フォスター家の舞台裏【オルガ番外編】

フォスター家の舞台裏8

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 いつも通りの朝。
 主人を起こし、彼の身支度を整える。
 特に会話はない。
 ただ淡々と、いつも通りに。
「・・・モートン」
「はい、旦那様」
「ん」
 最後の仕上げにたった今、主の胸に差したばかりのポケットチーフが抜き取られて差し出された。
「涙」
「・・・恐れ入ります」
「モートン」
「はい、旦那様」
「・・・ありがとう。これからも、私と・・・妻と、我が家を頼む」
 主が照れ隠しのように押し付けてきたポケットチーフで涙を拭ったモートンは、静かに頭を垂れた。
 いつも通りの身支度。
 ただ一ついつもと違うのは、彼に着せていく服が婚礼用のフロックコートであるということだ。



 遂にフォスター伯爵家当主の婚儀の日。
 主人は今から大聖堂で新婦と久方ぶりの対面を果たし、赤いウエディングロードを共に歩くが、主人の結婚を望み、待ちわびた育ての親たる執事のモートンは、その姿を見ることはできない。
 大聖堂での挙式が済めば、主人と花嫁、そして招待客らがこの屋敷に集い、フォスター伯爵夫人のお披露目正餐会が執り行われるからだ。
 この日まで入念な支度をしてきたが、最終チェックと給仕のヘルプに来てもらうローランド公爵家の従僕勢と、主人の母方である隣国リュンベルク王国の侍従勢迎え入れ。
 更にその彼らとの正餐会の流れの打ち合わせ等。
 とてもではないが、挙式に参列して感慨に耽る間などない。
 続々とやってきた彼らに一通りの挨拶を済ませて、まずは衣装部屋に代用したゲストルームへ案内し、準備した金モールに金ボタンをダブルで配した白コートに着替えを済ませてもらう。
 婚儀お披露目の際の給仕が着用する、伝統に則ったデザインの物だ。
 船員風のそれは、新郎新婦の船出を意味している。
 黒の燕尾服を着用するのは、司令塔となるホスト家の執事だけ。
 補佐のスフォールドは黒のタキシードである。
 揃いの白コート姿の者たちが続々と使用人ホールに集結を始めると、その様子を片隅で眺めていたファビオは、少々不服。
 そりゃあ、背丈もまだ彼らの肩ほどしかないし、正餐会の給仕もしたことはないけれど、メンバーに加われないのがどうにも悔しい。
「ファビオ」
 踵で床を蹴って憮然としていたファビオは、モートンに手招きされて首をすくめた。
 他家の使用人の前で不貞腐れているのではないと、叱られるに違いない。
 恐る恐る近寄ると、真新しいお仕着せを差し出された。
「お前もこれにお着替え。いいかい、今日のお前の仕事を言うよ。見ていなさい」
 それ即ち、何もするなということではないかと、ファビオはますますムクれた気分だ。
「ファビオ、いつも言っているだろう? ウォッチは基本中の基本。見て、覚えるんだ」
「・・・そりゃあ、ここにいる人たちは、当日やってきて打ち合わせだけで給仕をこなせるスペシャリストでしょうけれど・・・」
「違う。お前が見るのは、私だよ」
 膨れていた頬が萎んで、思わずキョトンとしてしまう。
「モートンを?」
「そう。それと、スフォールド」
 ふと見ると、スフォールドがファスター家・ローランド家・リュンベルグ王家の従僕と侍従たちにメニュー表を配り、配膳の流れなどの説明を始めていた。
「ファビオ。お前は努力家だから、正餐での給仕の技術など練習すればどうとでもなる。今、お前に学んで欲しいのは、私やスフォールドがどのように動いてどのように流れを作っていくかの、本番でしか見ることにできない姿だ」
「で、でも、それって・・・」
 二人が担うのは、正餐会のコンダクターとその補佐。
「まだ遠い未来だけれどね。次のフォスター伯爵家当主のご婚儀お披露目は、お前がこの燕尾服を着ていて欲しいと、思っているのだよ」
 ようやく、自分が「何もさせてもらえない」どころか、とんでもない重要な学びの場を与えられたのだと気付いて、ゴクリと息を呑む。
「それにね。お前には婚儀後、更に重大な役目を一任するぞ。従僕たちがお前にしか無理だと口を揃えるしね」
「え?」
 妙に含みを持たせたモートンの言葉に首を傾げていると、モートンが、ファビオのお尻をピシャリと叩いた。
「だから。他家の方々の前で、不貞腐れない」
 結局、思った通り叱られてしまった・・・。



 やってきた招待客は、まず控えの間に通される。
 招待客の控えの間で準じ名前を読み上げて大広間へ誘うのは、家令モートンの役割である。
「ゲスト全て着席。方々、アントレへ」
 厨房前の配膳室へ戻ったモートンの指示は短い。
 それでも、前もって打ち合わせた担当席次順に厨房へと整列を始めた従僕たちの手に、前菜を盛ったプラッターが渡る。
 その間に、招待客の椅子引きを担当していた者たちが、スフォールドの総指揮でゲストのグラスにスパークリングワインが注ぎ始めていた。
 メインテーブルに対して二つの櫛形に配置された寸分の狂いもない線対称の供出。
 ドリンク供出が三分の一まで差し掛かった頃、プラッターを肩に担ぐような形で正餐会場である大広間へ入場した従僕たちの、洗練された持ち回りサービスが始まる。
 招待客にプラッター上の料理を見せ、サーバーで各自の皿の上に盛り付けていくロシアンスタイル。
 ドリンク供出を終えたチームが、両の壁際に控え姿勢を正した。そして、前菜の提供が行き渡ったことを確認したスフォールドがそっと自分のボウタイに触れると、その仕草を合図に壁際の給仕たちが呼吸を合わせた最敬礼。
 それと同時に、グラスを掲げたゲストの祝福と乾杯の発声が大広間に響いた。
 それを邪魔せぬように前菜給仕の者たちがプラッターと一緒にサイドテーブルに置かれた空のボトルを手に裏へと下がる。
 そこへ入ってきた燕尾服のモートンと、大広間に残っていたスフォールドが足並みを揃えて二本のテーブルの間を進んだ。
 一見、ただゆったりと歩いているように見えるが、視線は常に招待客の手元や表情を確認している。
 ドリンクのおかわりを求めていそうな招待客を見かければ、そっと手を上げてボトルを持った給仕を誘導。
しばらくすると、モートンとスフォールドが視線を交わし、今度はスフォールドが大広間を出た。
 ファビオもそれについていくと、スフォールドが厨房に待機していた給仕たちの間を進み、シェフの前へ。
「ポーション、ハーフ!」
 スフォールドの声と共に、シェフの号令一下で銀器のチューリンにスープが注ぎ込まれていく。
 それと共に、給仕たちは温められていたスープ皿をワゴンに移し、厨房を後にした。
 厨房の隅でその様子を見つめていたファビオが、ふとスフォールドの視線に気付く。
 彼が軽く顎をしゃくったのを見て慌てて大広間に戻ってみると、モートンが自分の白いボウタイを触れる仕草で、テーブルの間を歩いていた。
 その仕草で動き始めた大広間の給仕の半数が前菜の皿を下げ始め、残りの半数はワゴンで運び込まれたスープ皿をサイドテーブルのソーサーと共に招待客の前にセットしていく。
 下げ物を済ませた給仕たちが大広間を出たかと思うと、今度は先ほどコックたちがスープを注いでいたチューリンを手に戻ってきた。
 上手から順に皿に注がれていくスープに、招待客たちから吐息が漏れる。
「なんと美しく澄んだ琥珀色か」
「この人数の正餐でのコンソメスープが適温とは、恐れ入るね」
 ファビオはモートンが一瞬浮かべた満足気な笑みを見逃さなかった。
 澄み切った琥珀が美しいコンソメスープは、その家の料理人の真骨頂。
 この吐息はフォスター家のシェフへの最高の賛美なのである。
 メニュー作成の際に、冷めにくいパイ包みスープか冷めやすいコンソメスープかで、モートンとシェフが最後まで激論を交わしていた理由がようやくわかった。
 丹念にひいたコンソメスープをゲストの口に運ぶまでに冷めさせて台無しにされたくないシェフと、「最高の状態で供出してみせる」と胸を叩いたモートン。
「・・・勝者の微笑みってヤツ?」
 小さく呟いたファビオは、目があったモートンが珍しく悪戯っぽくウインクして見せたことに、思わず心が躍った。
 モートンが、とても楽しそうだ。
 緊張感はそのままに、けれど、とても楽しそうにタクトを振っている指揮者。
 それからも次々に、モートンとスフォールドが出す絶妙なタイミングの指示の元、料理が進んで行った。
 ほとんど、彼らのどちらかが大広間で招待客の様子を見て回っていたが、時折、厨房で擦れ違いざまに会話を交わす姿も見受けられるように。
「やあ、家令殿。そろそろ今宵の我らのワインを選びに行ってもよろしいかな?」
「おふざけを言うお口に飲ませるワインは、当家にはございませんね」
「褒め言葉だよ、我弟子よ」
「それは痛み入ります」
 笑っている。
 楽しくて仕方ないというように。
 招待客が満足気に歓談すればする程、二人は楽しそうに笑っている。



 祭りの後。
 すっかり後片付けも済んだ大広間は、テーブルも椅子もなくなり、いつものだだっ広い空間へと戻っていた。
 新婚旅行へ向かう主人夫妻と、招待客を送り出したモートンとスフォールドは、大広間の窓辺にぼんやりともたれていた。
 すでに燕尾服とタキシードの上着を脱ぎ、ボウタイも解いて首にぶら下げて、普段なら表で見せないシャツとカマーバンドという軽装で、二人は黙って目をつむっていた。
「・・・楽しかったですね」
 モートンが口火を切った。
「・・・ああ、そうだな」
 スフォールドも静かに返す。
 うっとりと味わう、高揚の後の静けさ。
 緊張感の上に成り立つ恍惚感。
「ほら」
 モートンがそっとスフォールドに手の平を差し出した。
 小刻みに震えているその手の平に苦笑して、スフォールドも手を広げて見せる。
「一緒さ」
 ホッとしたようにモートンが微笑んだ。
「怖かったですね」
「ああ、怖かった」
 決して失敗してはならない。
 目立たず、空気に徹し、この大広間に着席するすべての人々を、満足の笑顔で見送る。
「できて、いたでしょうか?」
「評価はご自分でどうぞ、家令殿?」
 ニッと意地の悪い笑みを浮かべたスフォールドに顔をしかめて見せて、モートンはしばしの沈黙の後、咳払いした。
「では、秀評定をば」
「はは! 言うねぇ、さすがはフォスター家自慢の家令殿だ」
 フォスター家の元家令と現家令の笑い声が、ガランとした大広間の空間に吸い込まれていった。



「えーと? あの、モートン? スフォールド?」
 いつも部下たちより起床を遅くしているのはわかっているが、いくら何でも今日は遅すぎやしないだろうか?
 おまけに、テーブルには何本もの空のワインボトルが居並び、着替えもしないままベッドとソファに寝転がってだらしなく眠りこけている師匠とその師匠の姿に、ファビオは唖然としていた。
「モートン、スフォールド、朝なんですが。もう七時を回っていますよ?」
 昨夜は随分遅くまで、二人で飲んでいたのは知っている。
 しばらくは付き合っていたが、さすがに眠気に負けてベッドに潜り込んだのだが、あの後もまだ飲み明かしていたらしい。
「ねえ、モートン! スフォールドってば!」
 ユサユサと揺さぶってみると、二人は難儀そうに揃って壁際のデスクを指差した。
 見ると、二通の書面。
「・・・・・・え? 休暇、届け・・・?」
 ファビオも書いたことがあるので、書式を見ただけでわかる。
 わかるが。
「え? え? えーと? え?」
 にわかには理解し難い。
「あ、あの? これはどういう・・・?」
「~~~どういうって・・・」
「~~~見たままだ・・・」
 おそらくは二日酔いのしゃがれた声の二重奏。
「私たちは・・・旦那様がお戻りになる日まで・・・完全休暇・・・」
「屋敷の管理は従僕に当番制で頼んである・・・。銀器管理も同じく・・・」
「ファビオ・・・、お前は学校が春休み・・・、その間、セドリック様のお世話をお願い、する・・・」
 こんなグダグダの指示は初めてだが、正餐会前にモートンが言った言葉を鮮明に思い出した。
「え? 更に重大な役目の一任って・・・」
 フォスターは新婚旅行で不在。
 モートンとスフォールドは完全休暇。
 その状況下で・・・。
「あのセドリック様をぉ!?」
 鮮明に蘇る、たった一週間の蟄居中の癇癪ヴォルフの姿。
 ファビオの悲鳴に、モートンがのそりと持ち上げた顔を撫でた。
「旦那様が、セドリック様の気の紛らわせる方法を準備してくださっただろう・・・? お前の春休みの宿題も滞ることなく、セドリック様もご機嫌・・・」
そりゃあ確かに、勉強を見てくれている時のヴォルフは普段の子供っぽさが抜けるが。
「だから、大丈夫だよ・・・、多分」
 続いてスフォールドが顔も上げぬままヒラヒラと手を振った。
「大旦那様が遊び相手をしてくださるから、大丈夫さ・・・、多分」
「た、多分、多分って、二人共・・・!」
 青ざめるファビオに、二人は声を揃えて「頑張れ、フォスター家の未来の執事」とのたまうと、それを最後に寝息しか発しなくなってしまった。
 念願の仕事の一任。
 けれど、どう考えても、前途多難。
 獅子は我が子を谷へ突き落とすと聞いたことがあるけれど、突き落とす先を、もう少し考えて欲しい・・・。
 師匠とその師匠の腑抜けきった寝姿を恨みがましく眺めるファビオであった。




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