道化師とお小言【オルガ番外編】

道化師とお姫様【後編】

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 窓辺のロッキングチェアに揺られながら、平穏無事に過ごせた一日を噛み締めてワインを傾ける、この時間が大好きだった。
 それなのに、あのお見合いパーティーから一変。
 ため息をつきながらのワインは、渋みばかりを感じてならない。
 グラスが空になったので、気の利かない執事の代わりに自分でボトルを取ろうとすると、それすら取り上げられてしまった。
「悩んでいるフリでちゃっかり酒量を増やさない」
「悩んでいるよー、ちゃんと。聞いてなかったの? 私の深ぁい心の吐露」
「聞いておりましたから、取り上げたのです。な~にが、神様、もうやめてくださいですか。神はあなたの深酒の言い訳の為におられるのではございません」
「主人の機微を思いやれない執事とか、あー、やだやだ」
「はあ? どの辺りが機微でございましょう。失脚ですか、没落ですか、姫君を幸せにする自信がないですか」
 ワイラー派閥を敵に回せば、確実に失脚。
 領地に居を移し、二度とこの王都に戻れない。
 いや、王都そのものに未練はないが、失脚した領主の元で暮らす領民はどうなる。
 収入源である生産物の流通は、王都はもちろん各領地から敬遠されて、銀行からの運転資金の貸し付けとて貸し渋られるだろう。
 彼らの生活が、立ち行かなくなる。
 領主として、自分の恋心などで領民を苦しめるわけにはいかない。
「あ。お前、鼻で笑ったね」
「ええ、笑いましたとも。そんなこと、旦那様が本気を出されれば、チョチョイと解決致しましょうが」
「だって現状維持でいたいんだよぉ」
 駄々をこねるようにロッキングチェアを揺らす主人を呆れて眺めつつ、スフォールドは彼のグラスにワインを注いでやった。
「どうしても現状を維持なされたいのであれば、姫君をワイラー卿に嫁がせなさい」
「うーん、それもなぁ。可愛いんだよねぇ、あのお姫様。・・・なんだよぉ、その顔は」
「ああ、この顔はでございますね、呆れて物が言えないという顔にございますよ」
「一緒に飲もうって言おうと思ったけど、そういうこと言うなら・・・」
「そんなに可愛らしゅうございますか、その姫君は」
 差し出されたボトルを受け取ったクラウンは、彼がサイドテーブルから持ってきた新しいグラスにワインを注いでやった。
「うん、可愛いねぇ。でもさ、あのお姫様、ワイラー卿は怖いから嫌だって。私も本気を出したら、ワイラー卿みたいに怖くなっちゃうからさ、嫌われたくないなー」
「ま、惚れた相手の為に本気を出して怖がられて嫌われたら、本末転倒にございますね」
「だろ? そこが悩みどころなんだよね~」
 大仰なため息をついてグラスを仰いだクラウンに、スフォールドが肩をすくめた。
「ならば、怖がられないように、ヘラヘラしておられればよろしゅうございましょう。作り笑いは、旦那様最大の武器ではございませんか」
 どんな笑顔が人に警戒されないか、すんなり懐に入り込めるか、面従腹背と感づかせないか、如何に相手の油断を誘い、この間抜けになら何を話しても大丈夫と思わせるか。
 この十年で培った、柔和の破顔。
「いい加減、腹を括ってはいかがです、旦那様。あなた様の如才なき立ち振る舞いの妙は、それこそ神が、保身の為のみに与えられたものではございません」
 深い溜息をついたクラウンは、ガリガリと頭を掻いて宙を仰いだ。
「あ~あ、さらば、安穏生活」
「やることはさほど変わりありますまい、大袈裟な」
「心持ちの問題だもの。―――スフォールド」
「は」
 手にしていたワイングラスをテーブルに置いて、スフォールドが頭を垂れた。
「明日一番で、ワイラー卿に謁見願いの使者を。待たされることはなかろう。必ず食いついてくる」
「かしこまりました」
「この際、落手すべき駒は自国王でも隣国国王でもない。ワイラーだ」
 あの男は趣味にこそ難はあれ、切れ者だ。
 父公爵に伴われて社交界で顔見世に巡っている、まだ少年だったワイラーを幾度か見かけたことがあるが、クラウンの防衛本能が激しく警鐘を鳴らしたのを、今でも鮮明に覚えている。
 ―――この男を敵に回してはいけない。
 そしてやはり、五年前の先王崩御の代替わりにより、若干二十歳で爵位を継いで議会入りして以来、その辣腕を振い続けている。
 ただの最高位貴族のボンボンではない。
 王家への忠誠という羅針盤を携えて、彼は舵をとっている。
 幸いなことにワイラーとクラウンの指針は、同じ方向を指し示していると見た。
「庭師には、切れ味の良い鉈が必要だしね」
 窓から望む庭園を眺めたクラウンはいつも通りの笑顔だが、その目はどこまでも冷徹な光を揺蕩わせていた。



「ほお、失敗とね。まだ期限まで四日もあるというのに」
 案の定、謁見願いを出した翌日には、ワイラー邸に訪れる了承を得られた。
「そうなんですよねぇ。姫君はまだまだ子供の十五歳。派閥争いや権力闘争と申し上げましても、ピンとこないご様子でして・・・。ほとほと困り果てました」
 大仰な吐息をついて首を振るクラウンを、ワイラーが鼻で笑った。
「別に構わんよ。聞き分けのないお姫様には、私の目の前で姉君のお仕置きをいただいて泣いていただくだけのことだ」
「でも、可哀想じゃないですかぁ。紳士にお仕置き姿を晒されるなんて。・・・ですが」
「ですが? なんだね」
「私が身代わりにと申し出ても、ワイラー卿の大好物のスパンキング趣味にはそぐわないですよねぇ」
 ワイラーは呆れ果てた様子で両手を広げた。
「当たり前だ。誰が自分より五つも年長の男の仕置など見たいと・・・・・・おい」
「はい?」
 にっこりと微笑んだクラウンに、ワイラーが顔を強ばらせた。
「何と言った」
「ですから、ワイラー卿がこよなく愛する、スパンキング趣味と」
 今、目の前で顔を真っ赤にして唇を震わせている彼は、切れ者で狡猾だ。
 その自覚と自信がある。
 だからこそ、隠し事を見抜かれた際の対応を、準備していない。
「き、貴様・・・それを何故・・・」
「宮廷に出入りする方すべてに、クラウン(道化師)と呼ばれる為にございますよ」
 微笑みの中に本性を揺蕩わせたクラウンを見つめ、ワイラーは額から吹き出る汗を拭ってテーブルのティーカップを口に運んだ。
 は。さすが。
 カップから顔を上げた時には、すでに動揺を収めているではないか。
「なるほど。あなたのその頭の中には、王都内すべての貴族の腹の中が書き留められているというわけか」
「そうですねぇ、ワイラー卿のお役に立てるくらいの情報量は」
「・・・で、あろうなぁ。クラウン、いや、フォスター卿。あなたはどの派閥にも属さないまま、孤立するでもなく、むしろどの派閥からも快く迎え入れられていた。まるで、転々とある花畑をヒラヒラと飛び回る蝶々のように」
「ええ、そこに甘い蜜があれば参ります。そこでたまたま、花粉がついて参りますので・・・どこにその花粉を持って飛べば良いか、考えておったのですがね」
 ワイラーを見つめるクラウンの口端に、計算され尽くした笑みがなぞる。
 それを黙って眺めていたワイラーは、やがて鼻で笑った。
「あなたと、手を組めと?」
 クラウンは席を立ち、窓辺からワイラー邸の庭を眺めた。
「・・・飛び回った蝶々に見えるのは、枝や蔦がいびつな宮廷庭園。見るに堪えぬ枝ぶりならば、切って捨てるがよろしゅうございましょう。国王陛下に気持ちよく散策していただけるように」
 その彼の背中を見つめたワイラーが、失笑を浮かべる。
「底の知れない男とは思っていたが、この私を鉈に使おうと? 何て男だ」
 振り返って微笑むクラウンに、ワイラーは肩をすくめた。
「良かろう。国王陛下の御為とあらば、使われてやるさ。して、手始めにどこから手入れを始めようね」
「まずは、ワイラー卿ご自身の庭園整備をお勧め致します。鉈に蔦が絡まって動けねば、何もなりませんからね。・・・ただ、領民に罪はありませぬ。その辺りの手当も考えませんと」
 ワイラーが呼び鈴を鳴らした。
「ゆっくり話そうか、フォスター卿。お茶? ワイン?」
「ではワインを。・・・どうぞ、クラウンとお呼び下さい。蝶々の羽をつけた滑稽な道化師のままいる方が、ワイラー卿のお役に立てますが故」
 好きな言葉は計画通り。
 座右の銘は暗中飛躍。
 希望する未来は道化師としてヒラヒラと舞い、王家と国民が笑ってくれること。



 その後、数ヶ月の間で失脚、あるいは閑職に追い込まれ、領地を王家に接収された貴族は十数家にも及んだ。
ワイラー公爵の庭掃除は、新王戴冠後の現在でも、語り継がれることとなる。
 フォスターは、しばし唖然として目の前の高位二人を見つめた。
「あの、庭掃除の裏に、父上が・・・?」
 前フォスター伯爵アーサー三世ことクラウン。そして、ローランド公爵が肩をすくめる。
「ビーがワイラー卿を袖にして私に嫁いだことが、逆に幸いしたんだよね~。それで大恥をかかされたワイラー卿が私と組んでいるなんて、誰も考えないもの」
「で、ですが、何故ローランド公爵に・・・」
「ああ、それは、隣国姫君の降嫁先が伯爵家じゃまずいということで、国王陛下に接収したローランド公爵領を下賜されたから」
 確かに、爵位を複数持つ貴族は珍しくない。
 けれど、普通は・・・。
「変わった男だよ、君の父上は。普通、複数の爵位を持つ貴族であれば、名乗るのはその中の最高位だというのに、彼は最後までフォスター伯を名乗り続けた」
 ワイラーが呆れたように肩をすくめると、ローランドはいつもの調子でヒラヒラと手を振った。
「最高位じゃ聞けない情報があるでしょ。伯爵辺りが、ふわふわ飛んで回るのに一番都合が良かったのですよ~」
「これだよ。怖い男だ、君の父上は」
 ローランドがソファの背にもたれて、ため息混じりに天井を仰ぐ。
「あ~あ、まーた議会復帰かぁ。座右の銘の現状維持が、ビーのお陰で暗中飛躍になっちゃって、それでもようやく安穏隠居生活に入れたのに、」
「観念するんだね。あの時のような掃除をしなくて済むように、若い連中の教師はいくらでも必要だ」
「公爵じゃ、暗中飛躍も難しいしなぁ。新しい座右の銘、考えなくちゃ」
「発人深省(はつじんしんせい)辺りでどうかね」
「あはは、いいですね、それ。そう言えば、今日の議会でヴォルフの提案を叩きのめして再考とさせたじゃないですか」
「それが?」
「あれでヴォルフが拗ねちゃって、車中で癇癪起こしたらしくてねー、それをスコールドに叱られたくないもんだから、屋敷中逃げ回っちゃってて、もう大変」
「え!?」
 声を上げたのはフォスターだった。
 フォスターの前では神妙にスフォールドについて行ったので、観念してお仕置きを受けているとばかり・・・。
「やれやれ、困ったものだね、あの子にも。フォスター卿、あの案件は問題箇所さえ修正できれば王都発展に望ましい提案だ。ちゃんとヴォルフ卿を導いてやってくれたまえよ」
 ワイラーは席を立つと、クラウンことローランドに握手を求めた。
「では、議会で」
「おや、もうお帰りで? 妻が会いたがっておりましたのに」
「君を議会に引き戻す目的は果たしたのでね」
 ローランドに倣い、立ち上がってワイラーの背に一礼をしたフォスターは、訝しげな顔を上げた。
 ヴォルフをまたお仕置きできる絶好のチャンスを目の前に、こんなにあっさり帰って行くとは思わなかったのだ。
「やだなぁ、アーシャ。ワイラーのこと、誤解してない? あの人の趣味の対象は、あくまで十五歳以上の成人女性だよ~」
 それはそれでどうかと思うが。
「対象外でお仕置きされたなら、彼の本気の躾だよ」
「はあ・・・」
「あ。アーシャに趣味の殿堂を乗っ取られて腹が立ったから、徹底的にケインを据えてやったって、電話で笑ってたことあったな。それは単なる仕返しだね~」
「~~~」
 やっぱり嫌いだ、あの男。
「ほらほら、ぼんやりしてないで、手のかかる弟の捕獲」
「え? あ」
 ローランドに背中を押されて、フォスターはとりあえず屋敷の一階の吹き抜け辺りまで歩いていくと、深く息を吸い込んだ。
「ヴォルフ! 私はここだ! さっさと出てきなさい!」
 吹き抜けに反響して仕事中の使用人が皆振り返るような大きな声に、二階の手すりからスフォールドが驚いて覗き、応接間を出てきたローランドが、その姿を見つけて階段を上がる。
「やあ、スコールド、ご苦労様。年なのに走り回らされて、大変だったねぇ」
「誰が年ですか、誰が。私はまだ五十代です」
「悪童に手こずるお前を見られるなんて、人生ってホント色々あって面白いねぇ」
「まったくです。まあ、一番の保護者がついていますから、その点はありがたいのですがね」
「そうだねぇ。さすが私の息子」
「よくおっしゃいますね。三歳の坊ちゃまを初めて叱ったら、怖がって近寄ってこなくなったのがショックで、教育を全部私に丸投げなさったくせに」
「だ~って、可愛いアーシャに嫌われたくなかったのだもの」
「・・・ずるいお方だ」
「ふふ。今晩、久しぶりに一緒にワイン飲もうよ」
 スフォールドは肩をすくめて手すりの下を覗き込んだ。
 そこには、おずおずとフォスターに近づいてくるヴォルフの姿が見えたのだった。



「自分で出てこられたね、良い子だ。だが・・・」
 フォスターに睨まれて、ヴォルフはしゅんと俯いた。
「お仕置きはしないとね」
 今にも泣きそうな視線を跳ね上げたヴォルフを、フォスターが覗き込む。
「自分がどういう悪い子だったか、言ってみなさい?」
「・・・癇癪、起こした」
「うん。それは?」
「フォスターにも、スコールドにも、前に叱られて、もうしませんって、約束した」
「そうだね。何度も約束したのに、また破っちゃったね。それなのに?」
「叱られたくないから・・・逃げた」
「・・・悪い子だ。今日は少し、道具を使うよ」
「え・・・!」
 フォスターは踵を返して、涙目のヴォルフを振り返った。
「無理に連れてはいかない。手も引かない。自分で、ついておいで」
「~~~」
 屋根裏部屋への道を歩き始めたフォスターの背中を、唇を噛んで見つめていたヴォルフだが、やがて、トボトボと彼の後をついていったのだった。



終わり


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