フォスター家【オルガ番外編】

屋根裏の天窓と若き伯爵様

 ←遠回しな愛のこと。 →屋根裏の天窓と若き伯爵様のこと。
 

 フォスターが伯爵号を父より譲られ、国王より正式に叙位されたのは、大学院を卒業して間もなくの、二十半ばの頃だった。
 この国の爵位継承は、その家の当主の死後に受け継ぐか、国王崩御によって新国王が立った時の新体制へ向けた代替わり継承。
 フォスターの場合は後者であった。
「・・・あの父上が、これだけの仕事量をこなしているとは思わなかった・・・」
 フォスターはそう呟いて机上の書類の山に吐息をつくと、かつては父の物であった執務机に足を組み上げ天井を仰いだ。
 奇妙な気分だ。
 子供の頃、ここに入ると父の執事やモートンに叱られた。
 ここは入ると叱られる場所と幼心に刷り込まれていたので、この年になるまで足を踏み入れたことがなかったのに、それが今は自分の場所。
「静かだなぁ・・・」
 目を瞑る。
 賑やかだった父と母は領地に移り住んでしまった。
 本当はもう少し、助言役としてここで暮らしていて欲しかったのに。
「このお父様が十九の年にできたことばかりだもの。お前なら大丈夫だよ~」
 当主の頃はあれだけフォスターをしつこく構いにきていたくせに、随分とまあアッサリしたものだ。
 まあ、父らしいと言えば父らしい。
 窓から小鳥のさえずり。
 庭園に造作された小川のせせらぎ。
 風にさざめく木々の葉。
 ここからだと、庭園の音が良く聞こえるなと、フォスターは思った。
 そういえば、子供の頃に庭園で遊んでいると、いつもこの執務室のバルコニーに父が姿を見せて手を振ってくれた。
 自分が遊んでいる声が、ここに届いていたからだったか。
 そんなことを考えながら、ふと窓を見る。
「おや?」
 執務室の窓から見えた向こうの屋根の天窓。
「これはまた、嫌なものが見えたものだ・・・」
 そう呟いて、フォスターはガリガリと頭を掻いた。
 あれは嫌な思い出しかない、お仕置き部屋の天窓だ。
 フォスターはさほど悪さをする子供ではなかったが、お行儀は従僕だった教育係のモートンに徹底的に仕込まれた。
 父や母へはもちろん、使用人にも出会えば挨拶。
 立ち居振る舞いにも口うるさく言われ続け、お陰でどこに行っても、所作が美しいとお褒めの言葉を頂けるのだから、モートンには感謝すべきだろうと思う。
 お行儀の躾はほとんどお説教だけだったが、たまにあの屋根裏に連れて行かれた。
 二度三度と同じことを注意した時のモートンは、怖い。
 決して大きな声を張り上げたりしない男だが、物静かに毅然と叱られると、とても怖い。
 一番頻繁にあそこでお尻を叩かれた時期は、十三歳で学校の寄宿舎に入って以降だったか。
 寄宿舎であるから、平素はモートンと離れて暮らすようになったわけだが、各季節や行事ごとの休み期間には屋敷に戻って過ごしていた。
「坊ちゃま、またそのようなお行儀の悪いことを覚えてこられて」
 寄宿舎には寮監がいるにはいるが、同世代が集団生活している上、教育係から解き放たれた思春期の少年たちは、自由な時間を満喫できる。
 それが自分の無意識の行動に繋がるとは、思いも寄らず。
 屋敷にいる間は以前通りお行儀よく振舞おうと思っていても、ついうっかり寄宿舎での行動が出てしまい、それをモートンに見咎められてお説教。
 あの頃は、休みの度にお仕置き部屋に連れて行かれていた気がする。
 お陰で、休みに入る前はとても憂鬱だった。
 ・・・窓から見えるあの屋根裏の天窓のせいで、嫌なことを思い出してしまったものだ。
 フォスターは執務机の上の足を組み直し、天井を仰いで吐息をついた。



 屋根裏に入るとまず、モートンは空気を入れ替える為か必ず天窓を開けた。
 それからおもむろに、壁に掛けられたケインを手に取る。
 そして、俯き加減で立ち尽くしているフォスターを振り返ると、オットマンの蔦模様のクッションを手で叩いて見せるのだ。
 初等科を卒業してからは、膝の上でお尻を丸出しにされて引っ叩かれるのも卒業だった。
 頭に手を組んで立ったままお尻をモートンに向けるか、このオットマンに手をついて、床に膝をつく姿勢か。
 どちらもズボンの上からではあるが、ケインを据えられると、その鋭い痛みで泣きたくなる。
 パドルはパドルで、お尻を満遍なく網羅するので、それはそれで辛い。
 小さかった頃のようにワンワンと泣きじゃくりたいが、あの開けられた天窓がそれを阻む。
 もう十代。
 あの開いた天窓から響く泣き声を、使用人に聞かれたくないというプライド。
「坊ちゃま。何故お仕置きなのか、ご自分でおっしゃい」
 普段はとても優しいのに、こういう時のモートンは厳しい。
 いや。
 意地悪だ・・・と、フォスターは思う。
「・・・歩きながら、物を食べた、から・・・」
「左様でございますね。立食パーティーでそのようなことをなされば?」
「マナー違反、です・・・」
「よろしい。ですが今は・・・」
 ピシッと鋭い痛みがお尻に走って、歯を食いしばる。
「お行儀の、一つ一つを、云々、されているのではないと、お分かりに、なりませんか?」
「・・・! ・・・! ・・・! ・・・っ! ・・・! ・・・ぃ!」
「モートンが、見て、おらねば、良いという、その! 心根を! お叱り申して! おるのです!」
「・・・ぃ! ・・・! ・・・ぃ! ~! ~! ~! ~! ~~~!」
 モートンがケインを下ろした気配に、そっと様子を伺う。
 ケインをピシピシと手の平にあてがう仕草は、まだ続行する気の彼の癖だと、フォスターは知っている。
「モートン・・・、お尻、さすっても、良い?」
「・・・どうぞ。今日はうんと厳しくお仕置き致しますので」
 怖い言葉と同席だが、お許しの出たところでヒリヒリするお尻を両手でゴシゴシとさする。
 今はまだこうして強くさすれるが、ここを出る頃には、そろそろとしかさすれなくなるのだろうかと考えて、クスンと鼻をすすったフォスター。
「さあ、では、手を元の位置に」
「モートン・・・」
「はい」
「・・・ずっと、ケイン?」
「はい。後、十四、叩きますよ」
 情け容赦の欠片もない返答。
 さっきも十四叩かれたと思う。
 これは年の数だ。
「~~~それで、終わり?」
 モートンが幼子にするように顔をしかめた。
「定められた数をこなせば終わるだろうという性根も、この際ですからお仕置きしましょうね」
「え!」
 背後に立ったモートンを振り返ったフォスターが息を飲む。
「数はご自分で数えなさい」
 ピシリと、ケインがお尻を弾いた。
「~~~!」
 振り続けられるケインはあっという間に十四となったが、止む気配がない。
「モートン! モートン! もう十四! もう十四叩いたぁ!」
「左様でございますか? モートンは数えておりませぬもので」
「え・・・、ぃ、痛い~~~!」
 数えろとは、そういう意味だったかと思い知る。
 これから声に出して数えて、また十四?
 我慢していた涙が一気に溢れ出した。
「ぅわーん! モートンの意地悪ぅ! そう言ってくれれば声に出して数えたもの!」
「言われなくてはお出来になりませんか? そうですね、モートンも以心伝心の能力を持ち合わせてはおりません。ましてや、千里眼などとてもとても」
 それはつまり、モートンが見ていない場所では、自分で考えて行動しろと言うこと。
「わ、わかった! お前が見ていなくても、ちゃんとする! 言いつけは守る! だからもう許してくれ! お尻痛いよぉ!」
「どれ」
 グイと下着ごとズボンを捲られて、フォスターはケインが止んだ安堵と、お尻の具合を確かめられる恥ずかしさの両方で、オットマンに顔を埋めた。
 剥き出しにされたお尻を平手でピシャンとやられて、フォスターは顔をしかめる。
「本当にもうしないと、お約束ですよ?」
「しない。懲りた。本当だ」
「次のお休みにまたお行儀が治っていなければ、お尻が真っ赤に腫れるまで許しませんからね」
「わかったってば!」
「結構。では・・・」
 両手を広げられて、フォスターの顔が赤く染まる。
「ぼ、僕はもう小さな子供ではない! ~~~小さな子供ではないから、抱きつきになど行かん。・・・無理矢理に抱きしめられたら、仕方ないけれど・・・」
 モートンの顔に柔らかな笑みが浮かび、『無理矢理』、抱き寄せられたフォスター。
「・・・モートン、ごめんなさい」
「はい。良い子です、坊ちゃま。痛かったですね、よしよし」
 そっとお尻をしまってさすってくれるモートンの腕の中は、いつもとても温かかった。
 まあ、結局。
 次も。
 その次も。
 休みの帰省は、真っ赤に腫れ上がったお尻で過ごすことの方が多かったが。


「・・・様。旦那様」
 ふと目を開けると、ティーセットを乗せた銀盆を手にしたモートンが執務机の前に立っていた。
 思い出を反芻する内に、ついうたた寝をしていたようだ。
「ああ、もうお茶の時間かね」
 そう答えて、何やらモートンの表情が険しいことに気付く。
「モートン? どうしたのかね?」
「・・・ほお? お気付きでない。これはこれは、長い時間を掛けて染み込んだ癖というものでございますなぁ」
 執務机に組み上げていた足をピシャリとやられて、フォスターは慌てて足を下ろすと上目遣いでしかめ面のモートンを見上げた。
「このお行儀の悪い足は、昔、幾度もご注意申し上げましたね?」
「す、すまん、つい・・・」
「・・・めっ」
「~~~そんな、子供に言うみたいに言わなくても・・・」
「お子様にございましょう? 当主となられ、伯爵となられ、貴族議員となられて、まだこのようなことで叱られて。そういう子は・・・」
 執務机を回り込もうと一歩踏み出したモートンに、フォスターは必死で両手を振る。
「もう二度とこんなことで注意は受けない! 約束する! だから今回だけは見逃してくれ! 子供のお仕置きは懲り懲りだ・・・」
 じっとフォスターを睨んでいたモートンが、吐息と共に宙を仰いだ。
「・・・これきりでございますからね」
 だからモートンは好きだ。
 これがスフォールドだったら、問答無用だっただろう。
「旦那様。もうご立派な大人なのですし、お仕置き部屋を出られるあなたを待ってくださるお父上様も、もうここにいらっしゃらないのですから、叱らせないでくださいませ」
「父上が? 私を待っていたって、何?」
 まだお説教態勢を解いていない様子のモートンを見て、フォスターが話を逸らしにかかる。
「・・・執務机の左側の窓から、屋根裏の天窓がご覧になれましょう。私が天窓を開ければ、あなた様をお仕置き部屋に連れてきたという、合図だったのでございますよ」
 フォスターは初めて聞く事実に目を瞬いた。
「それをご覧になったお父上様は、いつも屋根裏への階段の下で、あなた様が出てこられるのを待っていらっしゃったのです」
 思い当たる思い出の父。
 お仕置き部屋を出て、お尻をさすりながら階段を下りていくと、必ず父に声を掛けられた。
「おや、アーシャ。どうしたのだね、しょんぼりして」
 いつもこうして鉢合わせするので、ふわふわと暇な人だと思っていた。
 実際、父がこれまでやっていた仕事を引き継いで、その量に舌を巻いていたところである。
「もしや、モートンに叱られてしまったのかな?」
 そう言って頭を撫でてくれた父は、毎回、フォスターを抱き上げて部屋まで連れて行ってくれた。
「父上、僕はもう小さな子供ではありません」
 今から考えれば十分子供なのだが、多感な十代に父の抱っこは気恥ずかしい。
「そっかぁ、ごめんね。でも、お父様のお願い、聞いてくれないかな? 抱っこできる内は、抱っこさせておくれ、ね、アーシャ」
 恥ずかしいけれど、嬉しくない訳ではないので、フォスターは黙って頷いたのを覚えている。
 あれは暇人と高確率で遭遇していたわけでなく、この膨大な仕事の手を止めて息子を慰めるべく、わざわざ待っていてくれたのだとようやく気付いた。
「旦那様、あなた様はとても愛されてお育ちだということを、自覚なさいませ。皆様を裏切るようなことを、どうぞなさいませぬように」
 話を逸らして済まそうと思っていたのに、当てが外れた。
「~~~わかったから、もうお説教は勘弁してくれ・・・」
「お仕置きとして、お茶の時間返上でお説教をと思っておったのですが」
「見てくれよ、この書類の山! これを片付ける為には、甘いお菓子とお前の淹れてくれる美味しいお茶が必要なのだけどなぁ」
 子供の頃と変わらぬフォスターの上目遣いに、モートンは渋い表情を浮かべていたが、やがて肩をすくめて踵を返した。
「お湯が冷めてしまいましたので、入れ直して参ります」
 ドアを出際に一礼から直ったモートンが、勝ち取ったお目溢しにほくそ笑んでいたフォスターを一睨みする。
「お説教の代わりに、反省文をお書きいただきますからね。今日中に提出のこと」
「そんな・・・」
「甘いお菓子と私めの淹れたお茶があれば、便箋三枚くらい余裕にございましょう。では、失礼致します」
 フォスターは子供さながらに頬を膨らませると、手に取ったペンを閉じたドア目がけて投げつけた。
 ペンがカツンと当たった途端、ガチャリとドアが開いてモートンが顔を出す。
「五枚に致します」
 それだけ言って再び閉じたドアを、フォスターは早鐘を打つ胸を押さえて見つめていた。
 びっくりした・・・。
 危なく、せっかく逃れたお仕置き部屋送りになるところだった。



「わざわざお電話頂けるなど、恐縮にございます」
『だってローランド卿、隠居や親族からの美辞麗句に彩られた、代替わり貴族たちの紹介状なら山と届いているが、こんな愉快な物を送られたら、電話もしたくなるさ』
 フォスターの父・通称クラウンは、電話口の笑い声に肩をすくめた。
「紹介状は送るつもりもなかったのですが、ちょうど、息子の執事がそれを送って参りましたもので」
『これ程、人柄が窺い知れる紹介状はないね。うん、実に良い。随分と厳しく躾けられているようだねぇ』
「はい。良い執事に恵まれましたもので」
 クラウンも届いたそれを読んだ時は、苦笑した。
 一稿。二稿。三稿目でようやく受理とは、厳しいことだ。
 書き直しを言い渡された息子の顔を想像すると、少々気の毒にもなる。
 それをそのまま全て送付したので、電話の相手にもその書き直し事情は伝わっている次第。
『受理された三稿の、この最後の文章が特に良いねぇ』
「ふふ、でしょう?」
―――至らぬ私をいつだって許して微笑んでくれる、お前が私の執事で良かった。
『卑怯な反省文だ。が、これじゃあ受理したくなるね』
 これを読んだモートンの表情が手に取るようにわかるクラウンは、クスクスと笑ってロッキングチェアを揺らした。
「と言うわけで、まだまだ若輩のヒヨッコではございますが、何卒、我が愚息を宜しくお願い致します、国王陛下」
 まさか、モートンに書かされた反省文が国王の元に渡っているなどと、フォスターは露ほども思うまい。
 電話を切ったクラウンに、傍らに控えていたスフォールドが肩をすくめた。
「お上手な売り込みでいらっしゃる」
「アーシャには内緒だよ~」
「無論。でないと、口をきいてもらえなくなりますからね」
 こうして、親ばかな父の売り込みのお陰で、国王陛下の覚えもめでたい若き伯爵フォスター卿と相成ったのであった。


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