【オルガ完結章】遠まわりな愛

第九話 当たり前の小さな光

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「はあ、叩かれ損・・・ねぇ」
 応接間にてゲストとヴォルフ、そして当家の主とクラウン夫妻にお茶を出し終えたモートンとスフォールドは、隣室の使用人控えで待機していた。
「言い分もろくに聞かずに百叩きなど、あんまりだと不平たらたら。呆れてものが言えません」
 珍しくプリプリとしているモートンに、スフォールドは宙を仰いで肩をすくめた。
 その言い分というのがこうだった。
 万が一、短気を起こしてしまった時の手は打ってある・・・と。。
「この際、公明正大だの清廉潔白だのかなぐり捨ててやろうと思った! 利用できるものは何でも利用してでも、私はヴォルフを守る!」
 それは、ワイラー卿の出陣。
 ヴォルフの両親から招待に応じる旨、返信がきてすぐ、宮廷でワイラーに頼んだというのだ。
 彼らがヴォルフをフォスター伯爵家から連れて行こうとするなら、それを止めてくれと。
「うん。その意気や良し。人選も確か。一代でのし上がった父親より、代々続く名門ワイラー公爵家の方が、ヴォルフご隠居への発言権は強かろうね」
 スフォールドが頬を掻いた。
「ただ、それを公言してしまう辺り、つくづく暗躍に向かない方だねぇ、御祖父様にそっくりだ」
 さて。それを頼まれた時のワイラーは、どんな顔をしたのだろうと考えると、つい笑いが漏れる。
 頼られて、さぞや嬉しかっただろう。
 だが、しかし。
「なるほど。言い分は私も納得しましょう。嫌いだとおっしゃるワイラー卿に頭を下げてでも、セドリック様を守りたいというお気持ち、嬉しくも思います。けれど・・・!」
「はい、モートン。声。抑えようか」
 おそらくここから語調が高まりそうだと察知して、スフォールドがヒラヒラと手を振った。
「~~~何故、ご自分が短気を起こされることが大前提なのですかぁ・・・」
「うん。まあ。そうだね。ええと。ご自分のことを、よくわかっていらっしゃると、肯定的に捉えてみるとか。ああ。うん。できないよな。うん。すまん」
 じっとりと睨み上げられて、スフォールドは視線から逃げるようにおかわり用のお湯が沸くダルマストーブに薪をくべた。



 各々の両親を交えた和やかな談笑に合わせて、笑顔を保つ。
 その実、ヴォルフの両親が彼を「ルシアン」と呼ぶ度に、作り笑顔が弾け飛びそうだ。
 それをかろうじて堪えているのは、ずっとヒリヒリしているお尻のせいだ。
「そもそも、ご自分の短気をどうにかしようとなさいませ。利用できるものを利用するのはよろしゅうございましょう。しかしながら、まずはご自分の最善を尽くされてからになさい。そういうのは、手を打ったとは申しません。予防線を張ったというのですよ。大体、ワイラー卿が控えているという安心感が、短気の引き金を甘くするというものでは・・・」
「だから! 万が一だと言っているだろう!」
 ピタリと口を噤んだモートンにじっとりと睨めつけられて、フォスターはハッと口を押さえたが、これを後の祭りと言う。
「~~~試したな・・・」
「はい、試しましたとも」
 いつになく矢継ぎ早にお説教を唱えると思った。
 わざとフォスターの苛立ちを煽るように仕向けていたのだ。
 再びソファに腰を下ろしたモートンが、ポンと膝を叩いた。
「はい、お戻りください。まだ足りぬご様子にございますので」
「いや、ほら、そろそろ、時間が・・・」
「ご安心を。百叩きくらい、三分もいりませぬ」
「さっきも百叩いたではないかぁ! そんなおかわりはいらない!」
 二度目はさすがにきつかった・・・。
 だが、「では後ほど」と言われては、渋々ながら膝に腹を預けるしかなくなるではないか。
 お陰で、応接間の上等なソファですら、座っているのが痛い・・・。
「おかわりはいかがですか?」
 フォスターがギクリと体を竦めた様子に、ご隠居夫妻にそう声を掛けたクラウンが目をぱちくりさせた。
「いえ、私共はもう。ローランド卿、御子息のご婚儀も決まり、順風満帆でございますな。当家の息子と同じ年というのに、羨ましい限りに存じます。息子にもそろそろ見合いの娘を探さねば」
「父上、私にはもうオルガという婚約者がおりますので、見合いなど無用です」
 作り笑顔のフォスターに、本物の苦笑が漏れる。
 いつも幼子のおままごとのように、繰り返し結婚の約束を交わしているのは知っていたが、本気であったか。
「まあ、ルシアン。オルガって、以前に領地に伴ってきた、あの平民の娘?」
 母親が目を丸くする。
「平民を娶るには、然るべき貴族の養女とさせて国王陛下の許可を得ねばなりませんが、オルガの養女先はフォスター伯爵家もローランド公爵家もワイラー公爵家もございます。それに、陛下の覚えもめでたき少女にございますれば」
「けれど、言葉も覺束ぬ様子でしたよ?」
「それが何か?」
 両親が顔を見合わせて口を噤んだ。
「そう、そうね。ルシアン、あなたがそうしたいのなら。ね、あなた」
「うむ。お前の望む通りになさい」
 これか。
 眼前で初めて見た歪んだ親子のやり取り。
 この父親と母親は、息子の言いなり。
 ただただ息子の言うことを叶えてやろうというだけだ。
 これが、ヴォルフを稚拙な化物に育てた。
 思う。
 ヴォルフは本来、明け透けなまでに素直な部分を持ち合わせた男だ。
 幼い頃に引き離されて、置き去りにされたと思っても仕方のない『いなくなった男』との再会を心から喜び、「礼が言いたいと思っていた」などと言える。
 自分ではなく、他家の同じ年の子息を育てた彼に「お前が育てたフォスターは、私の友人になってくれたぞ。ありがとう」などと、目を輝かせて言ってしまえる青年。
 悋気に揺れ動き、甘えてモートンを困らせていた自分などより、よほど純粋だ。
 恥じ入る気持ちに、フォスターは唇を噛み締めた。
 そして、ふと思う。
 この子は。
 この子は、それほど寂しかったのだ。
 この子は、それほど悲しかったのだ。
 この子は。
 この子はそれほどまでに、真っ暗な中で一人ぼっちで過ごしていたのだ。
 だから。
 ほんの少しでも光ったものが、彼には眩しくて。
 それを喜んで。
 素直な言葉でそれを表わす。
 平凡という幸福な日常を歩んできた者には、どうということもない、当たり前という名の僅かな光を。
「・・・ヴォルフ、卿」
「うん、何だい、フォスター卿」
 抱きしめてやりたい。
 どうしようもなく。
「・・・そろそろ、アペロになさいますか?」
「ああ、それは良いね。父上、母上、フォスター伯爵家はワインもプティ・フール・サレも絶品にございますよ」
 褒めてくれ、モートン。
 どうにか、短気を抑えられたことを。
 ヴォルフを抱きしめて、言い放ちたかったのだ。
 何故、こんなにも寂しがっているこの子を見てやらないのだと。



「痛い!」
 背後からいきなりお尻をピシャリとやられたファビオは、張り付いていたドアから飛び退いて、ワインを手に顔をしかめているモートンに上目遣いを向けた。
「ウォッチは仕事だが、盗み聞きは仕事とは言わんぞ」
「~~~だって・・・セドリック様のことが気になって・・・」
「なるほど。お前のその優しい気持ちは、今夜のお仕置きから割り引いてやろうね」
 つまり、今夜はお仕置きが確定ということではないか。
 モートンの背後でプティ・フール・サレのオーバルを手にしているスフォールドに救いの視線を送ったが、彼は素知らぬ顔で天井を見上げていた。
「・・・気になるなら、一緒においで。同じ聞くなら、仕事としてしなさい」
「は、はい!」
 やはり、この師匠は厳しくとも優しい。
 スフォールドにワインを押し付けたモートンは、弟子のお仕着せを丁寧に整え直してやると、ドアをノックした。
 主人たちの談笑を邪魔せぬように、サラサラと、アペリティフの支度を整えていく。
 そんな中、ファビオはふとヴォルフの視線を感じた。
 その視線が自分から外れると、次はスフォールドに。そしてモートンに。
 次いでクラウンに。そして、フォスターへと。
 肘掛に置かれていた手が、キュッと膝の上で結ばれたその時、ヴォルフの視線がついに両親へ向けられた。
「父上、母上、ここの者たちは、とにかく無礼です」
 突然、何を言い出すのかと、フォスターだけでなく、居合わせた全員が目を瞬く。
「平然とこの私を叱りつけるし、てんで子供扱いで。父上と母上と全然違う」
 眉をひそめていた両親は、息子が浮かべた柔らかな笑顔に、開きかけていた口を結んだ。
「なのに、ここはとても居心地がいい。彼らは、私が一番欲しかったものをくれるから」
「まあ、ルシアン。そんなに欲しいものがあったなら、どうして言ってくれなかったの?」
「そうだよ、何でも言いなさい。何だって買ってあげる。何が欲しいんだい? そうか、屋敷だね。そうだね、侯爵のお前がいつまでも他家に間借りだなどと・・・」
 ヴォルフはそっと首を横に振ると、フォスターにそっと手を伸ばした。
 彼が何を言わんとしているか察したフォスターは、その手をそっと握ってやる。
 ヴォルフが小さく頷いた。
「そうですね。父上と母上は、何でも私の願いを叶えてくださる。なら最初からこう言えば良かった」
 笑顔。
 けれど、握っている手が震えている。
「私を、セドリックと呼んでは頂けないでしょうか・・・?」
 フォスターも、モートンも。
 その場の全員が、固唾を呑む。
「まあ・・・ルシアンたら、おかしな子ね。それは弟の名前でしょう?」
 静まり返った応接間に、鈴を転がしたような笑い声。
「ねぇ、お前。ローランド夫人に、庭園を見せてもらってきてはどうだい?」
 ヴォルフのご隠居のすがるような視線を受けて、クラウンが妻のベアトリスに目配せした。
「ご隠居夫人、参りましょう?」
「まあ、楽しみ」
 スフォールドが彼女らの前にそっと回り込み、ドアを開けて頭を垂れる。
 二人のドレスの衣擦れの音が遠去かっていくのをしっかりと確認した父親が、ソファを立ち上がって息子の肩を掴んだ。
「セドリック!」
 それは、怒号に近かった。
「我慢しろ! 我慢しなさい! 母上を悲しませるようなことを言うでない! 何でも叶えてやる! 何でも言うことを聞いてあげるから! だから・・・!」
 父に掴まれた肩を揺さぶられて、ヴォルフは黙って俯いていた。
 こんな。
 こんな結末があって良いのか?
 ヴォルフは、震えて、必死に、言葉を紡いた。
 それが、こんな。
 父親の手からすり抜けて、ヴォルフはフォスターの首にしがみついてきた。
 どう、声を掛けて良いのか、わからない。
 モートンを見ると、彼もまた唇を噛み締めてワイングラスをトレーに並べている。
 有り得ない音。
 グラス同士がカチャカチャと鳴るのが聞こえる。
「~~~フォスター、聞いたか?」
 ヴォルフが顔を上げた。
 そこには、満面の、笑み。
「聞いたか? 父上が、私をセドリックと呼んでくれたぞ!」
 あ。
 声が詰まった。
 まただ。
 また。
 とても小さな、僅かな光を。
 心から、喜んで。
「~~~そう、だね。良かったな。良かったね、ヴォルフ・・・」
 ふと見れば、彼の父はそんな息子の姿を呆然と眺めている。
「母上も、ルシアンにセドリックという弟がいることを、ちゃんと覚えていてくれたぞ!」
「うん。・・・うん。・・・・・・モートン、ここへ。ヴォルフを抱きしめてやっておくれ。そして、うんと褒めてやって欲しい」
 スフォールドに背中を押されたモートンが彼らに歩み寄ると、フォスターはヴォルフを信頼する執事に任せ、襟を正し、ヴォルフの父親の前に立った。
「ご隠居様。これが、彼の欲しかったものです」
 力なくソファに腰を落とした父親は、片手で顔を撫で下ろした。
「・・・我らは、貴族、だぞ? 名など、記号に過ぎぬ」
「はい。おっしゃる通りにございます。跡継ぎであれば、名など無意味。初等科に通い始めてすぐ、継ぐべき領地名で呼ばれるのですから」
「そうだ! 生まれた時についた名などに、誰も思い入れはなかろう!」
「はい、ございません。・・・けれど、それは・・・個を知ってくれている人がいるからではございませんか?」
 フォスターはクラウンを見た。
 微笑んだクラウンが、いつも通りの笑みを浮かべて手を振ってくれる。
 スフォールドに目をやると、黙って一礼。
 ファビオは照れくさそうに頷き、そして、モートンは・・・ヴォルフの髪を撫でながら、微笑んでくれた。
「ご隠居様。私は、フォスター領伯爵ペリドット家のアーサー、その四人目。ここに、個を示すものはありません。個を見てくれているのは、父と母、そして、彼ら」
 ヴォルフが何を喜んだのか、ようやくわかった。
「御子息は、ルシアンと呼ばれていても、寂しさは感じていなかったはずだったのですよ」
 そうだ。
 彼が本当に執着していたのは。
 望んでいたのは。
「あなた方が、どんな名前で呼ぼうとも、そこにいるのが誰なのか、知っていて欲しかったのです」
 顔を埋めた父親の両手が、小刻みに震えていた。
「~~~ルシアンの身代わりにされるセドリックが、可哀想だった。だから、せめて、何でも言うことを叶えてやろうと・・・」
 モートンが抱き寄せていた腕を解いた。
「・・・お行きなさい。お父様は、あなたがルシアンでないと、ご存知でしたよ」
「うん。・・・うん。・・・うん! 父上!」
 駆け寄ってきた息子を抱きしめて、父親の頬に涙が伝った。
「セドリック」
「はい、父上」
「セドリック」
「はい」
「あのね。父上と一緒に、母上を、支えてあげてくれないか?」
「父上と一緒に?」
「・・・うん。けれど、遠いよ? お前が母上にセドリックと呼んでもらえる日は、きっと、とても、とても、遠い」
 父親は涙を拭ってくる息子の手の平に目をつむった。
「こんなこと、どこで覚えたのだい?」
「ここです。お嫌ですか?」
「・・・いいや」
 くしゃくしゃと髪を掻き回されて、ヴォルフが気持ち良さそうに吐息をついた。
「父上。私は、遠くても平気です。だって、私にはフォスターや彼らがいて・・・」
 浮かんだ、満面の笑み。
「今度は、父上もご一緒ですもの。もう、独りじゃない」
「・・・そうか。そうかい。そうだね。もっと早く、お前に頼れば良かった・・・。聞いておくれ、セドリック」
 ポツリ、ポツリと。
 父親の口から溢れ始めた弱音。
 黙ってそれに聞き入るヴォルフの顔を、フォスターは静かに見つめていた。
「・・・ご褒美ですよ」
 差し出された砂糖菓子を口に放り込んで、フォスターはモートンを見上げた。
「これはこれで受け取っておく。・・・お尻、ひりひりして痛いぞ」
「ああ、お尻を冷やして差し上げる方がご褒美になりますか。それは気が利きませぬことで」
「~~~モートン」
「はい。何ですか、旦那様?」



おわり


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