心だ。
 オルガがヴォルフの婚約者となった時、少なからずガッカリした。
 何だかんだと戯れあっていた二人だったが、元は非道の暴君とその犠牲者。
 本当に結ばれる道を二人が選ぶとは、思っていなかったのだ。
 ベッドの上の少年をじっと覗き込んでいるオルガを見つめ、ガリガリと頭を掻いて、吐息。
 失恋しているのは、とうの昔にわかってはいたけれど。
 オルガが自分を露ほども男性として見ていないことくらい、傍にいればわかる。
 良くて幼馴染。いや、おそらくは一つ年下の弟くらいにしか思っていないだろう。
「ねぇ、この子、新しいお小姓さん?」
「ちげぇーよ」
 オルガがくるんと振り返ると、黒い巻き毛がたなびいた。
「何よ、ぶすっとした声」
 とっくに諦めた片恋とは言え、こうまで異性を意識されていないとなると、不機嫌にもなる多感な年頃のファビオである。
「ところでさぁ」
 ほら。こちらの機嫌など、意に介してもいない。
「何」
「この子、いくつ?」
「八つ」
「・・・そっか。じゃ、やっぱり思い過ごしかな」
 膝をつき、ベッドに頬杖をついたオルガは、オブシディアンの髪にクルクルと指を巻きつける。
「やめろよ、起きちゃうだろ。せっかく気持ち良さそうに寝てるのに」
「起きた顔、見たいなぁと思って」
「わがまま。オブのこと、何でそんなに気にするんだよ」
「うーん。何だかね、知ってる気がするの。昔、抱っこした弟に、似ているなぁと思って」
 ファビオは目を瞬き、ふと思い出した。
 そう言えばオブシディアンの瞳は、オルガと同じ深い黒。
 モートンがそれに因んで名付けたのであろう、黒曜石(オブシディアン)だった。
「でも、八つなら違うと思う。弟が赤ちゃんだった時、私はうんと小さかったもの。自分が何歳なのかわかんないけど、少なくともあの赤ちゃんが今八歳なわけないし」
「あ、いや。オブの年齢は自称だし、本当の年は俺もわからないんだ」
「・・・ふぅん」
 再びオブシディアンに目を落としたオルガの横顔を見つめて、ファビオはどうにもモヤモヤした気分に苛まれていた。
 自分の年齢すら忘れ、幼い頃の記憶が曖昧になるほどの境遇を過ごしたオルガ。
 そうさせたのはヴォルフ。
 自分よりずっと大人のくせに子供のようなヴォルフが、もちろん好きだ。好きだから、仕えてきた。
 わがままでやんちゃで自分本位だったヴォルフが、自分以外の使用人に礼を言ったり気遣いを見せるようになってくると、その成長が誇らしくも思った。
 学校の先生より勉強ができるのではないかと驚かされる学習時間で、案外教え上手な側面に目を見張るのに、ファビオが知っていて当たり前だと思っていたことを知らず、キョトンとしている様も、何とも可愛らしい。
 そうは思えど、オルガがこうして薄ぼんやりした思い出を手繰るような表情を浮かべる度に、思い知るのだ。
 飼育という、唾棄すべき歪んだ関係で出会った二人。
 ヴォルフが好き。
 オルガが好き。
 けれど。
 ユルセナイ。
「・・・なぁ、オルガ」
「なぁに?」
「セドリック様が、好きなのか?」
 振り返ったオルガが、傾げた顔に笑みを浮かべた。
「今更、なに? 当たり前でしょう、大好きよ」
「当たり前? 調教ってヤツじゃないのか? そう思うように、教え込まれただけなんじゃないのか!?」
 ファビオもいつまでも十二歳の子供ではない。
 ヴォルフ侯爵邸で何が行われ、オルガの身に何が起こっていたのか、想像がつく年になった。
「ファビオ、声、大きいよ。オブシディアンだっけ? 起こさないよう言ったのは、あなたでしょ」
「だって、わかんねーよ! それってさぁ、本当にお前の感情なのか!?」
「ファビオ」
 オルガが人差し指を唇に当てた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「あ・・・」
 そのドアはすでに開いていて、そこにもたれたモートンが鳴らした音だった。
「お取り込み中、すまないがね。ファビオ、急ぎローランド公爵邸へ使いに出ておくれ。スフォールドをまた招来したいと、伝えて欲しい」
「スフォールドを? セドリック様がどうかなさったのですか」
「うん、しばらくは目を離さぬ方が良い事態でね」
 不満。
 フォスター邸でのヴォルフの世話役は自分だ。
「学校はハーフタームです。僕がお側にいるだけでは駄目なのですか?」
 詰め寄るように歩み寄ったファビオを、顎を撫でてしげしげと眺めていたモートンが肩をすくめた。
「お前にそれを頼みに来たのだけれど、さっきのを見てはね。適任とは思えなくて」
 顔が熱いくらいに紅潮した。
「あ、あれは・・・! 僕は・・・! セドリック様を嫌いとか、そういうのでは・・・!」
「わかっている」
 ポンと頭に置かれた手が、子供扱いでますます悔しい。
「お前の言い分は最もで、セドリック様はそう思われて当然のことをなさってきた。お前が言ったことを聞かせたくないから、スフォールドをと決めたのではないよ」
「~~~じゃあ、どうして!?」
「・・・お前に、正論だからと感情を振りかざす人間になって欲しくない。正論は、時に人を切り捨てる、鋭利な刃物だ」
「・・・正しいことを言ってはいけないという『教え』ですか?」
 ファビオは自分ができる限りの皮肉な笑みを浮かべて見せた。
 逸らさぬ目でそれを受けたモートンは、黙って首を横に振る。
「同じ正論もね、負の感情を混じえてしまえば、ただの糾弾なのだよ」
「負の感情なんか・・・!」
「お前が好いてくれるセドリック様を、お前の言葉で追い詰めて、お前が傷つくのを見たくない!」
 幾度も。
 今まで幾度も。
 叱られたし、お小言も食らった。
 けれど、自分を黙らせるような言い方を、されたことはなかった。
「・・・モートン、意外と欲張りね」
 ずっと黙ってベッドの上のオブシディアンを見つめていたオルガが、不意に呟いた。
 モートンの顔に深い苦笑が滲む。
「はい。おっしゃる通り。私めは、セドリック様にも、ファビオにも、無論、旦那様にも、自らが発した言葉に傷ついてほしくはございません」
 その静かな声に、ファビオはようやくスフォールド招来の決断が自分の為でもあると理解した。
「ね、モートン」
 床についていた膝を起こし、オブシディアンの眠るベッドに腰を下ろしたオルガが、口端になぞらえた笑み。
「これだけは、あなたに阻止できないわよ」
皮肉っぽくも、妖艶でも、幼くも、大人びても、その全てを含んでいた。
「ヴォルフをね、傷つけていいのは、私だけ」
「・・・オルガ様」
 モートンの吐息が深い。
「・・・なぁんてね」
 冗談めかした付け足しが、本気なのか。
 付け足しを必要とした先の言葉が本気なのか。
 ファビオにはわからなかった。
 黙って彼女を見つめているモートンは、わかったのだろうか。
「・・・ファビオ。使いの件、わかったね?」
「え、あ、はい」
 思わず頷くと、モートンはクシャクシャと髪を撫でてくれた笑みを些か厳しくして咳払いした。
「ところで、オルガ様」
「なぁに、モートン」
 もたれていたドアから体を起こしたモートンはスタスタとベッドに歩み寄り、すくい上げるようにベッドに掛けるオルガを抱き上げた。
「男性の部屋にのこのこと立ち入るなと、昨夜叱られたばかりでしょう。旦那様のお仕置きでは効果がないようですので、奥方様のところへお連れ致しましょうね」
「え? や。やだ。モートン、母様はいや! ちょっとモートン! やだってば! 下ろしてーーー!」
 ファビオは耳と目を疑った。
 ええと? 
 さっきのオルガと、遠ざかる悲鳴のオルガ。
 あれが同一人物?
 その騒音に寝苦しそうな呻き声を漏らしたオブシディアンの胸を慌ててポンポンと叩いてやりながら、ファビオは頬を掻いた。
 腹の立つ。
 どうせ、自分は女の本性すら見極められぬ小童だ。

  

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