【オルガ完結章】遠まわりな愛

第十話 侯爵家の父と息子

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 ヴォルフの両親がフォスター伯爵家を訪れ、滞在二日目。
 ヴォルフの母は女性同士しかもてなせないので、当然、フォスターの母ベアトリスが付きっきりとなっており、ヴォルフ侯爵ご隠居のガーネットは、クラウンがほぼ応対していた。
「あちらがヴォルフ侯爵の居住空間となっております。ご存知の通り、フォスター領も先の天災で資金繰りが苦しく、侯爵の為に離れを建てる余裕もございませんこと、どうかご容赦願いたい」
「とんでもございません。フォスター伯爵の尽力がなければ、ヴォルフ領は商家の手に渡り、息子は没落貴族として侘しい借家住まいでありましたものを。このように改築までして頂いたこと、恐れ入りまする」
 預かっている御子息の生活の場を案内すべく、ガーネットを伴って屋敷内を歩く。
「お呼びだてした当人が、多忙でお相手出来ずに、申し訳ない」
「いやいや、ご婚儀の準備で忙しい最中にお招きいただいたのですから。お陰で公爵閣下御自らお相手頂けるなど、光栄の至り。どのタイミングで今までの非礼を詫びれば良いか、考えているだけで時間が立ちまする」
 クラウンは頬を掻いて視線を泳がせた。
 さて。これはイヤミと捉えた方が正解か?
 ガーネットが隠居前の侯爵だった頃、彼はクラウンを伯爵だと『思い込まされていた』貴族の一人である。
 ガーネットは、良くも悪くも古き良き貴族だった。
 階級は絶対重視で王家への忠誠は厚く、領民からの評判も悪くない。
 が、公爵を叙位されたクラウンが『伯爵』として道化を演じる共演者としては、不向き。
 『伯爵』を名乗るクラウンに、公爵としてしか接することができない男だと判断したのだが。
「えーと・・・。私は決してあなたを蔑ろにした訳ではないのですよ。すべては、国王陛下の御為。けれど、不快にさせたなら、申し訳なかった」
「不快? 何を仰せです。陛下のご命令でのことと、先日、ワイラー卿よりお手紙を頂きました。公爵の地位にありながら、下位の伯爵として過ごされるなど、あなたこそご苦労なされたでしょうに」
 ワイラー。ナイスアシスト。今度会ったら、褒めてやろう・・・。
「そのように仰っていただけると、私も心が軽く・・・わぁ!」
 普段は屋敷内ですることのない公爵然とした風体を守ることに集中していたクラウンは、不意に背後から抱きつかれて、さすがに心臓が飛び出すかと思った。
「お父様! お父様!」
「な、なんだ、ヴォルフか。びっくりさせないでおくれ」
「あのね! 買ってくださった仔馬が届いたのです! 見に行きましょう!」
「はいはい。後でね。今は君のお父上をご案内している最中だから」
「えー。良いではないですかぁ。では、父上もご一緒に。ね、お父様」
「もう、仕方のない子だねぇ」
 クラウンがふとガーネットを見ると、彼ははしゃいでいる息子に面食らっている様子で顔を強張らせていた。
「こ、これ、ルシ・・セドリック! 公爵閣下に何という非礼を! お父様とは、何事だ!」
 クラウンの首に腕を巻きつけたまま、ヴォルフがきょとんとして首を傾げる。
「だって、お父様がそう呼んで良いとおっしゃって・・・」
「~~~セドリック!」
 目くじらを立てるガーネットに、おや?・・・と、クラウンは顎を撫でた。
 父と子。
 それは爵位同様、絶対の立ち位置と認識する古き良き貴族様が、動揺しておられる。
 決して揺るがないと思っていた互いの立場に、心がざわついている。
 同じ父親の立場だからわかる。
 彼は今、クラウンにヤキモチを妬いているのだ。
「~~~お父様ぁ・・・」
「うんうん。わかったから。お父上とお父様と三人で仔馬を見に行こうね。だから、お願い、離して・・・」
 どうでもいいが、首が苦しい・・・。



「と言う訳で、お父様は全力でヴォルフの『お父様』でいるから、妬かないでね」
 新郎用のタキシードを仮縫い中のフォスターは、やにわにやって来た父・クラウンに額を押さえた。
「・・・父上。私をいくつだとお思いですか」
「旦那様のおっしゃる通りにございますよ、大旦那様」
 フォスターの傍らに控えていたモートンが、ここぞと口を挟む。
「この甘えん坊が利かん坊にならぬ程度でお止め置きくださいませ」
「~~~モートン」
「はい? モートンは何かおかしなことを申しましたでしょうか、旦那様?」
「~~~」
 そりゃあ、愚図った記憶がないでもない。
 ヴォルフを構う父に妬いて苛立って「嫌い」と言い放ち、モートンに嫌というほどお仕置きを食らったような気が、しなくもない。
 が。
 あれは『過去』だ。
 数週間も前の遠い遠い遠い遠い過去。
「妬かぬわ!」
「ほお」
「何だね、その目は」
「ああ、これはですね、幼子を見守る慈愛の目というものでございます」
「~~~えぇい! 子供の成長を甘く見るなよ!」
「あ~あ、そのような後悔なら、してみたいものでございますねぇ。是非とも」
「良いとも! 是非とも後悔させてくれよう!」
 クラウンはポリポリと頭を掻いて、天井を仰いだ。
 参った。
 あてられた。
 育ての親と育てられた子に妬かされたのは、こちらだった。



「お父様、一緒に公園の釣り堀に行きたいです」
「お父様、一緒に庭園の散歩に行きたいです」
「お父様、一緒にオペラを観に参りましょう」
「お父様、一緒に・・・」
「お父様、一緒に・・・」
 ヴォルフの要求に、クラウンは応え続けた。
 その都度、ガーネットも誘って、三人で。
「・・・どうして、なのですか?」
 日を追うごとに、ガーネットは肩を落としていく。
「あの子の要求に応えていたのは、私とて同じです。ずっと、ずっと、あの子のやりたいように、思い通りに」
 それなのに、あんな嬉しそうに笑う息子の顔を見たことがないことに、ガーネットは気付き始めていた。
 いや、それ以前に、何でも思いを叶える父親が目の前にいるというのに、彼は自分に何も求めてこないことに、気付き始めていた。
「・・・わかりませんか?」
「わかりませぬ! あの子の父親は私で、あなたではないのに! あの子はまずあなたを先に呼ぶ! 『お父様、お父様』と!」
「・・・ヴォルフは・・・、あの子は、ずっと、本当に欲しかったものを、口にしていますよ。父親のあなたに、聞いて欲しくて」
 両手に埋めていた顔を上げたガーネットは、見たことがない生真面目な表情のクラウンに目を瞬いた。
「一緒に」
「え・・・?」
「一緒に。一緒に。一緒に」
「ローランド卿?」
「あの子はただ、父親と母親と、『一緒』に何かして欲しかったんだ。欲しい物をくれるだけの両親ではなく」
「~~~ですが、それでは、妻が・・・」
 血を分けた子だから、大丈夫。
 そう思っていたのだと、ガーネットが呟いた。



 ヴォルフ侯爵ガーネット家の嫡子、ルシアン四世。現ヴォルフ侯爵のセドリックの実兄である。
 僅か十歳にして早逝した生前の彼を、両親はとても大切にしていた。
 溺愛ではあるが、時に厳しく、ルシアンが世に出た時にきちんと人に愛してもらえるように心を尽くして。
 彼の教育を任せていた執事も信頼の置ける人物であったし、スクスクと利発に育っていくルシアンが、自慢でもあったし、愛しくて、楽しみだった。
「ねぇ、あなた。聞いてくださいな。私、神様にまた贈り物を頂きましたのよ」
 嫡男ルシアンが九歳になる頃、妻が恥ずかしそうにそう報告してきた。
「何と、これは嬉しいねぇ。ヴォルフ侯爵家は、ますます賑やかになる」
「女の子なら良いのですけど・・・。男の子では、継ぐ家がないと平民になるしかないのですもの」
「おやおや、まだお腹も大きくなっていない内から、そんな心配かね? 大丈夫。姫なら嫁ぎ先を。息子なら貴族の婿入り先を、私が全力で探してあげるよ」
「あら。でしたら、息子なら有能な教育係を探してあげないと」
「ふふ。君は本当に心配性だねぇ」
 思えば、一番幸せな時代だったかもしれない。
 生まれたのは、泣き声も大きな玉のような次男。
 セドリックと名付けた。
 誕生の祝いに、懐中時計をこしらえて上級使用人たちに配った。
 幸せだった。
 あの日までは。
「わがままを言ってはなりません。ほら、執事を困らせないの。あなたはこのヴォルフ侯爵家の嫡子でしょう?」
 常に優等生振りを発揮するルシアンが、その朝は珍しく愚図っていた。
 母の胸に抱かれている赤子の弟を恨めしげに見据えて。
「セドリックばかり・・・。僕だって、母上や父上の傍に居たいもの・・・」
「ルシアン」
 出仕前のガーネットは、つい苦笑した。
「ねぇ、お前。良いではないか、今日一日くらい・・・」
「いいえ。ヴォルフ侯爵家の嫡子を、甘やかすものではございません」
 当時のヴォルフ侯爵の奥方・ガーネット夫人は、毅然とした態度を崩さなかった。
「ルシアン。学校は国を守る貴族が学ぶ大切な場ですよ。そんな幼子のようなわがままは許しません」
「~~~母上ぇ・・・」
「さあ、行きなさい」
 しゅんとショボくれたルシアンは、苦笑を浮かべる執事が開いた車のドアをくぐった。
「奥様、明日から夏期休暇にございますれば、今日一日くらいは坊ちゃまのわがままを聞いて差し上げても・・・」
 普段はこんなことをいう執事ではなかった。
 思う。
 もしかしたら。
 もしかしたら。
 二人には聞こえていたのかもしれない。
 虫の知らせのような声が。
「良いのです。後一日くらいだからこそ、我慢しなさい。わかりましたね、ルシアン」
「~~~はい、母上・・・」
 窓越しの、毅然とした対応。
 キスも。ハグも。
 しないまま。
 その数時間後。
 無理に車に乗せたあの息子が、最期の姿だったと知る。
 交差点の、衝突事故。
 信頼した執事は、最後まで預かった坊ちゃまを守り抜こうとしたのが、知らせを受けて現場に駆けつけたガーネットにはわかった。
 十歳の小さな体を、かき抱いて。
 二人は、炎上し、すっかり形を変えた車の中から、消火後に発見されたのだ。
「ひ・・・」
 息子と執事の亡骸より、印象に残るのは、妻の顔。
 黒ずんで、抱き合った遺体に、彼女は表情を失った。
「御子息と家人に、間違いございませんね?」
「いいえ?」
 警官の言葉に、妻は相変わらず毅然と首を横に振ったのだ。
「いいえ。いいえ。違います。息子は、ルシアンは屋敷におりますもの。違う。違う! 違う!!」
 妻の中で、何かが壊れた音が聞こえた気がした。
 あの時。
 最期に、抱きしめてやらなかった。
 最期に、キスしてやらなかった。
 最期のわがままだと、思わなかった。
 あの時。
 行かせなければ。
 ただ一言、「今日だけよ」と、言ってやれば。
 この車に乗せなければ。
「違う! 違う! 違う!! いやぁ! 違う! 嫌よ、ルシアン! ルシアンは生きています! いや! いやぁあ!!」
 壊れていく。
 妻が。
 当たり前だった日常が。
 あの日に抱いていたセドリックに、見向きもしなくなった。
 


「お父様ぁ」
 いつも通り、ひょっこりと姿を現したヴォルフは、リビングで両手に顔を埋めている父の姿に目を瞬いた。
「父上? 父上、どうなさいました? どこか痛いのですか?」
 必死で両手に埋もれた顔を覗き込んでくるヴォルフを見つめて、ガーネットはこぼれ落ちる涙を止められなかった。
「~~~セドリック」
「はい、父上」
「セドリック」
「はい」
「ごめんよ」
「? 父上?」
「私は、とても無力で・・・、それでも、どうにかお母様を守ってあげたくて・・・」
 ゆるゆると顔から離された両手が、ヴォルフの頬を包む。
「お前とね、一緒に何かすれば、お前がルシアンではないと、お母様が気付いてしまうから。だから、なるべく傍に置かないように・・・」
「はい。それは昨日、伺いましたが・・・」
「それで納得するな、馬鹿者! 言いたいことがあるなら、聞く。全部、聞く。だから・・・父より先に、『お父様』を、呼ばないでくれ・・・」
 クラウンは黙ってリビングのソファを立った。
 わがまま。
 血縁を笠に着て、与えてさえいれば何でも許されると思っていたろくでもない父親の、真っ当なわがまま。
「ごめんよ、セドリック。お前がルシアンでないのを、こんな風に思い知らされるのは嫌だ。ごめん。ごめんよ。許しておくれ。頼むから、許してくれ・・・」
「・・・えっと。あの・・・、ごめんなさい」
 ヴォルフがハタハタと涙をこぼす父を、困ったように覗き込んだ。
「私は、ただ・・・。お父様を・・・いえ、ローランド卿を『お父様』と呼ぶと、父上がお怒りになるのが、何だか嬉しくて・・・」
「~~~セドリック・・・」
「その。ちょこっと、意地悪の、つもりで・・・」
 ヴォルフは泣き止んでもらおうと告白したつもりであろう。
 が、ガーネットの涙は、ますます止まらなくなってしまった。
「ち、父上・・・」
「参ったね。お前がそんな意地悪する悪い子だなんて、ちっとも知らなかった・・・」
「ちちう・・・痛い!」
 正面に跪いていたお尻をやおらピシャリとやられて、ヴォルフは驚いて飛び退いた。
「~~~セドリック、良い子だ」
「良い子なのに、どうして叩くのですかぁ!」
「さあ、ただ、どうしてか、嬉しくて。お願いだ。抱きしめさせてくれ、セドリック」
「・・・もう、叩かないでくださいね?」
 恐る恐る父の足元に跪いたヴォルフは、父の腕の中で、そっと目をつむった。
「・・・父上。大好きです」





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