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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十四話 贋作の母子像

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 母の背中を追って、ヴォルフが駆けていく。
 一度も見たことがなかった『セドリック』を探して歩く母の背中。
 母に追いつき、その背に手を伸ばし、が、躊躇い、何も掴まず引いた手をもう片方の手で抱き寄せ、立ち止まった。
 その気配に振り返った母にビクンと身を竦めて、柱の陰に身を隠す。
「・・・セドリック?」
 恐る恐る柱の陰から覗いたヴォルフを見つけた母が歩み寄ると、今度はヴォルフが背を向けて駆け出した。
「あ」
 息子の背を追って、母が駆けていく。
「待って。セドリックなの? 待って」
 駆けたことなどない貴族の貴婦人は、手を伸ばし、足を止めて、何も掴めず引いた手を、すでに息の上がった胸元に引き寄せ、立ち止まる。
 その気配に振り返った息子は、またビクリと身を竦めて、一歩、また一歩、母の元に歩み寄った。
「・・・母上」
「・・・セドリック、なの?」
 しばしの沈黙。
 やがて、こくんと頷いたヴォルフの頬が、母の手に包まれた。



 決して大きく振りかぶってはいない気配だけれど、手首のしなりだけでもケインは十二分に堪える。
「・・・四歳、か。母御の、目は、的確、と、いえば、的確、だな・・・あ!」
 思わずズボン越しのひりつく尻をさすると、モートンが無言で壁をケインの先でコツコツと叩くので、渋々とまた両手を壁に戻したフォスター。
 さて、ヴォルフ母子(おやこ)であるが。
 結論から言えば、ガーネット夫人はヴォルフをルシアンではないと認識したわけではなかった。
 ルシアンを装うもう一人の息子を感じ取り、封じ込めた記憶に不具合が生じぬように折り合いをつけて、乳母に任せ切りだった次男と、『再会』したという記憶の捏造を重ねただけのこと。
 兄・ルシアンが亡くなった時、ヴォルフは一歳だった。
 その後の彼女が『ルシアン』として接してきたヴォルフは現在、二十八。
 で、あるならば、少なくとも次男のセドリックは十九であるはずなのに、ガーネット夫人は、ヴォルフを四歳の幼子と認識した。
 それはあまりに長い間、次男を放置し続けたという罪悪感が作り上げた捏造か、はたまた、実際のヴォルフと接しての母性の直感的なものか、判断しかねる。
「私は、後者な、気が、するね・・・うッ、あッ」
「同感にございます。ご隠居夫人はルシアン様の生前、乳母に任せきりのご両親が多い中、育児に積極的なご母堂でいらっしゃいました。その経験が今尚息づいておられ、現状のセドリック様のご気性を四歳児程とご判断なさったのではと」
「んッ・・・ああ、そう、だろう、な、あ! モートン!」
「はい」
「痛い・・・」
「お仕置きにございますから」
 静かに話ができる場所に・・・と誘(いざな)われた時点で屋根裏部屋は覚悟していたが、お仕置きの主題と別の話をされながらなど、謝りどころがわからない。
「~~~そろそろ勘弁してくれ。二度と使用人の前で醜態を晒す真似はしない・・・」
「それから?」
「お前を見損なったのも謝る! 反省しているから、もう許してくれ・・・」
「・・・それと?」
「それと?」
 壁からモートンを振り返る。
「反省なさる点が、まだございましょうが」
「え?」
 厳しい表情を崩さない彼に、フォスターは必死で脳裏を漁ってみたが、思い当たる節がない。
「ご自覚なしとは、まったくもう・・・」
 額を押さえて頭(かぶり)を振るモートンの吐息が深い。
「だ、だって・・・」
「これは、きついお仕置きが必要にございますね」
 ケインを壁に戻したモートンの腕に、腰をすくわれ脇に抱えられたかと思うと、オットマンに座った彼の膝に腹ばいにされてしまった。
「ま、待て! 何のことかわからん! わからぬまま仕置きなど、謝りようがないではないかぁ!」
「わかるまでお仕置き、という手もございます」
「無い! 無い無い無い無い!」
「なれば、おおまけにまけて、糸口をば。この一週間で、従僕に親書を託したことは?」
 無い。
「どこかへお電話は?」
 していないが。
 首を横に振り続けるフォスターに、モートンが咳払いした。
「では・・・宮廷出仕の際に、ワイラー卿とどのような会話をなさいました?」
「ワイラー? 挨拶程度だが」
 その挨拶は万人の交わすそれではないが。
「・・・ほぼ答えを申し上げましたのに、見当がつかぬとは・・・」
 モートンが上着のポケットを探り、一通の手紙を差し出した。
 純白の封筒に真紅の封蝋。
 その封蝋の紋章は、ワイラー公爵家の物。
 宛名は・・・モートン。
 目を瞬く。
 公爵の親書が他家の執事宛など、通常はありえない。
「セドリック様のお召し物を取りに出たあの時、従僕からこれを渡されまして。公爵閣下より執事ごときに直々の親書など、尋常ならざる事態に、直ぐ様、拝見致しました」
 言うが早いか、サスペンダーの留め具が外されて、下着ごとズボンがずり下げられた屈辱と羞恥で、すでに真っ赤なお尻に負けない程、赤面。
「モートン、待て! 待ってくれ!」
「よもやお忘れでございますか。ご隠居夫妻をお招きするにあたり、ワイラー卿にご依頼なさった一件を」
「い、依頼? ・・・・・・あ」
 思い出した。
 もしヴォルフの両親がフォスター家での息子の扱いに不快を示し、彼を連れて行こうとするならば、高位者の力をもってして止めてくれと、下げたくもない頭を下げて頼んだ。
「公明正大を旨とする君が、権力の行使まで利用しようとするとはね。・・・良かろう。君の保護下になって以来、ヴォルフが民の王政への評価を下げる対象でなくなったのは、好ましい結果だ」
 思い出した。けれど。
「それのお仕置きなら、もうされただろう!」
 自分の短気を前提に物事を進めるなと、きっちり百叩きのお仕置きを味合わされたのは、ガーネット夫妻を迎えた一週間前。
 モートンから大仰な溜息が漏れた。
「・・・進捗は?」
「・・・・・・あ」
 そう。今、ワイラーへの依頼を思い出したということは、すなわち、きれいさっぱり忘れていたということ。
 つまり、ワイラーに進捗など、伝えていない。
「ワイラー卿は、ガーネット夫妻滞在の期間、ずっと予定を空けておいてくださっていたのですよ」
 あの男が王政の要を担い、いつも忙しくしているのは、同じく国王の臣下として知っている。
「遠方への視察を、すべてお断りになって。旦那様の要請があれば、すぐに当家にお越しになれるように」
「~~~」
「依頼を取り下げたわけでもないのに、進捗もないまま一週間も放置。さすがにワイラー卿も痺れを切らして、進捗請求をこうして」
 それを当の依頼人でなく、わざわざ執事宛に送りつけるなど、忘れられていると自覚したワイラーの仕返しに他ならない。
「~~~ワイラーめぇ・・・」
 思わず呟いた口を押さえて、恐る恐る首をねじ向けてモートンの様子を伺うと、そこには絶望の光景しかなかった。
「~~~モートン」
「はい」
「急ぎ、ワイラー卿へ謝罪の親書をしたためねばならぬ。下ろしてくれたまえ」
「・・・どうぞ、ワイラー卿よりの親書の内容をお検めください」
 フォスターはゴクリと息を飲んだ。
 この言いよう。
 そして、親書の差出人の性格。
 検めるまでもない。
 どうせ、謝罪文など要らぬから、仕置きをくれてやれとでも書いて・・・。
 刹那、ピシャンと鋭い平手の襲来に、フォスターはビクリと背中を仰け反らせた。
「いーーー!」
「ご想像の通りにございますよ」
「モートン! お前は私の執事であろうが! 他家の人間の命令で・・・痛い痛い痛い!」
「あなた様の執事であるから、こうしておるのです。人様に頼み事をしておいて、それを忘れるような悪い子に、お育てした覚えはございません」
 改めてお尻にあてがわれた手に、フォスターはゴクリと喉を鳴らした。
「そういう悪い子は、たっぷりとお尻ぺんぺんのお仕置きを致しましょうね」
「ま、待て、待ってくれ、なあ、モートン!」
「・・・めっ」
 ふわりと浮き上がった平手の気配に、フォスターは首を竦めて固く目を瞑った。



 友人の執事の美しい所作で注がれたお茶のカップを鼻先で揺らし、存分に香りを楽しんだワイラー公爵は、応接間の窓からフォスター伯爵家自慢の庭園を眺めた。
「幸福に満ち満ちた親子の絵・・・と言ったところだね」
 窓枠は、まるでその絵画の額縁。
 ティーカップのお茶を一口含んだクラウンが、肩をすくめた。
「もつれた糸が解けたわけでもないけれどね」
 戯れる母子と、それを微笑んで見つめる父。
 真作と贋作の狭間。
 本物であるはずなのに、虚構でもある親子。
「長い時間が必要だろうなぁ。根気のない侯爵様は、この先まだまだ暴発しそう。僕らになら良いけれど、使用人にまで類が及ばないように、躾けなくちゃだなぁ・・・あ」
 頬杖をついて吐息を漏らしたクラウンが、ふとワイラーを見遣った。
「躾と言えば、すまないね、ワイラー。うちの息子がとんだ粗相をしたそうで」
「どういたしまして。袖にされるなど初めてだ。良い経験をしたよ」
「面目ない。息子はどうもこう、君には何をしてもいいと思っている節があるねぇ」
 宮廷で見る息子と盟友は、顔を合わせれば挨拶代わり舌戦か皮肉の応酬。
 それが議会の進行の妨げになっているかと言えば、諸侯は余興くらいにしか思っていないし、何より国王が楽しみにすらしている様子。
 何かと火花を散らしているくせに、目的が合致した時の共闘たるや、寸分の隙もなし。
 方や愛息子。
 方や親友。
 クラウンは頬を掻いて、差し向かいのワイラーを見た。
「・・・ちょっとジェラシー」
「何を言っているんだか。さて、そろそろ行くよ」
「おや、もう?」
「誰かさんのお陰で、仕事が溜まっていてね」
 スフォールドの手からコートを着たワイラーがニヤリとすると、受け取ったステッキでひょいと窓を指し示した。
 その先には向かい側の棟の屋根の天窓。
 クラウンが肩をすくめて頭を掻いた。
「執事宛に親書だなんて、君も意地悪だなぁ」
「ふふ。あの子を懲らしめようと思ったら、モートンを処方してやるのが一番だもの」
「ま、確かにね。さて、玄関まで送るよ」
 応接間を後にする瞬間、チラと窓を見たが、そこから見える天窓はまだまだ閉まりそうにない。



「・・・ヴォルフ、本当に良いのかね?」
 使用人たちがヴォルフ隠居夫妻の帰り支度をせっせと進めるのを廊下で眺めていたフォスターは、傍らで同じくその様子を見つめるヴォルフに尋ねた。
「せっかく、母御がセドリックと呼んでくださるようになったのに」
 滞在予定を一週間残しての、ヴォルフが父に頼んだ帰領。
「・・・ん、良い。とても嬉しかったけれど、まるで、麻薬のようでね」
「麻薬?」
「うん。もっと。もっと。ずっと。セドリックと呼ばれていたくなる。ルシアンのフリが、できなくなる」
「・・・そうか」
「・・・うん」
 クシャクシャと髪を撫でてやると、ヴォルフがくすぐったそうに笑った。
「父上とはきちんと話し合ったよ。あんなにちゃんと父上と話したのは、初めてだ」
 すっかり荷を積み終えた車と、隠居夫妻の車が、玄関前に並ぶ。
「父と二人で、母上を少しずつでも、こちら側に誘(いざな)って差し上げようと、決めたんだ。でないと、ルシアンが可哀想だもの」
「・・・ルシアンが?」
 こくんと頷いたヴォルフが、両親がやってくる気配に振り返った。
「母上の中で、ルシアンの死はなかったことになっている。だから、一度もお墓に行ってあげておられぬのだよ」
 そう言った目は、ほんの少しだけれど、フォスターが今まで見たことのない強さを秘めていた。
「いつか。遠い先でいいから、いつか。父上と母上と、私の三人で、ルシアンの墓に行ってあげたい」
 母をエスコートする為にその場を歩き始めたヴォルフの背中は、ずっと立ち止まっていた場所から歩き出したように感じる。
 彼の優雅な所作は、長年、両親の前で培ってきたルシアンのそれ。
「母上、お元気で。復興視察や収穫祭で、私もマメに領地に帰ります故」
「ええ、ルシアン、待っているわ。セドリックも連れてきてちょうだいね?」
「・・・はい、もちろん」
 モートンが開いたドアの前で、母と子が抱擁を交わす。
「母上」
「なぁに、ルシアン」
「・・・母上のせいでは、ありません」
「ルシアン?」
「母上のせいではありません」
「まあ・・・どうしたの、ルシアン?」
 微笑む母の頬に、涙が伝っていた。
 この先、おそらくヴォルフは幾度も、この言葉を母に繰り返していくつもりなのだろう。
 ルシアンを死なせたのは自分だと、硬い殻で我が身を覆った母へ。
「・・・父上、母上をお願い致します」
「・・・ああ。ルシアン、セドリックに、愛しているよと、伝えておくれ」
 夫人の肩を抱いて車中の人となった父に、ヴォルフはルシアンとして頭(こうべ)を垂れた。
 走り去る車の一団を見送り、ヴォルフがゆっくりと顔を上げる。
「そうだ、フォスター。私が麻薬に侵されずにいる為の、必須条件」
「何だね?」
「お前」
 フォスターは苦笑気味に両手を広げて見せた。
 遠まわりな道を選んだ侯爵様のお供は、この先も大変そうだ。





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