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【オルガ完結章】遠まわりな愛

第八話 侯爵様の父と母

 ←登場人物紹介 第四弾【スフォールド】 →第九話 当たり前の小さな光



「そうですね。父上と母上は、何でも私の願いを叶えてくださる。なら最初からこう言えば良かった」
 ティーテーブルにカップを戻して、ヴォルフが父と母を見つめた。
「私を、セドリックと呼んでは頂けないでしょうか・・・?」
 フォスターも、クラウンも、その場に控えていたモートンもスフォールドも。
 彼がここまでハッキリと、この純粋な望みを口にするとは思っていなかった。



 ただでさえ当主の婚儀の準備に忙しかったフォスター伯爵家は、急遽決定した高位ゲストの滞在の支度に多忙を極めていた。
 侯爵の地位は既に当家に住まうヴォルフ侯爵に引き継がれて隠居の身分の御夫妻とは言え、礼を失することは許されない。
「髪の毛一本、糸クズ一つ見逃さぬように! シーツにはシワ一つ着けぬこと! 何事にも対応は迅速に! 常に情報共有!」
 さあ、いざゲストを迎える当日の朝。
 教官よろしく訓示を垂れるスフォールドに、居並ぶ使用人たちは皆一様に姿勢を正した。
「おや。ということは、彼らはいつも通りで良いということですね」
 同じく使用人の前に立ち、スフォールドの声に耳を傾けていたモートンが言った。
「要約ありがとう、モートン」
「だ、そうだよ、諸君」
 緊張に包まれていた使用人たちの間に、笑い声。
 モートンがいつもの柔和な笑顔で一同を見渡した。
「では、諸君。本日もよろしく頼む。さあ、各自の持ち場へ!」
「はい!」
 使用人フロアを出て行く彼らを見送り、モートンがスフォールドに深い一礼を向けた。
「お陰さまで、部下たちの必要以上の緊張はほぐれました。ありがとうございます」
「出しゃばってすまないね」
「とんでもない」
「・・・あの緊張、何だか嬉しいね。皆、あのやんちゃ小僧が両親にここから連れて行かれてしまわぬようにという、気概が見て取れる」
 モートンが静かに頷いた。
「幾度も癇癪に付き合わされ、わがままも言い放たれて、嫌な思いをしたでしょうに。皆、あの子の幼い子供の部分を受け止めてくれている。・・・まこと、感謝に堪えませぬ」
 ポンと頭に置かれた手の平の感触に、モートンはスフォールドを見た。
「ありがとう、モートン。良い部下を育てた」
「~~~」
 声を詰まらせたモートンに、スフォールドは恭しい一礼を返す。
「では、私めもゲストお迎えの為の仕事に参ります。家令殿はどうぞ、主のお世話と婚儀の準備に集中なさってくださいませ」
「~~~もう! ・・・スフォールド、セドリック様のお世話は・・・」
「心配ない。未来の執事殿がついているよ。では、失礼をば、ミスター・モートン」
 顔をしかめて見せたモートンにヒラヒラと手を振って、スフォールドは戸口をくぐった。



 着替えなど自分ではしないのが上流階級のステイタスである。
 フォスターですら、すべてモートンに任せる。
 やろうと思えば自分で着替えくらいできるし、それが執事の仕事を増やしている項目の一つであろうが、黙ってただ立っている。
 執事や近侍は、仕事に誇りを持って望んでくれているのだから、邪魔してはならない。
 ヴォルフや、他の大半の貴族はそこまで深く考えて着替えをさせてもらってはいないけれど。
「・・・ファビオ。お前、背が伸びていないか?」
 学校に通い始めたファビオに代わり、起床の世話はスフォールドの担当となっていた。
 並ぶような近い位置でファビオを見る機会は久しぶりで、ヴォルフは感じていた違和感の答えに辿り付いて口を開いた。
「え? ああ。モートンにも言われました。自分じゃよくわからないですけど」
「だって、以前はオットマンに乗らないと、私のタイを締められなかったじゃないか」
 締め終えたタイを整えてやっていたファビオは、そう言うヴォルフを見上げてしげしげと眺めた。
「本当ですね。そういえば、セドリック様のお顔が近いや」
「・・・ここで止めろ。お前に見下ろされるのはごめんだぞ」
「無茶言わないでくださいよ」
 悔しそうなヴォルフに苦笑を漏らして、新聞を差し出した。
「はい。髪のセットは以前通りに届きませんから。ソファに座って頂けますか?」
「うむ」
 ソファに掛けて新聞を開いたヴォルフの髪に、櫛を通す。
「・・・櫛使い、上手くなったな」
「恐れ入ります。モートンやスフォールドが、練習台になってくれるのですよ」
「ふーん。スコールド、さぞやうるさかろうね」
「いえ、モートンの方が」
「へえ、意外だな」
「僕がモートンの弟子なので。はい。できましたよ」
「うん。ありがとう」
 新聞をめくって言ったヴォルフに、ファビオが目を瞬く。
 今、「ありがとう」と言った。
 この屋敷で暮らす内に、フォスターが使用人にもこうして礼を言うのを聞いて覚えたのだろう。
 ちなみにフォスターは子供の頃、部下にもきちんと礼を言うモートンを見て覚えた。
 自分の背丈が伸びたように、この侯爵様も、少しずつ成長しているのだなと、ファビオは噛み締めるような思いでお茶を淹れる。
「そうそう。ヴォルフのご隠居様御夫妻は、汽車に遅れが出なければ午後のお茶の時間には到着なさるそうですよ」
「そう」
 新聞に目を落としてはいるが、嬉しそうだ。
「・・・セドリック様は、お父上とお母上がお好きですか?」
 先の領地視察で、ファビオはクラウンに頼まれてヴォルフ領へメッセンジャーボーイとして赴いた。
 そこで見た、ヴォルフと両親の語らい。
 とても和やかで、穏やかで、幸せそうで。
 母子家庭のファビオには眩しいくらいの親子だった。
 ただ一点。
 ヴォルフが「ルシアン」とさえ呼ばれていなければ・・・。
「おかしなことを聞くね? 当たり前だろう。私は父上も母上も大好きだよ。何でも私の言うことを聞いてくださるもの」
 何でも、思い通り。
 それが幸福の道ではないことは、まだ十三のファビオでも理解できた。
「ここの連中みたいに、お小言も言われなきゃ叱られもしないし、まして、お仕置きなんてされない。何でも思うままを叶えてくださる。大好きに決まっているだろう?」
「セドリック様・・・」
 新聞を折ってファビオに手渡したヴォルフは、ソファにもたれ掛かって天井を仰いだ。
「・・・なのに、どうして不安になるのだろうな。フォスターにも、スコールドにも、モートンにも、不安なんて感じないのに」
 ティーテーブルからカップを取り上げて、ヴォルフは一口お茶を口に含んだ。
「お前にもだよ、ファビオ」
 そう言ったヴォルフが少し照れくさそうで、ファビオは黙って一礼した。
 思わず紅潮した顔を、見られるのが恥ずかしかったのだ。



 モートンは目を落とした懐中時計を懐に戻すと、自室のソファで頬杖をついて、どこか硬い面持ちの主人を見た。
「汽車の遅れの報告はございません。間もなく、ヴォルフご隠居様方が駅へと到着されましょう」
「・・・うむ」
 ここにも、過剰な緊張を隠せない者が一人。
 あの親子は、いつかどこかできちんと向き合った方が良いと考えた。
 収穫祭など、領地へ帰る機会なら、今後も幾らなりとあろう。
 けれど、それでは『セドリック』を守れる者が少なすぎる
 婚儀への招待と言うのは、またとないチャンスだと思った。
 だが・・・時期尚早ではなかろうかという思いも巡る。
 そもそも、このような大事なことを取り仕切ってしまって良かったのだろうか。
「・・・ただの友人である私が?」
 そう独りごちた主が一体何を考えあぐねているのか、洞観できぬモートンではない。
 静かにフォスターの前に膝を手折った彼は、そっと頬に手を伸ばした。
「セドリック様は、旦那様をただの友人などと思ってはおられませんよ」
「~~~けれど、モートン。もし、あの子を傷つける結果に終わったら、私は・・・」
「旦那様。思い違いをなさいますな。『私たちは』、にございます」
 フォスターもまた、長年共にいた信頼する執事の言葉の意味を測れぬ男ではない。
 一人で背負い込むなと、言ってくれている。
「よろしゅうございますか? これは、一朝一夕で片がつく事柄ではございません。セドリック様は傷つかれるかもしれない。けれど」
 両頬に添えられたモートンの手の平に力がこもり、フォスターは否応なく彼の目を直視させられた。
「その為に、私たちがいるのではありませんか」
「・・・ヴォルフの傷を、癒してやれと?」
「いいえ」
 モートンはハッキリと首を横に振った。
「私は、あなた様をそのようにお育てした覚えはございません」
 巡る、記憶。
 この優しい執事は、転んで泣いても、抱き上げてはくれなかった。
 屈んではくれたが、幼いフォスターが立ち上がるのを、根気強く待っていた。
 立ち上がって、自分で涙を拭いて初めて、抱きしめてくれた。
 心に傷を負った時も、それは同じで。
 彼は自分の足で立ち上がるのを、ただ傍らで黙って待ってくれていた。
「・・・そうだね、モートン。傷を舐め合うのは、簡単だ」
「・・・はい」
「傷ついて、そこに立ち止まって、うずくまって」
「はい」
「そして、自分の足で立ち上がって」
「はい」
「そうして歩き始めた先に・・・」
「はい。私たちが待っていましょう」
「・・・うん。お前がそうしてくれていたように・・・」
 頬を包む両手を、包み返す。
「・・・それと、旦那様?」
「うん、何かね?」
「くれぐれも申し上げておきますが、例え、セドリック様が傷つかれるようなお言葉をご両親が口にされたとしても、短気を起こされてはなりませんよ」
「・・・」
「いくら爵位を譲られたご隠居様とはいえ、上位にあられた先代侯爵様にございます。あなた様が平静を失われて、セドリック様をここには置けぬとそっぽを向かれては、それこそ元の木阿弥み」
「わかっている」
「・・・・・・本当に?」
 じっと見つめられて、フォスターはおずおずと立ち上がると、ソファの上に両膝をついて背もたれに手を置いた。
「・・・先に、仕置きを受けておく」
 向けられたお尻に、モートンが深い吐息をついた。
「まずは、褒めて差し上げましょうね。短気を起こさない自信がない程、セドリック様を大切に思われておられる、良い子です」
 手の平に息を吹きかける気配。
「短気を起こしかけた時、思い出せるように致しましょうね」
「え、いや、待て。そこまでしなくとも良い。よ、良いと言うのにーーー!!」
 そのフォスターの悲鳴が、ゲストが王都の駅を出たという知らせを伝えに来たスフォールドの耳に届き、彼はため息を漏らして当主の自室のドアにもたれた。
「やれやれ」
 必ず屋根裏のお仕置き部屋へ連れて行けと、モートンに教え込んだのはスフォールドだ。
 まだ若輩者だった彼に、冷静さを取り戻させる為に。
「痛い! 痛いって! モートン、痛い!」
 だがもう、その必要なしと、モートンは自分で判断できるまで成長したと、しみじみ思う。
「少々悔しいかな」
 四つまで『アーサー坊ちゃま』を育てた思いがそれを言わせる。
 しかし。
 四つの年まで育て、自分が拾った男にそこからを任せ、その彼が育てた『アーサー坊ちゃま』が、大きな四歳児をフォスター家に誘(いざな)い、今度はそのお守りを任されて。
「・・・巡るねぇ」
 愛おしい、アーサー坊ちゃま。
 愛おしい、セドリック坊ちゃま。
「ふふ。歳など感じていられないなぁ」



 ヴォルフ家ご隠居夫妻到着に、玄関ポーチへ居並ぶ使用人たち。
 主からの挨拶。
 それに答えるゲスト。
 慣例に則ったお出迎えの元、モートンはヴォルフの父と母が、自分がかつてヴォルフ侯爵家に勤め、解雇された男であると覚えていないことに気付いた。
 二十年以上前のことであるのだから、それも当然か。
「ルシアン!」
 両手を広げた母の元に、ヴォルフが歩み寄って包容を受けていた。
「母上、ご無沙汰しております。お元気そうで、何より」
「あなたもね、ルシアン」
 ヴォルフが微笑んでいる。
 出迎えに出ていた者、その全員が、そんな彼を見つめる。
 あのわがままでやんちゃな大きな子供が、こんな穏やかな笑みを浮かべる姿を初めて見たのだ。
 それがどれほど悲しい姿であるのかを、やんちゃ坊主の世話をしてきた誰もが感じていた。
 僕を見て。
 僕を見て。
 僕を見て。
 ここにいる、僕を。
 仕掛けられる意地悪や悪戯。
 その度に感じた。
 ―――僕は、セドリックだ。





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