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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十一話 絹のハンカチ

 ←甘い執事と主と甘味 →学友時代



 ぼんやりと客間の窓辺に佇んでいたヴォルフの父・ガーネットは、東屋で母親とお茶を楽しんでいる息子を眺めていた。
「ご隠居様も、ご一緒されては如何にございますか?」
 客間に籠ったゲストの為に付き添ってくれているフォスター伯爵家の執事モートンの声に、ガーネットは東屋を見つめたまま首を横に振る。
「・・・楽しそうなのだけれどね、あの子。ローランド卿や、フォスター卿、それに、君たちといる時と、あまりに違い過ぎて・・・」
 ふらりと出窓ベンチに歩を進めて、座り込んでしまったガーネットだが、視線はやはり東屋の息子を追っている。
「ご覧、モートン。なんて優雅な所作だろうね。我がヴォルフ侯爵家の当主に、相応しい立ち居振る舞いだ」
「はい、左様にございますね」
「妻を・・・母親を実に見事に楽しませている。紳士として、理想的な話術が滑らかになされているのが、聞こえなくともわかるよ」
「はい」
「さぞかし、頑張って、演じているのだろうね」
 ガーネットが目頭を押さえて目を瞑ったことに、モートンはどう答えるべきか迷った末、沈黙を守った。
「このフォスター家に招かれるまでね、私は、あれが息子の本当だと思っていたのだよ」
「・・・」
「ルシアンも、利発で敏(さと)い良い子だった。その弟だから、同じなのだと思っていたのだ」
 モートンは黙ったままクローゼットの小引き出しを開き、ハンカチを取り出して恭しくガーネットに差し出した。
 同じく黙ったままそれを受け取ったガーネットは、溢れる涙を拭う。
 けれど、涙はまだまだ止まりそうもなく、もう諦めた様子でハンカチを鼻に当てた。
「ところがね。『セドリック』は、思っていた息子と、まるで違ったよ。わがままで、やんちゃで、子供のようにはしゃいだり、無作法に駆け回ったり」
「・・・セドリック様は、少々子供じみたところがお有りになりますので・・・」
「そのようだね。それなのに」
 モートンは更に引き出しからハンカチを数枚取り出して、己が気の利かなさに恥じ入る。
 一枚のハンカチごときが、役立つ訳はなかった。
 新しいハンカチを渡して、すっかり涙と鼻水で濡れたハンカチを受け取る。
「それなのに、あの子は頑張っていたのだねぇ・・・。私たち両親が求めるルシアンを、どうにか演じていようと」
 繰り返す、ハンカチの交換。
 あ。弱った。もう旅行鞄からクローゼットに移したガーネットのハンカチが尽きてしまった。
「・・・モートン、ハンカチ・・・」
「あの。しばしお待ちいただきたく・・・」
「良いよ。お前のを貸しておくれ。昔、私のハンカチをあげただろう? そのお返しをしてくれたまえよ」
「・・・え。旦那様・・・あ、いえ、ご隠居様?」
 すっかり涙と鼻水で濡れそぼったガーネットが、初めてモートンを真っ直ぐに見つめた。



「~~~ぅう・・・。ぅえ。お母さん、お父さん・・・」
 出稼ぎに王都に出てきたばかりの十歳のモートンは、下男見習いの仕事の辛さより、父と母、そして、弟妹たちと遠く離れたここが、辛くて仕方なかった。
 仕事を終えて部屋に戻るまでは、泣いては駄目。
 同室の先輩が寝付くまで、泣いたら駄目。
 自分に、そう課したのに。
 屋敷から言いつけられたお使いに出ると、つい目に飛び込んでくる、親子連れ。
「ふぇ・・・。お父さん・・・、お母さん・・・」
 緊張の糸が途切れて。
 涙がこぼれて。
 寂しくて。寂しくて。
 どうにかお使いを済ませて戻って、大きなお屋敷の人目のない物陰を見つけては、声を殺して泣く。
「どうしたのだい?」
 ある日、ここなら見つかるまいと思って泣いていた庭園の木陰を覗き込む気配に、モートンは飛び上がらんばかりに驚いて振り返ると、そこにはヴォルフ侯爵家の主。
「あ、あの・・・申し訳ございません!」
 地面に平伏せんばかりに謝ったモートンは、突然、ふわりと体を掬い上げられて抱き上げられてしまい、涙で凝った目を瞬く。
「最近、雇われた子だね。名前は?」
「お、お許しを・・・」
「名前だよ」
「~~~モートン、と、申します・・・。旦那様、お許し下さい。決してサボっていたつもりは・・・」
「いくつ?」
「あの・・・」
「いくつ?」
「・・・十歳、です・・・」
「十歳。その年で両親と離れては、そりゃぁ寂しいだろうねぇ」
 改めて言われて、また涙がこぼれそうになるのを、必死で堪える。
「旦那様、あなた様がおわしては、その子も泣くに泣けますまい」
「ああ、そういうものかね。それはすまないことをした。では・・・」
 そっと地面に降ろされて、代わりに手渡されたのは、当時のモートンが触れたこともないような、絹のハンカチ。
「それ、あげるから。頑張れる?」
 不可思議な言葉。
 高級な物をもらったからと、寂しさが癒える訳でなし。
 先程までのぬくもりの付属品の方が、はるかに幼いモートンの寂寥を癒したのに。
「ん? お返事は?」
 微笑んでくるその顔を、ついぼーっと見上げていた。
 不可思議。
 けれど、これが貴族というものなのかと、ぼんやりと思う。
 感覚が違う。
 優しいのだけれど、平民にとっては的外れ。
「モートン」
 使用人最高責任者であるヴォルフ侯爵家の執事の声掛けに、モートンはハッと我に返って深々と頭を垂れた。
「あ、ありがとうございます! ヴォルフ侯爵家の為に、頑張ります!」
「そう。なら良かった。行こうか、コンラッド」
「はい、旦那様」
 再び庭園散策に歩を進め始めた当主の後をついて歩き始めた、コンラッドと呼ばれた執事は、静かに手を伸ばしてモートンの頭を撫でていった。



「~~~ご隠居様。私のことを、覚えておいでで?」
 ヴォルフが四歳の頃、暇を出された。
 拾われる形で雇い入れてくれたフォスター伯爵家。
 そこで育てた、かつての幼い主ヴォルフと同い年のフォスターが、招いたゲストとして、実に二十三年振りに、この人の前に立った。
 下位の、他家の、その執事としてしか見ていない様子だったので、覚えていないものだと・・・。
 それは当然のことだと・・・。
「覚えているさ。覚えているとも。お前は、とにかくコツコツと頑張って仕事をする子だった。コンラッドが、よく褒めていたもの。モートンという子は、当主の執事となるべき器の子だと・・・」
 コンラッド。
 当時のヴォルフ侯爵家使用人最高責任者の執事。
 そして。
 ルシアンと共に事故で亡くなった。
 最期まで、ルシアンをかき抱き、守ろうとしたまま、黒焦げの焼死体となっていた男。
「モートン、良い子。今日も、旦那様の言うとおりに頑張れたね。良い子だ、モートン」
 よく、そう言って、クシャクシャと頭を撫でてくれて。
 スフォールドは大好きな師だけれど、思い出のコンラッドは父親のようで。
「すま、ない・・・。すまなかった・・・。お前が、セドリックを私たちに代わって、とても大切にしてくれていると、わかっていたのに・・・」
「旦那様・・・」
「私は意気地のない男で。とにかく、妻の言う通りに・・・妻が納得してくれるようにと・・・」
 ガーネットは両手に顔を埋めて、ついに嗚咽を始めた。
「わかっていたのだよ。あの時、お前は悪くなかった。息子を・・・セドリックを大切に思ってくれているからこそ、叱ってくれた。でも・・・妻は、コンラッドが、『執事』という存在が、ルシアンを死なせたと考えなければ、壊れてしまう寸前だった・・・。ルシアンを死なせたのは自分だと、責めて、責めて、責めて・・・!!」
「旦那様」
「妻がたどり着いた『救い』が、執事だった! 『執事』が、息子を、奪う! だから、『執事』から、息子を、守る!」
「旦那様」
「お前は『コンラッド』ではないし、『コンラッド』とて、ルシアンを最期まで守ってくれたのに・・・! すまない・・・、すまない・・・、すまない・・・、モートン」
 無礼は承知。
 承知の上で、モートンはガーネットが埋めている顔から両手を引き剥がした。
「~~~モートン」
「はい」
「まさか、ここで会うと思っていなかった」
「はい」
「・・・どんな顔で接して良いかわからなくて・・・」
「はい」
「気付かない、振りを、した」
 既視感。
 ああ、やはり、親子。
 そういう対処の仕方は、ヴォルフによく似ている。
「・・・これが、コンラッドであれば、叱れていますよ?」
「・・・そう、かな?」
「はい」
「・・・うん。そう、だね」
 泣き笑いの顔を見せたガーネットの手をとって、包む。
 昔、泣いていた自分がしてもらったように、抱き上げたりはできないけれど。
 せめて、それが嬉しかったことを、同じ温もりで伝えたくて。
「・・・旦那様。さあ、どうぞ。恐れ多きことながら、私めのハンカチを、お使いくだいませ」
 本当は、あの時にもらったハンカチを渡したかったけれど、現実はそう上手いこといかなくて。
 それでも、下男見習いだったあの頃よりは、上等のハンカチが手渡せた。
 セドリック坊ちゃまに固執し、就職もままならなかった自分を、強引に雇い入れてくれた師、スフォールドのお陰で。
「旦那様」
「・・・うん」
「あなた様を『旦那様』とお呼びするのは、これで、最後にございます」
「~~~そう、か」
「私がお仕えする『旦那様』は、フォスター伯爵。あの方がいなければ、今、こうして、あなた様と対面する機会もございませんでした。あの方が、オルガ様を救い、そのオルガ様がセドリック様と『我が旦那様』の架け橋となり、こうして共に暮らし、ルシアン坊ちゃまでない、本当のセドリック様として、当家にてお過ごしあそばされております」
「・・・ん。お前は、フォスター伯爵の執事だ。彼が何歳から仕えているの?」
「・・・主が、御年四つの頃より」
「・・・そう」
 ガーネットは、また両手に顔を埋めてしまった。
「~~~私は、セドリックの為になろう執事を解雇するという、とんでもない失態を犯したのだねぇ・・・」
 その言葉は、嬉しかった。
 もし、あのままヴォルフの執事でいられたならば・・・とも、思う。
 そうすれば、オルガに無体な経緯を辿らせずに済んだかもしれないと。
 けれど、それはすべて、架空。
 架空の未来で。
「・・・ご隠居様。今を、見ましょう。今のセドリック様を、見て差し上げてくださいませ」
 しばし押し黙っていたガーネットが、苦笑気味に両手から顔を上げた。
「相当な、やんちゃ坊主に思えるのだが・・・」
「はい。それが、セドリック様にございますれば」
「それを、寛容に受け入れているのかね? この屋敷は」
「いいえ?」
 クスリと笑ったモートンは、手の平に息を吹きかける仕草をして見せた。
「え? えっと・・・それは・・・」
「いたずら、おやんちゃ、悪さ、わがまま。総じて、お仕置きをば」
「え? え? お仕置きって・・・その・・・。え、いや、でも。あの子は、もう二十七にも・・・」
「はい。もう二十七というのに、小さなお子様のままにございますので。我が主が躾け直しておりまする」
 しばし、ガーネットは池の観賞魚並に口をパクパクとさせていたが、やがて、モートンが渡したハンカチでゴシゴシと顔をこすって、涙を拭いきった顔を上げた。
「~~~下位、だぞ?」
「・・・信じる相手に、絆を培った相手に、下位も上位もないと、セドリック様は思っておられますね」
 わかっていて放った、痛烈な言葉。
 あなたは息子に信じてもらっていないのだと、絆を構築できていないのだと。
 ガーネットは、黙ってまた窓の外を見た。
 その先には、東屋で、紳士の手本のような微笑みを浮かべて、母と語らう息子の姿。
「・・・そのような批判を受けるとは、実に、不愉快だ」
 モートンのハンカチが、かつて仕えた屋敷の元当主の手の中で、強く握られる。
「実に、不愉快だ。それに対して、何も言い返せない情けない父親に、どうしようもなく、腹が立つよ・・・」



「父上、父上。チェスでも致しませんか?」
 やにわに開いた客間のドアから飛び込んできた息子に、ガーネットが苦笑する。
「これ、セドリック。お前はまた。侯爵たるものが、自らドアを開けるなどと・・・」
 フォスター伯爵家の屋敷に滞在する間に、なんとなくわかってきた。
 こうして急な来訪をする時の息子は、大抵、夕食までここで過ごしていく。
 夕食後も、就寝時間までくっついて離れない。
 そういう時は、決まってフォスター家の当主殿が、憮然とした面持ちであるのだ。
「前回は負けてしまいましたが、今日は勝ちますからね」
「・・・何をして、フォスター卿から逃げているのだね?」
 チェスボードをテーブルに置いて、駒を並べ始めたヴォルフの手が止まる。
「・・・はて? 何のことやら」
 素知らぬ顔で再び駒を並べ始めた息子を、ガーネットは溜息混じりに眺めた。
「・・・そうだね。隠居とは言え高位の私の前で、下位の彼がお前を叱ったりできないしね」
「さあ、どちらの手になさいますか?」
 先攻後攻を決める為に、白と黒を握った両手を差し出されて、ガーネットはしばし考え込んでいた。
「・・・お前が本当に幼い子供なら、左手にするけれど」
「父上?」
「利き手の右でも良いか。体は大人だしねぇ」
 差し出していた手を掴まれて引き寄せられたヴォルフは、ガーネットの膝の上に腹ばいにされてしまい、状況が飲み込めていない様子でぱちくりとさせた目で父を見上げる。
「あの? 父上・・・?」
「私のところにいれば、フォスター卿に叱られない。そういう、緊急避難所にされていたとは、情けない父親だね、本当に」
 膝の上。腹ばい。押さえられた腰。振り上がった父の手。
 ようやく状況を理解したヴォルフが、ジタバタともがき始める。
「父上、やだ!」
「私にそんな権利はないと、お前が言うなら、この手は収めるよ」
 もがいていたヴォルフが、拗ねた子供のような顔をねじ向けて大人しくなった。
「~~~父上、ずるい・・・」
「・・・それは、父親面をさせてもらえると、理解するよ?」
「父親面? だって、父上は私の父上ではないですか」
 また。
 目頭が、熱く・・・。
「ありがとう、セドリック」
「? 痛い! 父上、痛い!」
「そりゃ、お仕置きだから」
「どうしてお礼を言ってお仕置きに・・・! い、痛い痛い痛い! ひぃーん!」
「・・・お前がそう認めてくれているなら、きちんと、父親でいなければいけないから」
 ピシャリピシャリと、十ほど平手を見舞った息子のお尻をさすってやったガーネットは、まるで幼子さながらに泣きべそをかいているヴォルフを膝から下ろしてやると、その両頬に手を添えた。
「もう、私の・・・父上のところは、避難所にはならないからね。ほら、大人しく、フォスター卿のところへ行って、お仕置きの続きをしてもらってきなさい」
 しばし俯いていたヴォルフが、やがて、のそのそとガーネットの膝に腹ばいに戻ったことに、目を瞬く。
「セドリック?」
「・・・今日した悪さは、今から白状します。だから、最後まで、父上が、叱ってください」
 おずおずと顔をねじ向けてくる息子に、つい、涙がこぼれた。
 




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