道化師とお小言【オルガ番外編】

道化師とお小言Teens3

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 父親のフォスター老伯爵のお供で、他家のパーティーやクラブの会合に訪れることの増えたクラウンが、最近、会場から姿を消したら必ずいる場所がある。
 今日も付き添い使用人の控えの間で時間潰しの読書をしていた近侍のスフォールドは、「また息子が姿をくらました」という主人の伝言を受けて、溜息をついて本を閉じた。
 最近、頻繁なのでちっとも読書が進まない・・・。
 いっそ、会場を抜け出した彼が必ずやってくる場所で、待ち構えながら読んでいる方が効率的かもしれないとは思ったが、脱走ありきの思考を展開していた自分のこめかみを小突いて席を立つ。
「おや、スフォールド。また放蕩児様が迷子かね?」
 同じ控えの間で各々の時間を過ごす他家の執事や近侍たちがせせら笑うのを、スフォールドは肩をすくめて微笑んだ。
「版画のように美しいお振る舞いのご主人様方をお持ちの皆様が、羨ましゅうございます。では・・・」
 控えの間を出て、スフォールドは再びコツンとこめかみを小突く。
 つい嫌味を返してしまうなど、我ながら未熟なことだ。
 まあ、『版画』という嫌味を、理解した者はいなかったようだが・・・。
「さて、前回のお尻ペンペンは、いくつだったかな」
 一度目は注意に止まり、二度目は長めの小言を聞かせ、三度目はその場で脇に抱えてズボンの上から平手を三つ。
「そうそう、前回は四度目で倍数。なるほどね、五度目なら、同じ倍数でもまだ十と踏んだか」
 スフォールドは手の平を揉みほぐすように、両手をこすり合わせて目的地へと歩を進めた。
「舐めるなよ、悪ガキ。今日は一足飛びでお尻百叩きだ」



「痛ってば痛い! もう勘弁してよぉ・・・」
 ギシギシと馬車が揺れるほど必死にもがいてスフォールドの膝から抜け出そうとするクラウンのお尻に、一際しならせた平手を見舞う。
「~~~っっっ! 痛いよぉ・・・」
「まだ十。後九十」
「無理~~~! もうしない! ごめんなさい!」
「もうしないも、ごめんなさいも、前回聞きました」
 取り付く島のないスフォールドがヒラリと振り上げた手を、首をねじ向けて見上げたクラウンが、両手をお尻に回して懸命に庇う。
「あのね! 僕がもう会場を抜け出さない為の、良い方法があるから!」
「は?」
 方法?
「その方法なら、僕、もう会場を抜け出したりなんか、絶~~~っ対、しないから!」
「ほう? それがお尻ペンペンより有効だとおっしゃるのであれば、伺いましょう?」
「あれ!」
 クラウンが膝の上から上半身を持ち上げて、窓の外を指差した。
 そこは招待先の駐車場。
 昔はここに馬から外された馬車が整然と並んでいたものだが、今ではその半数以上が普及の一途を辿る自動車となっている。
 クラウンが行き先々の会場を抜け出してやってくるのは、この自動車が居並ぶ駐車場であった。
 そこで、おもちゃ屋で目を輝かせる子供のように、一台一台を見て回っている。
 休憩している運転手とも仲良くなって、エンジンを見せてもらったりしているようで、すっかり自動車に夢中なのである。
「あれ、買って」
 おもちゃ屋の子供か。
 些かの目眩を覚えつつ、スフォールドは起き上がろうとしているクラウンの腰を膝に再び押さえつけて、ピシャンとお尻を叩いた。
「何を言い出すかと思えば、この子は・・・」
「お前に買ってと言ってるんじゃないよ。父上にお願いしてって言ってるの」
「そんなお願いはご自分でなさい」
「もうした! でも父上、あんな鉄の馬は嫌いだとおっしゃるのだもの」
 まあ、それはそうだろう。
 子息のクラウンはまだ十七歳の若者だが、高齢で一人息子を授かった老伯爵は御年七十。
 まだ自動車が人の肝を冷やす騒音の鉄のお化けとされた発展途上段階で、すでに大人だった彼らの世代は、飛躍的に進化を遂げた今も自動車を好まない。
 現に、少数派の馬車の主は、皆、フォスター老伯爵世代である。
「では、フォスター家のご当主のご意向に添いなさいませ」
「やだ、欲しい! だって、若い貴族はもうみんな、車で送迎だもの!」
「よそはよそ!」
 再びピシャンとお尻を叩き、ハッとする。
 なんだ、これは。
 遠い昔の記憶にある文句。
 貧しかった実家で、よく母が弟妹たちを叱りつけていたセリフと同じ。
 だが、あの頃の弟妹たちは十に満たない幼子だった。
 それなのに、今自分がそれを言っている相手は、国から成人と認められた十七歳。
 なんだろう。
 ものすごく、頭が痛い・・・。
「何も父上が嫌がる自動車に、乗ってもらおうなんて思っていないもの! 父上が馬車で、僕は自動車」
「運転手はどうするのです、運転手は。運転免許を持つ使用人なぞ、当家にはおりません」
 ニヤリと、クラウンが口端に笑みをなぞらえた。
「ふふ~、言ったね。その言葉が聞きたかったんだぁ」
「・・・え?」
「十項目に、お約束項目を増やされたよねぇ」
 お仕置きを逃れたくて嘘をつくことが散見されるようになったので、先月、いつものごとく屋根裏のお仕置き部屋で追加した約束事項。
 一つ、主従の間で嘘は厳禁。
「お前が以前仕えていた公爵は早くからの自動車愛好者だから、もしかしてと思って調べてたんだぁ。馬車と違って紋章がついてないから、どれが公爵家の自動車かわかんなくて聞き込みに時間かかっちゃったけど」
 今日まで頻繁になされた社交場の脱走は、この交渉に持ち込む為だったのだと思い知る。
「今日、ようやく見つけた運転手さんに聞いたんだぁ。思った通り、従僕として運転手もしていたんだってねぇ、お前。つまり、運転免許を取得済み」
「~~~」
「父上が嫌う自動車を僕がねだれば、お前は諦めさせる為に必ず免許がない振りをすると思ったんだぁ」
 ニンマリと笑う顔の、まあ小憎らしいこと。
「嘘つきさん。ほ~ら、さっき何て言った? 運転免許を持つ使用人なぞ、当家にはおりません。はい、復唱してごらん」
「・・・運転手を持つ使用人なぞ、当家にはおりません・・・」
 ニヤニヤと膝の上の腹ばいからスフォールドを見上げていたクラウンは、スっと背筋を伸ばして復唱した彼に、少しがっかりしたように肩をすくめて、うつ伏せのまま足をブラブラとさせた。
「つまんないの。もっと悔しそうにすると思ったのに。ま、いいや。お約束を違えたら、お仕置き、だよねぇ?」
「・・・左様にございます」
「じゃ、お仕置きとして、父上に自動車を買ってくださるように、説得すること。例え父上のお怒りを被ってでも、遂行してね」
「・・・はい、かしこまりました。お約束事項に反したお仕置きは、必ず、受けねばならぬものでございますから」
 このクソガキ。
 スフォールドは痛恨の迂闊さを恥じつつ、クラウンを膝から下ろした。
 一つ年少のこの青年、まったく、なんて奴だとしみじみ噛み締めつつ。
 叱られるのがわかっているのに、どうしてこうまで聞き分けなく抜け出したりするのかと思っていたら・・・多少の被害は織り込み済みとは。
 ああ、頭痛がする。
 肉を切らせて骨を断つ・・・と言うには大仰にしても、このやり方を上手く活用すれば、もっと貴族社会の深部に切り込んでいけるものを。
 何故。
 何故、自分の為のみにしか活用しないのだ、この悪童は・・・。
 


 ハッキリ言って、子息であるクラウンより、その近侍たるスフォールドの方が、老伯爵の信頼が高い。
 無論、それを計算尽くで説得役にさせられたのだろうが。
「わぁい! ありがとうね、スフォールド!」
 ピカピカの新車の納品に子供のようにはしゃぐクラウンが、可愛くないかと言えば嘘になるが・・・つい溜息も漏れる。
「私への仕置きは、これで果たされましたね?」
「うん、うん」
「今後、私は二度と嘘は申しません。ですから・・・坊ちゃま、聞いておられますか?」
「聞いてる、聞いてる。わかってるよ、お前が嘘をついたのは、僕のわがままをかわす為だもの。僕を裏切るような嘘は、絶対つかない」
「~~~」
 これだ。
 時折チラと見せる信頼。
 全幅の信頼を寄せられるより、何故だか心地いい。
 もっと信頼を勝ち取りたくなる。
 スフォールドは苦笑混じりに頭を掻き、クラウンが嬉しそうに撫で回している自動車の後部座席のドアを開けた。
「さて、エンジンも温まって参りましたし、初ドライブでもいたしましょうか」
「うん!」
 顔をほころばせて後部座席に乗り込んだクラウンを乗せて、スフォールドは久しぶりの運転席に腰を据え、ハンドルを握った。



 王都郊外まで走り抜けた自動車を降りたクラウンは、ご機嫌だった。
 すっかり民家も遠くなった小高い丘に降り立ち、なびく風を気持ちよさそうに両手を広げて受けるクラウンの背中は、心なしか大きく感じる。
「・・・スフォールド、社交場って、とてもつまらない場所だよ」
 運転席を出て同じく風を浴びていたスフォールドに、そんな呟きが聞こえた。
「お忍びで聞こえるのと、全然違う言葉ばかり聞こえてくる。労働階級はこの国の未来を憂いているのに、操舵できる貴族は、みーんな、自分の特権のことばかり」
「では、あなたが操舵を握ればよろしい」
 そう言ったスフォールドに、クラウンは顔を向けないまま肩をすくめた。
 伯爵家の後継ぎなど向いていないと、言うに言えない表情は、容易に想像がつく。
「お前、こんな青二才に期待し過ぎ」
「ふふ、上手く逃げましたね」
「・・・だってね、スフォールド。あんな立派な父上の後継ぎなんて重責、考えただけで息が詰まるよ」
 開放的な空間で心のタガが緩んだか、珍しく冗談めかした口調の鎧を脱いで話し始めた青年の吐露を、スフォールドは黙って聞くことにした。
「父上がお気の毒だ。どうしてあんな公明正大な人格者が、僕みたいな息子を授かってしまったのだろうね」
 貴族の子息が卒業して当然の学校を退学となり、出来損ないの次期伯爵と社交界で笑いの種になっているのは、スフォールドも知っている。
 おそらくクラウンは、後継ぎの重責から逃れたくて学校で悪さを繰り返し、思惑通りに退学を勝ち取ったのだ。
「・・・学校を退学とまでなれば、さすがに父上も僕を勘当して、親戚筋から後継ぎに相応しい養子を取るだろうって、そう思っていたのに・・・」
「それは、少々計画が浅はかでございましたね。旦那様が、どれほどあなた様を愛しておられるかが、考慮されていない」
 しばらく黙りこくっていたクラウンは、立ち上がって車に近付いてくると、スフォールドがもたれるボンネットに上半身をうつ伏せた。
「僕は、父上の後継ぎなんか向いてない!」
 スフォールドは苦笑してヒラリと上げた手の平を、約束を破る前提で差し出されたお尻に落とした。
「もう! 痛い! だって、向いてないものは向いてないのだもの! ~~~いっ・・・痛いな! いくら叩いたって、その事実は変わらないんだからな! 痛い痛い痛い!」 
 堪らずボンネットから飛び退いたクラウンは、ヒリヒリするお尻をさすりながら、拗ねたような上目遣いをスフォールドに投げかけた。
「坊ちゃま、あなた様がお父上のようになるというのであれば、なるほど、それは向いておられませんよ」
「認めたな!」
「認めるも何も、私は最初からお父上のようになりなさいと、一言も申しておりません」
「~~~」
「・・・クラウン(道化師)で、良いではないですか」
 手招きしても、お尻を庇って近寄ってこないクラウンに微笑んで、首を横に振って見せる。
「もうお尻ペンペンしませんから、ほら、おいでなさい」
 両手を広げてみせると、クラウンがようやく手の届く範囲まで歩を進めてきた。
 口には出さないけれど、高齢の父がいつ目の前からいなくなり、彼が支えている領地や家人たちの生活を引き継がねばならない責務を、幼い頃から真摯に受け止めていたのであろう。
 だからこそ、父に見限られたい一心で道化のようにおどけて過ごし、いつしかそれを我が物として体得した。
 体得したらしたで、今度は本心をこぼす場所を失って、ただただ上手くなった笑顔を刻んでいた、悲しい道化師。
「クラウン。良い子。お前は良い子。私は、笑っていても泣いていても、お前が大好きだよ」
「~~~泣いて、いても?」
「うん。むしろ、嬉しいね。道化師の仮面を、唯一私の前だけで外してくれるなんて、ずっと傍にいたいと思ってしまう」
 伸ばした手で彼の髪をくしゃくしゃと撫でると、クラウンは心地よさそうに目をつむっていた。
「いいかい、クラウン。お父上はお父上ができることを。お前はお前ができることを。それで良いのだよ。お父上流のフォスター伯爵を継ぐ存在は、もしかしたら、お前の息子かもしれない。そう考えたら、面白くないかな?」
「・・・この僕に、生真面目で、公明正大で、品行方正な、息子? ふふ、想像できないな」
「ああ、旦那様がお前という息子を想像もできなかったなら、十分有りうるさ」
 未来の息子像に二人がクスクスと笑いあった後、クラウンが至極真面目な顔をスフォールドに向けた。
「僕が僕のままでいても、お前はついてくると言ったね」
「・・・はい、坊ちゃま」
「約束だ。違えるなよ」
「はい。もう二度と、あなたに嘘はつかないと、申しましたでしょう?」
 再び小高い丘から望む景色に目をやったクラウンは、上着の内ポケットから手帳を抜いてスフォールドに差し出した。
「招待先で交わされていた不穏な会話の詳細と、言の葉の主を記してある。お前から、その具体性を調査するように、父上にお伝えしておくれ」
「・・・かしこまりました」
 トンマだ間抜けだ出来損ないだと、嘲笑を買うからこそ得られる情報を託されて、スフォールドは敬愛すべき道化師に、深い一礼を向けた。



 ハンドル捌きもご機嫌に、いよいよ屋敷の門扉をくぐった運転席のクラウンは、自動車の前に立ちはだかった人影に慌ててブレーキを踏んだ。
「いやはや、お見事。何もお教えしておらぬのに、見よう見まねで運転を覚えられましたか」
 ニッコリと微笑みを浮かべるフロントガラス越しのスフォールドの姿に、クラウンはゴクリと喉を鳴らした。
「あ~あ、どうしてここに・・・と? 私しか運転できる者がいない自動車のエンジンが聞こえれば、思い当たるのは一つにございますからね」
「し、私有地内なら、免許がなくても運転できるんだぞ」
「はい。私有地内であれば、大目に見ようと思っておったのですがねぇ」
 スフォールドが指差す地面は、門からはみ出した公道。
「お約束事項、十一項目目が追加でございますね。一つ、スフォールド同伴時以外、自動車に触れることなかれ」
「ま、待ってよぉ! 約束事に追加までしなくても、もうしない!」
 ツカツカと運転席に歩み寄ったスフォールドは、ドアを開け放ち、屋敷の屋根を指差した。
「生憎でございますが、私はあなた様を信頼していても、信用はしておりません。さっさと降りて、お尻ペンペンのお部屋へどうぞ」
「そんなぁ・・・。一度目じゃないかぁ」
「この鉄の馬が一度の悪さでもどれほど危険なものか、うんとお尻に教えて差し上げますよ。さあ、駆け足!」
 車から引き吊り出されたクラウンが、スフォールドの号令一下走り出す。
「逃げたら承知しませんよ!」
「うるさい、スコールド(お小言)! わかってるよ!」
「誰がスコールドですか! 私が自動車を戻してお仕置き部屋に着くまで、お尻ペンペンの姿勢で待っていなさい!」
 ピタリと立ち止まったクラウンが、すっかり不貞腐れた顔で振り返り、次いで、指で口端を広げて思い切り舌を出して見せた。
「~~~クソガキ」
 そう呟きながら運転席に腰を下ろしたスフォールドは、一部始終を眺めている門の守衛に見えないように俯き、クスクスと肩を揺らしていたのだった。



おわり 


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