道化師とお小言【オルガ番外編】

道化師とお小言Teens5【最終話】

 ←道化師とお小言Teens4 →道化師とお小言のこと。



 主人を起こし、彼の身支度をして銀盆に乗せた新聞を恭しく渡し、朝食の時間になったらダイニングへと案内する。
 それが執事の朝の行事ごとである。
 その日もモートンがフォスターの寝室に入ると、既に目覚めていたフォスターがベッドの上で体を起こしていた。
「おはようございます、旦那様。お顔の色が優れませんね」
「何だか喉がイガイガする・・・」
「ちょっと失礼致します」
 フォスターの額に手を当てたモートンは、続いて口を開けさせて喉を見た。
「お熱はないようですが、喉が少し赤くなっていますね。今日は、出仕は控えて、このままお休みなさいませ。すぐに典医を呼びましょう」
「医者まで呼ぶ必要はないよ。喉の痛みくらい、ハチミツ入りのお茶でも飲んで寝ていれば治まるさ」
「典医を呼ばずに済ませたと知れたら、私が大旦那様に叱られてしまいます。さあ、早く横になってくださいまし」
「ハチミツ・・・」
「後で持ってきますから」
「飴も」
「はいはい」
「砂糖菓子・・・」
「では、大人しく横になっていてださいまし」
 典医を呼ぶためにサッサと寝室を出て行くモートンの背中に舌を出して見せ、フォスターはベッドに深く潜り込んだ。
「医者までいいのに。まったく、少しでも風邪気味だとすぐこれだ」
 フォスターが小さな頃からである。
 風邪の症状が少しでも見受けられれば、父がこれでもかと大騒ぎする。
 普段、何を考えているのかサッパリわからないヘラヘラふわふわした人が、別人のように動揺し、医者が大事無いと言い切っても、フォスターの床に付きっきり。
 昔、父から息子の守り役として常に全幅の信頼を寄せられているモートンが、静かに寝かせておけば大丈夫と判断して医者を呼ばずにいたら解雇を言い渡され、それを父の執事のスフォールドが必死で止める・・・という騒動にまで発展したことすらある。
 自分を心配してくれるのは嬉しいが、やっぱり何を考えているのかよくわからない父だと、フォスターは思った。



 それは、フォスターの父が若かりし頃、通称クラウン(道化師)がまもなく十九を迎えようとする年のことである。
「・・・・・・嘘だぁ」
 最敬礼から頭を上げようとしないスフォールドに、クラウンがどうにか口元に笑みを浮かべて首を横に振った。
「だって、父上は少しお咳をなさっていただけで、お元気そうだったもの」
 ようやく顔を上げたスフォールドが着々と準備を始めた喪服を奪い取るように掴み、床に叩きつけた。
「嘘だ! 昨夜だって、とても優しく微笑んでくださったもの! 僕の頭を撫でて、愛していると、言ってくださったもの!」
 スフォールドは黙って床に投げつけられた喪服を拾い上げて、丁寧にブラシをかけた。
「・・・旦那様」
「やめてよ。やめてよ、スフォールド! 旦那様なんて呼ばないでよ!」
「・・・旦那様。大旦那様に最期のお別れを。きっと、お待ちにございます」
 受け入れがたい現実を、クラウンはとうとう飲み込むしか手立てがなくなった。
 トボトボと歩き始めた彼からすれ違い様にギュッと上着の裾を握られて、スフォールドは苦笑する。
「ご一緒した方がよろしいですか、旦那様」
「・・・・・・」
「・・・一緒に行こうか、クラウン」
 こくんと頷いたクラウンの肩を抱き、スフォールドは足取りのおぼつかない彼を支えながら、フォスター老伯爵が永遠の眠りについた寝室へと向かった。
 老伯爵が患ったのは軽い風邪であったものの、遅くに一人息子のクラウンを授かった彼は齢七十を過ぎた高齢であり、たったの一晩で容態が急変したのである。
 典医と召集された医師団が手を尽くしたが、明け方、静かに息を引き取った。
 クラウンが寝室に姿を現すと、老伯爵の遺骸にうつ伏せるようにしていた老執事が、両手で顔をこすって立ち上がり、自分がいた場所を彼の為に空けた。
 スフォールドに伴われて、老伯爵の横たわるベッドまでどうにか歩いたクラウンは、そのまま崩れるように跪き、父の胸に顔を埋めた。
 その顔はまるで眠っているようなのに、昨夜まであんなに温かかったそこは、すでに固く冷たい。
「~~~父上、起きて。起きてください・・・」
 子供のように父の遺骸を揺さぶるクラウンの肩に、スフォールドがそっと手を置いた。
「旦那様。どうか、大旦那様を静かに眠らせて差し上げてくださいませ」
「やだぁ・・・起きて、父上、起きて」
「旦那様」
「父上、父上、父上ぇ・・・」
「クラウン」
 我に返ったように、父を揺さぶるクラウンの手が止まる。
「クラウン。お父上に、言わないといけないことを言いなさい」
「~~~父上・・・、お父様、大好き・・・」
 寝室に響く、泣き声。
 新参者のスフォールドすら涙を必死で堪えて天井を仰ぐ中、長年老伯爵に仕えた老執事がボロボロと大粒の涙を流すのは、無理からぬこと。
 そんな中、スクと立ち上がったクラウンが、泣き濡れている老執事の元に歩み寄って顔を覗き込んだ。
「爺、父上の葬儀に参列していただく方々の、リストを作成せねばね。至急、スフォールドと打ち合わせをしてくれるかい?」
 そう言ったクラウンこそ涙で凝った頬であったが、その顔に微笑みを浮かべる様は、まさしく道化師の真骨頂であった。



 そうしてクラウンは十九の年にフォスター伯爵となった。
 彼は執事となったスフォールドが期待していたような、貴族議会の中枢を担う議員にはならなかった。
 こじんまりとまとまった、無難な処世術。
 若干十九で父の葬儀を見事取り仕切り、受け継いだ伯爵家と領地と領民の生活を守る為の平穏無事な生き方に固執する。
 現状維持という座右の銘の元、ヒラヒラと舞い飛んで得る情報は、すべてフォスター伯爵家を存続させる為だけの日和見に使い、スフォールドをやきもきさせる日々が続いたものだが。
 隣国王女を妻に迎えることとなってしまった想定外の事態で、ようやく本気を出して国政深部に切り込む決意をしてくれたのが三十の時。
 そして、彼が道化師としての手腕に更なる磨きを掛けるきっかけ。
 奥方ベアトリスとの間にもうけた息子、アーサー四世の誕生である。
 息子の産声を聞いたその日の、クラウンのあの幸せそうな泣き顔は、今でも強くスフォールドの印象に残っている。
 小さな命をぎこちなく、しかし、それはそれは愛おしそうに抱きしめて。
 以来、暇さえあれば・・・と言うか、仕事そっちのけで子供部屋のベビーベッドを覗きに行ってしまうので、実に困ったものだ。
 あんなに嬉しそうな目で、息子の小さな頬をつついて微笑んでいるクラウンに、いつも通りに小言を聞かせて執務室に引き戻すのを、躊躇ってしまうほどだった。
 主の気持ちは察するに余りある。
 生まれてすぐに母親を亡くし、父親もたった十九の時に他界。
 兄弟姉妹もなく、親戚はいても遠縁ばかり。
 つまり、クラウンにとって生まれた息子は、唯一の肉親と呼べる存在だったのだ。
 息子が愛おしくて仕方がない。
 溢れ出るような思い。
 そんな彼が、愛しい息子の風邪に動揺しない訳もなく、小さな坊ちゃまの看病よりも、主を落ち着かせる方がどれだけ大変であったか。
 突然、慕っていた父親を風邪で亡くした彼の、「いなくならないで」という心の慟哭がスフォールドには聞こえてくるから、幾度だって、寝ずの看病に付き合った。
 ただ、アーサーももう三つ。
 少々の咳くらいで言うことを聞いて寝ていてくれる程、大人しくなくなってきた。
「アーシャ、めっ。ちゃんとねんねしていなきゃ駄目でしょう」
 子供部屋の絨毯に寝転がって玩具の車を走らせていたアーサーを抱き上げて、クラウンが顔をしかめて見せた。
「だいじょうぶだもの。おとーしゃま、今日はおしごとにいかれないの?」
「うん、アーシャの傍にいたいから、お休みしたのだよ」
「じゃあ、いっしょにあそんでくだしゃい。あーしゃとお庭のお池でお船をうかべてあしょびましょ」
「だ~め。良い子だから、ベッドに入っておくれ」
 ぷっと膨らんだ頬にキスをして、アーサーをベッドに寝かせたクラウンは、彼が寝付くまでずっとトントンと布団を叩いていた。
 しばらくして、すやすやと小さな寝息。
 はみ出している幼子の手をそっと布団の中に入れてやり、クラウンはベッドに頬杖をついてその寝顔を眺めていた。
 幸せだった。
 父にこの子を見せてあげたかった。
  きっと、物凄く喜んでくれたに違いない。
 心地良い息子の寝息。
 昨夜は風邪気味の息子が心配で一睡もできなかったので、ついウトウトと、その寝息に引き込まれてしまったクラウンだった。



「スフォールド! 大変だ! アーシャがいない!」
 今にも泣き出しそうなクラウンに捕まったスフォールドは、磨いていた銀器の放置を余儀なくされて、子供部屋まで引きずられて来て、とりあえず、部屋の中を見渡す。
「ああ、お気に入りの船の玩具がありませんね。きっと中庭の池・・・」
 言い終えぬ内に走り出してしまった主の背中に吐息をつき、スフォールドも仕方なく後を追う。
 案の定、アーサーは池に船の玩具を浮かべて遊んでいた。
「アーシャ!」
「おとーしゃま。あのね、あーしゃ、まだじょうずにお船のネジがまわせないの。おとーしゃま、やって」
 ゴム動力の船が思うように走ってくれないことに不満顔のアーサーが、池の中程で止まってしまったそれを懸命に取ろうと手を伸ばす。
「アーシャ、駄目、やめなさい! 池におち・・・」
 落ちたところで大事無い、所詮景観の為に造作された浅い人口の池だ。
 スフォールドはいち早く池に踏み込み、船をすくい上げてアーサーの手に渡した。
「ありがとう、すこーるど」
「・・・坊ちゃま、スフォールドにございます」
 父親がそう呼ぶのだから、スコールドと覚えてしまっても仕方ないとは思うが、一応、訂正は欠かさない。
「アーシャ!」
 せっかくスフォールドが渡してやった船が、小さな手から落っこちた。
 父親の怒声を初めて聞いたのだから当たり前かと思いつつ、スフォールドはまた池に浮かんだ船を拾い上げた。
「大人しくねんねしてなさいと言っただろう! 勝手にお外に出て、悪い子だ! おいで!」
 襟首を掴まれて小脇に抱えられてしまったアーサーが、池から上がったスフォールドに助けを求めてベソかき顔で手を伸ばしてくるなど、初めてだ。
 普段のクラウンとスフォールドの立場が、完全に逆転してしまった。
「あー、旦那様。坊ちゃまはお風邪をお召しですので・・・」
「わかっているから、一緒に来い! いや、着替えてからだ! 濡れたままでは風邪を引く!」
 スフォールドは肩をすくめて、主の心遣いに御意を示した。
 彼はスフォールドがうっかり引いてしまった風邪にすら、動揺して寝ずの看病をしてくれる主なのだから。



「えーん!」
 手早く着替えを済ませたスフォールドが子供部屋に入ると、クラウンの膝に乗せられたアーサーが、寝巻きのズボンをまくられて丸出しにされたお尻をピシャピシャと叩かれて泣きじゃくっていた。
 スフォールドは苦笑を浮かべて壁際に控えるに留まる。
 お仕置きなどされるばかりでしたことのないクラウンだから、あの怒り心頭ぶりに少々心配してきたのだが、されてきただけに加減は心得ているようだ。
「悪い子だ! 悪い子だ! 悪い子だ!」
「おとーしゃま、ごめんなしゃい! おとーしゃま、ごめんなしゃい~~~!」
「お外は風邪がきちんと治ってから! お鼻やお咳が出る内は、大人しくねんね! お返事!」
「は、はい! おとーしゃま、ごめんなしゃいぃ・・・」
 ほんのりと赤く染まったお尻とグスグスとベソをかく息子の顔を見比べて、クラウンは彼のお尻に寝巻きのズボンを戻してやると、ベッドに寝かせてやった。
「・・・アーシャ、ごめんね。お尻、痛かったね」
 こくんと頷いたアーサーの頭を撫でて、クラウンが床に膝をついて彼の顔を覗き込んだ。
「ごめんね。お父様ね、お前にいなくなって欲しくないんだよ・・・」
「~~~おとーしゃま・・・、きらい」
「え」
「おしりぺんするおとーしゃま、きらい。あっちいって」
「え・・・」
「怖いおとーしゃま、きらい」
 頭から布団を被ってベッドに丸く潜り込んでしまったアーサーに、クラウンが呆然とする。
「す」
「はい、旦那様」
ボロボロと涙をこぼしているクラウンに歩み寄り、手の平で涙を拭ってやる。
「おっしゃりたいことはわかっておりますので。というか、端からあなたにそれを期待してはおりませんから」
「アーシャが・・・」
「子供の苛立ち紛れの言葉を、いちいち真に受けない。坊ちゃまは、いつもお優しいお父様に叱られて拗ねておられるだけにございます」
 スフォールドに布団越しにつつかれて、アーサーはもそもそと不貞腐れた顔を出した。
 途端に、父の泣き顔に目を瞬く。
「・・・アーシャ、ごめんね」
「~~~おとーしゃま、ごめんなさい・・・」
 面倒臭い親子だと思いつつ、スフォールドはガリガリと頭を掻いて、つい苦笑を浮かべていた。
 アーサーが生まれてクラウンが幸せそうに泣き顔を浮かべた時から、とうに覚悟はできていた。
 自分だって大切な主の一人息子が愛しいが、怖がられようが嫌われようが、躾けるのは自分の役目。
 スコールド(小言や)で、結構だ。



「旦那様? 旦那様」
 揺さぶられて目を覚ましたフォスターは、ベッドから飛び起きてお尻をさすった。
「どうなさいました? お熱はないようですが、うなされておられましたよ?」
「ああ、そう。うん。風邪を引くと、決まって見る夢があって・・・」
「夢?」
「お父様を泣かせる悪い子はお尻ぺんぺんですよと・・・」
「は?」
「あ、いや、何でもない・・・」
 小首を傾げるモートンから顔を隠すように、片手で覆う。
 小さい頃、風邪を引いて大人しく寝ていないと、スフォールドに必ずそう言われた。
 実際に叩かれた記憶はないのに、夢から覚めると何故かお尻がヒリヒリする気がしてならない。
 そもそも、父を泣かすという意味すらよくわからないのに。
「旦那様、まだ喉は痛みますか?」
「ん、少し」
「なら、今日の昼食は、こちらに致しましょうね」
 器に盛られたすりおろしリンゴの上に、たっぷりのハチミツ。
「ふふ、やっぱりお前は私をわかっているね、モートン」
 嬉しそうに口を開けるフォスターにスプーンですくったすりおろしリンゴを運んでやりながら、風邪の主を喜ばせるこれが、スフォールドから伝授されたものだとは、黙っておくことにしたモートンだった。



おわり


  • 【道化師とお小言Teens4】へ
  • 【道化師とお小言のこと。】へ

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【道化師とお小言Teens4】へ
  • 【道化師とお小言のこと。】へ