道化師とお小言【オルガ番外編】
道化師とお姫様【中編】
「痛いわ、お姉様! もう許して!」
王宮の来賓室のソファで、姉である王妃の膝に俯せに据えられたベアトリスは、ドレスの上からとはいえ檜扇を幾度も振り下ろされて、とうとう我慢できずに声を上げた。
「声を上げるなと言いつけました。言いつけを破ったお仕置きの最中に、また言いつけを守れないような子には、もっと厳しくしないといけませんね」
「あ!」
ドレスの裾が捲くり上げられてドロワーズが引き下ろされると、すでにほんのりとピンク色に染まったお尻が現れる。
ベアトリスが目に涙を浮かべて姉王妃に首をねじ向けた。
「嫌よ、お姉様・・・。ビーはこんなお仕置きされたことないの。だから声が出ちゃったのだもの」
「本当に、お父様もお母様もあなたには甘いのだから・・・。お母様、お分かりでしょう? 甘やかしてばかりいるから、今日のような大事に至ったのでしてよ」
末娘の可哀想な姿を見ていられないとばかりに、窓の外を眺めていた二人の母であるリュンベルク王妃は、困ったように振り返った。
「ごめんなさいね、アレクサンドラ。けれど・・・」
アレクサンドラの鼻にシワが寄る。
そろそろ許してやって欲しいなどと言われたら、はしたなくも喚いてしまいそうだ。
自分の時はあんなに厳しかったくせに・・・と。
まあ、そのお陰でこの国の王妃としてつつがなく過ごせているのだから、感謝はしているが、だからこそ腹立たしい。
ちゃんとした躾ができるくせに末姫にはそれを怠ったものだから、国王の腹心とは言え力も強大な外戚筋のワイラー公爵家に、とんだ恥をかかせてしまった。
ワイラー公爵家を敵に回せば、国王の治世は荒波に飲み込まれること必至。
「けれどね、アレクサンドラ。どうにか、ビーの想いを遂げさせてはやれないものかしら」
「・・・は?」
「お父様も、それで良いとおっしゃると思うのだけど・・・」
アレクサンドラの手から、檜扇が落ちた。
「そ、そちらが良くてもこちらにはこちらの国の事情がございます! お母様も一国の王妃であればお分かりでございましょう!?」
「やっぱり駄目かしら」
「当たり前ですわ!」
アレクサンドラの耳に、不満そうな吐息が聞こえて膝の上の妹姫を見ると、足をパタパタとさせてお菓子をねだる子供のような目で彼女を見上げているのと目があった。
「ビーは、フォスター伯爵がいいなぁ・・・きゃあ!」
檜扇を床に落としてしまったので、仕方なしに平手で思い切り引っ叩く。
「痛いよぉ・・・」
淡いピンクのお尻に、見る見る真っ赤な手形が浮かび上がった。
「お姉様、もう嫌よ。お尻がヒリヒリする」
こちらの手だってヒリヒリして痛い。
ああ、檜扇を落としてしまったのは失敗だった。
侍女がいれば檜扇を拾わせられたが、さすがに隣国の姫君をお仕置きする姿を見せられないので退室させてしまったし、これはもう、覚悟を決めるしかない。
「大切な外交の一貫であるお見合いを台無しにした挙句、我が国に火種を投げ込んだことに、何の自覚もないようね」
膝から抜け出そうとしているベアトリスの腰を片手で押さえ込んだアレクサンドラは、平手を高く振り上げた。
「まずは、その自覚ができるまでお仕置きよ。その後から、それを反省するお仕置きですからね」
「そんな・・・きゃあ! 痛いわ、痛い! お姉様、もうやだぁ!」
「声を上げない! 声を出して良いのは、私の質問に答える時だけですよ。でないと、お仕置きはいつまでも続きますからね」
「本当に、本当に申し訳なかった、ワイラー卿」
王室のテラスで差し向かいの下座に座る公爵に向けて自国と隣国の両国王が頭を下げる図など、まあお目にかかれないだろうが、フォスター伯爵ことクラウンはできれば一生お目にかかりたくも、そんな場に立会いたくもないのに、当事者の一人としてここの通されてしまったものは仕方がない。
それにつけても、とんだことに巻き込まれてしまった。
こんなことなら、見合いの添え物役などお断りすれば良かったとつくづく思うが、それはそれで、ワイラー公爵派閥に睨まれるだろうし、結局は波風が立っただろう。
ため息。
順調に過ごしてきた十年目に、まさかこんな落とし穴が用意されていようとは。
「ワイラー卿、そこで相談なのだが・・・」
リュンベルグ国王が黙りこくっているワイラーを見つめた。
「姫の婿の権利をね、そこのフォスター伯爵に譲ってはもらえまいか」
「・・・は?」
・・・は?
ワイラーの言葉を、クラウンは心の中で繰り返す。
「・・・私は別に、結婚を焦るような年でもございませんので、別にそれでもかまいませんが?」
ワイラーは座るソファの背後に控えていたクラウンを流し見た。
その視線の不機嫌な色味を察知して、クラウンは必死で両手を振った。
「リュンベルグ国王陛下、ご無礼を承知で申し上げます。そのような分不相応は困りまする。そもそも姫君降嫁に伯爵家などと、聞いたことがございませぬ」
「それはそうなのだが・・・」
その時、侍従がアレクサンドラ王妃の来訪を高らかに告げた。
アレクサンドラはワイラーの白けた顔色に、父王が何を言い出したのかすぐに察しがついたらしく、彼の前まで歩みを進めると臣下にするには恭しいほどのお辞儀を向けた。
「ワイラー卿、この度は我が妹姫がとんだ粗相を致し、大変失礼致しました・・・あ」
右手から、摘んでいたドレスが落ちた。
「重ね重ね失礼を・・・」
ワイラーは王妃のお辞儀にも不機嫌さを強調するために立たずにいたが、彼女がドレスを取り落とした理由を見つめて、笑みをこぼす。
「・・・右の御手が赤く腫れておられますね。どうなさいました、妃殿下」
あ。
クラウンは小さく吐息を漏らす。
彼の悪い癖が出た。
平穏無事の凪生活を送る為に、クラウンは各貴族たちの性質を事細かに観察している。
それで気付いたワイラーの嗜好。
彼はスパンキングのお仕置きを、こよなく愛す人である。
あの笑みは、間違いなく手の腫れた理由に興味を示した目だ。
「これは・・・あなたに恥をかかせた妹姫に、お仕置きをしたもので・・・」
「ほお、妃殿下御自ら。それは申し訳ございません。・・・して、どのようなお仕置きを?」
ほら、やっぱり。
王妃の口からお仕置きの内容を聞いて楽しむつもりだ。
「無論、丸出しにしたお尻をたんと叩いて参りました」
「それはお可哀想に。白魚のような御手がそのように痛々しく腫れるまでとは、一体いくつ叩かれたので?」
「さあ、わかりませんわ。あのパーティー後から今まで、ずっと膝から下ろしませんでしたから」
「おやまあ、それはまた随分と手厳しい」
クラウンは天井を仰いだ。
悪い癖ではあれ、彼の機嫌が少なからず直ってきていると感じて、ホッとしたのだ。
「ワイラー卿、父王が何か失礼なことを申し上げたやもしれませんが、どうかお忘れくださいませ。必ず、妹姫はあなたに嫁がせます。フォスター卿!」
「は、はい、妃殿下!」
「あなたもベアトリス姫を説得してください。わかりましたね」
せ、説得?
ということは、すなわちキツイお仕置きを受けても、ベアトリス姫の心は変わらなかったということではないか。
ジロリとワイラーに睨み上げられて、クラウンはその視線から逃れるように深々と頭を垂れた。
「私めが如何に姫に不釣り合いな者かどうかご理解いただければ、お心もお変りになりましょう」
おそらくワイラーが口を開かぬ限り、この場の誰もクラウンに頭を上げるよう言えないだろう。
構わない。
一時間でも二時間でも、最敬礼の姿勢を保ってみせる。
「・・・一週間」
ワイラーが言った。
「一週間でケリをつけたまえ。それくらいあれば、次のパーティーの仕度も問題ございませんでしょう、陛下、妃殿下」
表を上げろと言ってくれないので、クラウンは頭を下げたままじっと耐えていた。
「それから・・・」
顔は見えないが、おそらく彼が笑みを含んだ表情を浮かべているのがわかる。
「一週間の猶予の後も、ベアトリス姫のお心がお変りないのなら、そのパーティーで私はフォスター卿に姫を譲る心の広い男を演じさせていただきますよ」
「おお・・・!」
両国王よ、「おお」ではございません、「おお」では・・・。
「ただし、その時は・・・こちらでアレクサンドラ妃殿下よりのベアトリス姫のお仕置きを、私の目の前で執行していだきましょうか」
両国王とアレクサンドラ王妃が息を飲む。
ほら・・・やはりこういうことを言い出した。
「私がかかされた恥を思えば、当然のことと思いますが?」
この男、結果がどちらでも良いのだろう。
いや、むしろクラウンの説得が失敗する方をこそ、楽しみにしている気がする。
これは、失敗に導く方が得策なのか?
いや。
いやいやいや。そうはいかない。
ワイラー卿のスパンキング趣味に気付いているのは、おそらく自分だけだ。
例え彼の趣味を満足させても、ワイラー派閥・・・いや、そのほかの貴族達にも、公爵の婚約者を奪った男として認定されてしまう。
ここは何が何でも、徹底的にベアトリス姫に嫌われて、ワイラーの奥方に収まってもらうしかないと決意するクラウンだった。
「・・・なあ、スコールド。君のように振る舞えば、女性に敬遠してもらえるだろうか」
帰りの車中、車を運転する執事に問うと、彼が外した白い手袋が飛んできた。
「決闘の申込みなら、受けて立ちますよ、旦那様」
「やだなぁ、ちょっとした冗談じゃないか。怒るなよぉ、スコールド」
胸元に張り付いた手袋を摘んでヒラヒラ降ると、クラウンは大仰な溜息をついてシートに寝転がった。
「冗談じゃないよ、ホント。明日から一週間も王宮通いだ。たかが伯爵が王宮通い? あー、嫌だ嫌だ。目立つよー、そんなことしたら」
「元々目立つ才覚の持ち主が、無理にそれを覆い隠してきたツケが回ってきたのでございましょう」
「才覚なんていらなーい。私の望みはただただ凪の人生」
「まあ、確かに御年十九で爵位をお継ぎになられた旦那様に、ご同情申し上げますけれどね、あなた様も来年には三十におなりなのですから、そろそろ本気を出されてはいかがです?」
「出してるよー、本気。本気で安穏老後目指し中」
スフォールドは肩をすくめて黙っていたが、ふと口を開いた。
「ベアトリス姫は、どのようなお方だったのですか?」
「ん~? ・・・可愛かったよ。大きなお目目がキラキラしてて、白皙の頬がほんのり桜色に染まってさ。とてもおっとりした明るい人柄だと感じた」
絵が浮かぶ。
バスケットに詰めたサンドイッチやリンゴにワイン。
当主一家のピクニックは使用人たちの大事な休息時間だ。
芝生に寝転がるクラウンを覗き込んで、やれリスがいた、やれ魚が跳ねた、鳥が飛んでいる、雲がうさぎだ、亀だと、楽しそうなおしゃべりをする姫君。
クラウンは別に何も答えなくても、きっと彼女は楽しげに話し続ける。
それをうるさいとは感じないし、彼女もまた「聞いてるの?」とも聞かないだろう。
そして、たまに相槌を打つと、とても嬉しそうな微笑みが返ってきて・・・・・・。
「違う」
ハッと我に返ったクラウンは、脳裏の妄想をかき消すように手を振って、ムクリと体を起こした。
クラウンは襟を正して近衛兵の立番する王宮の扉をくぐった。
目指すは隣国王女の来賓室。
「フォスター伯爵!」
駆けてくるお姫様に、フォスターは目を丸くして立ち止まった。
「お待ちしていたの。お姉様からフォスター伯爵がいらっしゃると聞いて、待ち遠しくて」
ああ、やめてください。
そんなキラキラした瞳で微笑まないで欲しい・・・。
「あのね、フォスター伯爵。中庭の噴水の周りの花壇が、とても綺麗なの。一緒に見たいわ」
「は、はあ・・・」
グイグイと腕を引かれて中庭まで引っ張り出されてしまったクラウンは、どうにも言い出しにくい雰囲気にされつつある状況に、頭をひと振りした。
駄目だ、いけない、忘れるな。
これはすべて、凪の人生を守るため。
「あー、ベアトリス姫」
「ビーで良いわ」
「ベアトリス姫、お聞きください」
ベアトリスはどう見てもクラウンの言葉を聞いていていない様子で、じっとベンチを見つめている。
「・・・どうなさいました?」
「あのね、ここに座って噴水と花壇を眺めたいと思ったのだけど、これ、鋳物でしょ。昨日いっぱい叩かれたお尻が、まだ痛いの・・・」
あ。だめだ。可愛い。
クラウンはお尻をさすって困り顔のベアトリスに苦笑を隠せず、脱いだ上着を丁寧に畳んでベンチに置いた。
「これで、少しはクッションになりましょう」
上着の上に腰を下ろしたベアトリスが、ニコリと微笑んだ。
「ありがとう、フォスター伯爵。やっぱり、あなたは思っていた通りの方ね」
しまった、違う、そうではなくて。
「ベアトリス姫、そんなことは紳士なら誰でも致すこと。お聞きください、私めが本日参りましたのは・・・」
「私をお嫁にできないと、言いに来たのでしょ。お姉様から聞いたわ」
「そ、そうです! それに、私の妻になると押し通されたら、またお姉様にお仕置きされてしまいますよ」
「・・・いいわ、それでも」
やめてくれ。そんな覚悟はいらない。
「だって、ワイラー公爵という人、怖いのだもの。あの方のお嫁になったら、それよりたくさんお尻を叩かれてしまいそうな気がするの」
クラウンは片手で顔を覆って天を仰いだ。
ワイラー卿、こんな年端も行かぬ小娘に見抜かれておりますぞ・・・。
ベンチからスクと立ち上がったベアトリスは、クラウンの頬に両手を添えた。
「どうしてかわからないけれど、絵が、浮かんだの」
「絵?」
「ビーは楽しくお喋りしていて、あなたはただ黙って傍らで寝そべっていて・・・」
それは、昨日の自分が描いた絵と同じ。
「時折、そっと微笑んで相槌を打ってくれるあなたに、ビーはとても嬉しくなる。そんな絵が浮かんだの」
神様。
やめてください、神様。
確かに、自分はこの娘に一目惚れを致しました。
この娘も、自分に一目惚れをしてくれたこと、とても嬉しく思います。
けれど、もうやめてください。
結ばれたところで、今のままで、この娘を幸せにできる自信がありません。
フィスター伯爵家を存続させることができなければ、彼女も共に没落してしまうのです・・・。
つづく
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