オルガ

第三十話 未熟の自覚

 ←モートンとご令嬢のこと。 →第三十一話 暴君ヴォルフ復活
 

「いらっしゃいませ、ワイラー卿。御足労いただき、恐縮でございます」
 2日目の監視役訪問を出迎えたモートンは、彼の外套とステッキを預かって、控えていた従僕に手渡す。
「どちらからご案内いたしましょう」
「そうだね、ヴォルフ卿が高位ではあるが、やはり屋敷の主に先に挨拶するかね」
「かしこまりました」
 ワイラーを誘ってフォスターの部屋の前まで戻ったモートンは、ドアをノックしたが、応答がない。
「旦那様、失礼致します。ワイラー卿がお見えになり・・・」
 呆れた。
 我が主ながら、何たる浅知恵。
 先程まで元気良くワイラーへの不平不満を鳴らしていたくせに、寝たふりでやり過ごそうとは何事か。
「申し訳ございません、ワイラー卿。すぐに起こして・・・」
「ああ、良い、良い。寝かせておいてやりなさい。仕事を取り上げられた上にお尻が痛くて身動きできないのでは、さぞ退屈なのだろうて」
「恐れ入ります・・・」
 ワイラーに頭を垂れたついでにフォスターに顔をしかめると、その気配を察知したフォスターが、寝返りを装って顔を背けた。
「仕方ないね。まずはヴォルフ卿の元を訪ねるとするか」
「ああ、ワイラー卿。そろそろお越しかと当家領地産のワインをご用意しておるのですが」
「ほお、フォスター地方産の。それは嬉しいね。フォスター領のワインは我が国で一、二を争う逸品だ」
「恐れ入ります。どうぞ、お掛くださいませ」
 フォスターが苦情めいて寝苦しそうに呻いて聞かせたが、モートンは知らん顔でワイラーにワイングラスを運び、ボトルのコルクを抜いた。
「テイスティングを」
「・・・ふむ。いいね」
「かしこまりました」
 グラスを交換しワインを注ぐ間に、チラと狸寝入りのフォスターを流し見たが、まだ悪足掻きを続ける気らしい。
「うん、美味い。美しい銀器と美味いワインは、家を象徴するものだ。君はやはり、できた執事だねぇ」
「痛み入ります」
 ワイラーはしばらく黙ってワインを堪能していたが、やがて、傍らに控えるモートンを見上げた。
「・・・やはり、君に任せるとするかな」
「はて、私めなどに務まる下知にございましょうか」
「まあね。元々は君の役目であるし」
 ワイングラスを揺らしながら、ワイラーは眠っている(フリの)フォスターを眺めた。
「・・・彼は、まことまっすぐな心根の青年だ」
「恐れ入りましてございます」
「だが、そういう気質は、危うい」
 ワインを一口含み、ワイラーは目を瞑った。
「公明正大で清廉潔白。が、四角四面で、融通が効かないとも言える。まっすぐな人間は、心を砕いた味方も多くできるが、同時に、敵も増やしやすい」
 ここは余計な相槌は必要なしと判断したモートンは、黙ってワイラーの言葉に耳を傾けていたが、主人がどんな顔でそれを聞いているのかという思いも巡らす。
「今までは一議員の伯爵というだけであったから眼中に留め置かなかった諸侯も、彼が議会中枢のヴォルフ侯爵と結んだことで、接近を図り始めるだろう。今の調子のままいれば、耳障りな不協和音となろうね」
「あの、今の調子・・・とは、どのような・・・」
「ああ、そうだね。君は政務中の彼を見たことがないものな」
 ワイラーは冷や汗を拭うモートンを見上げて、しばし沈黙した。
「聞かない方が良い」
「え・・・」
 青ざめるモートンにワイラーが肩をすくめる。
「冗談だ。・・・ま、あながち冗談でもないか。今の調子の彼に注目が集まるのを、かねてより懸念していた。だからヴォルフ侯爵がここに間借りなど、認めたくはなかったのだが・・・」
 ワイラーが頬杖をついて溜息をついた。
「国王陛下がお許しになってしまったものは仕方ない。ならば私は陛下の御為、防火に尽力するまでだ」
「我が主は、火種にもなりうる行為を・・・?」
 恐る恐る尋ねるモートンに、ワイラーが肩をすくめた。
「彼はまだ若い。目上に対して恐れを知らず、慇懃無頼で一言二言多いのも、正しいと思うことは何でも口に出してしまうのも、相手の顔色に呼吸を合わせて論調を調節しないのも、不愉快な相手にはすぐそれが顔に出てしまうのも、まあ、若さ故」
 ワイラーはワイングラスを揺らしていた手をふと止めて、何かを思い出したように苦笑した。
「そうだ。先日なぞ、ヴォルフ領残置の案を陛下がご助言なされた折、彼は何と言ったと思う?」
「へ、陛下にまで、何か不躾を!?」
 フォスターがつい短く声を上げたので、ワイラーが振り返った。
「おっと、起こしてしまったかな?」
「いえいえ」
 モートンがカウチにツカツカと歩み寄り、フォスターのお尻をパンパンと叩いて見せる。
「ほれ、この通り。痛むお尻を叩いてみても起きないほど、良く寝ておりますので、どうぞ、お続けくださいませ」
 歯を食いしばって痛いのを堪えていたフォスターが、薄目を開けてモートンを睨んだが、それ以上に顔をしかめられて、そろそろとカウチに顔を埋めてしまった。
「ふふ、なるほどね、熟睡だな。彼はね、こう言ったのだよ。陛下のご提案を屋敷に持ち帰り、モートン、君に相談してみるとね」
 眩暈を覚えつつ、モートンはよろめく体を支えるふりで、フォスターのお尻に曲げた肘から平手を強めに落とした。
「~~~っっっ!」
「おや。何か聞こえなかったかね?」
 ワイラーもこの茶番にはとうに気付いているようで、クスクスと笑いながら尋ねる。
「いえ、気のせいでございましょう。ワイラー卿、私の躾がなっていないばかりに、大変なご迷惑を・・・」
「何、若いから。私が嫌味の餌を撒けば、すぐに食いついて他の議員にまで気が回らなくなる。可愛いものだよ」
 クスクスと笑うワイラーに、モートンは恐縮しきりだった。
「まあ、いつまでもそんなことで諸侯を誤魔化せないしね。君が処世術を教えてやってくれ。媚びへつらえとは言わんが、腹芸くらいは習得してもらわんとね」
「無論、尽力致します。けれど、公爵閣下ご自身がお導きになればよろしいではございませんか」
 ワイラーが鼻で笑った。
「その子が私の言うことを素直に聞くと思うかね? 反発し逆らい、その度にお尻が赤くなる。それではあんまり気の毒だ」
「・・・お尻をぶたねば良いだけでは・・・」
「いいや、ぶつ。理由があれば叩く、口実あらば引っ叩く。お仕置きできるチャンスは逃さん。だって、それが私の趣味だもの」
 もはや潔いまでの言い分に、モートンは清々しさすら感じて頭をかき、反発心から飛び起きそうになっている主人のお尻に、音は鈍いが威力のある裏手を見舞った。
「~~~っっっ!!」
 これだけジタバタともがいていたら、いくら声を殺しても狸寝入りとはもはや呼べない。
「勘違いしてくれるなよ、モートン。私は彼のように清廉潔白な人間性でもないし、スパンキングが趣味などという唾棄すべき人間だ。そんなことは、自分でもよく知っている」
 フォスターに、モートンに、そして、改めて自分に言い聞かせるように、ワイラーは自嘲気味に言った。
「けれど、こんな私にとて、守りたい方がいる。すべては国王陛下の御為。議員同士、馴れ合いは困る。が、反目し合っていても困る。国王陛下の玉座を支える一枚岩でいてもらわねばならん。なので、私は泣く泣く彼を君に託すのだよ。仕事は仕事、趣味は趣味だ」 
 ワイングラス越しに狸寝入りのフォスターを眺めやり、ワイラーがさも残念そうに吐息をついた。
「あー、一昨日の仕置きは本当に楽しかったねぇ。仕置き館乗っ取りの仕返しも存分にできた。あーあ、また国王陛下がお命じになってくださらんかなぁ」
 彼流の照れ隠しのようにモートンは感じたし、フォスターも、また自分の未熟さを思い知らされて、小さく吐息をついていた。



 ワイラーをヴォルフの部屋まで案内して戻ってきたモートンは、カウチから送られる上目遣いに顔を背けた。
「何でございますか。言いたいことがあるなら、おっしゃい」
「・・・怒らないでくれよ。私が悪かったから・・・」
 じろりと睨まれて、首をすくめる。
「狸寝入りなどと、情けない」
「だってさ・・・」
「だって?」
「・・・悪かったよ・・・」
 モートンが本気で怒っていることくらい長年の付き合いでわかるフォスターは、痛むお尻を庇いつつ、カウチから立ち上がった。
「ワイラーは嫌いだが・・・彼の言うところには、私も反省すべき点が多いのは、理解している。・・・お仕置き部屋、行ってもいいぞ」
「行ってもいい?」
 しかめ面で振り返ったモートンに、フォスターは慌てて両手を振った。
「違う! 言葉のあやだ! だって恥ずかしいし! まだお尻も痛いし! 勇気がいるんだよ! ・・・お仕置をお願いします、なんて、言うのは・・・」
 渋い顔で額に手を当てて深い息をついたモートンを、フォスターは亀の子のように首をすくめて見つめていた。
「本当にもう・・・あなたという方は・・・」
「・・・ごめん・・・」
 しゅんとするフォスターに、モートンがようやくいつもの苦笑を浮かべてくれた。
「私がお教えした『正しさへの姿勢』を順守していてくださったこと、それは、まことに嬉しゅうございますよ。ですが・・・」
 立ち尽くして俯くフォスターに歩み寄り、そっと顔を覗き込んだモートンは、子供にするように頬を撫でた。
「先王崩御にて成人後継者のある家の代替わりが定めとは言え、早過ぎたやもしれませんね。ご隠居様の処世術を、間近で見る機会が短すぎました」
「・・・あの能天気な父上が、処世術?」
「そう、まさしく旦那様のおっしゃるそれでございますよ。ご隠居様は、ああいう風に振舞われることで、敵を作らず味方を増やし、いざという時にご自分の意見が通る足場固めを常になさってこられた」
確かに、幼い頃からフォスター家で主催された晩餐会やパーティー、クラブの会合などを覗き見ると、父の周りを囲む人はいつも笑っていた。
 それに引き換え、そういう社交の場に自分が訪れると緊張感が走るのを、感じてはいた。
 顧みれば、反省材料は山ほどあるのに気付く。
「~~~私には、あんな風にはできないけれど・・・。でも、せめて、笑い声を妨げぬように位は、しなくてはいけないね」
「はい、左様でございますね」
 モートンが子供の頃のように、フォスターの頬を両手で包んで微笑んだ。
「飲み込んでみて、どうしても納得のいかぬこと、私にぶちまけてくださいませ。モートンは、ずっと旦那様のお傍におります故。お悩みあらばご相談くだされば、幸いにございます」
「・・・うん、そうだね。私には、お前がいてくれたね」
 先王崩御にて若くに爵位を継承し貴族議員として政(まつりごと)に携わるようになり、すっかり大人になった気で、肩肘を張っていた未熟な自分を思い知る。
「対等に皮肉の応酬を繰り広げていたと思っていたのに、ワイラーの手の平の上だったとはね・・・」
「左様でございますね。蟄居の間に、練習相手になっていただくがよろしゅうございます」
 口を一文字に結んだフォスターが、モートンの両手の中から頬を背けた。
「・・・あいつは、嫌だ」
「旦那様?」
「他の諸侯になら、どうにかやれる。でも、あいつだけは、嫌だ」
 モートンがやれやれと息をつき、幼い子供にするように顔をしかめて見せた。
「いつまで拗ねておられるのですか。確かに、ワイラー卿は趣味に難ありのお方ですが、今回のお仕置きはオルガ様の宮廷侵入を秘密裏に処理なさろうとしたことに対して、国王陛下がお命じになったことにございましょう?」
「でも、ワイラーは仕返しと言っていた」
「そうかもしれませんが、仕返しの隙を与える口実を作ったのはどなたです?」
「それは私だけど・・・、でも、嫌だ!」
 まるで子供のようにそっぽを向くフォスターに、モートンが吐息を深くした。
「旦那様」
「嫌だ! 私はあいつが嫌いだ! ワイラーに腹芸なぞ披露してやるものか!」
 普段にない大声で喚き散らすフォスターに、さすがのモートンも手をこまねいていた時だ。
 外に控える従僕が開いたドアから、ワイラーが姿を見せた。
「大きな声だね。ドアの外まで聞こえているよ」
 フォスターにキッと睨まれて、ワイラーは肩をすくめた。
「ひどく嫌われてしまったものだね」
「ああ、嫌いだ! お前など、大嫌いだ!」
 高位の貴族に掴みかからんばかりの主人を、モートンが慌てて羽交い締めに押さえ込む。
「軽蔑する私などにお仕置きされたことが、そんなに悔しいかね?」
「そんなことを言っているんじゃない! ワイラー! お前は・・・! お前は・・・!」
 歯ぎしり。
「お前は、私のヴィクトリアに・・・!!」
 声の限りに叫んだフォスターに、ワイラーが首を傾げた。
「私の、ヴィクトリア?」
 叫んだ当のフォスターも、自分に問う。
 ―――私の、ヴィクトリア・・・?
 見る見る、フォスターの耳朶が赤く染まり始め、ついに顔全体が紅潮した時、彼は口を押さえて動揺を顕にした。
「だ、旦那様・・・?」
 押さえつけていた手の力が抜けて、モートンも目を瞬いている。
 ワイラーはようやく事態を飲み込めたようで、苦っぽく笑って頭を掻いた。
「ああ、そう。そういうことかね。それは、嫌われて当然だね」
「ち! 違う! 違います! 彼女とは何も・・・! ただ、私が勝手に・・・・・・え?」
 言ってしまってから、フォスターは更にオロオロと落ち着きなく目を泳がせた。
「え? え? 私は、何を? え?」
 心臓の早鐘が収まらない。
 むしろ、自分が何故そんなことを口走ったのか考えるほどに、動悸が増して顔が熱くなり、考えないようにしていたヴィクトリアの顔が繰り返し、繰り返し脳裏に浮かぶ。
 やっと、思い至る。
 それまで、議会や招待先で顔を合わせるワイラーに、苛立ちなど感じたことはなかった。
 彼の趣味の殿堂たる仕置き館を乗っ取った時も、冷静に処理できていた。
 だが、ヴィクトリア自身は何も語らなかったが、伝え聞いたワイラーの彼女への仕打ちを耳にした時から、急に彼を許せなくなった。
 スパンキングを趣味として楽しむ下衆。
 だから嫌い。
 そう思っていたのに・・・。
「私は・・・あなたが・・・ヴィクトリアに触れたことが、嫌だった・・・」
 それはワイラーに向けた呟きのようでいて、そうではないことを察していた彼が、黙って苦笑を浮かべていた。
「私は・・・」
 やっと気付く。
 私は、ヴィクトリアが、好きだったのだ・・・と。



つづく





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