【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十七話 黒曜の少年

 ←モートンの休日 →第十八話 動き始めた沿革



 ベッドの上を何かがゴソゴソと這う気配に眠た目をこすったフォスターは、自分を覗き込んでいる黒曜石の瞳を認めた。
「ふぉすた、ね、ふぉすたってば」
「ああ・・・オルガか・・・」
 ぼんやりと彼女を見ると、少々小ぶりだが形の良い胸が、はだけたガウンから顕になっている。
 随分とまあ、懐かしい夢。
 オルガを屋敷に引き取ったばかりの頃は、こうして毎晩のように裸でベッドに侵入してくることに、大層頭を痛めたものだ。
 あのモートンですら、その洗礼で聞いたことのない珍妙な悲鳴を上げたことがあったなと、思い出と夢の狭間で舟を漕ぐ。
「ふぉすたってばぁ」
 この舌っ足らずな呼び方だけは変わらない。
 いや、もう年頃の娘らしく早口なくらいにお喋りなのだから、わざとそのままにしているのだろうと思う。
 おそらくは、親愛の情の証として。
 妻のヴィクトリアを「母様」と呼ぶので、「私のことは父様と呼ぶかい?」と訪ねてみたら、「嫌」の一言でバッサリ切り捨てられて、傷ついた。
 お茶を含む振りでショックを押し隠していると、突然背中に抱きついてきて「ふぉすた。ふぉすたは、ずーっとオルガのふぉすたよ」
 父でも兄でも叔父でもなく、友人でも後見人でも保護者でもなく、『ふぉすた』というこの世に一つだけの立場・・・という意味らしい。
 この時、思った。
 この娘、なかなかどうして、悪女の素質をお持ちのようだと。
「ねぇ! ふぉすたってばぁ!」
「イッ、イタタタッ! こら、オルガ、やめなさい!」
 やにわに抓られた頬を擦って跳ね起きたファスターは、自分に跨っている半裸のオルガを呆然と見つめた。
「やっと起きた。ね、ふぉすた、ヴォルフが・・・」
「~~~オルガーーー!!」
 きつい一発をお見舞いすると、オルガは悲鳴を上げてお尻を押さえ、ベッドから飛び退いた。
「いったぁ・・・。いきなり引っ叩くことないじゃないのぉ」
「お黙り、この跳ねっ返りが! いいから、早くガウンの前を閉じる! 帯もちゃんと結ぶ!」
 幼い頃ならいざ知らず・・・、いや、それでも動揺したというのに、今や成熟に向けて着実に歩んでいるうら若き乙女の半裸など、目のやり場に困る。
「何よぉ。私の裸くらい、見慣れているでしょ」
「人聞きの悪いことを言うな!」
「お尻は平気でひん剥くくせに」
「・・・わかった。ならば、そうしよう」
 グイとベッドの縁に座り直すと、オルガは大急ぎでガウンの襟と裾の合わせを整えて、帯を結び、クルリと回転して見せた。
「完璧」
「~~~で、レディがこんな夜中にそのようなはしたない姿でご訪問とは、何用だね」
「ヴォルフがいないの」
 首をゴシゴシとこすっていた手が止まった。
「ヴォルフが?」
「うん。起きたらベッドにいなくて、執務室やリビングも探したのだけど、どこにも・・・」
 フォスターは顔を一撫でして、夕刻の騒動を思い出す。
 こうなると、行き先は一つしか思い浮かばない。
 ファビオを伴って出かけた日の、その夜に再びとは・・・油断した。
 フォスターはベッドの天蓋からぶら下がっている呼び鈴の紐を引いた。
 モートンの寝室に直結された呼び鈴である。
 同室のファビオも起こしてしまうことになるが、この際、彼にも夕刻の下町散策はどこへ行ったのか、詳しく聞いてから捜索を行うのが効率的であろう。
「オルガ、ヴォルフはモートンに探してもらうから、安心なさい。それと・・・」
 フォスターは壁を指差して、オルガに顔をしかめて見せた。
「モートンと打ち合わせが済んだら、はしたないレディにお尻ぺんぺんのお仕置きだ。そこで壁を向いて、大人しく立っていなさい」
「ええぇ・・・」
「お・と・な・し・く」
 ジロリと睨んでやると、オルガはプッと頬を膨らませたが、渋々壁の前に歩を進めたのだった。



 見間違いであって欲しい姿。
 聞き間違いであって欲しい声。
「あぁ!? 何様だ、横柄な野郎だな」
 世間知らずの侯爵様です・・・。
「なんだぁ、おい。俺たちが強盗団といい仲とでも言いたいのか、え?」
 いいえ、彼はそこまで深く考えて言葉を発してはいません・・・。
 クラウンはしばしカウンターについた腕に埋めていた顔をそろそろと持ち上げてみたが、どうも幻ではないらしい。
「大旦那様、現実逃避はお済みでございますか?」
 クラウンは二日酔いより激しく痛むこめかみを押さえて、スフォールドにヒラリと手を振った。
「確保」
「御意」
 カウンターから離れたスフォールドは、酔っていきり立つ客を背にして、ヴォルフの前に立ちはだかった。
 ヴォルフは最初、彼が誰かわからなかったらしい。
 髪はクシも通さず額に垂れた前髪。プレスも当たっていないくたびれたシャツにタイもなし。
 それでも、自分を睨み据える瞳で何者かを気付いて開きかけた口を、スフォールドが素早く解いた彼のアスコットタイで縛って塞ぐ。
「フッ、フホール・・・」
「祝いの席に水を差す輩にゃ、俺が落とし前をつけてやるさ」
 スフォールドがヴォルフを肩に担ぎ上げると、クラウンも歩み寄って酒場の客たちに大きく両手を広げて見せる。
「皆は構わず呑んでいて~。支払いは全部、僕にツケておいてねー」
 常連のクラウンの言葉にマダムやマスターが快く手を振った。
 失礼な訪問者よりタダ酒の比重が優ったようで、どうにか興奮気味だった客たちがテーブルに戻って酒宴は再開される。
 視線を交わして頷いた二人はもがくヴォルフを安酒場から連れ出して、いつもの車の隠し場所へと向かった。
 後部座席の中央に掛けたクラウンの膝の上に、スフォールドが荷物を放り込むようにしてヴォルフを腹這いに放つ。
「んー! んー!」
 アスコットタイの猿轡から、おそらくは文句の呻き声。
「もう、この子はぁ・・・」
 クラウンが猿轡より先にサスペンダーの留め具を外しに掛かったことで、呻き声は一層大きくなる。
「んー!」
「どうして従者の一人もなく、夜中の下町にいるの、お前は!」
 下着ごとズボンをひん剥いたお尻に、クラウンの平手が振り下ろされた。
「~ンッ! んー! んー! んー!」
「めっ! こら、じっとなさい! こんな場所に一人でふらふら出掛けたら、どれだけ危険なのかわかっているの!?」
「んーーー! んーーー!」
 さすがに息苦しそうなので、アスコットタイを解いてやると、それはそれは盛大な泣き声が車中に響き渡った。
「やだぁ! 痛い! 痛いです、お父様ぁ! お尻痛いーーー!」
「痛いお仕置きをしているの! よく無事であそこまでたどり着いたものだよ、まったく! いい!? ただ運が良かっただけなのだからね! 一人でいて、強盗やチンピラに絡まれていたら、こんな痛いじゃ済まなかったのだよ!」
 バチン! ピシャン!という尻たぶが鳴らす音とヴォルフの悲鳴に紛れて、クラウンの耳に何やら異音が届く。
 運転席からだ。
「~~~」
 クラウンは我に返って耳朶を紅潮させた。
「~~~スコールド、笑うな」
「これは失礼致しました。時の流れは黙って噛み締めると致しましょう」
 クラウンは渋い顔をルームミラーに写し込んで見せる。
 若かりし頃の自分が叱られていたことで、今ヴォルフを叱りつけているのはわかっていたが、スフォールドにどうしてあんなに厳しくお仕置きされてきたのか、根っこの部分を思い知らされてしまった。
 止んだ平手に体を起こそうとしているヴォルフの腰を抱え直したクラウンは、泣きべそをねじ向けてきた彼に子供にするように顔をしかめた。
「まだダァメ。心配かけた悪い子は、うんとお仕置きだからね」
「い、いやだぁ! もう許してください! お尻痛いぃ・・・」
「お父様もスフォールドも、そのお尻より胸が痛くなる程、心配したの。アーシャもモートンも、これを知ったら、ものすごく心が痛くなるんだよ。皆の心を痛くした分、お尻もいっぱい痛くするからね、覚悟しなさい」
「やだぁ・・・。私はもうすっかり大人で、一人歩きくらい心配されなくても・・・」
「心配するに決まっているでしょう! お前が大切なんだから!」
 ・・・できれば、スフォールドの前では言いたくなかったクラウンであった。



 父が連れ帰ってきたヴォルフを出迎えたフォスターは、彼の体をあちこちさすって抱き寄せた。
「ヴォルフ、無事か? 大丈夫か? 怪我は? 怖い思いをしなかったか?」
「・・・怖かった・・・」
「え!? な、何があった!? どこか痛くしていないか!?」
「お尻が痛くて熱いぃ・・・。お父様、怖かった・・・」
「・・・え。あ。ああ、そういう・・・」
 失笑。そして脱力。
 廊下に跪いてしまったフォスターに、クラウンとスフォールドが苦笑を浮かべる。
「そういう訳だから、これ以上、叱らなくて良いからね。すっかりパンパンに腫れ上がっているから、冷やしておあげ」
 クラウンの言葉にモートンが姿を消した。
 おそらく、氷のうの準備に行ったのだろう。
「一人の夜歩きは懲らしめたけれど、理由まで問うていないから。それはお前に任せるよ」
 クラウンはヴォルフの頭をクシャクシャと撫でると、スフォールドを伴ってローランド邸へと帰っていった。
 お仕置きしながら理由まで問い詰めていたら、二、三日は座れなくなりそうだったので遠慮したと言い残していったが、ヴォルフの部屋のベッドで俯せてべそをかく彼のお尻を捲って、宙を仰ぐ。
 この気の毒な真っ赤に腫れ上がったお尻のどの辺が、遠慮したお仕置きなのだろう。
「あれあれ、これはさぞ痛ぅございましたでしょう、セドリック様」
 モートンも苦笑を浮かべて、極力そっと氷のうを乗せてやっている。
「ですが、それだけ大旦那様は、セドリック様をご心配なさったのでございますからね。よぉく反省なさいませ、良いですね?」
 クスンと鼻をすすり上げたヴォルフを覗き込むように、モートンが顔をしかめた。
「お返事」
「わかったよ・・・」
「おや?」
「~~~ごめんなさい。もうしません・・・」
「結構」
 この気の毒なお尻を前に、手厳しいことだと、フォスターは小さく肩をすくめた。
 まあ、モートンも大層心配していたのだから、致し方なしか。
「ね、ヴォルフ」
 フォスターはベッドの彼と視線を合わせるべく、絨毯の上に胡座をかいた。
「下町へ行きたかった目的は、果たせたの?」
 首が横に振られた。
「そっか。じゃあ、もうしませんって言ったけど、また行きたくなってしまわないかな?」
「行かないよ。お尻痛いの、嫌だもの」
「そう? そのお尻が治ったら、どうかなぁ? 私もね、昔はやっちゃったもの。喉元過ぎれば熱さ忘れるってね」
 モートンの咳払いが聞こえて、首をすくめる。
「ね。もうしないで済むように、理由を教えておくれ。そうしたら、私も手伝えるだろう? それとも、私にも内緒じゃないと駄目なことなのかい?」
 ヴォルフがまた首を横に振った。
「内緒じゃないのに、ファビオだけ連れて最初に下町に言った理由を、まずは教えておくれ?」
「・・・それはもう言っただろ。あの子が早く一人前になりたがっていたから、その手助けをと思って」
 やはり、あのポロポロと取り留めもない話は、理由を告げているつもりだったのかと苦笑が漏れた。
「じゃあ、何をしに行ったのかを、教えてくれるかい?」
「オルガの生家を訪ねたのだ」
 フォスターとモートンは、目を瞬いて顔を見合わせた。
「オルガがジュニアと同じに赤ん坊で生まれてきたなら、私が買い取ってしまって見られなくなってしまったあの子を、親は見たいかなと思って・・・」
 シーツをクシャクシャと弄びながら、ヴォルフが今度こそ言い出しにくそうに上目遣いを向けてきた。
「オルガに、あんな仕打ちをして、苦しめて、哀れな姿にして・・・。そんなことしたって、許されることではないとは、わかっているのだけれど・・・」
 言葉が出ない。
 ただじっとヴォルフを見つめていたフォスターは、不意に頬に添えられたハンカチに背後を振り返った。
 フォスターの涙を拭うモートンこそ、大粒の涙を零している。
「オルガが、喜んでくれたら、嬉しいなと思って・・・」
「そう。そうか。うん、ヴォルフ、そうか」
「でも、オルガの生家はもう空家になっていて・・・。もう他に手掛かりもないし、諦めようかと思っていたのだけど、ふと、黒曜の少年のことを思い出して・・・」
「黒曜の少年?」
 初めて聞くキーワードだ。
「その彼とは、どこで知り合ったのかな?」
「知り合いじゃない。先日、領地から戻った日の暴漢グループ。あの中の一人」
「では、今夜はその少年を探しに?」
「うん」
 嘆息。
「そんな手掛かりともつかぬことで、無茶をして・・・。悪い子だ」
「だって・・・、その黒曜の瞳の少年は、オルガにとてもよく似ていたのだもの」
 フォスターが思わず身を乗り出した。
 ヴォルフが話し続ける。
 その時は不思議に思っただけだったと。
 けれど夜、オルガと寝た後の何気ない会話の中で、ジュニアの話になったそうだ。
 オルガは薄ぼんやりした記憶を引っ張り出すようにして言ったらしい。
「お家でね、ジュニアくらいの赤ちゃんのお世話をしたことあるよ。私の弟だって、お母さんに言われたのを覚えてる」
 ヴォルフは居ても立ってもいられなくなり、寝屋を抜け出し屋敷を後にしたという。
「・・・なるほど。もしその少年がオルガの弟であれば、両親の居所を知っているかも知れない、か」
「うん」
「ところで、ヴォルフ」
「何?」
 フォスターはヒョイと氷のうを持ち上げた。
「さっきから黙って聞いていれば、婚約者とはいえ結婚前のレディを伽に誘うでないわ、この馬鹿者が! 今から三十、うんと痛く叩くから覚悟しなさい!」
「え!? や、やだ! モートン、助けて!」
 腰を押さえ込まれて必死に手を伸ばした先のモートンが、有能執事らしからぬよそ見をしていた。




  • 【モートンの休日】へ
  • 【第十八話 動き始めた沿革】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【モートンの休日】へ
  • 【第十八話 動き始めた沿革】へ