マイスター

豆スープ

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 腹時計が、嫌でも俺に時間の経過を教えてくれる。
 早い話が…腹減った~~~。
 俺は開かずのエレベーターのドアにもたれて座り、マイスターが木製のパドル削ったりヤスリをかけたりしているのを、ぼんやり眺めていた。
 う。腹の虫が……。
 盛大に自己主張した腹の虫の声に、マイスターがふと振り返った。
「ああ…、そうか。いたんだったな」
 おい。
「忘れるな! あんたが暗証番号教えないから、出られないっての!」
「腹が減ってるなら、そっちのミニキッチンにあるものを好きに食え」
 そう言うと、マイスターはまたパドルに向かい、しなり具合なんかを見ている。
 つまり…俺を帰す気はない訳ね。
 ええい、クソッ。
 腹が減っては戦はできん。
 逃げ出す為にも、食ってやる。食料全部食い尽くしてやる。
 ところが、キッチンに行ってみて唖然。
 なんじゃ、こりゃ。缶詰しかないじゃないか! 
 一応冷蔵庫はあるけど、中身はミネラルウォーターばかり…。
「おい! まさか缶詰の豆スープで腹を満たせってんじゃないだろな!」
「腹に入れば一緒だ」
 こいつの食生活がしのばれるセリフ。
 あの仕事への没頭具合といい、寝食忘れて鞭作ってる姿がありありと目に浮かぶぜ…。
 育ち盛りの俺に、非常食みたいな食事が耐えられるか。
 戸棚の奥まで体を突っ込んで漁ってみると、米発見。
 缶詰にホールトマトあったよな。 
 調味料も一応ある。が、湿気ってるし。
 腹壊しそうだ…。



「そら。あんたの分」
 俺が差し出したトレイを見て、マイスターは目を丸くした。
「作ったのか」
「あり合わせもいいトコだけどな」
 リゾットと豆スープ、それとオイルサーディン炒め直しただけだけど、缶詰そのままよりマシだろ。
 マイスターはしばらくパドルとメシを見比べていたが、やがて立ち上がって、折りたたみのテーブルを出してきた。
 差し向かいに座り食事を始めた訳だが、なんか妙な気分だぜ。
 俺、さっきこいつに尻ぶたれたんだっけ。
「うん、上手い」
「缶詰だぜ」
「人の手が加わると、いいもんだな」
「食材あれば、もっとちゃんとしたの作ってやるぜ」
 なんてね。エレベーターさえ開けさせれば、こっちのもん。
「じゃあ、後で買ってくるといい」
 マイスターがポンと財布をよこしたので、目が点になる。
「それにメンバーカードが入ってるからエレベーターも使えるぞ」
 はあ…。こいつ、何考えてんだ? ンなことして、俺が戻ってくると思ってるのか。
「……ところで、何やって警察に追われてた」
「え? ああ、大したことじゃねぇよ。車盗んで仲間と乗り回してたら、勢い余って中央分離帯に突っ込んじまって」
 豆スープを口に運ぶマイスターの手が止まり、やれやれという調子で首を振った。
「ロクでもないこと、サラリと言うな。大体、お前はどう見たってまだ十五・六だろ。無免許じゃないか。本当に反省の色なしだな」
 ありゃ。な~んか怪しい雲行きかなぁ?
「メシが済んだら、奥へ行け。パドルの具合も見なきゃならんしな」
「やなこった。別の試打役とかいうのを連れてくりゃいいだろ。俺は痛みくらいで反省なんてしませんよ~だ」
「わかってる。お前を反省に導けるよう、努力したつもりだ。あのパドルの試打役は、もうお前でなくては意味がない」
 ドキリとした。
 マイスターがパドルに向かう真剣な眼差しを思い出す。
 手を止めては悩み、何度も何度もパドルの角度を変えて眺め、また道具を手にする。
 渾身。そんな言葉がピッタリの横顔だった。
 あの顔は、俺の為のもの……。
――――ハッ。いかん。ほだされてどうする、俺! これがマイスターの仕事なんだし、そもそも俺の尻を叩く物を作ってるこいつに、なんで感動せにゃならん!
 



「いッ…、うあッ! 痛いッ! も…やめ…、ひいッ…!」
 削ったせいか、前より重い衝撃じゃない。けど、逆にしなりが増して、尻の皮に密着するように、鋭い痛みが走る。
 抗ってもどうせ膝の上に押さえ込まれるんだから、俺は渋々ながら、ベッドの上に四つん這いになってパドルを受けていた。
 どちらにしても、恥ずかしいわ! お尻だけ剥かれてるのって、子供みてぇなんだもんなぁ……て、いてぇよ!
「いてぇな、畜生! いくつ叩くつもりだ!」
「まだ三十しか打ってない。罪状を考えれば、後七十だな」
 なッ……。
「無理無理! 絶対無理~~~~!! わかった! もう反省した! はい、ごめんなさい! これでいいだろッ」
 マイスターのパドルが止まり、大きなため息。
「……これも、駄目か」
 あ~あ。落ち込んだ顔しちゃって。
 これ以上叩かれないと踏んだ俺は、体を起こしてヒリヒリするお尻を擦り、考え込んでいるマイスターを眺めた。
 いきなり、マイスターはベッドにかけた自分の片膝に、パドルを押し付けてへし折った。
 おおッ、やっとあきらめたか?!
「一から作り直す」
 ……おい。それって完成するまで、俺の尻を付き合わせようってことか?



 
 ただの木の板が、マイスターの魔法のような手さばきで、すでに見慣れたパドルの形になっていく。
 マイスターはパドルを見据えて一度も俺を振り返らないのに、その目には俺が映っているように思えた。
 ふと、今まで自分がやってきたことが、脳裏をかすめる。
 車を盗むのは、お遊びだった。いい車を見ると転がしてみたくなって、それでゼロヨンなんかもやった。
 車上荒らしもいい小遣い稼ぎ。
 絡まれれば喧嘩もしたし、退屈だったらこっちから喧嘩の大安売り。
 学校の先公ももはや呆れ果てて見て見ぬフリ。 
 共働きの両親は、とにかく警察に捕まってくれるなと言うばかりで、俺を見てはいなかった。
 なのに……、赤の他人の鞭職人が、今、俺だけを見てる。俺のことだけを考えて……。
――――だから! 違うだろ、俺。駄目だ。こいつ見てると、妙な気分になってくる。
「マイスター、俺、食材買出しに行って来ていいかな…」
「ん。気をつけてな」
 よっしゃあぁぁぁぁ!! 預かった財布からメンバーカードを抜いて、エレベーター操作パネルの差込口に通す。
 ゆ、夢にまで見た、開かずのエレベーターのご開通!!
 あばよ、一本気な鞭職人さん。試打役とやらは、別の誰かを見つけてくれよ~~~~。



「メシ」
 まったく。
 俺がせっせと食事の支度してるのにも気付かねぇんだからな、この職人気質。
「ああ…、いい匂いだな。味噌汁か」
 すでにテーブルにセッティングされたメシを振り返ったマイスターは、やっと腰を上げた。
「豚汁と言え。秋刀魚の甘酢あんは自信作だ」
「ほお。秋刀魚ってのは、焼き魚だけかと思ってたな」
 ふふん。伊達に何年も鍵っ子やってねぇぜ! ……て、違う。何やってるか俺~~~!!
 逃げられたのに。逃げる気だったのに。なんで舞い戻ってまかないしてるんだ…。
 だって、こいつ……、俺が作ってやんなきゃ、ひたすら缶詰生活だろ。太陽にろくに当たってないみたいで、いい男のくせに青白いしさ。せめてメシで健康管理してやらないと……。
 はあぁぁぁぁ。俺ってもしかして、すっげーお人好し?



 マイスターは、パドルの向こうに俺を見ている。俺は、そんなマイスターを眺めて過ごす。
 マイスターがあのパドルを完成させた時、俺はまたお尻を叩かれるんだよな。
 叩かれたら、痛い。痛いから、嫌だ。なのに、なんで逃げないんだろう、俺。
 マイスターが懸命なのは、単に職人のプライドで、別に俺の為じゃないんだ。そんなのわかってる。わかってるけど……。
 マイスターが立ち上がった。
 パドルを握り、しなりを見ている。
 俺ももたれていたエレベーターの扉から立ち上がった。そして、奥の防音室へ歩を進める。
 すでに見慣れたベッド。ズボンと下着を膝まで下ろして、四つん這いになる。
 マイスターが来た。手に出来上がったばかりのパドル。
 そうさ。さっさと終わらせよう。反省とやらをして見せて、マイスターのプライドを取り戻させて、そうすれば、晴れて自由の身だ。いや、「腫れて」自由の身…かな?
 パシイィィィン!!
「痛……ッ!」
 ピシャアァァァァン!!
「うぁッ……!」
 パアァァァァァンッッ!!
「ひぃ……ッ!!」
 お尻が、痛くて、熱い。
 平行して、なんか、目が熱くなる。
パアアァァンッ! ピシャアァァァンッ! パシイィィィィンッッ!!
「ヒッ、つぅッッ…あっ、痛…い~~…」
 なんで。なんで、涙。
 痛いよ。痛いけど、喧嘩でボコボコにされた時の方が痛かったぜ。ナイフで切りつけられた時は、マジ死ぬんじゃないかってくらい血が出たし。こんな痛みじゃなかった。
「痛い…痛い…痛いよぉ。も、しない…、ごめ、ごめん、な、さい…、ごめんなさい…」
 そんな、馬鹿な。こんな、子供みたいなセリフ。涙ながらに、この俺が口走るなんて。
「もう、しないな」
 マイスターが言った。優しい声。俺は振り返ることができず、ベッドに顔を埋めた。
「しない~~~! もうしない~~~! ごめんなさいッ、ごめんなさい…!!」
 まるきり、子供だ。子供みたいに、大声で泣いた。
 マイスターのパドルが言っていたんだ。「反省しなさい」って。お前はいくらでもやり直せるんだって……言って、いたんだ。


 以来、マイスターの鞭で打たれた子は、決して同じ過ちを繰り返さなくなった。マイスター曰く、「約一名」を除いては…らしいけど。
選役の俺は、試打役を選びに街へ出る為にエレベーターを降りて、ふと、二つのエレベーターを振り返った。
こうして二つ並んだエレベーターを見ると、時々思うんだ。
あの時、もしもマイスターのエレベーターに乗っていなかったら?
俺は「選」なんて呼ばれることはなかったわけだ。もちろん、いまだに卒業させてもらえない試打役でお尻が痛くなることもなく、マイスターにご飯を作る日々も来ず、ベッドでマイスターの腕に包まれることも……。
「もしも……か」
 俺は街の雑踏に向けて歩き出した。
 鞭職人マイスターの鞭を、より完璧にする為に。
 さあ、悪い子ちゃん達? 反省の時間だよ。痛いけど、安心していい。マイスターの鞭は、一級品だからね……―――――――。
                                










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