【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十八話 動き始めた沿革

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 お尻が痛くて眠れないと愚図るヴォルフの頭を撫でて、ベッドの縁に腰掛けていたフォスターは、ようやく静かになった彼の顔を覗き込んで寝息をしばし確認した。
「やれやれ、やっと寝たか。・・・なあ、モートン、どうしたものかねぇ?」
 傍らに控えていたモートンを見上げると、彼も複雑な胸中を滲ませる苦笑を湛えていた。
「人を人とも思わぬ暴君に人を思いやるお心が芽生え始めた今、真相をお知りになれば、ご自分をお責めにやるやもしれませんね・・・」
 フォスターは黙って、眠っているヴォルフの掛布を肩まで引き上げてやり、そっと涙で凝った頬を撫でた。
「・・・オルガの両親の刑期は、後、何年だったかな」
「判決から一年が経過したしましたので、残すところ、後九年かと」
 フォスターは吐息をついた。
 オルガを初めてこの屋敷に連れてきた三年前。
 親元に返すことを考えぬフォスターではなかった。
 引き取るにせよ、両親に挨拶をと律儀に考える性質(たち)でもある。
 モートンに両親の居所を捜索させた時には、既にたどり着いた生家は空家だったが、引き続きの調査で、その両親が警察の手を逃れて姿を消したことがわかった。
 彼らの容疑は少女誘拐と人身売買。
 調査開始から間もなくして逮捕された彼らは、こんな自供をした。
「最初に売った息子は二束三文で買い叩かれた。次に売った娘は高値で売れた。だから、割のいい生娘が欲しかった」
 つまり、彼らが売る為の娘を誘拐し始めたきっかけは、本当の娘・オルガをヴォルフ侯爵家に売った金額に目がくらんだということ。
 この供述をモートンの報告から受けた時、ヴォルフは既にフォスター家の一員になっていた。
 迷いに迷った末、フォスターはオルガにもヴォルフにも、この事実を伝えなかった。
「あれだけ探しても見つからなかった『息子』が、ヴォルフの前に現れるとはな。これは天の御意志とでも言うのだろうか。この子に、犯した罪の枝葉を、見据えよと・・・」
「かも、しれませぬ」
 そう答えたモートンを見上げたフォスターは、すぐに俯いた。
 こんな苦しげな彼を、正視できなかったのだ。
「セドリック様は罪を犯した。幼い少女が人生を羽ばたく為の羽をもいだ。それは生涯忘れてはならない大罪にございます。・・・けれど!」
 淡々と言葉を紡いでいたモートンが、やおら声を高くした。
「私の親も貧しく借金を背負う窮状の中、私をこの王都に奉公に出すという形で前金を受け取りました。しかしながら、それは決して自らの懐の為だけでなく、職に就いた幼い私自身の幸福に期待して、涙ながらに送り出してくれてのこと! ヴォルフ侯爵邸を追われて仕送りが滞った時とて、両親は妹たちを売ることはしなかった!」
「・・・モートン」
 そっと口に指を添えたフォスターに、モートンが声高を恥じ入るように最敬礼を見せた。
 寝苦しげなヴォルフの苦情めいた寝息に、フォスターが彼の顔にかかる前髪をかき上げると、穏やかな息遣いが戻る。
「お前の気持ちはわかるよ。ヴォルフが誘発したにせよ、オルガの両親の心の弱さには、私も遺憾に思う」
 しばし目をつむって口を噤んだフォスターが、再び口を開く。
「だが、それでもヴォルフの大罪には変わりない。貴族というだけで司法に目をつむってもらえることも、おかしな話だ」
「旦那様・・・」
「刑に服して当然の行為。ならば、真正面から罪を見つめていくことが、この子の贖罪なのではないだろうか」
 気配でわかる。
 モートンの握り締めた拳が震えていると。
 フォスターはそっと伸ばした手を、彼の拳に添えた。
「天が引き裂きにかかっても、私達が、そんな彼の傍に居る。いや、居たい。居続けたい」
「~~~はい。はい、旦那様。お供致します・・・」
 両手に顔を埋めるモートンに頷いて、フォスターはヴォルフを見つめた。
「明日、すべてを話すよ、ヴォルフ」



 ちょうどその頃、含んでいた噛みタバコで滲んだ唾を吐き捨てた少年がフォスター邸の正門を見上げていた。
「け。破産寸前と聞いて胸がすいたってのに、こんな豪邸に住んでやがるのか。胸糞悪ぃ」
 正門には守衛の立ち番が二人。
 トコトコと屋敷の周りを巡った少年は、裏口の木戸に目を止めて立ち止まった。
 たくさんの人の気配がする。
 ざわざわと聞こえる声と、水が桶を打つ音。
 ふと空を見上げれば、朝もやに混じる朝日。
「ふん。お貴族様の奴隷共が労働開始ってわけか」
 顎を一撫ですると、少年は噛みタバコを路上に吐き捨てた。そして、木戸を小さな拳で叩き始める。
 それはそれは小さく、力なく。
 耳に届くざわめきにかき消されてしまうほどの音で、トントンと。
 別に、これが駄目でもかまわないのだ。
 駄目なら駄目で、別の方法を考えるだけの小手調べ。
 だが、肩透かしなほど、アッサリと木戸が開いた。
「おや、小さなお客様だな。どうしたの?」
 木戸を開いたのは、少年と青年の狭間と思しき若い召使だった。
 チッと少年は小さく舌打ちする。
 せっかく木戸が開いたと言うのに、これではお話にならない。
 こんな発言権のなさそうな下っ端では、小芝居を打ったところで屋敷に潜り込めそうにもないではないか。
「どうした、ファビオ?」
「あ、いや、木戸からノックが聞こえて。開けてみたら、この子が」
 歯ブラシをくわえた男たちが笑った。
「相変わらず耳がいいね、お前。さすがはミスター・モートンが目を掛ける未来の家令殿だ」
「やめてくださいよ。そのモートンに、夕べしこたま引っ叩かれたお尻が、まだ疼いているんですからね」
「愛の鞭はさぞかし痛かろうねぇ」
「もう!」
 プッと頬を膨らませる表情は幼いが、これはもしや当たりを引いたか?・・・と思案した少年は、念の為、小芝居を続行してみることにした。
「お兄ちゃん。お腹すいたよぉ・・・」
「・・・親は?」
「いないぃ・・・」
「お前、いくつ?」
「八つ・・・」
「・・・ふぅん」
 クイと顎を持ち上げられて、しげしげと顔を覗き込んでくる小奇麗なこの青少年が、正直、鼻につく。
 八つなど、嘘っぱちだ。
 本当は十二。
 けれど、ろくに栄養をとっていない体は痩せて背丈も小さく、見た目が八つくらいにしか見えないことを利用する術を、彼は心得ていた。
 それにつけても腹立たしい。
 目の前のこの青少年は、風呂というものを日常で味わっているに違いない。
 こんな豪邸に住まう貴族に迎合する奴隷共。
 どうせ、どこぞの金持ち商家の息子や娘なのだろう。
 は。
 少年はどうにか腹立ちを飲み込んで、精一杯潤んだ瞳を彼に向けた。
「もう何日もまともに食べていないのです。お恵みを・・・。いえ、できれば、雇って頂けると・・・」
「・・・それは、僕が決められることではないから」
 ファビオと呼ばれた青少年が、ギュッと手を握ってきた。
「でも、最高責任者には会わせてあげられる。おいで」
 もう幾日も水浴びすらしていない自分の悪臭は、さぞかし彼には不快であろう。
 そんな自分の手を平然と握ってきた彼に、思わず目を瞬いた。



 少年は更に目を丸くした。
 ファビオという若造が突き進む石畳から屋敷への戸をくぐると、少年が生まれてこの方、見たこともない光景が目の前に広がった。
「ここ、座って」
 ダルマストーブの前に椅子を引っ張ってきたファビオが、ポンポンと座面を叩いた。
「さすがにご主人様方の居住フロアまで連れていけないから。この使用人ホールで、家令のモートンを待っていようか」
「かれい?」
「使用人の最高責任者。彼に使用人採用全権があるから」
 初めて知った。てっきり、屋敷の貴族様が決めるものだとばかり・・・。
 いや、それよりも。
 この豪華な佇まいの一室が、奴隷の居場所?
「・・・王様の部屋かと思った」
「うん、俺も最初はそう思ったな。野菜の配達に来ていた頃はあそこの裏口止まりだったから、初めて入った時はびっくりした。この使用人休憩室だけで、俺の家より広いんだもの」
 そう言いながら、ストーブの上のヤカンから湯を桶に移すファビオの後ろ姿を見つめて、少年は少し目を見張っていた。
 この小ざっぱりとした青年、いや、少年?が、野菜の配達?
「・・・お兄ちゃん、お金持ちの商人の子じゃないの?」
「まさか。下町生まれの下町育ちだよ。西下区の出身。知っている?」
 知っている。西下区は少年の出身である北下区とさほど変わらぬ貧民街だ。
 桶に張ったお湯に水瓶から水を汲み入れて温度を確認していたファビオが、そこに浸したタオルを絞って振り返った。
「何日も風呂に入っていないだろ? 拭いてあげるから、脱ぎな」
 垢で黒ずむほどに汚れた顔を俯けて、少年はブンブンと首を横に振った。
 腹が立った。
 何が変わらぬ貧民街の出だ。
「・・・臭くて悪かったな・・・」
「・・・気を悪くした? さっぱりした方が、君が気持ちいいかなと思っただけなんだ、すまない」
「~~~うるせぇ!!」
 ああ、小芝居が台無しだと、自分で思った。
 けれど、無性に腹が立ったのだ。
 同じ貧民街の出身。
 それなのに、この差。
「みすみすのご招待をありがとうよ、お貴族様の間抜けな奴隷! これでテメェの解雇(クビ)は決定だろうが、悪く思うなよ!」
 ズボンのベルトにねじ込んでいたナイフを抜き取って、少年は屋敷内部へのドアを飛び出していった。
「・・・やっぱりね」
 湯で湿らせたタオルをサイドボードの上に放り、ファビオはガリガリと頭を掻いて肩をすくめると、少年の背を追って使用人ホールを後にした。



 一旦使用人ホールから出れば、歩き慣れた者以外にはまるで迷路だ。
 いくつにも別れる廊下が、どこに繋がってどこに出るのか、初めて足を踏み入れた者には判断がつかない。
 少年の想像力を凌駕する部屋数。各所に現れる階段。
「遅い。さあ、次はどう進む?」
 背後で聞こえたファビオの声に、少年は歯噛みしてあてもなく走り始めた。
「ほらほら、どうする? 右かな? 左かな?」
 スタスタと歩いて後を追ってくるファビオに舌打ち。
 適当なドアノブに手を掛けた少年は、思い直してまた回廊を走り始めた。
 部屋に入るのは得策ではない。
 袋小路となって、御用となるのがオチだ。
「おやおや、賢いねぇ」
 再び舌打ち。
 どこまでも余裕綽々で追ってきて、且つ、人を小馬鹿にした言い草。
 少年は次の曲がり角を折れてすぐに体を反転させると、ナイフを構えて床を蹴った。
 反動をつけて斬りかかれば、彼が予想だにしない反撃に移れる。
 そう思っての行動であったのに、床を蹴った体はふわりと浮いたままファビオに届かなかった。
「物騒なお客様だね。ファビオ、この子は?」
 自分の体がいつまでたっても宙に浮いているのは、この声の主に襟首を掴み上げられていたからだと気付いた。
「ああ、モートン。いえね、噛みタバコの香りをプンプンさせた自称八歳児が、お屋敷に潜り込みたそうにしていたので、お招きしてみたのですよ」
 モートンという老紳士に吊り上げられた自分を、ニンマリと見つめて言ったファビオに、少年はわなわなと体を震わせた。
 こいつ。自分の小芝居をとっくに見抜いていたのか。
 猛烈な苛立ちの元、少年はがむしゃらにナイフを振り回して、ハメられた気恥ずかしさに顔を紅潮させていた。
 薄汚れて真っ黒な顔で、その赤面が見た目にはわからないことが、唯一の救いであった。



「ごめ・・・! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいーーー!」
 これでもかと据えられる平手の雨に、必死の懇願。
「ひぃーーー! いだ! いだい! おねが・・・あ! い! た! いぃ! ぎゃあ! も、もう! ゆる! し! てぇ! ごめんなさいぃ! ごめんなさいぃ! やだぁ! 痛いよぉ! もうしません! もうしませんーーー!」
 バチン! というか。
 ビチン! というか。
 ビシャン! というか。
 なんとも形容し難い音だが、とにかく、自分より年上で、体も大きなファビオという青少年が、ズボンも下着も捲られて丸出しにされた尻たぶが波打つ程にきつい平手を繰り返し繰り返し浴びている。
「ぎゃあ! ひぃい! いだいーーー! お願い! お願いしますぅ!! もう許し・・・、ぃ、あーーー! いーだーーいぃー・・・・・・」
 まるで自分より小さな子供だ。
 自分も、こんな風にお尻を折檻されたことがある。
 けれど、それを課す相手は、こんな風に諭すような静かな物言いはしなかった。
「じゃあ、言ってごらん。どうしてお仕置きでお尻を痛くされているのか」
「ぅう・・・、わざと、不審者を、招き、入れたからぁ・・・」
「その通り。ご主人様方の安全が第一。即ち、危険回避が最優先。そもそも、内部に誘わねば疑惑だけで済んだ不法行為を、わざわざ誘発に導くなど、言語道断!」
 バチィーーーンと一層強烈な音に、少年は思わず首をすくめ、ファビオは背中をこれでもかと仰け反らせた。
「~~~ぃだーーーーいぃいいい!」
「・・・めっ。やれやれ、この子を追い詰める声が聞こえていたよ。本当に、お前の口調はスフォールドに似てくるね」
「えぇ? どういう・・・」
「・・・独り言。まだ昨日のお仕置きで痛いお尻だろう。懲りたかね?」
 モートンという男の膝の上で、もうすっかり真っ赤になったお尻を晒されて腹這いになっているファビオは、長距離を全力疾走させられたような息遣いでぐったりとしていた。
「懲り懲りですぅ・・・。も、もう、しません・・・。ごめんなさい・・・。モートン、許して・・・」
「約束だぞ」
「~~~はい!」
「よろしい」
 ようやく膝から下ろされたファビオは、ゆらゆらと湯気が上がっていそうな真っ赤なお尻を床に俯せたままそろそろとさすっていた。
「さて」
 縄でふん縛られて椅子に座らされていた少年は、モートンにチラと見下ろされて、ビクリとしてしまった。
 あんな痛そうなものを散々見せつけられて、つい、椅子に乗せたお尻がもじもじとしてしまうのは、致し方ないことであった。
 


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