オルガ

第三十八話 懲りない侯爵と保護者たち

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 王都フォスター邸の使用人フロアの休憩室。
 その窓辺の長椅子に、グッタリとしたスフォールドが仰向けに寝転がっていた。
「おや・・・、お疲れの様子ですね、スフォールド」
 ドアをくぐって声を掛けたモートンに、スフォールドは寝転がったまま手をヒラヒラと振って見せる。
「コーヒーでも淹れましょうか」
「ありがたいね、ミルクたっぷりの甘めで頼むよ」
 ダルマストーブの上でゆらゆらと湯気を上げている釜から、湯を汲み上げるモートンを眺めていたスフォールドは、気だるそうに体を起こした。
「せっかく二人きりだ。愚痴を言うぞ」
「はい、どうぞ」
「ほとほと参った! あの大きな子供は、どうにも手が焼ける」
 モートンはクスリと微笑んで、髪をクシャクシャとかき回しているスフォールドを振り返った。
「昨夜は随分ときついお仕置きをなさったようですね。朝食中にずっとお尻を擦っておられた」
「きつい? とんでもない! 自分でお尻を差し出すこともできない子供なのだぞ。膝で平手が精一杯だ。まあ、百以上は引っ叩いたがね」
「はは、それはお泣きになったでしょうね」
「ああ、それはもうぴぃぴぃと・・・」
「それで、何を仕出かされたのですか?」
 差し出されたマグカップを受け取って、スフォールドは一口すすると肩をすくめた。
「印璽(いんじ)をな、無くしおった」
 モートンは彼の差し向かいに引いてきた椅子に腰を下ろそうとして、固まる。
「あり得るか!? 印璽だぞ! 家の命運を左右すると言っても過言ではない印璽をだ!」
 スフォールドがただ愚痴としているなら、紛失した印璽はすでに見つかっているのだろうから、モートンは気を取り直して椅子に掛けた。
「しかも! 無くしたことを丸二日、黙っているときた」
 もはや笑うしかないモートンである。
「どうにも挙動不審だったので、何かあるなとは思っていたのだが・・・印璽が必要な書類ばかり溜まり始めてね」
 だがしかし、長年、真っ当な貴族の屋敷に勤めてきたスフォールドは、まさか当主が印璽を無くすなどと想像もしていなかったのだ。
 そんな彼の元に、教鞭を携えてファビオが訪れたのは昨夜。
 洗濯に出されたヴォルフの上着のポケットに、これが入っていたと下女に渡されたと言っておずおずと差し出されたのが、印璽であった。
「これって、大切な物なんですよね? 僕がいけないんです。ポケットをよく調べずに洗濯に出してしまったので・・・。申し訳ありませんでした」
 印璽ごと教鞭を手渡され、黙ってスフォールドにお尻を差し出したファビオの姿に、彼は眩暈を覚えて姿勢を戻させたという。
 洗濯物のポケットの中身を確認するのは下女の役割で、執事や小姓の範疇を超えている。
 それなのに、わずか十二歳の少年が自らの非としてお仕置きを申し出て、印璽の管理を怠った張本人はそれを隠し通そうとしているのだ。
「渡された教鞭を使う相手は、セドリック様だ。だから、すぐにセドリック様の元に赴いて・・・」
 印璽の紛失を懇々とお説教し、机に手をついてお尻を出すように迫ったのだが、まるで言うことを聞かずに逃げ回るヴォルフを膝に腹ばいに取り押さえ、教鞭は長さがむしろ邪魔となるので手放して・・・、結果、ひん剥いたお尻に平手を据えることに。
「しかもだ。どうして印璽がポケットに入っていたと思う?」
「はあ・・・」
 何となく想像がついたが、モートンはスフォールドの愚痴を吐き出させてやることを優先することにした。
「当主しか知らない印璽の保管場所まで戻しに行くのが面倒で、どうせまた使うからとポケットに入れたまま、忘れていたと言うのだぞ!」
 ああ、やっぱり・・・。
「考えられん! よくあの調子で当主が務まっていたものだ!」
 さて、務まっていたと言って良いものか。
 その印璽管理の甘さが、ヴォルフ侯爵家に膨大な借金を背負わせる結果を招いて、現在の奇妙な同居生活があるのだから。
 まあ、その辺りはフォスターにきついお仕置きをされているので、スフォールドには黙っておいてやることにする。
「あの方は・・・公私の線引きが大変はっきりしておられるようで・・・」
「まったくだ。あれで国政の主軸格と言うからな、恐れ入る。一度でいいからセドリック様の議会でのお姿を拝見したいものだね」
「・・・あなたも、セドリック様と呼ぶことになさったのですね・・・」
 スフォールドはふと口を閉ざし、手の中でマグカップを弄んでいるモートンを見つめた。
「・・・ヴォルフ領に随行した際にね、ヴォルフ家ご隠居夫妻からルシアンと呼ばれる度に、あの方はとても寂しそうでね。御夫妻がいない間は『セドリック様』と呼ぶと微笑まれるお顔が、何だか、可愛らしくて愛おしくなった」
「・・・ありがとうございます」
 スフォールドが肩をすくめた。
「無理するなよ、妬いているくせに。お前もセドリック様と呼べばいいではないか」
 すると、モートンは苦笑を浮かべる。
「ええ、妬いておりますとも。けれど、私があの方をセドリック様とお呼びすると、それを妬いてくださる方がいるのです。それはそれで、とても、嬉しいのですよ、私は」
 スフォールドは再び髪をかき回し、甘いコーヒーを味わった。
「・・・こちらこそ、ありがとう、モートン」



 フォスターは緊張の面持ちで姿見の中の自分を見つめた。
 寸分の隙もない。はず。
 今より迎える客に、難癖をつけられる要素はどこにもない。はず。
「旦那様・・・、そのように身構えずとも、蟄居中の監視役ではないのですから・・・」
 主のあまりの緊張感に、モートンが苦笑して洋服ブラシを施してやる。
「旦那様は、普段のままでおられれば十分ご立派な紳士でございます。ただ少~し、固執なさる事柄には冷静さを欠く部分を、気をつけておられれば良いだけでございますよ」
「・・・何やら最近、叱られてばかりいるような気がするが・・・」
 苦っぽい表情を浮かべるフォスターを鏡越しに見て、モートンが微笑んだ。
「旦那様は爵位を継承されて以来、ずっとお一人で静かにお暮らしでしたので。こう一度に『ご家族』が増えては、振れる感情に惑わされるのは致し方ございませんでしょうね」
「モートン」
 振り返ったフォスターは、少し照れくさそうに彼の肩をポンと叩いてソファに掛けた。
「一人ではないよ。私には、お前がいたもの」
「・・・恐れ入ります」
 自分を家族だと言ってくれている主に丁寧な最敬礼で応えたモートンは、真新しい懐中時計をポケットから取り出して時間を確認すると、彼を玄関ポーチへと誘った。



「それで、本日のご用件は」
 応接間の上座に座ったワイラーは、あからさまに煩わしげなフォスターに苦笑した。
 傍らに控えているモートンも、先程の忠告の虚しさに小さく吐息をついている。
「用が済んだらさっさと帰れと言いたげだねぇ」
「いえいえ、まさか、そのような。モートン、ワイラー卿にワインを。で、ご用件は」
 ワイラーは肩をすくめて、モートンの謝罪の視線にヒラヒラと手を振りワイングラスを受け取った。
「まだ怒っているのかね? 私が君の父上に告げ口したこと」
「別に、怒ってなどおりません」
「聞いてくれたまえよ、モートン。彼は領地から戻って以来、宮廷で私につんけんと・・・」
「ワイラー卿! ご用向きお伺い致します!」
 慌ててワイラーの声を遮ったが、背後からの視線が刺さる気配にそっと振り返ると、モートンが手の平に息を吹きかける仕草が見えて首をすくめる。
「今日はね、お祝いを言いに来たのだよ。猊下からヴィクトリアの還俗のお許しが出たそうで、何よりだとね」
 目を瞬くフォスターと、目を丸くするワイラー。
「まだヴィクトリアから聞いていなかったのかね? 顔が怒っているぞ。また彼女とやり合うつもりかね。やめたまえよ、紳士が痴話喧嘩なぞみっともない」
 子供のような上目遣いを向けてくるフォスターに、ワイラーが苦笑した。
「あー、おそらくね、彼女が君に還俗の許しを得たと言わなかったのは、私のせいだと思う。すまないね」
「・・・何故、あなたのせいなのです。そもそも、何故、あなたが還俗の許しが出たとご存知か」
 ワイラーはグラスを煽って口の中のワインを転がした。
「・・・オリガをね」
「オリガ?」
 己が欲の欲するままの道を歩み、ついにワイラーの折檻地獄の門をくぐったフォスターの初恋の君。
「オリガを、仕置き館で預かって欲しいと頼みに行ったのだよ。君が求婚をしたあの日」
「え・・・?」
「で、先日、オリガを仕置き館に送り届けた際、ヴィクトリアから還俗の件を聞いた」
「・・・オリガを仕置き館送りなど、今度はどのようなお楽しみをご考案で?」
 お尻を叩くことを、あるいはお尻を叩かれる者を鑑賞するのを何より好むスパンキング趣味の公爵に、フォスターは訝しげな視線を送った。
 仕置き館の主宰がフォスターである以上、好き勝手にお仕置きの場に立ち会うことなどできない場所へ、何故、制裁与奪をほしいままにできるオリガを送り込んだのか、腹の中が読めない。
「・・・まあ、そう思われても仕方ないがね」
 ワイラーは天井を仰いで吐息を漏らした。
「なんだろうねぇ。あの子が、哀れになってきてね・・・」
「哀れ?」
「そう怪訝な目で見るな。自分でも戸惑いを覚えているのだから」
 ワイラーは肩をすくめた。
「きついお仕置きを据えようが、逆に、子供のように言い聞かせながら膝の上でお仕置きしようが、あの子の口からこぼれ出るのは『悪いのは自分じゃない』という恨み言ばかり。正直、こちらまで鬱々としてきて、うんざりしていたのだが・・・」
 笑みこそ浮かべてはいるが、至極真面目な語調のワイラーの言葉を、フォスターは黙って聞くことにした。
「ふと思った。まだたった十九の娘が、この調子で年を取っていったら、どうなってしまうのだろうと」
 ワイラーは自分らしくない部分を見られていることに照れたのか、殊更大きく両手を広げた。
「私はね、言い逃れのしようがない自分の非でお仕置きされて、ごめんなさいと泣くしかなくなる娘たちの姿が好きなだけだ。規格外はごめんだね」
「・・・ならば、オリガを放逐なされば良いだけでは?」
 ワイラーが神妙な面持ちで頭を掻いた。
「・・・幾度かね、そうしようとした。お前のような聞き分けのない子はもう知らんと、門まで引きずっていって、出て行けと言った・・・が」
 その瞬間のオリガの顔は解放の喜びでいっぱいとなるのに、どこに向かって行けば良いのかわからない迷子のように、門前の三叉路で道を見比べて立ち尽くしていたという。
 どうにも見ていられない気持ちになり、すぐに脇に抱えて門の中に入ると・・・。
「嫌だ、帰りたくないと、泣きじゃくるのだけどね・・・」
 空になったワイングラスにモートンがワインを注いだ。
「・・・帰りたくない、だよ。帰りたくないと言うのだよ。あの子の帰る場所は、趣味でスパンキングを課すような私のところしか、ないのだよ」
 深い自嘲。
「私では無理だと思った」
「・・・それで、仕置き館に?」
「ああ。ヴィクトリアなら、どうにかあの子が自分と向き合う術を、教えてやってくれるのではないかと思ってね」
「・・・彼女なら、尖ったオリガの刺をそっと手折ってくれるかもしれません」
「・・・そう、願っている。私はあの子の帰る場所として、待っていたいと思ってね」
 フォスターは初めて、心からワイラーに頭を垂れた。
「・・・やめたまえよ。私はただ、気分が沈むお仕置きにうんざりしていただけだ。帰ってきたら、新しい悪さを理由にお尻を引っ叩いてやるさ」
「そこに、もう牽強付会(けんきょうふかい)は生まれないように思いましたので・・・」
「さあ、それはどうかね」
 うそぶくワイラーに笑みを浮かべ、フォスターは髪を掻き上げる。
「つまり・・・、ヴィクトリアが私に還俗の許しが出た件を言わなかったのは、オリガをあなたの元に返してから・・・という思い」
 ワインを一口に含んで、自分の呟きに頷いた。
「致し方ありませんな。私は、そういうヴィクトリアを好きになったのですから」
「はは、そうだね。君たちは似合いの夫婦になると・・・」
 ワイラーが言い終えぬ内に、応接間の扉がそっと開いて、また勝手に閉じたことに目を瞬いてワイングラスをテーブルに置いた。
 フォスターもその気配に気付き、呆れて肘掛に頬杖をつく。
「ヴォルフ、何をしている?」
 どうやら使用中だと思っていなかったらしい応接間に、コソコソと忍び込んできたヴォルフは、自分を見つめている三人の視線にギョッとしてドアノブを握ったが、廊下に出るに出られない様子で視線を泳がせていた。
「モートン」
 フォスターの一声に、彼は素早くヴォルフの耳を摘んでドアを開ける。
「痛い! 無礼者! 離せ!」
「スフォールド、お探しの方はこちらですよ」
 ぬっとドアをくぐって現れたスフォールドは、応接セットに掛ける来客と当主に頭を垂れた。
「お話中に大変失礼を。ワイラー卿、ご無沙汰しております」
「久しいね、スフォールド。とうとう君も王都まで引っ張り出されたか」
「ええ、手のかかる大きなお子様のお陰で」
 逃げたくても耳が痛くて身動きできないヴォルフは、スフォールドに睨まれて首をすくめた。
「何を仕出かしたのかね、その悪童は」
「恥ずかしながら、先日、印璽を無くしまして・・・」
 ワイラーとフォスターが揃って呆然とする。
「い、印璽を?」
「無くした?」
 スフォールドがヒラヒラと手を振り、モートンも知る事の顛末を話す。
「ところが、それでファビオに当たり散らしているのを見つけましてね。お前が見つけた印璽を自分のところに持ってきていれば、叱られなかったのに・・・と」
「・・・ヴォ~ル~フ~・・・。ちょっとこっちに来なさい」
 フォスターの声にモートンが耳を放すと、赤くなった耳を擦ってヴォルフは首を横に振る。
「印璽のことはもう叱られた! なんでまた叱られなきゃならん!」
 応接間の一同が揃って額を押さえ、深いため息の合唱。
「・・・ヴォルフ侯爵、それは今からおわかりになると存じますよ」
 モートンが静かに言った。
 前門の虎と後門の狼という窮地に、ヴォルフが息を飲む。
「さて、ヴォルフ。誰の膝の上で教えを請いたいかね?」
「~~~フォスター・・・」
 涙声で絞り出すように言ったヴォルフが可愛くてつい微笑んだフォスターを眺め、ワイラーが肩をすくめた。
「何を笑っているのかね。一番甘いと思われているということだろう。君はこの場は降板。モートン、ヴォルフ卿をこれへ」
 青ざめてたじろいだヴォルフを軽々と担ぎ上げたモートンは、彼をワイラーの膝へと下ろした。
「い、嫌だ! 嫌です、ワイラー卿!」
 じろりと睨まれて、ヴォルフがビクリと首をすくめる。
「どうしてお仕置きなのか、自分で考えて答えなさい。ちゃんとした答えが聞けるまで、終わらないからそのつもりで」
「そんな・・・」
 サスペンダーのボタンに手がかかるのを、必死で遮ろうとする手はスフォールドによって前に押さえ込まれてしまった。
 ズボンごと下着を捲られて、ヴォルフはすでに半泣きである。
 ピシャリピシャリと鋭い音と共に、子供のようなヴォルフの泣き声が上がる。
「声を出していいのは答える時だけ。さあ、早く答えないと、どんどん痛くなるぞ」
「~~~だって・・・、痛いぃ・・・」
「私の手が痛くなる前に答えなさい。でないと、お次はスフォールドの出番になってしまうよ」
「そ、そんな! やだ! フォスター、助けて!」
 いや、こんな厳しい二人のお仕置きなぞ、助けてやりたいのは山々だが・・・。
「自分の不始末を棚に上げて、ファビオに八つ当たりなどするから、こうなるのだよ」
 ワイラーとスフォールドの視線が刺さったが、フォスターは素知らぬふりでお茶をすすった。
 さて、ヒントどころか答えを教えてやったことに、ヴォルフは気付いてくれるだろうか。



つづく


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~ Comment ~

NoTitle

 お久しぶりです。
ヴォルフ、おバカすぎる・・!?そこがらしいのでしょうけど。
先日のヴィクトリアのお仕置きも楽しませていただきました。コメ遅くなってしまってすみません。
 ワイラー卿も随分とお変わりになりましたね。仕置き館から戻ってきたオリガとどういう風になるのか、そちらも楽しみなような・・ですね。

ほのぼの回だぁ!

ほのぼの!してますね!前回とのギャップで落ち着きます(笑)
ヴォルフは相変わらずおバカさんですねー(笑)このあとけっきょくスコールドにバトンタッチされる前に答えを教えてもらったことに気づけたのでしょうか笑笑

山田主水さま

読んでくださってありがとうございます(^^♪

ワイラーはホントに随分変わりましたね~。
でもまあ、ご趣味はお変わりありませんので、また娘さんたちが泣かされることでしょう。
オリガにだけは。。。趣味で手を出せなくなりそうですが、その分、本気で叱るでしょうから
オリガも大変そうですね(笑)

サラさま

ようやくまったりムードです。

本当に、ヴォルフはどこまでおバカなんでしょうねぇ(^^;
サラさま、そんなおバカヴォルフが、選手交代前に気付くと思います~?( ̄▽ ̄)
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