フォスター家【オルガ番外編】

育ての親と育った子

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「ヴォルフ」
 静かな呼びかけに、執務机の前に立たされたヴォルフはビクンと肩をすぼめて、机の向こう側に掛けるフォスターを上目遣いに見た。
「もうしないと、約束したよな?」
 ゆっくり、ゆっくりとではあるが、それでも暴君と呼ばれた頃から比べれば、随分と穏やかになってきたヴォルフ。
 だが、それは心を許した相手に限ってのことで、顔見知り程度の使用人に対しては、まだまだかつてヴォルフ邸で奔放に振舞っていた時のような、感情の発露が見受けられる。
 貴族の中でも上位者である彼には、使用人が自分と同じ人間であるという感覚が乏しいのだ。
 結果、虫の居所が悪い時のヴォルフにとっての彼らは、八つ当たりで投げつける物に等しい。
 この屋敷に居を移したばかりの頃、使用人に手を上げた際にフォスターにきつく叱られて懲りた。
 なので、今度は彼らに無理難題を言いつけては仕事を遅らせ困らせる。
 この屋敷の使用人は彼の理不尽を、フォスター並びに自分を叱れる人々に言いつけることなく、与えられた職務を全うしようとすると気付いたからだ。
 この家の当主の、その生真面目な気質を見事に反映した家人たちは、頭の上がらないフォスターの身代わりとして甚振るのに、ちょうど良い存在だった。
 別に、頻繁にやるではなし。
 たまの気晴らし。
「ヴォルフ。返事は?」
「・・・叩いてない。蹴ってもいない」
 本当は怒っているフォスターが怖くて目を逸らすのだが、うそぶいてフンとそっぽを向く。
 フォスターの吐息が聞こえた。
「前に叱った時、そのような具体性云々を説いたか?」
 今にも執務机の前から逃げ出したい気持ちが、もじもじと落ち着きなく振れる仕草に滲み出ているヴォルフを、壁際に控えていたモートンが苦笑気味に眺めていた。
 緊迫した空気の二人には申し訳ないが、モートンは何やら懐かしい気分である。
 ああやって、もじもじとする上目遣いのフォスターを思い出してしまったのだ。
 主が四歳の時に出会い、フォスター家の家人となるべくスフォールドの教えを受け、彼が五歳の誕生日から本格的な従僕兼教育係の任についた。
 小さな主、アーサー坊ちゃま。
 社交界からクラウンという愛称で親しまれている父親も、元隣国の王女という母親も、驚くくらい、モートンの躾方に口出しをしなかった。
 結果、アーサー坊ちゃまの育ての親は自分だと言ってしまえる程だ。
 おこがましいと思う反面、くすぐったいような気分。
 ヴォルフを叱る姿を見ると、自分を見ているような気になるからだ。
「以前、同じことで私に叱られたね?」
―――以前、同じことでお諌めしましたね?
「その時、私は何と言ったかな」
―――その時、私は何と申し上げましたか?
「答えなさい。ヴォルフ?」
―――お答えなさい。アーサー坊ちゃま?
 その語調から抑揚まで、何と自分に似ているのだろうと思う。
 二十代半ばだった若造の自分が、全責任を任された主の養育。
 スフォールドという師匠がいたにせよ、必死の手探りであったから、立派に成長した彼に付き従う今を、とても誇らしく思う。
「~~~人に、意地悪しては、いけませんって・・・」
「いい子だ。ちゃんと覚えていたね。でも、もうしませんと約束したのに、それを破ったのは、悪い子だ」
「だ、誰が言いつけたんだ! その者が嘘を言っているとは、考えないのか!」
「使用人の一人ひとりに気を配ることができる執事が傍にいてくれれば、家人の機微も当主は知ることができるのだよ」
「言いつけたのはモートンか!」
「・・・ヴォルフ。お前が正しいなら、モートンは私に報告など入れないよ」
「~~~」
 モートンは次にフォスターがする仕草を予想してみた。
 案の定、手の平で軽く執務机を叩いて見せる。
 モートンのお仕置きはいつも屋根裏部屋であったから、叩いたのはオットマンの表面であったが。
 一度お仕置きを据えた事柄に関しては、必ず自らお尻を差し出すように主を躾てきたのだ。
「お尻を出しなさい」
 すでに半べそのヴォルフが、首を横に振った。
 その小さな抵抗にも、フォスターは座して動かない。
 そう。モートンも、いくらでも待った。
 そんな時間の間にも、自分なりに色々と考えて欲しかったからだ。
 目の前の子は、きっと自分の何がいけなかったのか、理解してくれると信じて待った。
 クスンと鼻をすすり上げたヴォルフが、ついにおずおずと執務机に上半身を伏せた。
「・・・お尻を出しなさい」
 重ねてのセリフは、自らズボンと下着を捲りなさいということ。
 恐る恐る、ヴォルフの両手がズボンをずらし、剥き出しのお尻がはみ出す。
 フォスターはまだ立ち上がらずに、机に伏した泣きべそのヴォルフの頭を撫でた。
「いい子」
「~~~痛い?」
「・・・うん、痛いよ」
「やだなぁ・・・、痛いの、やだな・・・」
「意地悪された人も、痛いのと同じに、嫌だったんだよ」
「もう、しない・・・」
「うん。前も、そう約束したね」
 スクと立ち上がったフォスターが背後に立ったことに、ヴォルフがベソベソとすすり泣き始める。
「一つ」
 ピシャンと乾いた音に、ヴォルフの顔が伏していた天板から跳ね上がった。
「~~~痛いぃ・・・」
「どうしてお仕置きなのか、言ってごらん」
「人に意地悪、した」
「・・・一つ」
 同じ数を数えられてお尻に振られた平手に、ヴォルフが涙目の顔をフォスターにねじ向ける。
「や、約束を破って人に意地悪しました、ごめんなさい、もうしません・・・」
「二つ」
「痛いよぉ・・・」
「・・・二つ」
「ふぇ・・・っ」
「・・・二つ」
「や、約束を破って人に意地悪しました! ごめんなさい! もうしません!」
「三つ」
「約束を破って人に意地悪しました、ごめんなさい、もう、しません・・・」
「四つ」
「ごめんなさいぃ・・・」
「・・・・・・四つ」
「~~~約束を破って人に意地悪しました、ごめんなさい、もうしません・・・」
 少しずつ赤くなっていくヴォルフのお尻を眺めて頬を掻いたモートンは、この後に主が所望するであろう氷嚢とタオルを準備するために、そっと執務室を出た。



 氷嚢用のブロック氷を取りに厨房を訪れたモートンは、その片隅にアイスピックで氷を砕いては氷嚢に詰めているスフォールドの姿を認めて苦笑した。
「おや、スフォールド。準備の良いことで・・・」
「使用人への悪さを、旦那様が厳しく叱らないわけがないからな。今頃、セドリック様は旦那様の膝の上でぴぃぴぃと泣いておいでだろうと思ってね」
「ふふ、残念。お尻を叩かれて泣いてはおられますが、膝の上ではありませんよ」
「ほう? あのセドリック様が、自らお尻を差し出した・・・と」
「氷嚢のお礼に、コーヒーを淹れましょうね」
 モートンが差し出したハンカチで包んだカップを、スフォールドがクスリと笑って受け取る。
「気が利くね、お前は」
 氷を握っていた冷え切った手に、ハンカチ越しのカップの熱が心地よい。
「どなたかに、厳しく教えを受けましたもので」
「そうかねぇ。こういう優しさは、お前独自のものだと思うけれど。お陰で、アーサー坊ちゃまは・・・いや、旦那様は、お前に似てお優しい人柄だ」
 コーヒーをすするスフォールドに、モートンが黙って微笑んだ。
「お? 珍しいね。褒めたのに、謙遜なしかい?」
「・・・はい。少し、自慢ですので」
 スフォールドは肩をすくめて再びコーヒーカップに口をつけた。
「お前に任せて良かった。これは、私の自慢」
 顔を見合わせてクスクスと笑った二人の執事。
「・・・旦那様は、お仕置き部屋に連れて行かれるのが余程怖かったようです」
「ああ、父親のクラウンと違って、幼い時の悪戯盛りを過ぎたら、叱られる要素の少ない子だったからなぁ。クラウンなぞ、週に一度の恒例行事だった」
「そ、それはそれでどうかと・・・」
 苦笑いするモートンに肩をすくめて見せて、スフォールドは当時をフォスターの少年時代を思い出すように指を手折った。
「ああ、そりゃあ怖がるだろうね。私が知る限りでも、お前が旦那様をあそこに連れて行ったのは、半年に一・二度だ」
「はい。余程怖かったと見えて、滅多なことではヴォルフ卿をお仕置き部屋には連れて行かれません。けれど・・・」
「けれど?」
「お仕置きの仕方がね、私と、そっくりなのです」
「お? 私に勝ったと言いたげだね」
 拳を口元に当ててクスクスと笑うモートンが、スフォールドの作った氷嚢を手に取った。
「いいえ? 適材適所の人事の妙に、感服致したまでにございます。では・・・」
 模範的な最敬礼を残して立ち去ったモートンに、スフォールドは肩をすくめた。
 正直、幼かったアーサーの教育係を自分が務めて、今のフォスター伯爵に育つことはなかったと思う。
 適材適所とは、よく言ったものだ。
 モートンが育てた現フォスター伯爵は、本当に、彼の祖父たる亡き先々代フォスター伯爵に似ている。
 穏やかで、優しい、公明正大で品行方正な、生真面目な伯爵様。
 それを先代フォスター伯爵たるスフォールドの主のクラウンが、どれほど喜ばしく思っているか、知っているのは彼だけだった。



 こういう時のノックは不要。
 モートンはそっと退室した時と同じように、静かにドアをくぐって氷嚢をサイドテーブルに置き、壁際に控えた。
「三十五」
「ふぇ・・・も、やだ、ヒリヒリする・・・」
「・・・三十五」
 ピシャンと、どこまでも軽く平手を落としているだけの音。
「フォスター、もう許してよぉ・・・」
 さて、どうなさいますか、旦那様?
 モートンが心の中で呟いた。
 自分の時はどうしたのか、つらつらと昔の記憶を辿る。
 このお仕置きは先が見えない分だけ辛いので、滅多なことではしなかった。
「あ」
 思わず声が漏れて、慌てて口を押さえる。
 そうそう。そうだった。
 大人しくて物静かなアーサーが、我慢を据えかねたように怒り出したのだ。
「もうしないと、何度言わせる! ここからだから、聞こえないのだろう!」
 上半身を起こした彼は、不機嫌満面で自分が伏せていたオットマンの蔦模様をバシバシと叩いた。
「座れ!」
「は?」
「主人の命令だぞ! 座れ!」
 涙目で赤くなったお尻をさすりながら言う少年に、モートンは気迫負けして言われるままにオットマンに腰を下ろした。
 すると、アーサーはその膝の上に腹ばいになり、キッと彼を睨み上げたのである。
「これでお前に近くなった! なら、聞こえるだろう!」
「はあ・・・」
「自分のやりたいことに夢中になって、夕食の時間に遅れ、コックや給仕のスケジュールを遅らせ、彼らの休憩時間をなくしてしまいました! ごめんなさい! もうしません!」
 いや、ずっと聞こえていたのだが。
「・・・わかっている。繰り返し言わせて、反省を刻みつけようとしているだけだって。でも、それなら・・・」
 十歳のアーサーにはまだまだ大きなモートンの膝に、涙をこすりつけるようにしてしがみつき、小さく呟く。
「それならせめて、温かいここが、いい・・・」
 そんな。
 そんな愛おしいことを言われて、お仕置きなど続けられるものか。
 モートンはアーサーを抱き起こして、膝の上に座らせて、頭を撫で、真っ赤になったお尻をさすってやったのだった。
 ああ、ダメだ。
 毅然とヴォルフにお仕置きを課す思い出の主が可愛くて、声を上げて笑ってしまいそうで、必死に唇を噛んで堪る。
「フォスター、もうしないよぉ・・・。だから、ここ、座って」
 机の向こうの執務椅子を指差すヴォルフ。
「顔、見たい。ここ、座って、笑って。頭、撫でて」
 あ。
 モートンが笑いを堪えつつ、上目遣いで主の様子を伺った。
 ほら、やっぱり落ちた
 吐息混じりにそっと手を下ろしたフォスターは、言われるままに執務椅子に腰を下ろして、天板にうつ伏せるヴォルフの顔を覗き込んだ。
「・・・もう一度だけ、言ってごらん?」
「~~~約束を破って、人に意地悪しました。ごめんなさい、もうしません・・・」
「本当に、もうしないよ?」
「~~~しないから・・・笑って?」
 破顔一笑。
 クシャクシャと両手で髪をかき回すようにヴォルフの頭を撫でるフォスターを、モートンは感無量の面持ちで見つめていた。
 自分が育てるはずだったヴォルフを、自分が育てたフォスターが今、こうして育て直している。
 あんなに小さかった子供たちが、こんなにも立派に成長して。
「モートン。『セドリック』の赤いお尻を、冷やして上げておくれ」
 自分の執事が元々ヴォルフの執事であった事情を知るフォスターが、何を言わんとしているのか、察しないモートンではない。
 深い、それは深い一礼を主に向けたモートンは、氷嚢を手に執務机の前のソファに掛けた。
「・・・セドリック様。恐れながら、モートンの膝の上においでくださいませ」
「モートンの・・・?」
 不安げにクスンと鼻をすすったヴォルフに笑みを浮かべて、フォスターが頷いた。
「あそこは、私の場所だから、誰にも渡したくないのだけどね。お前だけには特別に分けてあげるよ」
 モートンが苦笑してフォスターを見ると、彼はうそぶいてそっぽを向いたのだった。



おわり


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~ Comment ~

こんなに早く2人のお話が読めるなんて!嬉しいです!!また2人に会えるのを楽しみにしております(^^)

空さま

コメントありがとうございます(*^^*)

フォスターとモートンて、物静かな二人だなぁ。。。と、書いててつくづく思いました( ̄▽ ̄;)
ちょっと難産しますが、また書いてみます✩

拍コメのみなさまへ

いつもありがとうございます(^^♪
嬉しくて感謝ですm( _ _ )m
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