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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十三話 こぼれた思い

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 庭園の傍らに設けられたコートで息子たちがテニスに興じているのを、東屋から眺めていたクラウン夫妻とガーネット夫妻は、度々上がる笑い声や歓声に目を細めつつお茶を楽しんでいた。
「・・・ねぇ、あなた。ルシアンは忙しいのかしら」
 テニスコートを見つめてガーネット夫人が漏らした呟きに、夫のガーネットもクラウン夫妻も、お茶の給仕をしていたモートンも、目を瞬く。
「それとも、ルシアンはああいう賑やかなところは嫌いなのかしらね。ああやって楽しそうにしている輪の中に、いつもルシアンがいないのですもの」
「・・・お前?」
 妻が見ている先には、確かに、ヴォルフがいる。
 フォスターとボールを打ち合っているのは、ヴォルフだ。 
「最近ね、時々、ふっとルシアンが姿を消すの。いつの間に出て行ってしまうのか、不思議。挨拶もなくいなくなる子ではないのに」
 彼女の言う通り、ヴォルフが挨拶もなく立ち去ったことは、ガーネットの記憶には一度もない。
「ルシアンがいなくなると、必ずあの子がルシアンの座っていた場所にいるの」
「・・・あの子?」
「ほら、あの男の子」
 ガーネット夫人が指し示した先には、笑ったり悔しがったり、心のままを表情と仕草に表しているヴォルフ。
 不思議そうに彼を眺めている夫人の頬に、ほろほろと溢れているものに、彼女自身が気付いていない様子であった。
「・・・ねぇ、お前。あの子と会ったのは、初めてかい?」
 やんわりと尋ねたガーネットを横目に、クラウンはハンカチを差し出そうとしていたベアトリスを制した。
 逃げてばかりの父親がようやく小さく踏み出したなら、自分たちはただの風景となろうと。
 ベアトリスがそっと頷いて、黙ってハンカチを収める。
「初めて・・・だったかしら。昔、幾度か・・・ほんの時々だけれど、見かけた気がします」
 おそらくは、母を前についこぼれてしまっていた、ヴォルフの本心。
 黙って聞いていたクラウンが、寄り添ってきた妻に微笑んだ。
 ずっと昔から。
 彼女が言うように、ほんの時々。
 ぽろぽろ。
 こぼれてしまった、気持ち。
 僕を見て。
 僕はここ。
 僕は僕。
 それが、この屋敷で遂に堰を切った。
 ルシアンとセドリックを使い分ける切り替え操作に、油断が勝った。
 立ち止まり蹲った母親が、見て見ぬ振りができなくなるほど。



「そこでもし、ご隠居様が『セドリック』の名を口にしていたら、夫人はどういう反応を見せたのだろうね」
 バスタブに横たわるようにして、モートンの指が泡と共に髪を掻き回してくれる心地良さに目を瞑っていたフォスターは そう呟いた途端、ズルズルと湯船に顔まで沈む。
「ああ、これ、旦那様。まだ濯ぎが済んでおりませぬのに」
 シャツにズボンの袖と裾をまくった軽装のモートンが、彼の脇を抱き上げてバスタブの縁に首をかけさせると、泡が浮かんだ湯をタイル張りの床に手桶で掻き出す。
「人様の人生を実験的に考えた迂闊さを反省なさるのは結構ですが、じっとしていてくださいませ」
「すまない・・・」
「いいえ」
 さて、どちらの行為に対しての謝罪か。
 おそらくは両方だろうと、モートンは思った。
「お流し致します」
「うむ」
 着衣の自分を濡らすことなく、主人の髪に手桶の湯を流しかけるのは慣れたもの。
「御髪(おぐし)は済みましてございます」
 差し出された手を取り湯船から上がって、タイルの上の椅子に腰掛ければ、次は体。
「・・・そう落ち込まれることはございませんよ。あの場にいた私も、同じことを考えました」
「・・・お前は考えただけだろう? 私なら、その場にいたら、口に出してしまっていた」
「そういうご自分にお気付きなのであれば、善処なさってくださいませ」
「善処と言うけれどね、何が善処かわからんのだよ。母御の前で、懸命にルシアンでいるヴォルフの姿を見ているとな・・・」
 頬杖をついてため息をこぼすフォスターに、モートンはつい笑みを浮かべた。
 大学時代、そして爵位継承後しばらくの間、あれほど毛嫌いしていた元学友の身の上を、こうまで思い悩んでくれる姿を見ることになるとは、考えもしなかった。
「わかってはいるのだよ。長い時間を掛けてもつれた糸を解くには、やはり、根気強い長い時間がいるのだろうと。ただなぁ・・・」
「セドリック様のことがご心配にございますか?」
「・・・お前、この頃は当たり前のようにセドリックと呼ぶね」
「旦那様もアーサー様とお呼び致しますか?」
「結構。お前にそう呼ばれると、叱られる前のようで肝が冷える」
「どうお呼び致そうと叱られないようにしていただけると、大変ありがたいのですが」
 知らん顔をするフォスターに、クスクスと笑ったモートンは、手桶に組んだ湯を体に流しかけ、再び主人に手を差し出して湯船に誘(いざな)った。
「ご隠居夫妻の滞在も一週間経った。そろそろヴォルフの癇癪に火が点かねば良いが」
 根気という言葉を辞書に持たない侯爵様が、母へぶつけられない感情を持て余して、また誰彼なしに当り散らす暴君へ逆戻りしそうで、気が気ではない。 
「あの子は我慢を母御の為に使い尽くしている感があるからねぇ・・・」
 湯船に浸かり、天井を見上げて吐息をついた途端である。
 何かが激しく割れた音。それと共に。
「―――きゃあ! ヴォルフ侯爵! おやめください!」
「セドリック様! お鎮まりを! これ! お待ちなさい!」
「ええい! 触るな!」
「セドリック様!」
「うるさい、うるさい、うるさい! フォスター! どこだ! フォスター!」
「セドリック様、旦那様は只今ご入浴中でございますれば・・・!」
「黙れ、私をセドリックなどと呼ぶでないわ!」
 Speak of the devil and he will appear. (悪魔のことを言えば必ず悪魔が現れる)・・・か?
 言わなければ良かった。などという、現実逃避めいた思考で嘆息。
「モートン、ヴォルフを宥(なだ)めに行っておくれ。私もすぐに行くからと」
「かしこまりました」
 足早に浴室を出て行ったモートンの背中を見送って、フォスターは湯船から立ち上がった時だ。
 モートンが舞い戻ってきて、両手を大きく広げて浴室の戸口に立った。
「モートン、そこをどけ!」
「セドリック様! どうかお鎮まりください!」
 フォスターはさすがに顔を引き攣らせて、再び湯船に体を沈めた。
 まさか、浴室まで押しかけて来ようとは・・・。
「私がどけと言ったらどけ! この無礼者が!」
 溜息。
 当家の執事たちであれば、力でいくらでも押さえ込めるヴォルフが野放しの理由が、この喚き声でわかる。
 すっかり涙声ではないか。
「・・・モートン、良い。通しておあげ」
 モートンが浴槽の主を振り返って、そっと戸口から離れると、その時間ももどかしいと言わんばかりに、彼を押しやるように浴室に飛び込んできたヴォルフ。
 ああ。やはり。顔が涙でクシャクシャだ。
「ヴォルフ・・・え? ぅわあ!」
 湯船が大きく波立ち、覆い被さってきたヴォルフに、フォスターは面食らってずぶ濡れになった彼を見た。
「ふぉすたあ~・・・」
「よしよし。どうしたね、ヴォルフ」
 入浴中の丸裸で大の大人の元学友をあやす図というのは何とも間抜けだが、泣きついてきた相手は真剣そのもので泣きべそをかいているのだから、致し方なし。
「ぅう・・・、も、もう、いち・・・ぅ、ぅ・・・」
「なんだい? 泣いていてはわからないよ。ほら、深呼吸。大きく息を吸って、吐いて。もう一度。うん、そう。上手」
 言われた通りに大きく息をしていたヴォルフの嗚咽が止み始め、荒々しく揺れていた肩が呼吸に合わせて静けさを取り戻していく。
「ヴォルフ、どうしたんだい?」
「・・・フォスター」
「うん」
「もう一度、言って欲しい」
「ん? 何を?」
「私を、絶対に、見放さないと。もう関わりたくないって言わないと。もう終わりって、言わないって」
「ヴォルフ・・・」
 濡れそぼった自分の体を抱きしめるように俯いているヴォルフの顔を覗き込み、両手で頬を包んで向き直らせたフォスターは、精一杯の笑みで頷いて見せた。
「良いよ。何度でも言ってあげる。私たちに終わりはない。もう二度と見放さないよ」
「~~~ずっと?」
「うん、ずっと」
「本当に?」
「ああ、本当に」
 今のヴォルフは、まるでオルガを介して交流が再開したばかりの頃の、不安そうな彼に戻ってしまったかのようだった。
 きっとこの先、幾度も幾度もこういうやり取りを繰り返すことになるのだろう。
 今日までの日々を信じて欲しいけれど、言葉にしてと望むなら、いくらでも言ってやろうと思う。
 安堵の泣き笑いを浮かべたヴォルフが、フォスターに上目遣いを向けた。
「・・・今から言うこと聞いても、今の、変わらない?」
「信じなさい」
「・・・父上と母上に、領地に帰って頂きたい」
 ふとフォスターの表情が陰ったのを察知して、ヴォルフの目にまた涙が滲んだ。
「あ。違う。ヴォルフ。大丈夫だから。・・・何があった、言ってごらん?」
「~~~母上に」
「うん」
「母上が・・・」
「うん」
「・・・私に・・・『あなたは誰?』って・・・」
「~~~」
 そう言いながら、笑顔を作ろうとしているヴォルフを、フォスターは必死で抱き寄せていた。
「馬鹿。私に作り笑顔などいらぬ。馬鹿。泣いていい」
「~~~ぅうっ、ふ、ぅッ、う、うっ・・・」
 余計な、ことを、してしまったのか。
 この親子の関係を修復しようなどと、安易であったのか。
 傍らのモートンも、唇を噛み締めて震えている。
 ヴォルフを追ってきたスフォールドもまた、苦々しく表情を歪めている。
「ヴォルフ、ごめん。ごめんよ、ヴォルフ・・・」
「・・・どうしてお前が謝る。私も、お陰で諦めがついた。もういいんだあ・・・、私には、お前たちがいてくれるもの」
「うん。そうだな。いるよ、ずっとね」
 ふと戸口の気配が動いたことに、フォスターは顔を上げて目を見張った。
 険しい表情を浮かべていたモートンの姿が、ない。
「スフォールド、このずぶ濡れ侯爵様を着替えさせてやってくれ。私はモートンを追う」
 ヴォルフの脇を抱き上げるようにして湯船から上がったフォスターは、スフォールドに彼を押し付けて傍らのカゴのバスローブに手を伸ばした。
「は? バスローブ姿で屋敷内を歩かれるおつもりで?」
「いいや、歩かぬ。走るさ」
 させてなるかとバスローブを遠ざけたスフォールドからそれをもぎ取り、濡れた腕を袖に通してもどかしげに帯を結ぶと、廊下に飛び出す。
「わ!」
 ヴォルフ台風の通り道は飾り棚にあった壺は割られ、花瓶は砕けて花が散乱。
 それをせっせと掃除していたメイド達が、当主のあられもない姿に目を丸くした。
「だ、旦那様! 裸足ではいけません! 破片を踏まれたらお怪我をなさいます!」
 破片とメイド達に阻まれて立ち往生していたフォスターが弱りきって廊下の向こうを見ると、モートンが両手に何かを持ってトコトコと戻って来るのが見えた。
「~~~モートン」
「旦那様。なんというはしたないお姿にございますか」
 呆れたように破片をまたぎながら近付いてきたモートンは、いつもと何ら変わらぬフォスター家自慢の執事。
「だって! お前が急に、出て行った、から・・・」
「セドリック様のお召し物を取りに出ただけにございます」
「え? あ、ああ、そう・・・」
「・・・まさかとは思いますが? 私めが取り乱して、ご隠居夫妻のお部屋に乗り込んだとでも?」
 しかめ面の執事に揺蕩う「心外」オーラを、フォスターは直視できない。
「だ、だって、何も言わずに、行ってしまうから・・・」
「セドリック様をお慰めする旦那様を、邪魔致したくなかったのです」
「ああ・・・そう・・・」
「・・・当主たる方が執事の行動を見誤って、挙句、そのような見苦しいお姿で廊下にお出になるとは。さあ、戻りますよ」
 耳に伸びてきた手に思わず目を瞑ったが、モートンの気配は眼前を通り過ぎた。
 恐る恐る目を開けると、それはそれは美しい所作で浴室を指し示している。
「メイド達の前です。お説教とお仕置きは、後ほど」
 そっと囁いたモートンに、メイド達の手前、当主然と構えて「うむ」と言うほかなくなったフォスターであった。



 モートンが持って戻った衣服に着替えを済ませたヴォルフは、濡れた髪をスフォールドにタオルで拭われながら、ぼんやりと同じようにモートンに髪を拭ってもらっているフォスターを眺めていたが、やがて、ふと耳をそばだてた。
 フォスターも同じく。
 二匹の子犬を見るように苦笑したモートンが、スフォールドに向けて苦っぽく顔をしかめて見せる。
「あなたの大胆さには、時折、呆れます」
「その場にいたからね。ガーネット夫人の質問は、不審者に対するそれではなかった。知りたがっておられる目だったもの」
 脱衣所にも届く声。
「セドリック? いるのですか、セドリック? お母様ですよ、セドリックなのでしょう?」
 対応スイッチの確たるや、道化師の相棒を長年務めてきたスフォールドである。
 ヴォルフやフォスター家の面々の前では「セドリック様」。
 ガーネット夫人の気配を察知すれば、瞬時に「ヴォルフ卿」。
 寸分の隙もなくそう使い分けてきた彼が、あんな浴室にまで届くような大きな声で「セドリック」とうっかり呼ぶはずもない。
 ゲストルームにまで届いても不思議のない騒ぎだったにも関わらず。
「セドリック、ねえ、セドリック」
 自分を探し回る母の声に立ち上がろうとしたヴォルフの肩を、スフォールドが押さえた。
「御髪を整えてから」
「スコールド、でも、母上が・・・!」
「・・・・・・もう少し、探させておきなさい。大切だから探し始めたのです。簡単に諦めはなさいませんよ」
 不安そうな目を向けてくるヴォルフの手を、フォスターはそっと握ってやった。
「セドリック! セドリック!」
 廊下に響く声が、続く。




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