【オルガ完結章】遠まわりな愛

第一話 伯爵様と屋根裏の客人

 ←道化師とお小言のこと。 →お仕置きのヒエラルキーのこと。
「もう嫌です! やめてください! お願いです! もう・・・」
 次第に熱を持ってきたお尻に必死で回した手を、あっさりと背中に縫い付けられるように押さえ込まれて、フォスターは唇を噛み締めて膝の上から彼に顔をねじ向ける。
「まだ半分も叩いていないよ。彼からのお仕置きは百叩きだっただろう?」
「~~~そうですが・・・こんな恥ずかしいのはもう嫌です・・・」
 さほど痛くないのが、また辛いのだ。
 いつまで経っても、手首を利かせた平手が小気味良い音を立てるだけで、お尻はじわじわと熱くなってはいくものの、ヒリヒリとした痛痒さが増すばかり。
 自分の置かれた状況を、どこまでも冷静に思い知らされる。
「恥ずかしいだろうね。君はとても立派な大人だもの。だから、彼は君にこのお仕置きを私に依頼したと、わかっているだろう?」
「わかっています! わかりました! ですから、もうやめてください!」
「のほほんとしているけれど、彼を怒らせたら、怖いよ」
「知っています!」
「そうかね? 彼はまだまだ君を甘やかしてくれているよ。だって、このお仕置きを私に託すくらいだもの。まあ、君が大人しくお仕置きを受けられないようなら、後で彼が改めて言い聞かせると言われているけれど・・・この手は、どうしようねぇ?」
 後で改めてという言葉を聞かされては、背中から解放された手を渋々と床につくしかなくなる。
「よろしい。では、君の父上からのご依頼の、お尻ぺんぺんの刑を再開しようか」
「もう嫌です! 恥ずかしいんです!」
「まだのズボンの上からだよ。半分まできたら、お尻だけ丸出しにされた格好で、本当に子供のようにお仕置きだと、言っただろう?」
 だからだ。
 だから間もなく半分の数のところに来て、こうして必死に中止を求めているのだ。
「お願いですから、もうやめてください!」
 フォスター伯爵家の屋根裏部屋は、フォスターの父の代からお仕置き部屋として稼動してきた。
 そのお仕置き執行人がフォスター家に縁もゆかりもない他家の人間というのは、これが初めてであろう。
「違うだろう、フォスター卿。お膝の上でお尻をぺんぺんされて叱られる子が言うべきことは、やめてくださいで良いのかな?」
「~~~」
 い。
 嫌だ。
 二十七にもなって。
 しかも、執行人が幼い頃から自分を育ててくれたモートンならいざ知らず。
 百歩譲って、小言屋スフォールドならまだしも。
 言いたい放題言えて、品行方正な自分でなくても良くて、遠慮なく接することのできるこの男に・・・ワイラー公爵に、その言葉を言うのは、こうして子供のように膝の上でお尻を叩かれるよりも更に恥ずかしい。
「言えないなら仕方ないね。続きを再開だ」
「やめ・・・」
「三十九、四十、四十一、四十二、四十三・・・」
 我慢できる痛みがこんなに辛いなど、想像もしたことがなかった。
「四十四、四十五・・・」
「ご・・・」
「ご?」
「~~~」
 言えない。
 せめて、訳がわからなくなるくらい痛みに惑わされれば、勢いで言えるかもしれないのに。
「・・・四十六」
 音は鋭いのに、お尻がピリピリする程度。
「四十七」
「やだ、お願いです・・・」
「四十八」
「やめてください、嫌です!」
「四十九」
「~~~ご、ごめんなさい! もうしません! ごめんなさいーーー!」
 本当に子供のようにジタバタと暴れ始めたフォスターに、ワイラーは苦笑混じりに肩をすくめた。
「やれやれ、やっと言った。君はヴォルフよりずっと強情だねぇ」
 おそらくはズボンの下のお尻より、ずっと真っ赤な顔が向けられて、ワイラーはつい声を上げて笑ってしまった。



 それは一ヶ月程前のこと。
フォスター邸を訪れていたワイラーに、ローランド公爵ことクラウンがとある罰を与えた。
 今後一切、趣味でのスパンキングを認めない。
 部屋を出る際にチラと顧みると、少ししょぼくれていた彼が可哀想だとは思ったが、ワイラーは些か調子に乗り過ぎた。
「趣味でさえなきゃ、ちゃんとできる奴なのだけどねぇ。・・・うん?」
 ドアをくぐろうとしたクラウンは、戸口付近の廊下の絨毯に目を落とした。
「立ち聞きなんてお行儀悪い子は誰かな?」
廊下側の戸口の絨毯の毛足が、しばらく踏まれ続けてへたっていることに気付いたのだ。
「おや、あれに見えるはヴォルフの背中」
 小走りに階上へと消えていくその姿に、スフォールドが溜息をつく。
「いい年をした侯爵が立ち聞きなどと。申し訳ございません、大旦那様。周囲への注意を怠っておりました」
「良いよ~。別に聞かれて困る話はしていないし」
「そうでもないでしょう。あの大きな子供は、これで何をしてもワイラー卿には叱られないと思ったでしょうよ」
「あー・・・」
 宙を仰いだクラウンは、頭を掻いて肩をすくめた。



 議会が終わり、議題の最終決議の為に王宮の会議室に移動した国王と長老議員。
「やれやれ、今年の冬将軍はなかなかの強者ですな。年のせいか、どうにも寒風が足腰に堪えまする」
 暖炉で温められた会議室にホッと一息ついて円卓を囲んだ彼らは、爵位こそまちまちだが皆、先代国王時代からの議員ばかりである。
「ワイラー卿、最近のあなたはどうも精彩を欠く感が否めませんな。さっきの討論は何ですか。フォスター卿ごとき若造に言いたい放題言わせて」
 そう言ったのは、当のフォスターの父親であるローランド公爵ことクラウンだった。
「そう思われたのなら、援護してくだされば良かったではないですか、ローランド卿」
 指摘に不服気なワイラーが、むっつりとして議会資料に目を落とした。
「あの程度の質疑、あなたなら簡単にやり込められると思っておったのですよ」
 クラウンが肩をすくめると、長老勢が一様に頷いた。
「そうだよ、ワイラー。最近の君は防戦一方でつまらないな。君とフォスターの火花散る皮肉の応酬は、宮廷に華を添える余興なのに」
「~~~国王陛下、お人の悪い・・・」
 顔をしかめるワイラーに、国王がニヤリと笑った。
「本心だ。普段は隙なく卒もない、あの品行方正を絵に描いたようなフォスター卿が、無表情を装いながらも感情むき出しで言葉を連ねていく様は、見ていて実に面白い。おっと、すまない、ローランド」
「いえいえ。私はそういうお二人を拝見したことがなく、残念にございますね」
「そうだね。君が議会に復帰した時には、すでにワイラーは何故だかフォスターに弱腰だったもの」
「おやおや、何故にございましょうねぇ」
 ワイラーは口を噤んだまま侍従が配ったお茶をすすった。
 クラウンの意地悪に辟易としていたのだ。
 フォスターと出会う前とは言えど、来春には奥方となるヴィクトリアを趣味の限りにいたぶり尽くした負い目から、彼に強気に出られなくなっていることを知っているくせに。
「なあ、ワイラー。そろそろ、ちゃんと相手をしてやった方が良いと思うよ? 暖簾に腕押し糠に釘の君の反応に、フォスターもつまらなさそうだ」
「・・・そうおっしゃられましても・・・」
 国王に答えてはいるが、視線はクラウンに向いてしまう。
 口籠もるワイラーに、国王がクスクスと笑って肩をすくめた。
「ま、泥まみれになった君を見るのも、また一興だがね」
「陛下! お戯れも大概になさいませ」
 ゲンナリするワイラーと愉快気な国王を眺めていたクラウンが微笑んだ。
「おや、何やら楽しそうなお話にございますね」
 


 あれは実に愉快だったのに、反面、つまらない。
 国王陛下に随行した干拓地視察。
 百年も前に施工された石積み堤は圧巻であったが、視察の目的はその修繕技術を継承する技師の減少。
 ここ十数年で老朽化に対する素人技法の急場凌ぎで修繕されたモルタル部分のクラックが随所に見受けられた。
 それらを確認しつつ堤防の際までやってきたフォスターは、ぐらつく足場の石を踏み、ふと、数日前にヴォルフが嬉しそうに報告してきた言葉を思い出した。
「フォスター、やはりヒエラルキーは私が思った通り、お父様が上だった! ワイラーの奴、お父様に叱られてお仕置きを禁じられていたぞ」
 立ち聞きまでして酔狂なことだとは思ったが、あのワイラーを父が叱ったと聞いて、少々胸がすく思いだったのは確か。
 更にふと。
 ふと。
 耳元で何かが囁いた。
「ワイラー卿、これをご覧いただけませんか!」
 同じく随行者の一人だったワイラーに手を振ってみせると、彼は話していた国王に一礼してフォスターの元にやってきた。
「何だね、フォスター卿」
「これです。ほら、ここ」
「どれ?」
 ワイラーが彼の指差す場所を確認しようと前のめりに踏み込んだ瞬間、ぐらついていた足場の石が重みに耐え切れず滑り落ちた。
「・・・これは大変。ワイラー卿、お怪我はございませんか?」
 石堤から沼の浅瀬に転がり落ちて泥まみれのワイラーに、笑いを咬み殺すフォスターが手を差し伸べた。
 むっつりとその手を取ったワイラーは悪ふざけと勘付いていたようだが、黙殺する心構えらしい。
 ・・・ふん。いい気味だった、が、つまらない。
「フォスター卿」
干拓視察を思い起こしていたフォスターは、ヒラヒラと手を振ってやってきた父を振り返る。
「ローランド卿? 王宮会議はもうお済みでいらっしゃいますか?」
「ううん、まだ。けど、殊更難航する議題でもないから、早引けしちゃった。たまには一緒に帰ろうよ、アーサー」
「え? ああ、しかしヴォルフ卿が・・・」
「彼なら王宮の控えの間。石堤技師育成計画の責任者に任じたいと、陛下がおっしゃったので、その打ち合わせ待ち」
「ああ、干拓事業の・・・」
 フォスターは、何やら違和感を覚えて父を改めて見た。
 そう言えば、父は先程、自分を「アーサー」と呼ばなかったか?
 宮廷ではフォスター卿としか呼ばないはず。
 いや、それ以前に。
 屋敷でも幼い頃からの愛称「アーシャ」としか呼ばない父が、「アーサー」と。
「あ・・・」
 改めて見て気付く。
 父の被っているハットは、ワイラーの物ではないか。
「ふふー、気付いた? 交換してもらっちゃった。可愛いアクセサリーが気に入っちゃってね~。ほら」
 ヒョイとハットを脱いだ父の頭に、ちょこんと乗ったカエルに、息を飲む。
「可愛いでしょ~。どうしてワイラー卿のハットの中に入ってきちゃったのかなぁ?」
「さ、さあ? 庭園から侵入してしまったやもしれませんね」
「まさかぁ。だってカエルさんは、冬眠の季節だよぉ?」
 クスクスと笑って頭の上のカエルを手の平に乗せた父は、ジリジリと後退る息子を壁に追い詰めて、空いた片手を壁についた。
「アーサー、めっ。この寒空にワイラーを沼にはめるなんて、悪い子だ。彼が風邪でも引いたらどうする気?」
「~~~わ、私は、別にそのようなつもりでは・・・」
「じゃ、どういうつもりだったの?」
 揺らいだ石に足を取られたワイラーが、尻餅の一つでもついてくれれば愉快だと・・・。
 目を合わせられない様子の息子の眼前に、手の平の上のカエルを差し出す。
「このイタズラは、お前が学生の時に誰かが視察団にやらかしたのを思い出しての仕業? いいこと教えてあげようか。学校伝統のカエル帽子は、お父様が考案したイタズラだよ~」
「え」
「いやもう、これでもかと叱られました。お前のお祖父様にも爺やにも、お尻を散々引っ叩かれちゃった」
 父が何を言わんとしているのか、察しのつかないフォスターではない。
 ゴクリと唾を飲み込んだ喉が・・・痛い。
「それはお父様が十五の時だけど、お前は何歳だい? 遅咲きのイタズラ小僧は、流儀をわきまえないから困るね。冬眠中のカエルさんまで巻き込んだらダーメ」
「ち、父上・・・、あの・・・」
「立ち聞きヴォルフは警戒していたんだけど、とんだ伏兵だね。お父様、びっくり」
 ニッコリと微笑んだ父に、フォスターの顔から血の気が引いた。
「さあ、帰ろうね、アーサー。悪い子は、お尻ぺんぺんのお部屋に行かなくちゃ」
 こうなったら、父に叱られるものだとばかり思っていたのに。
 観念して屋根裏部屋で待っていたフォスターの前に現れたのは、父に連れられてきたワイラーだった。
「ワイラー、あのね。僕が言ったこと、ちゃんと聞いていた? 僕は『趣味でのお仕置きは認めない』と言ったのだけど」
「ち、父上、ご冗談でしょう!? 嫌です、せめて父上が・・・!」
 父がワイラーに何を託そうとしているのか察したフォスターを、彼は静かに流し見た。
「それは駄目。お父様の大事な友人に風邪を引かせるところだったお前に、とても厳しくしてしまいそうだから。お前の為にも、ワイラーにお願いする」
 泣きそうな息子に背を向けた父は、屋根裏のドアをくぐってヒラヒラと手を振った。
「ワイラー。子供にはお膝でお尻ぺんぺんしてやって。でもその子は大きいからなぁ・・・お尻、百叩きの刑」
「~~~父上!」
 無情に姿を消した父。
 そして、お仕置き部屋である屋根裏に、フォスターとワイラーの二人きりが残されたのだった。



「ワイラー卿。我が主の為に、お手数をお掛け致しました」
 屋根裏部屋のドアをくぐった途端に、フォスター家執事のモートンの最敬礼が待っていた。
「大旦那様より詳細お伺い致しました。主に成り代わりまして、深くお詫び致します」
「・・・かまわん。フォスターが言うんだよ。以前のように本気で相手にしてくれなかったのが、つまらなかったと。そう言われてはねぇ・・・可愛くて」
「恐れ入ります。けれど・・・」
 最敬礼から直ったモートンが、屋根裏部屋のドアノブを握った。
「それはそれ。これはこれにございますれば。御前、失礼致します」
 閉じたドアから漏れ聞こえてくる声。
「大旦那様よりお伺い致しましたぞ。モートンはあなた様を、そのような悪い子にお育てした覚えはございません」
「ま、待て、モートン! 魔が差した! 魔が差しただけだ!」
「お黙りなさい。さあ、こちらにおいでなさい」
「い、嫌だ! 膝の上はもう勘弁してくれ!」
「アーサー様」
 しばしの静寂の後、フォスターの悲鳴が響いた。
「モートン、嘘だろう、やめてくれ、嫌だ! せめてズボンの上から・・・痛いーーー!!」
 ワイラーはほんのりと赤く染まった手の平に目を落とし、むしろもっときつく叩いてやるべきだったかと苦笑した。
 モートンが同情するくらい赤く染めておけば、彼も思い止まっただろうに。
「痛い! 痛いよ、モートン! もうしない! もうしないから・・・」
「当たり前でございます! ご夕食まで時間がございますからね、たっぷりと反省なさいませ!」
「ゆ、夕食って・・・待て、モートン! 痛い痛い痛い! モートン、ごめん、頼む、許して、許してくれ! モートン! ごめん! ごめんなさいぃぃい!!」
 平素、のほほんとした男を怒らせても怖いが、物静かな男を怒らせても怖い。
 もしかして、自分は結構無害な側の人間かもしれないと思いつつ、ワイラーは悲鳴が漏れるお仕置き部屋の前から立ち去ったのだった。



おわり


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~ Comment ~

イヂめられてる、アーサーが
可愛くてキュンキュン♡しちゃいました!
道化師とお小言シリーズも大好きです♡
ありがとうございました!!

空さま

読んでいただいてありがとうございますv

普段いい子なだけに、作者にいじり倒されるアーサー(フォスター)君が気の毒だったり( ̄▽ ̄;)

道化師とお小言は書いていて楽しい話でしたので、こちらもコメントありがとうございましたv
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