フォスター家の舞台裏【オルガ番外編】

フォスター家の舞台裏7

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 モートンの起床は朝五時半。
 これは他の使用人より三十分遅い。
 家令がいの一番に起きてしまうと、他の使用人たちが更に早く起き出そうとしてしまうので、この時間に起きることにしたらしい。
 他の使用人達は裏庭の井戸に設置された洗面所で歯磨きや洗顔をしながら、朝の挨拶を交わす。
「おはようございます、モートン」
 すっかり着替えを済ませたファビオが、ベッドからむくりと起き上がったモートンに声を掛ける。
「・・・ん、おはよう、ファビオ」
 起き抜けで髪のセットがなされていないモートンの、少々ぼんやりした姿は、同室になって幾度も見たが、妙に新鮮である。
 最初は、あくびすることにも驚いた。
 いや。考えてみればモートンだって人間なのだから、あくびくらいするだろうが、仕事中の姿からは想像できない。
 そこへ、ドアのノック。
「ミスター・モートン。置いておきます」
「うん、ご苦労様」
 ドア越しのいつものやり取り。
 使用人最高責任者の家令は、使用人たちが使う井戸の洗面所は使用しない。
 どこの屋敷でも、洗面用のお湯を上級使用人が当番制で家令専用の個室に運んでくるのだが、モートンは冷たいままの井戸水を所望する。
 別に部下の手間を減らす為の心遣いでもないらしく(お湯はどうせ主人たちの為に朝一から準備されているし)、単に冷水でないと目が覚めないからのようだ。
 手渡しでなく廊下に置いていかせるのは、腑抜けた起き抜けの姿を見られないようにする為らしい。
 ドアを開けて水瓶を部屋の中に持ち込むと、個室に設えられた洗面所で顔を洗って歯磨き。
 この辺りからが、早い。
 スイッチが入ったようにテキパキと身支度を始め、寝巻きからいつものディレクターズスーツに着替えると、ちゃっちゃと整髪料とコームで髪をセット。
 ベッドサイドから常備の懐中時計と手帳を懐に収めた頃には、背筋がしゃんと伸びた、いつものモートンの出来上がり。
「ファビオ、惚けていないで、シーツの交換」
「え、あ、はい!」
 あのボーッとした姿から変貌していく様を、ついつい見入ってしまうファビオだった。



 朝六時。フォスター家使用人の朝は、使用人フロアで集合した朝礼でのモートンの訓示から始まる。
 一日の主のスケジュール確認。
 それによって変動する仕事。
 各箇所の掃除のタイミングも、これによって変わってくる。
 主の行動一つで、使用人の仕事の流れが変わってしまうので、モートンもスフォールドも、主の気まぐれには大変厳しい。
 彼らの主たちは過去、自分の気まぐれの責を幾度となくお尻を赤く腫らされるという形で贖わされてきた。
 それを他の使用人たちは知る由もないので、主たちは執事たちのお陰で良き主人という評価を得ているのが、フォスター家である。
「質問がないようなので、朝礼は以上。各自の仕事へ取り掛かってくれたまえ」
 整然とした返事と共に、バラバラと散っていくファビオたちを見送ったモートンは、指定席のアルコーブベンチに掛けて、主人に届けるのと同じ数社の新聞に目を通し始める。
 当番の従僕が淹れたコーヒーを飲みながらとは言え、のんびり休憩と言う訳でなく、仕事の内。
 世情に疎くては主人の秘書業務も兼務する執事は務まらないからだ。
 従僕ランクは各自の休憩時間に読んでいるが、主人を起こしてその新聞を読んだ彼と会話する執事は、朝一番にこの仕事に取り掛かるのである。
 なので、異例の二人体制のフォスター家では、同じく自分の指定席の窓際の長椅子に腰掛けたスフォールドが、同じように新聞を読んでいた。
「・・・スフォールド」
「ん~? 何だね、モートン」
「朝礼の時にニヤニヤと私を見るの、いい加減やめてください」
「ニヤニヤって、失礼だね、お前。弟子の成長を微笑ましく思って、見ているだけじゃないか」
「・・・だから嫌だったのですよ、あなたを招来するの。毎日、試験を受けている気分です」
「今日も有評定だったよ」
「・・・もう」
 話題は諸々だが、互いに新聞から顔を上げないままの会話は、執事二人の朝の恒例行事である。



 七時。使用人たちとテーブルを共に朝食。その後、主人起床前の準備に取り掛かる。
 朝食の為のテーブルセット。
 主人に届ける新聞の準備。
 洗顔用のお湯を水瓶に移して、タオルを準備し、ティーセットの準備。
 七時半、それらをワゴンに乗せて主人の部屋へ赴き、主人を起こす。
 八時、ダイニングに主人を誘(いざな)い、朝食の給仕。
 八時半、出仕の日であれば自ら送迎する時もあれば、運転手と従僕に任せる日も。
 現在はヴォルフがいるので、宮廷への送迎はスフォールドが必ずついて行ってくれている。
「いってらっしゃいませ」
 走り出した車を最敬礼で見送ったモートンは、続いてオルガの登校のお見送り。
 使用人の立場上、ファビオは裏門から登校するが、正門前を通っていくようにさせていた。そうすれば、手の一つも振ってやれる。
「・・・」
 懐中時計に目を落とし、溜息。
 五分待っても正門前を通らないとなると、まだ屋敷内でグズグズしているのだろう。
 ファビオを同室に迎え入れ、あまり口うるさくするのも気の毒かと思って黙っていれば、これだ。
 どうせ、今日の時間割の教科書の支度をしないまま就寝したのだろう。
 出際に準備するから出遅れるし、忘れ物をするのだ。
 彼に任せている玄関前の掃除は毎朝完璧なのにと、周囲を見渡してモートンの溜息が深くなった時、ようやくバタバタと走ってきたファビオの姿が正門前に現れた。
「・・・やれやれ」
 仕事好きは結構だが、彼には是非とも『両立』というものを学んでいただきたいと思うモートンだった。



 主人たちは昼食という形をとらないが、使用人たちは正午にかなり高カロリーな食事時間と休息時間がある。
 そうでないと、夜まで体が持たないのだ。
 他の使用人たちは最低でも一時間は食事と休息に時間を使えるが、執事は主人が出仕日でない日は、呼び鈴が鳴れば席を立つ。
「ミスター・モートン。今更なのですが、ファビオとの同室、本当に良かったのですか?」
 昼食中の従僕からの質問に、他の使用人たちの視線がモートンに集中した。
 この国の貴族屋敷に勤める使用人は、最高責任者の家令(全使用人のトップ)とメイド頭(女性使用人のトップ)のみがスイートの個室を持つ。
 後は上級使用人の内、従僕・近侍が狭いながら一人部屋。
 小姓や従僕見習い、運転手、守衛が四人部屋。
 下男などは大部屋。
 家庭持ちは通いで勤める。
 女性使用人は奥様のお世話を直接する侍女であろうが、ハウスメイドやキッチンメイド・ランドリーメイド、その見習いに至るまで十人ずつ単位で分けられた大部屋住まい。
 男尊女卑感が漂うのは否めないが、これは使用人に優しい気風のフォスター家でも同じであった。
 この時代、女性は年頃になると結婚して仕事を辞めて田舎に帰る者も多いし、男性より勤め先が少なく、あっても賃金は低い為、男性使用人に比べれば賃金は低いものの、他の業種に比べれば給金が高いメイドや下女の就職希望者は途絶えることがなく、入れ替わりが激しかった為である。
 ちなみに、メイド頭まで上り詰めた女性は年配であれ未婚女性が九割。
 理由は家令と同様、残念ながら、家庭を営みつつ従事できる仕事ではなかったからだ。
 が、メイド頭は通例として『ミセス・某(なにがし)』と呼ばれる。
 その由来は、厳しい指導を行う彼女ら未婚メイド頭への若いメイドの陰口からとも、勤め先の屋敷そのものと結婚している勤勉な淑女へのリスペクトとも、どちらとも言われているが、真相はわからない。
 話が逸れたが、部屋割りに戻ろう。
 下男・庭師・馬丁の親方は裏庭に建てられた作業道具小屋・作業部屋と併設された長屋に各私室で生活(家庭持ちも有り)。
 彼らは下級使用人ではあるが、雇い入れた年若い少年たちの最初の受け入れ先であった最初の教育者であった為だ。
 モートンやスフォールドも初めて勤め始めた先では、彼らの下について一から仕事を教わった。
 ファビオとて、問題児高位者の間借りという異例で、未経験ながらいきなり小姓という上級使用人ランクでの就職とはなったが、その傍ら下男の親方について仕事を教わってきたのだ。
 ファビオの仕事好きと仕事ぶりは、この屋敷の誰もが認めるところであった。
「あの子はとても仕事熱心だし、あなたが贔屓で彼を傍に置いているとは思わないけれど、部下の私たちよりプライベートな時間が少ない家令のご身分で、私室にまで部下を置いては、気の抜く時間がなくなってしまったのではと、心配になったのです」
 彼の言い分に他の者も頷いて見せるのを見渡して、モートンは千切ったパンで皿のソースを拭いながら、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「ありがとう。でも、その心配は無用だよ。ファビオは皆と同様の時間に寝かせているから、自分の時間がないわけではないし。それに私は辺鄙な農村部の、子沢山農家の出身でね、何と言うか、その・・・」
「家令となってスイートの広い個室を与えられて、寂しいのだよね。従僕の頃の個室なら必ず誰か隣室にいる気配を感じられるけれど、家令の個室だけは離れているから」
 その通りであるが、それをスフォールドに見透かされたのが、何やら悔しい。
「私はね、前任者のようにワインボトル片手に部下の部屋にズカズカ上がり込んでいける質ではないから、ファビオの子守をしているのが性にあっているのだよ」
「・・・前任者の来訪が嬉しかったくせに」
「・・・自分だって寂しいから来ていたくせに」
 この二人のこういうやり取りをケンカだと思うのは、新参使用人くらいである。
 


「旦那様のご提案のお陰で、お前に宿題のことをうるさく言わずに済むようになって、嬉しい限りだね」
 ヴォルフ家庭教師による勉強の時間は見事成功。
 オルガが勉強に没頭する余りに自分を構ってくれない時間を、共に過ごせることに、ヴォルフはご満悦であったし、宿題はおろか復習と予習まで見てくれる。
 その分、共有できる時間が増えるからだ。
「旦那様も余計な提案を・・・」
 せっかく学校が終わっても、『オルガのナイト』として勉強会に参加させられる羽目になったファビオは、たまったものではない。
 学校であれば先生が黒板を向いている隙に居眠りしたり、友人たちとふざけた落書きの回し合いなどしていられるが、日頃『兄貴分』として偉そうなことを言っている相手が教師では、気が抜けないではないか。
 無論、提案者フォスターはそれを見越してのファビオ投入である。
「ファビオ」
「は、はい!?」
「今のは聞かなかったことにしてあげるから、さっさと明日の時間割の支度をしなさい」
「そこまで干渉しなくても・・・」
「するつもりはなかったけれどね。毎朝バタバタしているだろう。さすがに見過ごせないよ」
 ジロリと見下ろされて、ファビオは首をすくめる。
「えー・・・と、歯磨きしてから!」
 部屋を飛び出していったファビオの背中を見送って、モートンが額を押さえた。
 確かに、ファビオは他の使用人同様、外の洗面所を使うことになっている。
 けれど。
 置くことくらいは許されている歯ブラシはこの部屋の洗面所。
 それを持たずに飛び出して、何が歯磨きか。



「オルガ! オルガってば!」
 廊下側の部屋をノックしても、寝室まで音は届かない。
 別に、ヴォルフのようにオルガと男女のどうこうになるわけでないしという決意のもと、ドアノブに手をかけた途端に聞こえた背後の咳払いに、ファビオは飛び上がらんばかりに振り返った。
「~~~モートン」
「夜の九時。レディの部屋を訪れる時間ではないね」
「ち、違・・・。これはそういう・・・」
「目的がそうでなくともだよ」
 ごもっとも。
「お前、さては翌日の時間割をメモしてきていないね?」
 ご名答。
「支度できている日は、オルガ様に時間割を聞いた日。できていない日は、聞きそびれた日」
 正解。
「で、聞きそびれた日だった今日に、私が干渉を始めてしまった・・・と」
 仰る通り。
 ドアに背中を張り付けて泳がせていた視線を、恐る恐るモートンに向けてみる。
 うん。見なければ良かった・・・。
 お陰で恐怖感は倍増。
「おいで」
 踵を返したモートンの背に渋々ついていくしかないこの廊下は、まるで処刑場への道程に思えるファビオであった。



「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさいーーー!」
 施錠の夜回りに同行しようと、寂しがり屋の弟子の部屋の前までやってきたスフォールドは、ドアから漏れ聞こえるその喚き声とパンパンと連続する鋭い音に、肩をすくめた。
「痛い痛い! あ! もう夜回りの時間ですよ!」
 ああ、馬鹿。余計なことを・・・と、スフォールドは片手で顔を撫で下ろして息をついた。
「・・・人の仕事のスケジュールを気にする前に、自分のスケジュール管理をせんか、この馬鹿者!」
 一際きつい音。
 一際甲高いファビオの悲鳴。
 とりあえず、ノック。
「あー、私だが・・・」
「ああ、スフォールド。今日の夜回りはお願いします。その前に、氷のうを作ってきてください。お尻が腫れ上がって眠れないと、気の毒ですので」
 今、引き攣ったファビオの哀れな声が聞こえたような・・・。
 可哀想だとは思うのだが、信頼してこのフォスター家を任せた弟子のやりように、口を挟む気は起こらないスフォールドであった。
「モートン、許して! お願い、許し・・・痛い痛い痛いーーー! ぅわーーーん! ごめんなさいーーー!」





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