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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十九話 黒曜石と執事

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「すっかり夜も空けてしまったな。今日はヴォルフを起こさないでおいておあげ」
 ようやく自室のベッドに潜り込むことができたフォスターがあくび混じりに言った。
「私もさすがに昼くらいまでは眠っていたいな」
「まあ、今回は大目に見ましょう。お二人揃ってのことであれば、使用人のスケジュール調整も彼らの負担にはなりませぬし」
 本当なら、せっかく準備したアーサー坊ちゃまの御包(おくるみ)を、アーサー・ジュニア坊ちゃまに掛けてやる父となった彼の姿を見たかったのだが・・・致し方ない。
「ありがとう。その調整に、ちゃんと自分の睡眠時間を考慮しておくれよ」
「それはお約束致しかねます。お気になさっておいでなのでございましょう? オルガ様の弟御やもしれぬ少年が、強盗団に身を置いているということを」
 子供の頃のように掛布を肩まで引き上げてやると、フォスターが苦笑を浮かべる。
「お前は何でもお見通しだね・・・と、言いたいところだが。今回はハズレだよ。確かに気にはなっているけれどね、今一番の関心事は、私がこんなに眠いのだから、お前もだろうなということ」
 もう何年も、いや、十数年も、頬を撫でてきたことなどない主が手を伸ばしてきた。
 すっかり大きくなった手の平を、味わうように目を瞑る。
「私の睡眠が満たされたら、お前にはまた少年の捜索に奔走してもらうから。お前もちゃんと眠ること」
「・・・それは、ご命令でございますか?」
 目尻のシワを指でなぞるようにしていたフォスターが、うとうとし始めた顔に思わず笑みがこぼれた。
 こういう表情は、本当に幼い頃のまま。
「・・・ん。命令でも、約束でも・・・お前が、体をちゃんと、休めて、くれる・・・方・・・」
 ストンとベッドに落ちたフォスターの手を、掛布の中に戻してやる。
「・・・かしこまりました、旦那様。おやすみなさいませ」
 まだ幼い頃であれば頬にキスして立ち去るところだが、さすがにそっと髪を撫でるだけに止めたモートンであった。
 そうして、フォスターの寝室を出て間もなくの捕物騒ぎ。
 ファビオが誘(いざな)った少年の前に立ったモートンは、舐められまいという威勢を放つ瞳を見つめて吐息をついた。
「・・・少年、名は?」
 頑として口を開こうとしない少年に、モートンはうなじを撫でた。
「では、質問を変えよう。この屋敷に侵入を謀った目的は?」
 これも黙秘。
 さあ、どうする。
 モートンは思考を巡らせた。
 垢や土埃にまみれて、およそ人相の判別もつかぬ小さな少年。
 けれど、自分を睨み据えてくるこの黒曜石の瞳は、自分がよく知っている少女を彷彿とさせるのだ。
 チラと背後を振り返ると、未だ床に萎れてお尻をさすっているファビオがズボンを上げるのも難儀している。
 また吐息。
 この少年が現れたタイミングを見るに、おそらくヴォルフが探していた黒曜の少年だ。
 それを知る由もないファビオが誘い込んでくれたお陰で、労せずして確保に至ったことを褒めてやりたい気持ちもなくはないが、その方法が頂けない。
「ファビオ、こっちへおいで」
 ファビオは飛び上がらんばかりにギクリとして、両手でお尻を庇った。
 さすがは弟子。
 自分の声がまだお小言色が抜けきっていないことを感じ取ったかと、モートンは肩をすくめる。
「おいで」
「~~~はい」
 しょぼくれた足取りのファビオが傍らに立つと、その頭にポンと手を乗せる。
「よくお聞き。確かにね、腹に一物を抱えた者をそのまま放逐して、次は知らぬ間に侵入されて大事になるより、その身柄を確保してしまった方が効率的だ」
 しゅんと聞き入っているファビオの髪を撫でてやっていると、ふと視線を感じた。
 少年の目が、じっとモートンの手を追っている。
 苦笑。
 王都に奉公に出てきた幼かった自分はおそらく、こんな目で街行く親子連れを見つめていたのだろう。
「そこまでは良いよ。けれど、ナイフを取り上げておくことも、彼をご主人様方の居住フロアに踏み込ませないことも、簡単だったよね?」
「・・・はい」
 コクンと頷いたファビオの顔を覗き込み、モートンは少し顔をしかめてみせた。
「容易く捕らえられると油断した。けれど、この子が万一ナイフで誰かを傷つけたら? この子は傷害の罪を負うことになるね」
「あ・・・」
 目を潤ませて見上げてきたファビオに、モートンが頷いて見せた。
「~~~モートン、ごめんなさい・・・」
「謝る相手が違うだろう?」
 理解してくれたらしい弟子の鼻を摘んで、モートンが少年を指し示した。
 ファビオは少年の前に屈むと、彼を椅子に括っていた縄を解いて抱き寄せる。
「ごめん。ごめんな。俺、お前の将来のことまで考えてなくて・・・」
 少年はすっかり戸惑った様子でオロオロと抱擁の中にいた。
 それを眺めて、モートンは思った。
 やはり、この子は人のぬくもりを知らない。
「なあ、少年。お詫び方々、食事でも一緒にどうかね?」
 食事と聞いた途端、お腹の虫が賛成の声を上げたことに、少年は俯いた。
 おそらく頬を赤らめたのだろうが、汚れた顔では判別がつかない。
「そうだ。ついでにお風呂もどうぞ。皆の食事時間まで、まだ間があるから。どうだね、少年」
 モートンは提示案に傾きかけている少年の目に微笑んで見せて、毛束に固まった彼の髪を撫でた。
「少年では味気ないな。名前を教えてくれないかね?」
「・・・その手には乗らねぇよ」
 フンとそっぽを向いた少年だが、撫でる手を払うまでしない。
「そう。じゃあ、もう名前は聞かないでおこう。けれど、やはり少年では素っ気ないね。うん、そうだ。勝手に、オブシディアンと呼ばせてもらおうか」
 少年は目を瞬いた。
 それが『黒曜石』という意味だという知識は、少年にはない。
「ね、オブ。風呂と食事くらいは、受け入れてもらえないかな?」



 パチパチと爆ぜる薪の炎と、赤々と輝くような石炭の火加減を確かめるようにボイラーを覗いているファビオは時折、空気孔に据え付けられた蹈鞴を踏んで炎の調整をしていた。
 新しい薪を取るのに屈んだり、蹈鞴に足をかける度に、顔をしかめてお尻をさすっている。
「一時間もすれば沸くから。オブ、それまでシラミ取りしような」
 脇を抱えられて薪割り台に座らされた少年の髪を、ファビオがせっせと櫛で解きほぐしていく。
「あー、結構いるなぁ。痒かっただろう。風呂が沸いたら、仕上げに髪を洗ってやるから」
 髪からポロポロとこぼれてくるシラミを、オイルを張った桶に落としていくファビオ。
「・・・慣れてるんだな」
「うん? 昔は近所の子供たちに、よくやってやったから」
「ふーん・・・」
 人に髪をといてもらうなど初めてだが、なんとも気持ちいいものだ。
 奇妙な奴らだ・・・とオブは思った。
 兄貴分たちについて回って乱闘沙汰に幾度も遭遇した。
 年齢より体の小さい自分は与えられたナイフを構えるのが精一杯で、誰かに手傷を負わせるなどできたことはないけれど、そうなったかもしれないことを謝られるとは、夢々思わなかった。
 つくづくお幸せな人種だと腹立ちを覚える一方で、くすぐったい気分も押し寄せる。
 垢とシラミにまみれた自分を平然と抱きしめる、ファビオという奴。
 それと、自分に名前などつけたモートンという男。
「名は?」
 そう聞かれて、答えなかったのではない。
 答えようがなかったのだ。
 何故なら、少年は自分の名前を知らない。
 遠い記憶では呼ばれていたような気もするが、四つの頃に売られた先では「坊主」としか呼ばれなかったので、自分の名前など思い出せなくなっていた。
 四つという年と売られたという認識とて、訳も分からず働かされていた場所の親方がそう言っていたからという、漠然とした情報として記憶しているだけのこと。
 そこから数えて十になる頃、暮らしていた場所で自分が何の為に買われてきたのかを思い知らされた。
 毎日が怖くて、辛くて、ついにそこを逃げ出した。
 捕まれば、それは手酷い折檻が待ち受けているだろうことは容易に想像がついて、その恐ろしさで、駆ける足は自分でも信じられないくらい早かった。
 そして、どうにかそこからの追っ手をかわし、貧民窟で巣食っていた若いグループに加えてもらい、そこで今まで過ごしていた。
 名前を知らない自分を、彼らはチビと呼ぶ。
 一番下っ端で、兄貴分たちにあれやこれやと言いつけられる使いっぱしりのようであったが、逃げ出した場所よりずっと楽しかった。
 ここならあの体が引き裂かれるような激痛を、二度と味合わなくて済む。
 無理やり喉の奥まで突かれたそれに嘔吐(えず)くこともない。
 それだけで、十分幸せだった。
 けれど今、それを凌駕する幸福感。
「オブ、絡まった髪をほぐすから、痛かったら言いな」
 オブ。名前のなかった自分の、愛称。
「オブ。オブシディアン?」
 呼ばれる名前。
 名前をもらった。
 強情な髪をとくのに頭に添えられた手が、温かい。
 黙ったままパタパタとする足を認めて、ファビオは笑みをこぼして髪を梳いた。
 


 指定席のアルコーブのベンチに掛けて、かつての調査資料を読み耽っていたモートンは、ファビオが連れて戻ってきた少年、オブシディアンの姿にそっと微笑んで見せた。
 読んでいた調査資料をいきなり閉じて不審がられないようにベンチに開いたまま起き、サラサラになった髪を指で梳く。
「ファビオの昔の服では、少し大きいかな。後で、メイドに縫い詰めてもらわないとね」
 ようやくハッキリと人相がわかる顔になった。
 黒曜の瞳が生える肌の色。
 顎のライン。
 上唇の形。
 瓜二つとは言えない。
 黒曜の瞳以外は、師匠のスフォールドと弟子のファビオに感じる、そこはかとない血の印と同じくらいだ。
 モートンは自分の手の平を味わうように目を瞑っているオブシディアンを見つめて、そっと調査資料を閉じた。
「そろそろ皆も仕事を済ませて戻ってくる。食事にしようか」
 オブシディアンがオルガの弟と立証するのに、試してみたいことがある。



 まだ少し寝足りないようだ。
 カーテンを開け放って太陽の明かりで満たし、窓を開けて外の空気を呼び込んだモートンの背後で、フォスターがうつ伏せて枕を抱きしめ、苦情めいた呻き声を上げた。
「旦那様、そろそろ起きてくださいまし。ご報告がございます」
「~~~ん・・・。何?」
「オルガ様の弟御を確保致しました」
 さも愛おしげに顔を埋めていた枕を脇に追いやり、フォスターがベッドから体を起こした。
「誠か?」
「はい。それが確たる証かと問われれば否とお答え致しまするが、試してみた結果から見て、十中八九」
「あ・・・その、すまぬがモートン。起き抜けで頭が回らぬ。もう少し噛み砕いてくれたまえ」
「かしこまりました」
 モートンは普段の朝と同じように洗顔や着替えの世話をしながら、『オブシディアン』が屋敷にいる経緯を話した。
「ファビオが考えた通り、ただの物取りの可能性も十分ございます。けれど、このタイミング。思い出してくださいませ、セドリック様の話されたことを」
 洗顔を終えて渡されたタオルで顔を拭い、フォスターは黙って頷いた。
 ヴォルフは言っていた。
 黒曜石の瞳の少年は、追いつけるはずもない車を必死に追ってきたと。
「強盗団の中で、その少年だけがそういう行動に出た。それがどんな獲物に対しても同じ行動ならば、今頃は深追いするその少年だけが警察の縛を受けていても何ら不思議はございません」
 モートンは続けた。
 彼が今までそうならなかったのは、それをしていなかったから。
 が、ヴォルフ侯爵に限り、彼は追いかけた。
「それはセドリック様が名乗られた『ヴォルフ侯爵』の名に反応をした故と考えました。彼・・・オブシディアンは、どこかで姉が売られた先を耳にしたのではないでしょうか」
 いつも通りに服を着せてくれるモートンの言葉を聞きながら、フォスターは時折頷いた。
「ヴォルフ侯爵という貴族に、姉は買い取られた。それを知ったところで、すでにヴォルフ侯爵邸は売却された後」
 タイを結んでいくモートンの指先は、いつも通り滑らかである。
「ここで、姉の売られた先の手掛かりは途絶えます。没落寸前まで陥った侯爵が、よもや下位の伯爵邸に間借りで住まうなど、幼い平民の少年には想像もつきますまい」
 やはりいつも通りに淹れられたお茶を受け取ったが、一緒に銀盆で差し出された新聞まで手に取れない。
「両親が獄に繋がれたと知っているかはわかりかねます。けれど、幼い記憶を辿って生家に戻ったところで、そこはすでに空家」
 フォスターは黙って頷き、自分がそういう状況に陥ったらば、どうするかと考えた。
「・・・私なら、唯一知り得た肉親の行き先の情報に固執する」
「私もそう考えます。そして、オルガ様の弟御が唯一知り得る情報が、ヴォルフ侯爵」
 フォスターが琥珀のお茶が揺らめくカップに目を落とした。
「追ったところで、車に追いつけるはずもございませんでしょう。けれど、手掛かりは増えましたでしょうね。車種。ナンバー。車の走り去った方角」
 それらを訪ね歩いて、フォスター家に辿り着く。
 幼い少年が必死で行った捜索で、どうにかその答えを見つけたタイミングとしては、不思議のない合致。
「・・・確たる証拠と問われれば、否・・・という見解の理由は?」
「血縁をしかと感じ取れる特徴が、黒曜の瞳とそこはかとなく感じる程度の見た目のみ。ですので、検証方々添い寝を致した次第」
「添い寝?」
「はい。最初は半狂乱にございました。泣き叫んで言うのです。『嫌だ、痛いのは嫌だ。やめろ、やめて、離して。痛くしないで』・・・と」
 両手に伏せた顔をゴシゴシとこするようにしていたフォスターが、やがて唇を噛み締めて深く息をついた。
「・・・オルガの弟が売られた先は、男妾小屋だったね・・・」
「はい。可哀想な記憶を呼び覚ましてしまったことを、深く後悔する程の怯えようでございました・・・」
「~~~今は・・・?」
「涙で凝った頬にはございますが、どうにか、安堵の眠りについてくれたよし。しがみついて離れないので、先ほどようやくベッドからこちらに参ることができました」
「・・・そうか。なら、良かった・・・」
 額を結んだ拳に預けていたフォスターが、ふと顔を上げた。
 少ししかめ面に見える主に、モートンが恭しく頭を垂れた。
「はい、ご想像通り。モートンはご命令もお約束も果たすこと叶いませんでした」
 ガリガリと頭を掻いたフォスターは、乱れた髪をセットし直してくれるモートンを見上げた。
「お前に、こんなことを言う日が訪れるとは思わなかった」
「何でございましょうか?」
「・・・めっ」
 黙って微笑んだモートンに、フォスターは苦笑を浮かべた。



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