オルガ

第三十六話 別れの時

 ←第三十五話 懐中時計の思い →第三十七話 大人たちの千秋楽

「一体どういうおつもりです」
庭園のガーデンチェアでお茶を楽しむ父は、厳しい面持ちで傍らに立つ息子を見上げた。
「何だい、アーシャ。突然、押しかけてきたと思ったら、怖い顔して」
「ファビオをヴォルフから引き離したとモートンから聞きました。彼はヴォルフの為に雇い入れた小姓ですぞ」
「そんな怖い顔しては駄目だよ~。いつも笑顔で。はい、笑って」
 能天気なのは知っているが、もはやふざけているようにしか見えない父に、フォスターは怒りすら覚えてガーデンテーブルに拳を打ち付けた。
「あ。今、痛かったよね? だよねぇ、鋳物だものねー」
「真面目にお聞きください!」
 ズキズキする拳を擦りながら、フォスターは声を高くした。
「そんな大きな声出さなくても、聞こえるよー。お父様、まだ五十代なんだから」
「何故そのように横槍を入れるようなことをなさるのかと、お聞きしているのです!」
「お父様、槍は得意じゃないなぁ。フェンシングなら得意」
「父上!」
「もう~、アーシャ、声が大きいってば」
 先程からスフォールドがしきりに咳払いをしているが、興奮気味のフォスターの耳には届かない。
 傍らに黙って控えていたモートンが小さく咳払いし、ようやく我に返る。
 スフォールドがモートンに苦笑を向けたので、彼は静かに彼に会釈した。
「そう、落ち着いてね。今度大きな声出したら、スコールドにここでお尻ぺんぺんしてもらうからね」
「・・・お願いですから、ふざけないでください・・・」
「ふざけてるけど、これくらい上手くやり過ごせない? 宮廷で立ち回るなら、それくらいできなきゃ」
「そういうお話なら後日。今はヴォルフのことです」
どうにか息を整えて父と差し向かいの椅子に掛けたフォスターの前に、スフォールドが瑠璃のティーカップを置いてお茶を注いだ。
「ヴォルフ領に迎えをよこすよう連絡したそうですね」
「言ったでしょ。領主がわずか汽車で一日の場所にいて、復旧視察に行かないなんておかしいって」
「もとより、我がフォスター領を視察の後、あちらにも伺う予定でございました」
「なら、順番が逆。そういう予定なら、まずは侯爵領が先でしょ」
「そ、それは・・・」
 フォスターの迂闊にほかならない。
 彼を高位というより小さな弟のような気でいたので、つい自分の領地を優先してしまった。
「モートン、それなりに信号を送っていたと思うよ。心当たりない?」
「え・・・」
 記憶の糸をたぐり寄せる。
 そう言えば、ヴォルフがフォスター領に同行すると駄々をこねていた時、モートンはずっと黙って成り行きを見守っていた。
 押し切られた際、睨まれていたような。
 あれはヴォルフのやんちゃを容認してしまったからだと思っていたが、あそこで彼が呟いた「甘いですな」という言葉は、もしや、やんちゃに対する対応の甘さではなく、フォスターの迂闊に対するものだった?
「~~~それなら、そう言ってくれれば・・・」
 モートンについ恨みがましい視線を送ると、彼は素知らぬ顔で肩をすくめた。
「悪い子だね、アーシャ。伯爵号を継いで何年? お前はいくつ? それくらい、自分で判断することだと、お父様は思うけどなぁ。信号を送ったモートンが甘いくらいだよ、ねー、スコールド」
「はい、『スフォールド』も、大旦那様のおっしゃる通りかと」
 二人の視線に、モートンが恐縮気味に頭を垂れた。
「~~~それは・・・私の不徳の致すところでございますが」
「そうだね、お尻ぺんぺんしなくちゃねー」
「ふざけないでくださいと申し上げておりましょう!」
「もう。また声が大きいってば」
 スフォールドが一歩前に出たが、父はヒラヒラと手を振って彼を下がらせた。
「彼をヴォルフ領に視察に向かわせるのはようございます! そんなことより・・・!」
「・・・そんなことより、ねぇ」
「何故、彼に王都に新しい住まいを準備するなどとおっしゃった!? ヴォルフは消沈して何も話さなくなってしまった!」
「だって、いつまでも高位が下位の屋敷に間借りなんて、おかしいでしょ」
「国王陛下の許可はいただいております!」
「とは言え、玉座を支える臣下らがざわめいては、陛下の御為にはならないなぁ」
「そのようなことでしたら、無用なお気遣い! 現状、問題視される方はおられませぬ故!」
「現状はね」
「今後とて!」
「どうかなぁ」
「何もご存知ないくせに、こんな田舎で安穏とお暮らしの父上にとやかく言われる筋合いはございませぬ!」
「ふーん。こんな田舎ねぇ」
 フォスターの体がビクリと震えた。
 父が一瞬、とても怖い表情を見せた気がしたのだ。しかし、目の前の父はやはりいつもの能天気な笑顔で、気のせいかと冷や汗を拭う。
「父上、大体、何故オルガだけを彼に渡されるのか。あの子が彼にどんな風に扱われてきたのか、聞いているとおっしゃったでしょう」
「聞いているよー。でも、オルガがヴォルフと行くって言ったもの」
「あの子にそんな判断を任せないでください! 今のヴォルフなら大丈夫かもしれない! けれど、私もファビオもモートンもいない状態では・・・!」
「言ったでしょ。オルガは、賢い子だって。今は、こうすることがいいんだって話したら、頷いてくれたよ」
 フォスターはテーブルに強く両手をついて立ち上がった。
「父上のオルガへのなさりようは、意志のない人形の頭に手を置いて振らせたのと同じです!」
「・・・お人形ねぇ」
 じっと自分の手の平を眺めていた父が呟き、やがて、長い溜息を漏らした。
「お前がそんなに子供だったなんて、お父様、ちょっとガッカリ」
 父はスフォールドと目配せし、そっと首を横に振った。
「お前が子供なら、お父様はこういう言い方しかできないな。お父様の言うことを聞きなさい」
「父上!」
「ああ、もう。大きな声ばかり出して。そういう子はお尻ペンペンしてもらうって、言ったでしょ」
「はあ!? いい加減、おふざけはおやめください!」
「これがおふざけじゃないことくらい、察しなさい。子供だね」
 父が席を立ったのを合図のように、スフォールドがフォスターの前に立った。
「大旦那様」
「うん。子供にはお膝の上でお尻ペンペンがお似合いだね」
「かしこまりました」
 言い返そうとしたフォスターは、スフォールドに腕を掴まれてガーデンチェアから引き起こされたかと思うと、代わりに腰を下ろした彼の膝の上に腹ばいに押さえ込まれてしまった。
「スコールド、やめ・・・! 父上!」
「そうだね、体だけは大人だし・・・」
 父は執事たちの傍らにあった、ティーテーブルに置かれた砂時計を取り上げて、スフォールドの膝の上でもがくフォスターから見える位置に置いた。
「スコールド、これが落ちきるまでね」
「父上・・・!」
 お茶用の砂時計は三分を要する。
 それくらい知っているフォスターは、屈辱的な姿勢に加えて、スフォールドがズボンを捲ろうとしていることに顔を真っ赤に染めて一層抵抗した。
「父上!」
「一発に数秒もいらないからね。いくつ叩かれちゃうかなぁ」
 初めて見た父の真顔に、フォスターはゴクリと息を飲んだ。
「言っておくけど、これ、大声で喚きたてたお仕置きだけだから」
 膝の上で腹ばいにされたフォスターの前にしゃがみ、父は彼の顔を眺めた。
「アーサー。借金は、早めに返済しないと利子が膨らむよ」
「フォスター領は現状、資金繰りこそ厳しいですが、借金と呼べるようなものはございません!」
「声が大きいってば。お前はどうも、こうと決めたら周りが見えなくなるところがあるねぇ」
 父の手が一旦中身の落ち切った砂時計に伸びて、上下を返した。
「始め」
 丸出しにされたフォスターのお尻に、まるで子供にするような平手が降り下ろされ始めた。
「~! ~! ~! あんまりではございませんか! 父上!」
「あのね、大声を上げたお仕置き中に、大声上げるかな。砂時計、もう一往復、追加」
「父上!」
「はい、もう一往復。あーあ、九分になっちゃったねぇ」
 冷静に父に語れる状態ではないので、フォスターはお尻に連続して降り注ぐ痛みに声を殺すしかなくなってしまった。
「そうそう。そうやって、黙って、自分の抱える負債の累計を考えなさい。この場でその答えが出れば、お父様からのお仕置きは許してあげるよ」
「~! なんの・・・痛っ! ことか・・・あっ! わかりかねます・・・ぅ!」
 痛みと屈辱に歯を食いしばるフォスターに睨み上げられて、父は肩をすくめてモートンを見た。
「ごめんね、うちの息子が困らせて」
 黙って深々と頭を垂れたモートンは、主人が子供のようにもがく姿に、そっと吐息を漏らしていた。



 ベッドに横たわり、ぼんやりと天蓋の裏の装飾を眺めていたヴォルフは、ギシッと揺れたマットの感触に顔を向けた。
「・・・オルガ」
 ヴォルフの脇にペタンと座ったオルガを抱き寄せて、彼はその黒髪に指を絡ませた。
「・・・フォスターのご隠居がね、ヴォルフ領から迎えが来ると言った。父上と母上が会いたいと仰せだと・・・」
 まるで独り言のように言うヴォルフの頬に、オルガが両手を添えた。
「父上とね、母上は・・・私の言うことを何でも聞いてくださる。でも、会いたいとおっしゃったのを知らぬ顔したら・・・私は、きっと、嫌われてしまう」
「・・・ヴォルフ、好き」
「ルシアンは、きっと、そんなこと言わないから・・・。ルシアンみたいに、愛してもらいたかったら、父上と母上の言うこと、聞かなきゃ・・・」
「・・・ヴォルフ、大好き」
「フォスターとは今までみたいに会えなくなる。招きたくても、互いのスケジュールを調整して、招待状を書いて、そうだな、プライベートで月に一度くらいなら、会えるかな」
「・・・ヴォルフ。好きよ。大好き」
「でも・・・! オルガ! その間に、またお前を傷つけてしまうかもしれない・・・!」
「・・・ヴォルフ、さみしいの、きらいものね」
「私は、もう、お前を、人形のようにしてしまうの、嫌だ・・・」
「だいじょぶ。オルガ、ならないよ。ヴォルフのイヤに、ならないよ」
「でも、ファビオもいない! お前を痛めつける私にならない自信がない・・・!」
「ヴォルフ」
 オルガの両手がヴォルフの頬を包み、彼に瞳が微笑んだ。
「だいじょぶよ。オルガ、前みたいになったらイヤ、ヴォルフ、そう言うから。かみつくよ、ひっかくよ。ヴォルフが前みたいしたら、イヤって、言えるよ」
「~~~オルガ・・・」
「だいじょぶよ、ヴォルフ。オルガ、ヴォルフ、大好きよ」
 オルガを抱き寄せて、ヴォルフはベッドの上で小さく丸まった。
「お前は、温かいな・・・。裸のお前じゃないのに、温かいの、わかるな」
「ヴォルフ、だいじょぶ。ヴォルフも、お洋服のままでも、温かいよ」
 ヴォルフは目をつむり、洋服越しのオルガの体温をじっと味わっていた。
「オルガ・・・」
「なぁに?」
「私はね、もしかしたら、ペットじゃなくても、お前が好きなのかもしれない・・・」
 オルガが虚をつかれたように目を瞬き、そして、クスクスと笑った。
「オルガね、知ってたよ。でも、ヴォルフのお口がそれ言った。うれしい」 
 キスなど、ずっと以前から繰り返していた行為。
 ただ戯れに。
 ただの性の営みの一貫。
 ただ、強要。
 今は?
 今は。
 ただただ、オルガが愛おしくて。
「~~~お前が、フォスターを、引き寄せてくれた。それまで・・・私は、自分が、寂しいのだと、知らなかった・・・」
「だって、ヴォルフ。ふぉすた、ごめんて、言ってたの。オルガじゃない。ヴォルフが、ふぉすた、呼んだのよ」
「・・・フォスターは、また、呼んだら、来て、くれる?」
 オルガは黙っていたが、その瞳は静かに微笑んでいた。



 ヴォルフのフォスター領出発の日、スフォールドに付き添われて車に乗り込んだヴォルフを、父の傍らで黙って見つめていたフォスターは、駆け寄ってきたオルガを抱き寄せて頬ずりした。
「ごめんよ、オルガ。わからず屋の父上とその執事のせいで、辛い思いをさせることになる」
 父はヒラヒラと手で顔を仰いだ。
「大人気のない子だねぇ、この子は」
 キッとフォスターに睨み据えられて、父は肩をすくめる。
「オルガ、だいじょぶよ。だから、前のふぉすたでいてね」
「・・・前?」
 ニコリと微笑んだオルガは彼の頬にキスして、ヴォルフの待つ車へと走り去っていった。
 その後ろ姿を見つめつつ、フォスターが更に父をねめつける。
「・・・オルガが泣く事態になったら、父上の責任はどう取るおつもりか、見ものですな」
「モートン、この子、えらく反抗的なのだけど・・・」
「モートン、頭など下げんで良い」
 では、もう苦笑するしかないモートンである。
 高くなったエンジンの音と共に走り始めた車に、フォスターは険しい表情を向けた。
 後部座席の窓から、心細げなヴォルフの顔が覗く。
「・・・父上、あなたは何もご存知ない」
「でも私は、借金の元金を知ってるよ」
「いい加減、ふざけた表現はやめて・・・」
 ふと言葉を切ったフォスターは、走りゆく車に顔色を変え、弾かれたように走り始めて叫んだ。
「やめろ! やめなさい! スコールド、ヴォルフを・・・!」
 走る後部座席のドアが細く空いた瞬間、風圧に煽られて激しく開く。
 それを見た父が目を丸くして呟いた。
「ありゃ。これはお父様、予想外・・・」
 開いたドアからヴォルフが飛び出し、その体が激しく地面を転がった。
「~~~ヴォルフ!!」
 そして、車は急停止した。



つづく





  • 【第三十五話 懐中時計の思い】へ
  • 【第三十七話 大人たちの千秋楽】へ

~ Comment ~

ヴォ、ヴォルフ!?

ヴォルフさーん!何やっちゃってんの!!?
死ぬよね!下手したら死ぬよね!走りはじめだったからきっと大丈夫とは思うけど!
と、心の叫びを思う存分叫んだところでw
お父様とか大人組は客観的に見てるからこそ、冷徹な判断を下されましたね。でも、そこに当事者の感情が入ることはなくて。
「正しい」判断ではあるけど「良い」判断ではないんでないかな、と真面目な話思いました。
まずはスフォールドを執事としてつけ、同じ屋敷内で少しずつフォスターと距離をとらせて最終的に独り立ちさせるのがベターだったんではないかな、と思います。
これから先最終回までどのように展開が変わっていくかとても気になります!
楽しみにしていますね♪

サラさま


> ヴォルフさーん!何やっちゃってんの!!?

本当は列車から飛び出させるつもりだったのですが・・・文才が追いつかず(^_^;)
車に設定変更と相成りました。

現代の車よりは加速が遅いということで、お許しくださいませ( ̄▽ ̄;)

ようやく重め展開を脱しそうで、正直ホッとしております。


管理者のみ表示。 | 非公開コメン卜投稿可能です。
  • 【第三十五話 懐中時計の思い】へ
  • 【第三十七話 大人たちの千秋楽】へ